クリスマスも過ぎ、いや正確には1月6日までがクリスマスなのだが、スーパーの飾り付けも一気にお正月に変わってしまいました。今日は真冬日、予想最低気温が−8度と寒くなりそうです。午後3時の高松の池ですが、この時点で−3度です。結氷も更に広がったように感じます。
コイのエサをめがけて殺到する群衆です。今年はやたらカルガモが目立ちます。
オオバンは昔一羽しかいなかったのですが、今では数も増え何か大きな顔をしています。
ミコアイサのオスなんですが、今年は一羽だけ巨大なのがいまして、ハジロ類くらいの大きさのある奴でして、どうもコイのエサでメタボらしいです。ずいぶんコイのエサを食べにくる様です。
そういえば水鳥のオスメスのサイズって、同じくらいかメスの方が小さいように感じます。一般に鳥類は飛ぶために特化しすぎて、卵を産むメスの方が重量超過になりやすく大型になると言われています。とはいえ陸生の鳥、ニワトリやキジではオスが大きくなったりしますが、水鳥もそうなのでしょうか。オナガガモとかミコアイサはオスの方が大きいですね。ハジロ類は大体同じです。水上と言う特性が何かそう言った大きさの差をなくさせるのでしょうか。
ユリカモメは可愛いですね。都鳥が田舎にいると言うのもおかしな物で、食パンを涙で濡らしましょうか。
水鳥の巡視船、カワアイサです。こうしてみれば突進力が凄いですね。細長い体型と高出力の水かきとあいまった豪快な加速です。
そうそう、今年のバイロイト音楽祭なのですが、後で聞こうと思ってラジ録でハードディスクに録音しているのですが、何か断片化が凄くてマトモに録音出来ていません。途中で切れて別なファイルになってしまうので、前後10秒ほど欠落が生じるだけでなく、そのファイルそのものも録音出来ていなかったりするので編集すら出来ません。オランダ人は第三幕大三場だけが録音出来、ローエングリンは奇跡的に全部、タンホイザーとライン黄金は冒頭の欠損、ワルキューレは3つに断片化したけどなんとかまとまった部分が二つのこった。そしてジークフリートは14カ所に切れてしまった。現在検査中なのだが、第三幕が二つに分かれていそうで怖い。
なんでこうなるのか分らないのが歯がゆい。
なんで高松の池の真ん中に、木の枝がささっているんだろう。
今日もオシドリは人気者です。「なにあれ~」「ウワッ、ナニコレ!」と声が出ています。いや日本画で描かれていた物はいかに理想的だったのかと言う事です。個人的にエジプトのトト神を思い出します。
縁起物で画によく書かれていたのですが、まあ中国趣味的なそんな物があったのかもしれませんし、画料を高くせしめるためにわざと書かれたかも知れないと思うほどのカラフルさです。何しろこいつを日本画で書こうものなら、ラピラズリと孔雀石が必須ですから。
私でもスズメをこんな具合に撮影出来るスポットは世の中そんなにありません。
実はウチの近所にはスズメスポットが3カ所あります。小鳥を集めるために時間になればクズ米をまく家が3件もあるのです。それでもスズメには10メーターも近づけません。昔食用にされて来た歴史がまだ残っている訳です。
で、スズメに混じって良くわからない小鳥がいました。なんでしょうか。アオジでしょうか。あの2メーターも離れていないんですけど。10メーター以上でも逃げる連中が。
おお、ユリカモメとオオバンとミコアイサのオス・メスも入っていた。
もうそろそろ今年の決算をしなければいけない。とはいえ今年ほど乱高下した年も無い。このまま死んだ方がマシだと真面目に思っていた。それでもお前は泳いだり楽しそうだと言われるかもしれない。ただマトモな生活は出来ていないと思う。行き当たりばったりになってしまっていたのは間違いが無い。水泳に関して言えば、その時にはすべてを忘れる事が出来るから、いやだからオーバーワークをやらかすほど、酷かったのだと思っている。
ただまあ何とかなった訳だ。それでもこの後何とかなると言う保証は無い。
だからといってはなんだが、優しくなったと思う。でも自分自身はかなり剥き出しになっている。この感覚は何とも言えないものだが、自分の半生に対する嫌悪感から来ているような気がする。
とても過去を振り返りたくなって、ダイアン・アーバスの写真集を買った。アッジェもそうだが、自分に一番影響を与えた作家と言うのを見直したくなっている。とはいえ東松照明の「日本」と「太陽の鉛筆」は諦めている。
ダイアン・アーバスの狂気なのだが、初めて見た時にはそう思った。だが今見るとこれは当たり前になっている事に愕然とする。社交ダンスの子供部門のウイナーとか完璧なものが不完全に混じりながら、パトリオットの顔のゆがみが混じる。ヌーディストキャンプの不完全さもすべてが、当時は異形だったかも知れない。
アーバスはマトモな人だったと思う。でもリアルにつられて行くにつれ、最後に精神病院の患者に辿り着いたが、そこの自由を見いだして自殺した。
しかし今はここに写された異形はすべて日本にあるのだ。
ただそれでもここまで堂々と写真に写る、しかもだアーバスが撮ったらある意味最悪だろう?それでも写る被写体の力がある。そこが一番違う。そして、アメリカ人が笑顔でなく写っていると言うのが実は意味がありそうだ。
ただ今では絶対あり得ない写真がある。手榴弾のおもちゃを持つ男の子・セントラルパークにてだ。今ではこの子は射殺される可能性がある。黒人だからとか白人だからとかではない。
真冬が到来した。