水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1205」

2024-04-21 21:16:01 | Weblog


ある気功師・810

プロフェッショナルとして仕事をする。
通常は外側に向かって能力を発揮する。
能力の高さ、強さ、結果などを重要視する。
外側に向かって、自分の存在を賭ける。

医療従事者(医師等)も同じだ。
プロとして活躍する人は、
常にレベルアップを目指す。
自分の存在を賭けて仕事をする。

そんなプロは少ないけど、それがプロだ。
この場合の対象は患者に向いている。
患者が最優先。
そんなプロは(残念ながら)少ないけど・・・


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「迷想中・迷走中・1204」

2024-04-20 20:56:53 | Weblog


ある気功師・809

「ヒーリング」能力はイキナリ付く事がある。
イキナリ授かる事がある。
学んで憶える能力や、練習して付ける技術でもない。
(その部分もあるけど、アマの力しか付かないのだ)

その場合もヒーリングが特殊能力だと思ってしまう。
能力を発揮して成果を上げる。
年数が経つほど能力は下がり、本人は苦しくなる。
本来は「幸せ」のお手伝いの能力なのに、苦しくなる。

「能力がある」事が「ヒーラー」だと勘違いする。
そのまま「プロ」として仕事をしてしまうからだ。
プロと素人の区別がついていない。
だから、どんな能力でも素人なのだ。


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「迷想中・迷走中・1203」

2024-04-19 20:48:05 | Weblog


ある気功師・808

11年前、故師匠に治療の道を行く許可をもらった。
その時に言われた言葉が幾つかある。
その一つが「命懸けだぞ」だった。
その時は意味が解からなかった。

本当に命懸けだと知ったのは体験を重ねてからだ。
厳しい状況のクライアントと接してからだ。
崖っぷちから飛び出さざるを得ない立場になった。
命懸けは、本当なのだ。

崖から飛び出すのは、怖い、とても怖い。
痛いし苦しいし、何でこんな所まで来たのか後悔もある。
それでも何とか進み、次の崖に向かった。
綺麗事ではなく、アホだなぁ、とも思った。


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「迷想中・迷走中・1202」

2024-04-18 22:00:41 | Weblog


ある気功師・807

だから、真剣。
そして「ヒーリング」は「分かち合い」だから、
ダメージもギリギリまで受ける。
ギリギリは・・・命懸けなのだ。

ヒーラーは余裕で出来る立場じゃない。
「優しい癒し人」では無理なのだ。
分かち合い、命懸けだからこそ。
レベルアップより優先する絶対条件がある。

それは「セルフヒーリング」だ。
自分に「光」を分ける能力だ。
「自分が受けた闇・病み」を「浄化」する能力だ。
これが出来ないと続けられないのだ。


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「迷想中・迷走中・1201」

2024-04-17 20:43:19 | Weblog


ある気功師・806

能力は使わなければ、衰える。
使いすぎれば、消耗する。
デタラメに使えば、壊れる。
普通に使っても維持は出来るが、上がらない。

能力は何十年使っていても上がらないのだ。
効率は良くなるから勘違いする。
だが、レベルは上がらない。
そして「プロ」は常に上を目指す者。
レベルを上げる事はプロの条件だ。

能力が上がるのは、
ギリギリ、崖っぷちに立たされた時。
逃げ場なく、崖から飛び出す以外の選択肢が無い。
つまり、それまでの限界を超える時なのだ。


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「迷想中・迷走中・1200」

2024-04-16 20:50:12 | Weblog


ある気功師・805

患者側からはヒーラーの「光」の広さと深さが流れ込んでくる。
それが生命力を増強し病を小さくする。
だからマニュアル通りじゃない。
「この病気・症状には、この療法」というわけにはいかない。

回復・還元する条件や時間の違い。
「患者」と「ヒーラー」の同調度によるのだ。
「患者」と「ヒーラー」の本気度によるのだ。
原因究明や出来上がった理論じゃないのだ。

今の医学・医療とは別方向からの医療。
相手と同一体になって、治療する医療。
だから「ヒーラー」には絶対条件がある。
それは能力の高さじゃない。


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「迷想中・迷走中・1199」

2024-04-15 21:32:55 | Weblog


ある気功師・804

通常の医師ならば患者と接しても、
感染などを気をつければ病気を貰う事は無い。
まして「痛み」や「苦しみ」を貰う事は無い。
患者と医師は同一体ではないからだ。

ところが「ヒーラー」の活用する「ヒーリング」。
多くは「分かち合い」で成り立っている。
「交じり合い」であり「調和作業」でもある。
当然、患者側からは「病気」も流れて来る。
「痛み・苦しみ・悲しみ」も流れて来る。
全体ではないが、相手と同一体となるからだ。

「ヒーラー」の能力の広さ・深さにより、
その「分かち合い」の広さ・深さも正比例する。
患者側からの「痛み・苦しみ・辛さ」も正比例して増すが、
「嬉しさ・心地よさ・幸せ感」も同調し正比例する。
そして調和(回復)時間は反比例するのだ。


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「迷想中・迷走中・1198」

2024-04-14 21:49:56 | Weblog


ある気功師・803

ヒーラーになっても、その先の道は果てが無い。
「意識」と同調して広がり、
「世界」と同調して深まるならば、
一生かけてもたどり着けない道なのだ。

その代わり、
広がるほどに、深まるほどに、
魂は自由になり、世界を知る目は広がる。
(プロとして常に精進した場合だ)

そして・・・その代わり
「ヒーラー」が内蔵する「智」は、
今の段階(時代・世界)で論文化できないが、
やがて「学問」として成り立つ。
その中の一つに「分かち合い」がある。


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「迷想中・迷走中・1197」

2024-04-13 20:45:38 | Weblog


ある気功師・802

教える事が出来ない学問。
教えても伝えられない技術。
誰でも努力すれば卒業できる学校では「ヒーラー」は育たない。
勉強や努力と別な要素が大半を占める。
その要素がヒーラーの軸になる。
誰でも平等に「ヒーラー」にはなれないのだ。

「ヒーラー」は西洋・東洋医師とは別な方向からの治療師。
別な次元からの「治療」なのだ。
いわゆる先進国社会では認めにくかった。
だが最近はヨーロッパなどで再認されてきている。

それは「生まれつきの要素」かもしれないが、
私は「運命」だと思っている。
運命ならば・・・
ヒーラーになるのも、なれないのも、仕方ない。


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「迷想中・迷走中・1196」

2024-04-12 20:44:00 | Weblog


ある気功師・801

「ヒーリング」は「原因を観ない回復法」だ。
「生命力」を還元化・活性化する方法だ。
だから「ヒーリング」は「医学・医療」ではない。

ここから、ちょっと複雑な説明だけど・・・
「ヒーリングは医学・医療ではない」が、
「ヒーリング」を活用する「ヒーラー」は、
「医学・医療」の一分野だと思っている。

つまり「ヒーラー」は論文化できない医学であり医療だと思う。
学校で学べる医学・医療の専門家が医師。
論文化や技術を教える事は出来ない「(プロ)ヒーラー」
だからヒーラーは(現状では)医師ではない。
それでも医療の専門家ではあるし学問でもある。


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