どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

梅が咲く

2016-03-17 00:57:58 | 日記

 

久しぶりに街でもうろつこうかと思う。どうも確定申告が終わって、心が疲れ果てているようだ。確定申告は、春なのに心を暗くさせる。

仁王の地蔵さんの梅は手入れがいい。

 

 

上の橋たもとの日赤病院跡の公園の梅も咲き始めていた。実は盛岡は花梅の北限かもしれないと思っている。多分育つ品種が少ないのかもしれない。稀に鹿児島紅があるが、大体同じ品種ばかりだ。

 

 

中津川にヒドリガモの群れがいた。池や沼より川を好むように思える。実は水鳥のくせに陸で休むことを好む。危険と思えば川に逃げる。川は流れているので敵は容易に攻めてこない。多分そうゆうことなのだろう。

 

 

岩手公園の梅も咲き始めていた。

 

 

そういえばブラジルの通貨レアルが変なことになっている。コモディティ市場が活況だったこともあってブラジル経済は勃興した。BRICSともてはやされてレアルも高かった。それがだ、コモディティでも鉱業の相場が暴落。どの程度か?ロシアのGNPがメキシコに抜かれて、インドネシアにに抜かれるかもしれなくなっている。ブラジルのコーヒーはGNPの5%しか経済に占めないが、レアル安とコーヒー相場の低下でコーヒーも大変になってしまった。かなりの大不況で、大都市以外ではカーニバルを自粛した街もあった。本当にオリンピックができるのかどうかという感じでもある。レアル安は昨年9月に最安値1ドル=4.25レアルに。3割強の下落となった。その後は一進一退で安値が続いたが、2月から相場が10.8%上昇、1ドル=3.60レアル前後で推移している。

ファンダメンタルは相変わらずの最悪。しかしなんで相場が上がるのか。アメリカのQEが終了、徐々に金利が上がると思っていたらそうはならなさそうという観測が出た。アメリカの景気予想が悪いということもある。いやそれを言うなら景気のいい予想が出ている国はない。ヨーロッパと日本のマイナス金利も影響しているかもしれない。確かに途上国の債券はハイリターンでもある。その上通貨上昇まであるとかなりいい。でもこれだけが上げる理由にはならない。

確かにブラジルの国際収支は改善しているというが、輸出額は変わらないが不景気で輸入額が激減したからというのが実態で、決していい材料ではない。石油相場が底を打った可能性があると言われているが、安定してきたというだけであって弱含みだ。確定というわけではない。で、なぜそれでもレアルは上昇したのか?

実はブラジル政府が55.7%の株式を持つラテンアメリカ最大の石油採掘事業者ペトロプラスの政治家への汚職が発覚したことから、政治の大混乱が起きた。全てのファンダメンタルの悪さにトドメを刺した格好だ。大規模なデモが起きたり混乱が続いていた。それがだ、ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ前大統領の身柄拘束と、それが弟子のジルマ・ルセフ現大統領に与える影響が、政変に対する障害が予想より早く克服されるとおもわれた。それだけでレアルが上昇したのだ。ルセフ大統領は前大統領のルラ氏を閣僚に迎えると発表したようだ。ルラ氏への捜査がやりにくくなるというのが狙いとも言われているが、政治の混乱はまだ続く。それでもレアルが上昇するなら、そこには理性がないとしか言いようがない。

なんでこの項を書いたかといえば、やっぱり震災後のあの円高が頭でわかっていても、未だかつてはらわた煮え返る程恨んでいるからだ。



教育会館ビルが取り壊されて、お城から岩手山が見えるようになったという。

実はこの言い方には少し嫌な感じがあった。教育会館があっても岩手山は見えていたのだ。それではなぜ見えなくなったと言っていたかなのだが、江戸時代にはこの城下にはほとんど建物がなかったはずだ。初期にはこのあたりは川だった。それを川筋を変えて現在の中津川にしたのは江戸中期。その頃のこの辺りは湿地帯で、現在の菜園という地名はそこから出ている。畑にしかならない土地ということだ。それが整備されたのは明治から始まっていたと思うが、大正時代の開発によって大通りが出来てからだ。菜園はその後に開発されてゆく。つまり江戸時代にはほとんど建物がなく、戦前には木造2階建ての建物とせいぜい映画館の大きな建物しかなかった。

教育会館が出来た時にも、そう大きな建物はなかった。だから教育会館が目の敵にされたわけだが、その後大きな建物が建つようになって、嫌われた教育会館がなくなったとしてもこの程度だ。これで見えたと言っていいのかどうか、私にはそうは思えない。

ただこだわるのは石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」のせいだ。当時旧制盛岡中学はお城のそばにあった。学校をサボってお城のどこで寝転んで歌人になるんだと思った場所を特定しようとすると、渋民村で岩手山を見て育った啄木だから岩手山の見えるここだろうと、考えた。多分私はもっと違う場所の可能性があると思うが、岩手山こだわる心情は理解出来る。

もしも啄木にこだわるのなら、この下にある北東北最大とも言われる大歓楽街で、啄木がどう遊んだのかを考えたほうが面白いだろう。

岩手山は、昔から見えていた。今でも見えている。ただ鷲が羽を下したような姿の岩手山は、盛岡という街が徹底的に衰退しないと見ることはないだろう。その辺を無視しているのは、好きじゃない。



長田町と本町の交差点にあった、農家が取り壊されていた。ある意味典型的盛岡の風景だった。映画のポスターを貼るための看板設備があって、近くに田んぼがあってそのはせがけのための道具が軒に下げられていて、農機具を置くスペースとかもあって、それでいて平屋の民家だという不思議な作りだった。

ここに咲くタチアオイの花が不思議な情感を作っていたが、もう人も住まなくなって久しいと思われていた。

 

 

岩手大学の農学部の梅も咲いていた。咲いたということでテレビ局が中継したいとかアホな話しをしてきたようだ。だがこの木は20年は放置されてきた。なので観れたもんじゃない。多分どうやってもテレビでは無理だろう。

確認せずに話しを持って行く危険性を、わからないというのは、おかしなことだ。

 

 

ガマ合戦の取材をどうしようか考えあぐねいている。

時間をどう作るのかというのもあるが、昨年のように拡大したやり方もどうかと思うし、取材の安定というのではいきなり縮小というのも変だ。ただ今年も数が増える要因が一切ないのだ。その上最初の取材では学術的な考えはなかったので、継続する意義すらもない。その前に撮影のための強力なライトもどうなのかとなる。まあその前にカウントするだけで強力なライトがないと出来ない。

どうしようか。ただもうそろそろガマが現れてもおかしくないはずだ。警戒だけはしているのだが。まちがいなく今年は予兆すら見落とすレベルの数しかいないだろう。

 

 

気が重くなった。高松の池に行けば和めるのかと、向かう。吊るし雲が山から離れて出来ていた。

 

 

冬のほうが生きている実感があるのだろうか。何か凄まじく中途半端になっている。

 

 

とはいえ、この映像はおもしろすぎるな。犬は8匹いるからね。