山の池で、赤トンボが無数に飛んでいる。
赤トンボの個体数が、全国的には激減して来ていると言うが、当地ではお
盆前後から秋口に掛けて、田園地帯や山間で、良く見掛けられるのがとて
も嬉しいことだ。
こうした風景が遠い昔の郷愁を誘うということは、赤トンボの飛び交う、しっ
とりとした情景と、これに付随した各々の人の思いが、子供心に訴え小さな
波紋を投げ掛け残ると言う事なのだろう。
ストレスが多く何かと心乱れる現代社会にあって、むかし見たこの原風景に
自然に心癒され、「あっ、赤トンボが飛がでいる」と感動するのだ。
”赤とんぼ”と言えば、一番に三木露風の童謡(詩)が思い浮かぶ。
『赤とんぼ』三木露風:山田耕作
夕焼け小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を小かごに 摘んだは まぼろしか
十五でねえやは 嫁にゆき お里のたよりも絶えはてた
夕焼け小やけの 赤とんぼ とまっているよ竿の先
日本で一番愛されているこの童謡(詩)、誰の心にも故郷への懐かしさと、
いと惜しむ気持ちを起こさせ、歳を重ねる毎に強くなって来る。
~三木露風 は、「赤とんぼの思ひ出」のなかで・・・
「私の作った童謡「赤とんぼ」はなつかしい心持から書いた。それは童話の題材として適当であると思ったので赤とんぼを選び、さうしてそこに伴ふ思ひ出を内容にしたのである。
その私の思ひ出は、実に深いものである。ふりかへって見て、幼い時の自己をいとほしむといふ気持であった。まことに真実であり、感情を含めたものであった。
思ふに、だれにとってもなつかしいのは幼い時の思ひ出であり、また故郷であらう。幼年の時故郷にいない者は稀である。幼年と故郷、それは結合している。であるから、その頃に見たり聞いたりしたことは懐旧の情をそそるとともに、また故郷が誰の胸にも浮かんでくるのである。
私は多くの思ひ出を持っている。「赤とんぼ」は作った時の気持ちと幼い時にあったことを童謡に表現したのであった。
「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」~ ( 出典:昭和12年『日本童謡全集』 )
~今日も良い一日であります様に~
『赤とんぼ』~由紀さおり・安田祥子唄