5年経った。あれから色々あったような気がするが、あんまり覚えていないものだ。
日本と中国・韓国との関係が変わったというのは大きかったと思う。多分あそこを境に日本は低く見られるようになったと思う。イ・ミョンバク大統領の竹島上陸とか尖閣諸島の問題とかが起きたのは、民主党政権だったからというわけではないと思う。まあ「日本沈没!」とか新聞の見出しに出たら、勘違いしっぱなしというのはあるだろう。その後中国はGNP世界第2位になったわけだ。そこでさらに海洋域に力を伸ばそうという方向になった。
時間的に前後するが、民主党の小沢一郎が習近平と天皇の会談をゴリ推ししたとか、民主党大量訪中団を作ったとかあったが、民主党の中国パイプが弱かったというのはあった。小沢程度しかなかったかもしれない。旧社会党系は相手にしなかっただろうし、新しいパイプを作る必要があった。だがそれには時間がかかる。尖閣諸島事件の当時、自民党だったらという意見があったが確かにそうだ。ただあの時の野田政権の判断は、国内的には間違っていなかった。だが中国には通用しなかった。
自民党安倍政権になってから、民主党の政策や失敗した尖閣諸島事件の対応とを全て美味しくいただいているような気がするのは、気のせいかな。
高松の池はシーズンに備えて準備に入っていた。
アメリカはオバマ政権になっていた。当時は親中的だった。トモダチ作戦は今思っても感謝したいのが2/3、原発事故関連の対応でなんかな~というのが1/3という気分が残っている。頭ではわかっているのだが、あの時のエッエ~という気分は忘れられない。
そのアメリカも、2回テクニカルデフォルトした。理由は共和党が支配する議会と予算案の問題で決着できなかったからだ。ただ共和党のいう「強いアメリカ」と「財政再建」と「強い軍隊」をどうすれば実現できるのか?彼らは回答を出さないままだ。オバマ政権になってから、実は軍事費は増大している。人件費とか設備費は削減できたとしても、共和党政権が拡大した戦争が全く終結しない。その上シリア問題等増える一方だったのだ。パキスタンでのビン・ラディン暗殺のように本来は問題になる作戦まで、いやパキスタンの制空権を奪ったという時点で、本当は大問題なのだが。
オバマ政権になってアメリカは弱くなっているように見えるが、実のところ違う。史上最強に磨きをかけている。ただ、一発でかく予算を使うと共和党がナゼか怒るのだ。
アラブの春はその前年から始まっているようだ。ただ2011の正月あたりからピークで、あのドンチャン騒ぎの中でなぜかフォローしている自分がおかしい。ただ問題は、そこからぐんにゃりと世界は変わってしまう。まるで無明地帯に陥ったようにアラブは混沌としてゆく。なおイスラムではムハンマド出現以前の世界をジャーヒリーヤと呼ぶが、これを仏教用語の無明に当てはめた奴はすごい。大川周明のではないのか?
で、その後アラブ社会では、いや世界はイスラム過激派に悩まされることになった。特にアフリカのポゴ・ハラムとシリア・イラクのISISだ。ヌスラ戦線ですら穏健に思えるほどだ。
同じ教えがどうして無明になってしまうのか、腕力と権力を求めているだけにしか過ぎない。でないと子供に戦闘参加させないだろう。ISISは戦闘参加の年限をどんどん下げている。優秀な戦士育成のためと言っているが、問題しかない。
アラブの春から始まったのが、EUの難民だ。もうどうしようという勢いだ。これが日本だったらどうなってるんだというほどに大変だ。震災で避難民が出たが、それを収容できる施設が限られていた。例えばドイツでは110万人を受け入れている。岩手県丸ごとだ。
イギリスがEUを離脱しようとしている。どうも民意は離脱の方向なのだろう。サンが飛ばし記事を書いたりしている。
いまだかつてよくわからないのが、震災直後の円高だ。確かにアメリカのQEの影響にあって円高になるのはわかる。ただなぜそれでも安全な円と言われていたのかが全くわからなかった。どうも直後の日銀の対応が素晴らしかったというのはありそうだ。つまり世界は最悪だと考えていたらしい。もうズタボロ金融も全部アウトで取り付け騒ぎも当然起こると思っていた。ところが全くなかったのだ。ATM動くし取り付け騒ぎも起きなかったし、金融破綻は直後はなかったのだ。強いて言えばその後の震災倒産はあったが、東北だったもので全体では軽微だった。ルネサスのような企業もあったが、日本のサプライチェーンの頂点でもあったので、応援されてされて生き残った。
まあこんな具合では、日本円に避難した人たちの考え方は、5年間でわかるようになった。だが全然わからないのは市場が見ているファンダメンタルというのは、数字だけなのかということだ。多分そうなのだ。市場の安定性のみが重要なのだ。だがそこがモンモンとするのだ。そうあいつらはいつもそうだ。
今から思えば、灯油18リットル3000円とかになっていたかもしれない。円高だったから冬はなんとかなった。それはありがたいが、あの時は本当のところ何があったのだろうか。
私らは2011を考えてしまうが、2008の方が世界的にはインパクトが大きかった。多分それだけなのだ。だがアジアの状況は激変した。
そういいつつ、キンクロの腹はやっぱり可愛い。
復興という言葉は虚しいものがある。そもそも震災地域は貧しかったのだ。神戸とは違うのだ。震災以前の復興もおぼつかないのだ。
ただただ土木工事ばかりといわれているが、それでも雇用促進になっているというのは事実だ。だが工事の中核を担える人材が全くいないというのが、最大の問題なのだ。
今日T老人の噂を久しぶりに聞いた。あの集結しない3度話のT老人だ。私と口論になっただけではない。その後もいろんな店で出禁を食らっている。まあそれだけではいいが、去年になんか花巻で警察沙汰になったらしい。らしいというのは新聞に沙汰ではなかったからだ。それがどうも、暴力事件になって新聞に載ってしまったらしい。盛岡タイムスなのだが、小さい記事のようでウエッブ上にはない。
自分の不確かな記憶では、彼とは5年前にあっているはずだ。震災後だ。だが当時の彼は記憶にある限り、変わった人でしかなかった。見た目は70歳程度だったしありがちな感じでしかなかった。
もしかすると彼がおかしくなる時期と、この5年は一致しているのかもしれない。5年間で痴呆症を悪化させている可能性がある。
いろんなことがある。
亡くなられた方へ、いつも考えていますが、よく忘れるのでお許しください。