家の中にいると暗くなるから外に出た以外、特に目立ったことはしなかった。バッハの全集を聴いていたことくらいだろうか。これも142枚のうち残り14枚まで来た。オルガン曲まで来たのだが、このオルガンがすごい。バロックオルガンなのだが、モダンオルガンとの過渡期にある楽器のように感じる。
ハヤブサが通った。ずいぶん低く飛ぶ。
このオルガンだが、ドイツのチューリンゲン州Waltershausennにある、Zur Gotteshilfe(神の助けのために教会?)にあるものだ。トビアス・ハインリッヒ・ゴットフリート・トロストによって1722年から1741年まで作られたもののようだ。教会そのものは1719年に礎石が置かれ、1723年に完成したようだ。その建設中にパイプオルガンの構想は拡大して、どうもオルガンビルダーと建築家の間でイザコザがあったようだ。三段鍵盤で53ストップの壮大な楽器だ。うち一つのストップは鐘の音を出すのだ。
さてグーグルに翻訳させたら楽しい結果になった。途中まで直しておいたがどっからかはそのまま。
「トビアス・ハインリッヒ・ゴットフリート・トロストは、礼拝堂を支配する巨大なオルガンを、1722年に制作を開始し1741年に完成しました。「テューリンゲンでバッハの時代の最大かつ最も重要な楽器」と考えられているオルガンです。
Waltershäuserオルガンは、3段鍵盤、53ストップ、2806本のパイプを持つ最上級のバロックオルガンです。 パイプの特殊な機能についての70パーセントとほぼ全体のゲームシステムは建造当時に保存されています。 ビルダーのトロストは、1722年に持っていた2段鍵盤オルガンのための唯一の契約を受け取りました。 同じ年にフライベルクへの旅行後、彼はオルガンビルダーのジルバーマン作成のDomorgelに触発され、最適で最高のオルガンを発見しました。彼は拡大することをWaltershäuserに決定しました。 これは彼に愛するの建設の責任者の怒りを獲得した「逮捕に取り、絞首台にぶら下げ、「慰めが欲しかったです。 たとえば、ギャラリーが大きく、高い8.30メートルと8.80メートル広い工場缶を収容するために下げることができました。 1730年までは慰めはWaltershausenで検出可能であるが、それだけで1741年5月に、仕事は主にトロストによってその異常のサイズに加えて、オファー今日は受胎を失敗し、完了することができました。 また、18世紀の初めにチューリンゲン臓器の建物を特徴とするすべての機能を備えています。 基調講演と重力に重点を置いてトロストの特定のスタイル、主要な仕事の送信レジスタペダルと先住民族の声と一緒に種類を登録沈殿させ、この作品の特異性に大きく貢献してきました。」
えっと、慰めが欲しかったとはなんでしょうか。「彼に愛する建築家の怒り」というのはなんなんでしょうね。多分オルガンが大きすぎて一部を天井からぶら下げる構造にしないとパイプが収まらなかったと解釈するべきなのでしょうか。バロックオルガンらしい素朴な音の中に、ハリがあり、動作音がすごい大きいというのも当時のものだからでしょうか。
この翻訳を読んでしまうと、なんかえらくドロドロしたものに聞こえてしまいます。さてドイツ語がわからない私が訂正したのはどこまででしょうか。なおNHKホールのモダンパイプオルガンの構成は、92ストップパイプ総数 7,640本(最大のパイプ:長さ約11m、直径45cm)5段鍵盤ペダル付、コンソール 2台(固定式および移動式)です。でかいですね。東京芸術劇場のオルガンはルネサンスとバロック、そしてモダンを一台でできる仕様なため、回天・変形するトランスフォーマーでして、比較できないのですがストップ126、パイプ約9000本とさらに巨大です。確かNHKホールは電気制御で、東京芸術劇場はコンピューター制御デス。そこまでしないとどう仕様も無いのがモダンオルガンです。
東京芸術劇場のサイトにオルガンの仕様が詳しくなかったのが気になる。
ユリカモメとカラスが追いかけっこしています。以外と飛行性能はユリカモメも結構いいようで、カラスの追撃をのらりくらりとかわしながら、バックをとったりしています。最後にはカラスが諦めて行きました。
岩手大学の北水の池のアズマヒキガエルですが、今日もゼロでした。
白鳥が何かあったらしく岸近くにいません。何があったのでしょうか。
最近憂鬱なのは、どうもどう考えても、何か良くないことしか起き無いのではないのかということがある。どこを向いてもダメだということではない。例えば商売だったらなんらかの商機はあるはずだ。確かにネット社会での商売という新しい世界になっているから、古いものが落とされてゆくというのはある。
だがもう一つ何かわから無いものがある。
冷戦中に生まれた人間にとって、冷戦より厳しい時期になっているとしか思え無いのだ。あの頃も核戦争で人類滅亡とか言っていたが、それを高強度という人もいる。だが低強度の危機が山積になっている今は、もっと不確定で不確実なニュアンスしか無い。
その状態をコップに半分の水を、半分あると思うか半分しかないと思うかという思考実験があるが、どうも半分を切っているようにしか思え無いのだ。
その最大の理由は、人の不寛容さだ。
世間があって、自分は特別というのはどうなのかとも思う。
その意味では。乙武不倫騒動はもしかするとニャカニャカに面白い結果になるかもしれ無い。ここでは逆転した世界がある。そこをわかってみると面白いよ。何しろ5体不満足な彼の不倫とは何か?ということだ。性的能力はあるのだが、行動の制限が大きすぎる。そういった男がもてた結果でしかない。
五体満足な私としては悔しいが、彼のコミニュケーション能力の高さがそうさせたと考えている。
だがそれ以上に大きいのは、乙武氏は障害者の広告塔という形だったかもしれない。「手も足も出ない」とか慣用句を彼が使えばギャグになるわけで、そういうダークなギャグを使いつつ障害者理解を深めてゆこうと突っ走った結果、障害者だったらできないと思われていた不倫を達成しただけなのかもしれないい。
ただなあ、彼が不倫するためには彼女に運んでもらわないといけないわけで、まあこの時点で不倫というより事業っぽいところはありますな。その上車椅子から降ろされたらもう何もできないわけで、同意の上での強姦という感覚になってしまうわけで、そこは狙ったとしか言いようがないですね。
どちらにしても彼はすごいです。