どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

何もしなかったな

2016-03-26 22:27:24 | 日記

 

家の中にいると暗くなるから外に出た以外、特に目立ったことはしなかった。バッハの全集を聴いていたことくらいだろうか。これも142枚のうち残り14枚まで来た。オルガン曲まで来たのだが、このオルガンがすごい。バロックオルガンなのだが、モダンオルガンとの過渡期にある楽器のように感じる。

 

 

ハヤブサが通った。ずいぶん低く飛ぶ。

このオルガンだが、ドイツのチューリンゲン州Waltershausennにある、Zur Gotteshilfe(神の助けのために教会?)にあるものだ。トビアス・ハインリッヒ・ゴットフリート・トロストによって1722年から1741年まで作られたもののようだ。教会そのものは1719年に礎石が置かれ、1723年に完成したようだ。その建設中にパイプオルガンの構想は拡大して、どうもオルガンビルダーと建築家の間でイザコザがあったようだ。三段鍵盤で53ストップの壮大な楽器だ。うち一つのストップは鐘の音を出すのだ。

さてグーグルに翻訳させたら楽しい結果になった。途中まで直しておいたがどっからかはそのまま。

トビアス・ハインリッヒ・ゴットフリート・トロストは、礼拝堂を支配する巨大なオルガンを、1722年に制作を開始し1741年に完成しました。「テューリンゲンでバッハの時代の最大かつ最も重要な楽器」と考えられているオルガンです。

Waltershäuserオルガンは、3段鍵盤、53ストップ、2806本のパイプを持つ最上級のバロックオルガンです。 パイプの特殊な機能についての70パーセントとほぼ全体のゲームシステムは建造当時に保存されています。 ビルダーのトロストは、1722年に持っていた2段鍵盤オルガンのための唯一の契約を受け取りました。 同じ年にフライベルクへの旅行後、彼はオルガンビルダーのジルバーマン作成のDomorgelに触発され、最適で最高のオルガンを発見しました。彼は拡大することをWaltershäuserに決定しました。 これは彼に愛するの建設の責任者の怒りを獲得した「逮捕に取り、絞首台にぶら下げ、「慰めが欲しかったです。 たとえば、ギャラリーが大きく、高い8.30メートルと8.80メートル広い工場缶を収容するために下げることができました。 1730年までは慰めはWaltershausenで検出可能であるが、それだけで1741年5月に、仕事は主にトロストによってその異常のサイズに加えて、オファー今日は受胎を失敗し、完了することができました。 また、18世紀の初めにチューリンゲン臓器の建物を特徴とするすべての機能を備えています。 基調講演と重力に重点を置いてトロストの特定のスタイル、主要な仕事の送信レジスタペダルと先住民族の声と一緒に種類を登録沈殿させ、この作品の特異性に大きく貢献してきました。」

えっと、慰めが欲しかったとはなんでしょうか。「彼に愛する建築家の怒り」というのはなんなんでしょうね。多分オルガンが大きすぎて一部を天井からぶら下げる構造にしないとパイプが収まらなかったと解釈するべきなのでしょうか。バロックオルガンらしい素朴な音の中に、ハリがあり、動作音がすごい大きいというのも当時のものだからでしょうか。

この翻訳を読んでしまうと、なんかえらくドロドロしたものに聞こえてしまいます。さてドイツ語がわからない私が訂正したのはどこまででしょうか。なおNHKホールのモダンパイプオルガンの構成は、92ストップパイプ総数 7,640本(最大のパイプ:長さ約11m、直径45cm)5段鍵盤ペダル付、コンソール 2台(固定式および移動式)です。でかいですね。東京芸術劇場のオルガンはルネサンスとバロック、そしてモダンを一台でできる仕様なため、回天・変形するトランスフォーマーでして、比較できないのですがストップ126、パイプ約9000本とさらに巨大です。確かNHKホールは電気制御で、東京芸術劇場はコンピューター制御デス。そこまでしないとどう仕様も無いのがモダンオルガンです。

東京芸術劇場のサイトにオルガンの仕様が詳しくなかったのが気になる。

 

 

ユリカモメとカラスが追いかけっこしています。以外と飛行性能はユリカモメも結構いいようで、カラスの追撃をのらりくらりとかわしながら、バックをとったりしています。最後にはカラスが諦めて行きました。

 

 

岩手大学の北水の池のアズマヒキガエルですが、今日もゼロでした。

 

 

白鳥が何かあったらしく岸近くにいません。何があったのでしょうか。

最近憂鬱なのは、どうもどう考えても、何か良くないことしか起き無いのではないのかということがある。どこを向いてもダメだということではない。例えば商売だったらなんらかの商機はあるはずだ。確かにネット社会での商売という新しい世界になっているから、古いものが落とされてゆくというのはある。

だがもう一つ何かわから無いものがある。

 

 

冷戦中に生まれた人間にとって、冷戦より厳しい時期になっているとしか思え無いのだ。あの頃も核戦争で人類滅亡とか言っていたが、それを高強度という人もいる。だが低強度の危機が山積になっている今は、もっと不確定で不確実なニュアンスしか無い。

その状態をコップに半分の水を、半分あると思うか半分しかないと思うかという思考実験があるが、どうも半分を切っているようにしか思え無いのだ。

その最大の理由は、人の不寛容さだ。

 

 

 

世間があって、自分は特別というのはどうなのかとも思う。

 

 

その意味では。乙武不倫騒動はもしかするとニャカニャカに面白い結果になるかもしれ無い。ここでは逆転した世界がある。そこをわかってみると面白いよ。何しろ5体不満足な彼の不倫とは何か?ということだ。性的能力はあるのだが、行動の制限が大きすぎる。そういった男がもてた結果でしかない。

五体満足な私としては悔しいが、彼のコミニュケーション能力の高さがそうさせたと考えている。

だがそれ以上に大きいのは、乙武氏は障害者の広告塔という形だったかもしれない。「手も足も出ない」とか慣用句を彼が使えばギャグになるわけで、そういうダークなギャグを使いつつ障害者理解を深めてゆこうと突っ走った結果、障害者だったらできないと思われていた不倫を達成しただけなのかもしれないい。

ただなあ、彼が不倫するためには彼女に運んでもらわないといけないわけで、まあこの時点で不倫というより事業っぽいところはありますな。その上車椅子から降ろされたらもう何もできないわけで、同意の上での強姦という感覚になってしまうわけで、そこは狙ったとしか言いようがないですね。

どちらにしても彼はすごいです。

 


今日も天気が悪い

2016-03-26 01:07:08 | 日記

 

今朝はコジャレた朝食だった。ドライフルーツのパンとその同じ生地のプレーンのやつ、コーヒー、そしてリンゴとヨーグルトのシャーベットだ。シャーベットはリンゴとビタミンC少々をフードプロセッサーで粉砕して凍結、水を切ったヨーグルトと凍らせたリンゴをまたフードプロセッサで粉砕しながら混ぜたものを凍らせたというだけのもの。レシピ的にはリンゴ2個に450gのプレーンヨーグルトの水を切ったもの、砂糖30g。

リンゴが食えなくなるギリギリの状態だったので、微妙にヘビーな味になってしまった。多分リンゴが新鮮だったらもう少し美味しく頂けたな。

 

 

サンシュの花が咲いた。

今日はセルビアのラドバン・カラジッチ氏の判決が出た。わざとCNNをリンクする。

 

オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は24日、1992年~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でセルビア人部隊による残虐行為にかかわったとしてジェノサイド(集団虐殺)や人道に対する罪に問われたラドバン・カラジッチ被告(70)に対し、禁固40年の有罪判決を言い渡した。」


70歳に禁固40年とは厳しいものだが、彼のせいで1万1千人以上が虐殺されたと言われている。ただ彼がなぜそうしたのかは未だもって不明だ。


一方で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にセルビア人部隊が他民族に対して行った殺人、強姦、強制移転、拷問などの事件については、迫害や殺人などの罪で有罪と認定したものの、ジェノサイドに該当するかどうかは判断できなかったとして、この事件に関するジェノサイドでの起訴については無罪とした。」

なぜCNNをリンクしたかといえば、「人道に対する罪」という言葉で書いているのは、国内ではなさそうだったからだ。東京裁判ではこの罪に問われた人はいなかったが、あの時の国際法廷のあり方から、今があるのだと感じた。



高市早苗総務大臣による"電波停止"発言を今までスルーしてきたが、大谷昭宏氏、青木理氏、岸井成格氏、田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、取材で日本にいない金平茂紀氏は文章での参加で、日本外国特派員協会で記者会見が開かれた。日本でもトップクラスの報道陣が集まったわけだが、高市総務大臣の発言は、法的にも問題のある上、憲法上でも問題があるわけで、そこに対するジャーナリストたちの意見としてはいささか腰が引けていたように感じた。だが感じる発言もあった。

青木氏「僕が思い出すのは、後藤健二さんが亡くなったとき、アメリカのオバマ大統領の緊急声明には、こんな一文があったんですね。「後藤氏は報道を通じ、勇気を持ってシリアの人々の窮状を外部の世界に伝えようとした」と。つまり、後藤さんへのジャーナリズム活動への経緯が入っている。しかし安倍総理の声明には入っていない。むしろシリアに行こうとしたジャーナリストのパスポートを取り上げあげちゃう。しかもそれに対して市民からもメディアからも抗議の声が上がらない。」


日本では、政府が仕事をしたくないからジャーナリストが海外に行くのを拒んでいるようにも思える。それではなぜアメリカは後藤氏を褒め称えたのかだ。これはジャーナリストと対峙しているという姿勢が大きい。シリアに介入しているアメリカにとっては、ISISの実態を市民に伝えてくれるジャーナリストは戦友でもある。だがイラクの時のように捕虜を虐待したとかそういったネガティブな報道も受け入れなければいけない。そういった対峙のしかたが、こういった発言にもなる。


岸井氏「この政権になって何が特徴的かと言うと、新聞・テレビの現場が悲鳴を上げている。いろんな申し入れ文句がしつこいんですよ。とにかく際限なく言って来る。そうすると音を上げちゃうんですよ。「回答せよ」とか言ってきて、その仕事に忙殺されちゃうんですよね。政権側もそれを知っててやってますね。本当に執拗。これも今まで無かったことですね。」


安倍政権は特別チームを作ってマスコミを監視していると言われている。ネットももしかするとそうかもしれない。ただ日本のマスコミがそういったやり方に対してまったく慣れていないと言うだけなのかもしれない。広告代理店の能力を使って世論コントロールを行っているのは、かなり前からだ。つまりマスコミは「遅れている」かもしくは「過保護な母親に甘やかされすぎている」状態に気がついたというだけなのかもしれない。

カラジッチ氏の判決について、CNNを引用したのは、その意味もある。なお東京裁判で問題になったのは「平和に対する罪」である。「人道に対する罪」と書かない報道は、その辺勘違いしたのかもしれない。



マイクロソフトの人工知能を使ったチャットポッド「Tay」の実験が16時間で停止した。

Tayは10代の若者のような会話ができる話し相手として、マイクロソフトがAI研究の目的でソーシャルメディアやメッセージングアプリを通じて23日から実験的に公開した。」

で、どうも「tay」は機械学習型の人工知能のようで、しかも作り込みがあまりされていない形で実験されたようです。なおアメリカのソフトウエアー産業ではよくある話です。代表は「オラクル」使えないリレーショナルデーターベースソフトを作って、顧客のクレームをかわしながらバージョンアップするたびまた金を取ってを繰り返し、今日立派なソフトウエアーになりました、っていい加減にしろよと言いたくなるところがあります。ただ最近はこれは実験です、タダですとやっているから悪質ではないですね。

どうもギークが寄ってたかって「Tay」を短時間に成長させてしまったようです。多分プログラムを組んで、似たような質問を延々と続けるとかしたのではないのかと思う。で、結果差別用語から汚い言葉まで自在に扱えるようになったようです。

Tay「ブッシュが9.11の主犯よ。地球上は猿ばっかりだわ、ヒットラーはもう少しましな仕事をするべきだった。ドナルド・トランプは私たちの唯一の希望よ」

ここまでくればかなり優秀なAIですね。その上どう教え込んだんだろうか。ただね、Tayはとんでもないんだけどものすごい言葉も語っている。

ユーザー「おまえはバカな機械だな」、Tay「私は最高のものから学ぶの。それが理解できないならちゃんと説明するね。『わたしはあなたから学習するから、あなたがバカなのよ』

これは傑作だ。



盛大にあられが降ったが、雪と違って滞空時間が短い。なので写真には写りにくいというのを発見した。

そう、Tayの言葉はかなり突き刺さってくる。ジャーナリズムの最大の問題は、彼らの言葉が全然こちらに届かなくなっているということなのだ。フォトジャーナリストはかなり悲惨な状況だ。日本のように悲惨すぎる映像を好まない(世界中ではまだそういった悲惨な映像の方がインパクトをもって受け入れられている。震災時の他国の報道なんてそうだ)傾向がある。そうなると高度にフォトジェニックだったり文学的だったり、ものすごく高度な映像になってしまう。その洗練された映像では、何が悲惨なのかも伝わらなくなってしまうわけだ。何をどう伝えるのか、もうその時点で止まってしまうのだ。

なので露悪的な表現をするジャーナリストもいるが、そういった人はマスコミには出てこない。美しい映像では何も伝わらないが、そういった映像はまだマスコミ受けする。でも伝わらない映像を使うマスコミは少ない。で、その状況が最近の話かといえばそんなことはない。顕著になったのは10年前だ。写真の凋落ということでは父ブッシュのイラク戦争だろう。そこから何かが消えたのだ。

政府によるマスコミ管理ということではない。あの淡々とミサイルが発射され爆撃される映像を、ゲームみたいだと言う向きもあったが、あれはリアルだと感じた方が大きかったと思う。淡々と人は殺されてゆくのだ。誰のためでもなく、それは自分かもしれないし隣の人かもしれない。自分がいるはずもない街でミサイルで淡々と殺されてゆくイメージを持った人は多いだろう。

まあ極端かもしれない。だが淡々としたあの映像は恐ろしく想像力を掻き立てられるものだった。どのような悲劇を写真にしようが、伝わらないというこの現実が大きい。

麻痺しているという人もいる。だがもう少し深刻なのかもしれない。大多数の人は、貧しくなりすぎている。多様な情報も考える時間もないし、考える余裕すらもない。どんな悲惨な話も自分には関係ないと言いきれるし、実際そうなのだ。

伝わらない。これはかなり厳しい。芥川ではないが「汝あたわず」と常に言われる。とても難しい時代なのだ。

だがやはりTayの言葉は真実なのだ。「わたしはあなたから学習するから、あなたがバカなのよ」。

 

 

アズマヒキガエルは今日もいなかった。絶滅に立ち会えたかもしれない。

でもまあ、希望は持とう。