水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1195」

2024-04-11 22:35:47 | Weblog


ある気功師・800

長所として、
体系が整えば誰でも治療できる。
(学べば誰でも医者になれる)
多くの人に同じように対処できるのだ。
地球の裏側でも同じ医療が受けられる。
条件として
原因がハッキリ掴めた病気やケガ、
それに対応する治療法が確立している事。

短所として、
個々特有の原因には対応できない。
(マニュアル以外に対応できない)
病気のプロではあるが、治療のプロではない。
だから原因不明だと治療法不明となる。
症状の対処療法しか出来ない。
痛ければ「痛み止め」や抑制する方法だ。
一つ一つの原因が判明しても、
複合的な病気には治療法が共栄し難くい。


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1194」

2024-04-10 20:37:19 | Weblog


ある気功師・799

「ヒーリング」のプロが「ヒーラー」とした。
自称ヒーラーはかなり多いだろう。
だが実際には本物のヒーラーはほとんどいない。
自分勝手の判断で勝手に名乗っているだけだ。
ヒーラーを名乗る素人ばかり。

ヒーラーの治療部分と通常の「治療」との違い。
それをもう少し説明しよう。

通常「治療」は「病気」を診る。
特に西洋医学・東洋医学は「病気の原因」を診る。
それに対応する治療法を当てはめる。
つまり検査や原因判断に重点を置いている。
「治療」自体はマニュアル通りで対応するのだ。

西洋医学と東洋医学の違い。
部分を見るか全体を見るかの違いはある。
それでも原因から治療法を当てはめる。
この方法は同じなのだ。


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「迷想中・迷走中・1193」

2024-04-09 20:45:45 | Weblog


ある気功師・798

プロフェッショナルとシロウトの違い。
知識や経験や技術力の差ではない。
社会的な看板や地位でもない。
経済的自立で判断する事でもない。

「自分の存在を重ねている」
(命懸けである)
「生き方と融け合っている」
(生きる事と不可分である)
「他の幸せに貢献している」
(この世に存在する意味を内蔵している)

一見・・・メンドウクサイ・・・。
かなり・・・マトモ・・・。
適っているなら自然体で歩いていける道。
自分で自覚できる立場でもある。


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「迷想中・迷走中・1192」

2024-04-08 20:34:47 | Weblog


ある気功師・797

「ヒーラー」を「ヒーリングができる人」にしてしまう。
すると、誰でも「ヒーラー」になってしまう場合がある。
病気に対する姿勢がアイマイなまま。
治る機会と時間が失われてしまう。
苦しむ期間が続いてしまうのだ。

「ヒーリングが出来ても、ヒーラーじゃない」
「ヒーラー」は「治療者」としての自覚と実績。
「ヒーリング」を「治療法」として応用するプロなのだ。

運転ができても、プロのドライバーではない。
車を動かす事が出来ても、プロじゃない。
絵を描けても、画家じゃない。
レベルの差と、見えないもう一つの差が歴然とある。


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「迷想中・迷走中・1191」

2024-04-07 20:38:09 | Weblog


ある気功師・796

相手が回復するために行なう。
相手が調和するために行なう。
相手が「元の氣」になるために行なう。
そういう意思があって「ヒーリング」という。

ここで混同されやすいのが「治療」だ。
「ヒーリング」の結果として「治療効果」もある。
だが「ヒーリング」は「治療」ではない。
「病気を治す」という結果を求めない。
「治った」という結果で判断しないのだ。

だから「ヒーリング」が出来ても「治療者」ではない。
ここはしっかり認識しておくべきところだ。
「生兵法はケガのもと」
「患者」としてくる人にも迷惑をかける。
「ヒーリング」が出来ても
「治療」としては「シロウト」なんだ。


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「迷想中・迷走中・1190」

2024-04-06 21:15:29 | Weblog


ある気功師・795

私自身はヒーラーだと思っていない。
私はプロの治療者としてヒーラー論を書いている。
最初に「ヒーリング」の訳だ。
「癒し」とか訳されるが、実に曖昧だ。

「癒し」には「癒し効果」と「癒し行為」がある。
例えば森林には「癒し効果」がある。
だが森林が「癒し行為」をしているわけじゃない。
そして「癒し行為」があり「癒し効果」があっても
それだけで「ヒーリング」とはいわないのだ。

例えば、恋人を撫でると「癒し効果」がある。
撫でる行為は「癒し行為」ではある。
だが恋人に「ヒーリング」をしているわけではない。
だから「ヒーリング」の定義をする。
「治療を意識した癒し行為」とする。


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「迷想中・迷走中・1189」

2024-04-05 20:40:37 | Weblog


ある気功師・794

何よりも「プロ」という世界に入った。
「プロ」を名乗っても、看板を上げるのも自由。
だがそれで「プロの世界」にいるわけじゃない。
経験を積めば「プロの世界」に入れるわけじゃない。
何十年も治療師として仕事をしても、
「プロ」の治療師になれるわけではないのだ。

特にこの「ヒーラー」という立場。
とても特殊な世界の住人だと思う。
通常の仕事のプロフェッショナルとは違うのだ。
「見えない世界の住人」でもあるのだ。

ここではヒーリングをするプロを
「ヒーラー」として説明していこう。


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「迷想中・迷走中・1188」

2024-04-04 20:46:54 | Weblog


ある気功師・793

私の住んでいる近くの宿で数日間のセミナーだ。
「ガイア・サマーセミナー・イン・群馬」
テーマが「ヒーリング&ヨガ」で、
ワシはヒーリング講師として参加する事になった。

それで「ヒーラー論」を書いた。
「ヒーラー」としての心構えを書いた。
普段は不マジメでいいかげんな私。
だが少しマトモな部分を書いてしまった。

この時、氣功師になって10年。
治療師として9年。
振り返れば「氣」の質は基本的に変わらない。
だが心構えなどは変わってきている。


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「迷想中・迷走中・1187」

2024-04-03 20:58:44 | Weblog


ある気功師・792

故師匠の新たな生駒での気功講座も第一期生だった。
師匠が新たに発足したホリスティックヘルス講座も第一期生だった。
私はそういった関係からか、何かと師匠に手伝いを頼まれた。
講座のスタッフ側になる事が多々あった。

私の治療家としての能力を認めてくれていた。
ある時は超VIPの大企業会長の治療も経験した。
VIPすぎて簡単に病院にいけない、という理由もあった。
ボディガード付きでの治療は初めてだった。

私の治療能力は認めていたが、私の経営能力の無さも認めていた。
その為私を講師として講座に誘っていただいた。
貧乏している私を師匠として手を差しのべてくれているわけだ。
昨年もだが、今年も講師として誘っていただいた。


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「迷想中・迷走中・1185」

2024-04-02 20:27:20 | Weblog


ある気功師・790

残念ながら私は不肖の弟子だった。
先に気功師の体質に変えてくれたもう一人の故師匠がいた。
治療道を歩み始めていたからでもあった。
努力と根性と一つの道を真っ直ぐ進む精神が軟弱だった・・・

私は気まぐれだし興味があればすぐ手を出す。
計画性が無いし経済感覚も微弱だ。
先の事などわからないから面白い・・・
などと強がりを言うほど強くもない。

それでも師匠の道場を一応卒業してからも通った。
興味ある関連ツアー、講座には参加した。
アーユルヴェーダ医のクリシュナ先生の講座。
和法医学の講座。
天河神社やガイアシンフォニー関係にも参加した。


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