隣の大学は何かと国旗を掲揚する。今日も卒業式なので国旗を掲揚していた。大昔はそんなに掲揚していなかったと思ったが、20年くらい前からは確実に掲揚している。
式では常に掲揚していたと覚えている。
なぜ国旗と国歌斉唱について大学がムニャムニャしているかといえば、やはり第2次世界大戦前の東大弾圧事件、美濃部不敬事件等の右からの大学への圧力に屈して、学問の自由はおろか教え子達を戦場に送る羽目に陥ったという、苦い記憶がある。
次に大学は、学生運動前にあったところとその後にできた大学だと式典の考え方が違う。学生運動を経験した大学は、儀礼の簡略化を学生と約束したという経緯がある。なのでそういった大学は式典が短い。なお私の卒業した高校も、高校紛争というのを経験したので入学式ですら30分で終わる。学期ごとの式典に至っては15分だった。校長先生の式辞は3分と決まっていた。3年の時に校長が変わったのだが、その時彼が5分式辞を伸ばしてしまった。で、大ブーイング。その後3分に戻ったが、我々が卒業してから徐々に伸ばしていったという。
学生運動後にできた大学は、そういった約束がない。当然学生運動がなかった大学も、約束がない。だから式典は長くなる傾向にある。
なので式典の短い大学は、必要不可欠な要素以外は全部削ってしまっている。式典中の国旗掲揚も国歌斉唱も削ってしまったのだ。これは大学にとっても意味があったし、学生との約束を守る上では必要だった。
さて現代ビジネスで、「日本人にとって君が代とはなにか?ネットにあふれるトンデモ解釈」という記事がある。最近の政治家達が独立行政法人の大学に国歌斉唱をさせようとしているという話だ。結構長く引用する。長いんで意味が変わらない程度に、省略した。
「発端は、去年の4月にさかのぼる。
参議院の予算委員会で、次世代の党(当時)の松沢成文参院議員が、国立大学の入学式と卒業式で国歌斉唱が実施されていないことを問題視。国から大学の運営費が出ていることや、将来の国を担う人材のアイデンティティを育むべきことなどを理由に、国歌斉唱の必要性を訴えた。
安倍晋三首相は、国立大学でも「教育基本法」の方針に則って入学式や卒業式で「君が代」を斉唱することが望ましいと答弁。下村博文文科相(当時)も、国立大学に対して、「君が代」の取り扱いについて「適切な対応」がとられるように要請していくと答弁した。
6月、下村文科相は答弁どおり、国立大学学長らを集めた会議の席上で、「国歌斉唱」が「長年の慣行」により「広く国民の間に定着していること」や、1999年に「国旗国歌法」が施行されたことを踏まえて、各大学が「君が代」の取り扱いについて「適切な判断」を行うように口頭で要請した。回りくどい言い方をしているが、要するに、国立大の入学式と卒業式で「君が代」を斉唱してくれと求めたわけだ。
そして今年の2月。各大学の卒業式が差し迫るなかで、岐阜大学の森脇久隆学長が「君が代」斉唱を入学式や卒業式で行わない方針を発表。この発表に対して、馳浩文科相が、国立大に運営費交付金が出ていることを指摘したうえで「恥ずかしい」などと発言して、物議をかもした。」
さてここで問題になるのが、現在国立大学というのはないということだ。独立行政法人になっている。本来は自由裁量権を持つはずなのだが、やはり国家からの予算でほとんど運営しているのでお金の問題はある。だが独立行政法人にしたのは、寄付金や企業との共同研究、重要な研究からの特許を使う権利とか、要はお金に関わる問題をスムーズにするために移行したものだ。そしてその方向を推進するという名目で、交付金を国が出しているわけだ。
なので実は各大臣の発言が「恥ずかしい」のだ。そして教育基本法と大学は違うのだという基本的なところがわかっていない。小・中学校と同列にして欲しくはない。さらに言えば、私学も私学助成金を受け取っているわけだ。だがプロテスタント系大学は絶対国家斉唱は受け入れないだろう。建学の理念に反するからだ。最高の権威は神であり、国家や天皇ではないのだ。だが彼らも国から金をもらっているのだ。いうことを聞きやすい独立行政法人に圧力をかけて、私学にはかけないというのはおかしなことだ。
ただ独立行政法人の中でも考えは色々ある。岐阜大がなぜそういった発言をしたのかはわからないが、大体は旧帝大がどう動くかを見ていると思う。理由は独立行政法人の交付金を受け取る最大の組織群であり、最近もトップエリートを作る大学として予算を大きく振り分けられた大学なのだ。
だがそのトップの東大にはものすごく苦い思い出がある。それが戦前の話だ。今の研究者はそんなことは知らないから大丈夫だと言えない。何しろ1968年に安田講堂は閉鎖され、大講堂は閉鎖されたままだった。88年と94年に改修工事が行われたが、90年の大改修まで全く使えなかった。それでも耐震補強のため2014年完了の工事まで大講堂は使えなかったのだ。もちろん大講堂以外は使えていたのだが、68年から90年までの22年間の記憶は大きい。
だから東大が国旗掲揚と国家斉唱を認めたら、独立行政法人の大学は全部右に習うだろう。だが東大は動かないと思う。なお大学自治という考えがあったから独立法人化という劇薬を彼らも飲んだわけだ。その辺をなぜか政治家はすっかり忘れている。馳大臣は、覚えてもいないだろうが。
ネットで国家の解釈が面白いことになっている。「あなたのいるこの幸せな世界が 永遠に続きますように 今は小さい石が集まって やがて大きな石の塊にまでなって さらにそれに苔が覆い尽くすようになっても」
解釈はこれでもいい。これは祝い歌、慶賀の歌として認識された時代が長かった。ただ国歌とした場合には、後半が問題になる。拡張主義的ではないのかと。領土かと。中国の岩礁を島と言い切って造成工事するイメージになってしまう。日本も南鳥島の問題を持っているので、人のことは言えない。だがそう解釈されてしまうということだ。その上制定されたのが戦前というのが微妙で、君をあなたと訳することもできるが、やはり天皇となってしまうのだ。結局人称を使った時点で曖昧さはなくなるのだ。
個人的に祝い唄であるから、お正月にぴったりなわけで、国歌としては実はどうなのかというのはある。この解釈だと、生まれた子供を祝福する歌にもできるわけで。だから、実はどうでもいい歌だとしてしまった方が、日本らしくはないかな。無理強いするのは大体良くない。その前に人前で歌いたくない人がいっぱいいるという現実を考えれば、国歌斉唱を義務付けた結果、反権力にならないのかな。
1975年にニューズウイークが天皇へのインタビューを成功させた。その記事に重要な一節がある。
「――陛下の戦前と戦後の役割を比べていただきたい。
基本的には、戦前も戦後も役割は変わっていないように思います。私は常に憲法にのっとって行動してきただけだと思います。
――戦前、戦中を通じて、陛下は日本の政治指導者と頻繁に会い、当時はかなりの影響力をもっていたといわれる。今も閣僚や政府高官にしばしば会っているが、彼らに対してある程度の影響力をもっているとお考えか。
戦前も戦後も同じなのですが、私はそういった人たちに会って日本の事情を知ることに努めただけです。影響力があったのか、なかったのかは、第三者の判断にゆだねなければなりません。
――戦争終結にあたって、陛下が重要な役割を果たされたことは広く知られている。日本を戦争に突入させるきっかけとなった政策決定に陛下が関与していたとする意見には、どう答えられるか。
戦争終結は、私自身が決断しました。首相が閣内の合意を取りつけられず、私の意見を求めたからです。そこで私は、自分の意見を述べただけです。
開戦のとき、そしてそれ以前も、さまざまな決定は閣議でなされており、私にはその決定を覆すことはできませんでした。これは日本の憲法の規定にのっとったことであると思います。」
天皇の立場は、今も昔も変わらない。
「――将来は、もっと国民に近い、開かれた皇室になるとお考えか。
私はそれを常に望んでいます。しかし時勢によって、必ずしもそれは容易ではありません。」
本当は右の人たちは、こういった発言をよくよく考えるべきだろう。震災の時の天皇陛下のネットでの発言に驚いたし、それ以降天皇制に関しては問題視しなくなった。だが、なぜ天皇に関することをここまで言い繕なければいけないのだろうか。
ゆるくないと日本は成立しない。その現実が見えていないのだろうか。いい繕うとか実はどうでもいいことなのだ。歌うとか国旗も実はどうでもいいのだ。特に国歌はなんとなく国歌だった歴史が長すぎる。そこを厳密化する意味があるのかだ。曖昧だったから多様であったのが日本だ。そこが強みだった社会をなぜ均一化させなければいけないのか。
多分なのだが、第2次世界大戦の時には一丸となって強かった。だが今の時代の強さというのはまた違うものだ。流通業者が言うオムニチャンネルという世界に突入している。そこには一本道の誘導はない。
皇室は今の状況を時代錯誤だと思っているだろう。時代を常に読み解いてきたから皇室は今でも存在している。
卒業式で一緒に写真撮ってと言う子が何人かいたのは嬉しかったですね。ほんとカメラマン冥利ですよ。彩りにすらならないのに、逆に迷惑な存在だったのに、ネタかもしれないけど写真に残してくれるのは嬉しいですね。
ただそうやって20代前半に囲まれると、暑い。えらく暑い。私だって基礎代謝量が1800キロカロリーなのだが、それ以上に高い。もうその差に圧倒されてしまうわけですね。卒業式なのでテンションが高いのでさらに体温が高いようです。もうこちらは平熱から0.2度上がっただけで具合悪いのに、多分大丈夫なんだろうな。
そうだったんだよな。あの時は気がつかなかったんだな。
こんなに面白いやつらを、一つの型に嵌めようという戦略は意味がない。政治家は教育史を良く考えるべきだ。
ということでガマ合戦の報告です。
ゼロです。以上。
半影月食というのが起きていた。その最大あたりの時間で撮影したが、何が何だかわかりませんね。人生の不可思議という大海原に旅たつ若人には、もっと意味がないと思いますね。でも後で言い訳に使えますから、覚えておきましょう。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば