水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシは根性無しだ。
自分の意識を捕まえておけない。
意識を守る根性が無い。
どうせ意識なんて変わる。
寺山修司氏も指摘した。
だけど~心は~すぐ変わる♪
そんなアテにならない意識だ。
本気で使えない。
一般的な中国気功はエライのだ。
意識で「氣」を使っている。
ワシには出来ない、わけでないが・・・
本気で使えない。
アテにならない意識を除ける。
すると「何も無い結界」が出来る。
そこを通る「氣」がある。
(注:周波数合わせは必要)
そいつ(氣)を自動的に働かせるわけだ。
ワシは他人?のフンドシ(氣)で報酬をいただく。
フッ・・・わるくない仕事だぜ。。。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
通常「氣」は固定してない。
だが「氣」は「気マグレ」ではない。
気マグレなのは、意識の方だ。
「氣」は自由なのだが、変わるわけじゃない。
「氣」が変質するわけじゃない。
意識に対応する「氣」と入れ替わるのだ。
「変わる」のではなく「替わる」のだ。
ワシの扱う「氣」は別物だ。
「調和の氣」は「替わる」必要がない。
「氣」が変わるわけでもない。
「氣」によって、その結界内が変わるのだ。
調和に向かって変わるのだ。
意識で呼び出さない「氣」だ。
意識を使わない時に飛び込んでくる。
だから意識によって替わることもない。
もともと意識は隅っこで大人しい・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
未来を今の階段から判断している。
今の概念の範囲で想像している。
それは間違いだろう。
下手な想像は未来を縮小するだけだ。
(未来については、改めて書くつもりだ)
「氣」を使っているわけじゃない。
「氣」がワシの身体を使って(通って)いるのだ。
それでも長年親しむから影響を受ける。
この「氣」は明るい。
ある意味、未来からのモノだ。
未来は・・・ノーテンキな性質がある。
ある、ような気がする。
ワシが未来を信じられるのは、この「氣」の影響がある。
何かが観える。
それが当たっているかどうかは知らない。
だが、その人の未来が判るわけじゃない。
現時点が観えるだけだ。
先のことなど、判らない。
判らないという事が、解ってくる。
ますます、ワシは判らない事が増えている。
だから
未来は愉しい。
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遥か彼方に続く階段だ。
自分がいる階段からしか観る事はできない。
それを概念という。
だから、その時点の概念は誰でも持っている。
だが、概念(階段)を固定したらそれまでだ。
他の景色を観る事はできない。
階段を上がる機会を放棄してしまう。
自分の考えなどアテにしない。
他人の考えもアテにしない。
社会の常識など、もっとアテにしない。
科学の常識など、アテにする方が無謀だ。
アテにしないが、現時点での判断はする。
もっと素敵な未来を信じている。
信じるのは未来であり、現在ではない。
現在は仮の通過点なのだ。
未来の別名を「神」といってもいい。
(自分の未来ではない。全ての未来だ)
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使う範囲?量?。
それはワシの意識で広がる。
ワシの固定概念が外れた分が可能になる。
簡単というか、難しいというか・・・。
この「氣」に限らない。
あらゆる能力などは、そんなものだ。
使えないのは、自分が鍵をかけている。
どんな人も同じだ。
能力は誰でも最初から備わっている。
自分で規制しているだけだ。
ワシは多少、常識外の世界に触れてきていた。
異世界に通じていた母方の祖母の血が流れている。
その分、常識は外しやすい。
それでもワシなりの固定概念がある。
その概念で解析してしまう。
(自分の)解析をするのは仕方ない。
だが、その解析を固定しまっては先に進まないのだ。
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「氣使い」といえば、そうとも言える。
自由に使えるか、となると・・・半分だけ。
ワシの身体と意識を貸しているのだ。
ある意識状態で(氣は)勝手に降りて来る。
意識で自由になる分だけは使える。
自由にならない分は使えない。
身体は基本的にワシの分野だ。
だから何処に行くのもワシが主体だ。
その分はワシが使える。
だが「氣」を働かせようとしても無理だ。
「ワシの氣」ではないからだ。
例えば・・・
宝くじを当てる・・・
無理(実は・・・やってみた・・・)。
他(人や動物)を操る・・・。
これも無理(やったことはない)。
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使っているワシだって解らないことだらけだ。
使っているうちに少しだけ解る事もある。
それを説明するのは難しい。
これは理屈などではない。
体験だけでもない。
一瞬にして解る分だけ解る。
理解してもらおうなんて思わない。
理解をさせたくても出来ないのだ。
理解しなくても認めてくれる人が依頼人だ。
理屈でなく、結果で示す。
結果は簡単に出る場合と、長くかかる場合がある。
(結果まで待ってくれる人ならいいんだけど・・・)
ワシへの依頼人の多くが、そのままで依頼する。
アレコレ理屈を聞かない。
何だかわからないけど、必要な人は来るようだ。
最近は、双方とも理解出来ない事を理解してくれている。
ありがたい。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
出来るだけ余計なマネをしない。
依頼されてないのなら手を出さない。
引き受けてなければ口も出さない。
観えても、見てない。
何とか、それが普通に出来るようになった。
ワシの氣ではないが「氣使い」だ。
特殊能力に属する、ともいえる。
まだまだヒヨッコとはいえ、プロ側だ。
特別隠すわけではないが、矢鱈に使わない。
通常は無能力者だ。
まして、人一倍ナマケモノだ。
故御師匠様は言った。
「出来るだけ、普通にしなさい」
そうでなくてもアヤシゲな仕事だ。
ヘタな「氣」は出さない。
出さない事が出来て、プロだ。
どうにか、ここまで来た。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
通常の「気づかい」は「気遣い」と書く。
相手の心を読んで自分の心を配る、という意味だろう。
相手を思いやる、という行動だろう。
浅い「気遣い」は、返って(少し)迷惑になる場合もある。
深い「気遣い」が出来る人は少ない、という現実もある。
だが、ワシの「氣使い」は逆だ。
相手の心は読まない。
読めない、というより、読もうとしない。
相手の心に興味が無い。
自分の心だってワケが解んない。
心を相手にすると、迷宮入りだと知っている。
当然、自分の心も配らない。
自分の「氣」も配らない。
「ワシの氣」なんてロクデナシだ。
配られても迷惑だろう・・・。
だから使うのはワシの氣ではない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
相手を観るのではない。
この「氣」は調和力だ。
どうやら一定の空間を調和状態にする。
(結界を自動的に張るようだ)
しようとする。
すると違和なモノが浮かび上がってしまう。
病(闇)は調和状態で浮かび上がる。
原因など知らない。
どうでもいいとは思わないが。
違和なモノであるのは確かだ。
だから苦しむし、困る・・・。
違和なモノは形になった病だけではない。
形になる前の病も違和なモノだ。
その他にもいろいろある。
心(意識)の状態とか、余計な霊とか・・・。
(ワシの)曲がった根性とか・・・。
違和には違いないが、絶対治すモノでもない。
違和は
いろいろな「気づき」の元でもある。
活かせば「学び」にも「幸運」にもなる。
治すより「活かす」が優先する。
と、ワシは思っている。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)