バレンボイム指揮のバイロイトフェスティバル、ジークフリートの中古CDが届いた。なんか品薄の商品でなかなか手に入らなかったのだが、品薄となれば業者が探し出すだろうと思っていたら案の定、まとまって出てきた。バッハ漬けだったので気分転換にすごく良い。
ただこのバイロイトだが、私としては1988年版があればいいなと思っていたのだが、さすがに無理なようだ。1992年の最終公演版だ。何が違うかといえば第3幕第3場のブリュンヒルデの目覚めの極端なルバートだ。92年版は全体遅い中にここが突出して遅い。だが88年版は多少のメリハリがある中で、ここが空恐ろしく遅いのだ。時間が止まったような気がする遅さだった。ワーグナーの曲に全休符をぶち込むというなんつうーかもうとんでもないロマンティスムなんですよ。
92年版はその点チト残念ですが、88年の壮大なブーイングを考えれば出せるものではないです。
とはいえこのブーイングのほとんどが、ハリー・クプファー演出によるものは確かなんですね。ただ初演からほとんどがワーグナ家の演出なんですね。特に戦後のお金がなかった時の質素な舞台装置と演出を心がけたヴィーラントとウォルフガングのイメージは強いです。もうこのころから古典的な演出はメトロポリタンでないと見れない代物担ってしまいました。それが76年からのパトリス・シェロー演出ピエール・ブーレーズの指揮から徐々にゴージャス化。とは言ってももう古典には戻れない、モダンな演出に変わっています。それがピーター・ホールでさらに過激になるのですが、このクプファーで設定そのものを変えるという大技が出てしまったわけです。名家vs成金と一気に世俗化してしまったわけで、おまけに歌手が舞台を走り回って物倒して行くんですから保守的なワグネリアンにとってはもう大変な話で、それはそれは壮大なブーイングになったわけです。でもおかげでその後の演出はかなりやりやすくなったと思います。今の演出では炎が爆発するし、ジークフリートはノートゥングを魔改造して突撃銃にするしともう壮絶なのですが、88年のようなブーイングはないわけで。
チケット手に入れるために10年頑張ったのだけど、もう手に入れた時には世界が変わっているんだから、保守的だという前の問題かもしれない。
私としても、今のティーレマンの指揮の方が圧倒的にいいと思う。だがやっぱりあの大ブーイングの思い出があるわけで、そしてこの第三幕第三場の時間がおかしくなる感覚が欲しいんですね。
M大学のドイツ哲学教授でワーグナー協会所属の方が「あれってフルトヴェングラーのパクリで、もう時代に通用しないほどに遅れた演奏だったよ。もうCDも売っちゃったから。」と言われたのだが、それは事実なのだな。特にフルトヴェングラーは参考にしかならない演奏になってしまった。そこはわかっているのだが、やっぱりやっぱりジークフリートが火の山を越えてブリュンヒルデにあった時のあの時間の流れ、凶悪なルバート、これってパルシファルという感覚が、これしかないのですよ。ホント。酔っ払えるほどのラヴシーンです。ワルキューレ第3幕第2場以降も凄まじいですね。
古い感覚の録音ですが、まあある時代を切り開いた録音でもあります。
響に持って行ってかけてもらったら、さらに時間が遅くなること。曲と演奏によっては、いいスピーカーだと時間が遅く感じる。
遅まきながら、リングのただ一点はこのジークフリート第三幕第三場の二重奏の最後にあるのだなと思った。「輝く愛で微笑む死」で行きなりすべてのライトモティーフが消え、たった一点のライトモティーフと壮大な和音だけになる。この20秒のために11時間があったということだ。その後は5時間かけて大発散してゆくのだ。そして最後にこのライトモティーフは鳴り響きながらライン川に消えてゆくのだ。
すっげ~めんどくさい曲だな。でもこの構造はすごい。演劇でも文学でも音楽でもないからできることなのだ。
ということでガマガエル報告。池に4匹いました。
産卵済みと思われる個体もいました。とはいえ卵を発見できていないというのが気にかかるところです。