昨日は米山に行ってビールをたらふく呑んだ。最近あった美術企画展についてクダを巻いたような気がする。米山にリンゴを上げたらバナナがお返しに帰って来た。米山からバナナ…。
その後は岩泉の奴に、農産物の出荷おめでとうと電話を入れたら思わぬ長電話になった。良くある話で、一眼レフが欲しいのだがどれがいいのかと言う漠然とした質問だった。
こういった質問を私にしては行けない。というか大体の所一眼レフを使えばいい写真が撮れると思ってるのが大間違いで、レンズ交換が出来ると言う事は、目的と目標が明快だから必要な機能であって、それがない場合はコンシューマーデジカメかスマートホンのカメラの方がかなり重宝する。なので少なくとも目的を明快化する必要があってそのための機材は高級品はいらないが、標準マクロレンズが必要になる。生産管理のために必要だからだ。そして風景一般を撮影するための標準ズームがあればいい。そして現在絶賛暴落中のニコンAPS-Cのカメラとレンズをお勧めしつつ、相談出来るカメラ屋を一件見つける事。アマチュアが集まる店がいい。相談に応じれるからアマチュアが集まるのであって、意識の高い店とも言える。それが大切なのだが、身近にあるかどうかが問題になる。そういった事を延々と話した。
まあ俺だったら、近所の風景は知り合いのアマチュアのカメラマンに頼んでみるな。高校に写真部があれば提携する可能性もある。ただ目的が明快でないと写真をえらぶ事すらままならなくなる。実際写真を選ぶ目と基準が大切なのだ。
おかげで今朝は目が覚めたのだが二度寝して、プラスティックゴミを出しそびれた。
朝食は貰ったバナナとリンゴ、トーストにチーズをのせたのが2枚。ゆで卵2個、昨日焼いたフルーツブレッド少しとコーヒーの優雅に見えるメニューだった。ここから納品2件、一件は宅急便で、もう一つは配達になる。途中に仕事先のサザンカが使えるかどうか見に行くのだが、結果どうもなとなる。
盛岡でサザンカはギリギリの位置だ。よほど条件が良くないときれいに咲かない。たいてい霜で花が汚くなるのだ。条件は悪い場所ではないのだが、それでもベストとは言い切れない。雪をかぶせて誤摩化そうかとも思う。
そうしてD−7100を修理に出す。サイレントモードでエラーが頻発した。ただ画像は転送されているのでシャッター回りのエラーの可能性がある。通常のモードでもビデオモードでもエラーはない。ただサイレントモードのようにミラーの上げ下げを遅くするモードのエラーは機構的に無理があるので怖い。遠からず壊れる可能性がある訳で、修理に出す。
そうして買い物に行く。そして米屋で米を買うのだが先客の大学生に、とぎたての米はウマイよと宣伝してしまう。佐々木米穀店は実際いいコメを扱っている。しかも安い。大学生は盛岡産を選んだのですな。そこで、今度この遠野産と食べ比べてみて、とおせっかいをしてしまう。
上田の佐々木米穀店で扱っている遠野上郷産のひとめぼれはコスパNo.1です。キロ280円で味は確実です。これ以上の味と値段になるとキロ400円台になります。そして私は山形産のコシヒカリにかけてみます。キロ400円。高級品だよ。私にとって。
でもこのくらいの金額で人生を豊かに出来るのなら、相当安い物だと思う。とはいえキロ450円を超えるコメはそうそう買えない。とはいえ盛岡産のひとめぼれが昨年はキロ340円でしたからこの暴落っぷりと言うのが解って頂けるでしょうか。
そうして時間を作って泳ぎに行きます。スケージュール的に今日いかないといつ行くの状態でなので。
写真を撮っていると、子供がなにしてんの?と聞いてきますので、あそこにダイサギがいるよと教えた所、飛び立ってしまいました。子供達は右往左往して、お姉ちゃんは見つけられたのですが弟さんは見つけられなかった様です。
泳ぎすぎました。たった2000なのですが、たまたま高校生がいたせいか時計がありまして、コントロールしやすいのですがまあヒートアップ。用意した時間も少ないと言うのはあります。ここが社会人スポーツの面白い所です。
社会人個人スポーツの面白い所はタイムスケジュール通りにメニューをこなさないと後が困る、というのがポイントです。これって高校生でもよっぽど意識が高くないと難しい課題です。そしてスケジュールの柔軟な変更もあります。調子がよかったらある程度無理をしてみるとか、調整を入れてみるとか、最大出力をどこで出してみるのか、コンディションを調整しながらどこまで無理が出来るのかを捜すのですが、時間通りに終わらないと行けない訳ですね。誰もコントロールしてくれる訳でもなく、自分でやんないといけない訳で。
時間が少ない場合には濃密なトレーニングメニューにしたい訳ですが、それでは簡単にオーバーワークになる。では低出力で行けば、それはそれでオーバーワークになると言うのが痛いほど解った訳で、それでは短時間で効率よくうまくやる手段を考えなければいけない訳です。
今日は納品もあったしカメラ修理もあったし、キレていました。どこかブチッとしていたのでしょう。久々の50メーター39秒を出しました。
スケジュール通りには行きました。ただその後のスケジュールに大幅な影響を与えてしまった様です。腕が痛い。肩が痛い。
バカだなと本当に思います。まいどまいど同じ事をしても懲りないのは何なのでしょうか。
で最後なのですが、CNNの「CIAの拷問は成果無し 実態調査で分ったポイント」と言う記事があります。このアメリカ上院情報特別委員会のまとめたレポートですが、6000枚。要約だけで525ページの壮大な物です。ただここまで行けば、森に木の葉を隠すと言うものになるのではないのかと疑われますが、現実にこれが国力の差なのかなと思います。
日本の福島原発の調査書でイロイロありましたが、全インタビューが結果的に公開されて政府はそんなに間違っていなかったと言う結論になっています。結果として政府陰謀説を払拭出来たのではないのかと考えています。
さて全文読めませんね。そこでCNNで一番引っかかったのは一番最後の心理学者です。アメリカは行動心理学者が多いので知られています。人のインプット・アウトを計測するだけの心理学なのですが積み上がればユング・フロイトなにするものかと言うくらいの実績があります。PTSDなんて彼らが発見したものです。そして行動障害の領域と治療も彼らがいないと出来なかったものです。行動障害についてはそのアメリカ的な解釈が酷く些末であると言う批判はあると思います。まあそれでも実証的科学的学問としての権威は揺るぎないものです。
人と社会はいい加減だと言うのに目を向けて頂きたいものなのですが。経済学者の方が行動経済学と言う領域を開発したように。
ただここで指摘したいのは、科学的だと信じられていた拷問法が無効だったと言う事だと思います。そして拷問やそれに類する論文は1960年前にはあったかもしれませんが、現在ではほとんど人道的に行われていない実験です。それらを前提としたプログラムが組まれていたと言うのが最大の問題です。
拷問が正しいのか?それは絶対ない。ただ彼らが古い文献と類推でプログラムを組んだあげくに、正しい拷問を作れないと言う、つまり現状では全くあっていないものを推測した可能性がある。水攻め?いったいいつの時代だ。確かに恐怖を与える事での効果はあると思うが、恐怖そのものを与えた場合には拷問を与える側の期待する言葉を出す、そちらが圧倒的に増える、それは分っているはずだ。
暗闇に放置すると言うのもあるようだが、これは洗脳でよく使われるパターンだ。ベトナム戦争でグリーンベレーの一部戦士がこの極端を受けて一騎当千の戦士になったが、あとは社会変動で大変な思いをした。引きこもりやギャングになったりして社会問題になっている。
そしてこれら心理学者は歴史を分っていない。信仰者がいかに無軌道な結末を迎えたのか。それは紀元前からそう言った事例がある。極端な場合はイスラムのアサシンだろうか。現在では爆弾を抱えて突進する、テロであろうか。
心理学は基本的に極端は扱わない。だから極端を取りこぼす訳だ。極端を扱う学者もいると思うが、計測不能な場合が多い。拷問と言うのはそうだろう
ところで、なぜCIAがなぜ気がつかないのか。彼らの地上の天国さえ与えれば、彼らはベラベラしゃべるだろう。
グァンタナモだけではないが、心理学者が出来た事はいっぱいあった。だがそれは粗雑な兵士によって、そしてその兵士を制御出来ない上官によって最悪の結果になった。そしてそのマニュアルを作った人たちは、無軌道な嗜虐性を兵士に与える可能性を知っていたはずだ。事例は知らないがベトナムでもあったのではないのか。
旧来の方法にこだわってしまう、組織の問題だと思う。とはいえ拷問と言う手段は、人類史からすべてある手法だ。
人と言うのは何か、この動物は、といったん置き換えてもう一度立ち返るべきだろう。
啓蒙主義からすべてがバラバラと崩れて行くよ。カントすらここでは全く無効だ。