今日はほとんど一日家にいました。まあせっかくなのでムクドリの観察に出かけた程度で、私としては引きこもりですな。ネットを眺めた一日です。
辻元清美さんの選挙応援に一水会の鈴木邦男氏が行ったと言う話題が凄かった。まあ鈴木邦男氏は渡辺文樹と対談している映像も残っているくらいだ。さすがだと思う。たしかその映像の中で「表現の自由があるから我々の言論活動があるのであって、それを他者には認めないと言うのは間違っている」と述べていたと思う。
「今の日本に“右翼と左翼”がいるのではありません。“話し合える人と話し合えない人”がいるんです」と。「話し合えない人」は、相手の話も聞かない。気にくわない人間は、「反日だ」「売国奴だ」「左翼だ」といって誹謗中傷してその人間の全人格を否定する。又、そんな卑劣な批判をする自分は「愛国者」であり、「正義」だと思っている。そう思うからこそ、どんな醜いことも出来る。まさに「愛国無罪」だ。愛国者なら何でも許されると思っている。でも、それは間違っている。「愛国心」と言いながら。その行動にはまったく「愛」がない。単なる個人攻撃である。排外主義だ。
一水会の鈴木氏からみれば現在の状況はいい事かと言えば全く違う。言論の規制と言うのは、右翼にだけに優しい訳ではない。戦前にはには蓑田胸喜の事例がある。玄洋社も現実にはその過激さ故に弾圧されていた。
鈴木氏には現在の右傾化は、右翼思想では無いと言い切っている。10年以上の開きのある発言から、右翼思想には他者との対話が必要であり、その中から正統性を主張して行くという考えがある。議論で勝ち負けを競うものではなく、正統性のある自分たちが例え正しくとも、相手の中にある愛国心を呼び覚まし続けるのが使命だと考えていると思う。
そのために理論的な議論が出来なければ行けない。そう考えて来た人間の一つの結論だと思う。
そして11日に在特会のヘイトスピーチに対する判決が出た。ここのポイントは憲法ではなく、人種差別撤廃条約が禁じる「人種差別」と認定された事だ。ヘイトスピーチ禁止法はまだ出来ていないが、条約は国会で承認されている以上、法と同等と言う立場だ。なお幼児ポルノ関連も別な条約によって規制されそうなのだが、これはチトめんどくさい。まあ日本のアニメやマンガの一部は可愛さを追求しすぎて、どう見ても小学生の顔の大人を、平気で書いている。半世紀かけて作っちゃった文化なのだから、どうしようという所が、本当は議論された方がいい。ところが変態と言い募る委員ばっかりだったりするとこれはこれで紛糾する訳で。文化はゆっくりとすすめましょう。
それでは憲法と国際条約はどのような関係であるかと言えば、憲法を縛る事が出来る存在だと言う事です。国会が承認したと言うのもあるが、最高裁も承認していると言う事です。安保条約が憲法違反ではないと言うのと同じ事です。本来だったら最高裁が締結前に意見かどうかを言えるのですが、聞いた事がありません。憲法上問題ないとされているから条約が結べる訳です。その実効性は国内の法整備にかかるのですが、そこがまだ整備出来ていないために国際条約を持ち出した判決になったと思います。
ただこの曖昧さにはイマイチなものを感じます。特定秘密保護法案もその意味ではかなり厳密な運用になりそうですが、曖昧さが少し残っています。今回の条約に基づく判決の場合には、かなり大きいものが残っています。
そしてニコ動に在特会がチャンネルを持つ事が発表されて、話題になった。ただニコ動の規約に反すればアウトな訳だ。いろいろニコ動は犯罪に手を貸すのかとか、金儲けに走るのか(そう言う人は在特会が人気があると信じているのだろう。確かに人気はあるが、その人気は表面的だと思う)、そういった議論がある。だがニコ動の川上氏は過去の言論から明らかにアナーキストだ。その上リバタリアンでもある。その彼が在特会を拒む理由は無い。
彼にはこの自由な場があるのに積極的に使おうとしない政党や左翼や団体が悪いと思っているのだろう。ニコ動はメディアであっても開かれたメディアであって誰でも参加出来る、編集しないメディアなのだ。その意味が分かっていないとこの判断は解らないものになる。
一水会の鈴木邦男氏とは立場は違うが、言論問題を一番考えているのではないのだろうか。自由であるから正しさに収斂されるどういった考えがあると思う。
たださすがに在特会も街頭でのヘイトスピーチのようには出来ないだろう。利用規約はニコ動としても変えられない。そしてニコ動の対応がいかに遅くとも、反対を出し続ければ利用規約上に抵触するからそれでいいような気もする。法的な訴訟もあるだろう。
さてそれではなぜカドカワ・ドワンゴがこれを認めたのかだが、基本的には彼らのアナーキスト体質だと思う。角川と違う組織だ。ただ冷徹に実験していると思う。在特会を飼いならす事が出来るのかだ。角川には在特会なんて目じゃない論客をいっぱい揃えている訳だ。
ただ大手と言えども一出版社とIT企業には荷が重い話だ。
ニコ動に対して好意的に書いたが、なぜこういった歴史的断絶が起きたのかをマジメに考えた方がいいと思う。
コムクドリはさすがにいないようだ。
ああ、どこかの衆議院立候補者の選挙公報の記事が凄いよ。
「愛を知る世界中の人々、自殺・犯罪・戦争等でこの世に怨念を残して亡くなった人々、そして地球上のあらゆる生命が支持する選挙公約(世界基軸通貨ドルに期される予言)
大量虐殺
選挙公報すら読まず、一円のお金すら出さず、カルト教団と同じ、盲目的集団心理と私欲で、投票し続ける悪質な人間は、世界を支配する闇の組織
フリーメイソン・イルミナティが、世界救済と、新世界秩序構築のために、國・企業団体トップを洗脳し、茶番を演じさせた後必ず
皆殺しにする
核シェルターは現代のノアの箱舟、真に新しい未来の創造はすべて、破壊からはじまる」
すいません。詩だと思うのですが句読点を入れさせて頂きました。でないと読みにくいです。あと文字強調は当ブログでは遠慮させて頂きました。ただ改行等で強調されているとは思います。そこまでも強烈な文面です。全文書き出しましたが誤字脱字がない事を祈ります。丁寧にやったつもりなのですが。
日本は右傾向していると言う騒ぎでは無さそうです。とはいえこういった候補がいるのも民主主義のあるべき姿なんですが、過去には雑民党、東郷氏はかなり人から愛されていましたが、時代が早かったかもしれません。確か東郷氏が「お母さんありがとう」と政権放送で涙流して話していたのが印象的でした。それは引退宣言でもありました。
すいません。並べてはいけない二人です。並べたのは、世の中ここまで変わったのかと言う事です。確かにお金と書式さえあれば誰でも立候補出来ます。でもこれは違う。
東郷氏が背負っていたものと違う。その前に言葉と社会が解っていない。いや社会改革のためかも知れないが、その前にあなたがフリーメーソンだったら、公表した以上はあなた死ぬよ?だから、フリーメーソンでないと言うのが解る訳だ。
妄想で日本が滅びかけたのは間違いがない。ただここまでは極端ではない。小さい事が積み上がった結果だ。
ムクドリとカラスの光に対する反応は同じもののようだ。行動も近い。つまり暗くなる前にいったん集まり、場所を変えて群れを作り、そうしてねぐらにとどまると言うものだ。カラスの移動とムクドリの移動は近いように思える。
そしてカラスもそうなのだが、ねぐら近くで大旋回をするのだがムクドリには規則性がないように思える。なぜそうなるのかと言えば解らない。
ただ泊まる場所争いがカラスより大きいと考えられる。結果泊まりたい所に泊まれなくて右往左往するのかと考えられる。
ただ旋回中に秩序を作るのだろう。リーダーと言うのは無いように思う。他の群れが入って来てパニックになるとかそう言った現象が見られる。同族だとは全く思っていない何かを感じる。まあそれでもグルグル飛んでいる間に、何かがあって一発で宿営地に入ってしまうのだ。そのコミュニケーションはどこで行われているのか、多分飛んでいる事で秩序を作るのだろうか。
妥協点と言うのは飛び続けないと解らないと言う事だろうか。