今日は歯医者の日だった。前歯に借歯を入れる。さすがは28年ぶり、歯医者から差し歯の中にも虫歯があったと言われる。かなり削ったようだ。土台から作りますので時間がかかりますと言われる。
年末なのでこのままお正月を過ごさなければいけない。ちょっとしゃべりにくい。
歯医者の変な癖を見つけた。ドリルを入れる直前に首がほんのわずかフラフラするのだ。目が動く訳ではない。そして歯にドリルを当てる瞬間からピタリと止まる。多分これはターゲットの確認作業だと思う。まあなんというか極端な例だが、フクロウが首を回したり、子猫が首を傾げたりする作業と同じ物だと思う。ターゲットへの距離精度が高くなる方法だ。とはいえ人がやっているのは初めて見た。
まあこの調子だと、更に悪い所がいっぱい見つかるのだろう。終わるのはいつの日になるやら。
とはいえどうもいい医者なようだ。今の所不機嫌な顔をして帰る人を見た事が無い。
今日は完璧な真冬日だった。夕方から雪が降り始め現在7センチ積もった。除雪しなければいけないのだが、昨日ガチガチに凍ってしまったので出来る事は限られている。さてどうするか。
アマゾンでウジェーヌ・アッジェの写真集を買った。自分へのクリスマスプレゼントだ。しかし1400円でハードカバーとは。今まで見た事の無い写真もある。かなりお買い得な本だ。
「芸術家の資料」を売っていた彼だ。つまり絵描きのための背景等のサンプル映像を多分世界で初めて開拓したとも言えるが、その割には彼らがアッジェを引用していたかと言えば分らない訳で、それではそういった芸術的なインスピレーションを与えられるような写真だと認められていたかどうかも良くわからないが、パリ市歴史図書館が購入していたりと、記録的な価値は認められていたと思う。写真を発明したフランスですが、割と始めの頃から記録用に写真を使うと言うのをはじめていまして、その流れでたまたま生き延びられたかもしれません。生涯貧乏だったとも言われていますが、当時の写真家である限り酷く貧しくはないでしょう。現代の貧しいカメラマンに比べれば圧倒的に裕福だった可能性もあります。18×24センチ(これは分らない。ウイキからの引用なのだがインチだと思うのだが)の乾版はかなり高価です。とはいえ彼の肖像写真を見る限り、かなり苦しい生活だったのではないのかと思われます。
で、アメリカ人の写真家ベレニス・アボットが発見して本人にも会っている訳です。アボットは当時最先端だったフランスの美術と写真を学ぶためにマン・レイの所にいたのですが、とりあえずアメリカ人には訳の分らない写真家がいた訳です。もうシュール、合目的ではない、それでいて記録写真として整合性がある訳です。その訳の分らなさがアボットをかき立てたのか、アッジェの死後ニューヨーク近代美術館に大多数の映像を残す事が出来た訳です。
大昔に、アッジェの三脚はカメラの角度を調整する「雲台」がなく、それによって表現に制限があったと言う物を読んだ事がありました。これはある意味間違いではないのですが、当時のカメラは大型で支えきれなかったと言うのが実情です。当時の三脚を現代でも見る事があるとすれば、測量用三脚が当時の写真用三脚です。そこには雲台はありません。測量用器具は視座を回転が出来る機能があります。三脚に求められる機能は水平で重量を支える事になります。ビデオ用ボールヘッドも同じ事です。
18×24センチの乾版カメラとなると相当大きい訳です。木製だとはいえミカン箱に蛇腹がついたような奴です。それをのせるというだけでも大変なのに、木で三脚を作っていました。雲台が無いので水平取るだけでもかなり大変です。それではアッジェはどうして構図を決めたのか。
実は大判カメラはレンズか、乾版を入れる部分を大きく動かす事が出来ます。そこで構図の調整やディストーションの修正まで出来ます。アッジェはかなり勘のいい写真家だと思いますが、三脚をどこに立てるかが写真家の仕事でもあります。カメラ操作にもの凄く行動に制限がある訳で、その中で最良であろうとすればレンズを動かすなりの作業が最小限になるように撮影していると思います。
写真の中にレンズのイメージサークル、つまりレンズと言う穴から投影される幅ギリギリとか、写真によっては周辺に黒い円弧状の影がありますので、レンズを横にずらしたり縦にずらしたりと言う作業をしていると思われます。フィルム面をずらし、描いたりりするかもしれません。
しかし安いよこの本。