兄弟姉妹の愛
兄弟(姉妹以後略)って、とても不思議な関係なのよ。
親子のような無条件の魂の愛情契約はないわ。無条件感謝付きでもなくてよ。
でも、友人愛やもちろん恋人愛や夫婦愛などの「行い」は必要ないわ。
一番近い表現では自己愛かしら。魂の自己分裂した部分があるから、似ていても似ていなくても自分自身とつながっているのよ。
自分自身の一部があるの。
自分自身だから、意識しない愛情かもしれないわ。
時々憎しみ合う兄弟もいるけど、愛も憎しみも表現が別なだけで同じなのよ。
憎しみ。妬み。嫉み。みんな「愛したい」と言っていると同じなのに、愛と反対の感情だと思い込んでしまっているわ。
どうして人間は素直に観ることが難しいのでしょうね。
いいえ、赤ちゃんの時は素直な反応をしていたわ。
大きくなるにつれて、周りの人間感情の影響を受けてしまうみたいね。
これが仏教的には「業(カルマ)」という奴ね。
カルマって、浄化(解決)しないと続くぞ、という理のこと。
でもカルマを背負っている本人でなくても浄化できるのよ。
これが仏教とアタシの違いよ。もちろんアタシの言う事の方が素直よね。
当然ブッダさんも解っていたけど、「教え」は聞く人の理解度に合わせてを説くから、その時は「本人がカルマを浄化せよ」というほうが適していたのよ。
それなのに、後に続く者たちは出来が良くないから、開祖の言葉を絶対視してしまうのよね。
真の開祖の心を汲み取れないのよ。
だから開祖が正反対の言葉などを伝えると混乱したり、勝手に削ってしまったり。
宗教の間違いはここにあるわ。
キリスト教も回教もその他の宗教も同じ過ちを踏んでいるわ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」