タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

  『海を見に』~~長田弘

2017-08-01 | 風景

私は時々海を見にゆく。         ただボンヤリと出掛けて行く。        そのひと時は何ものにも代え難い、心に沁み入る様な、満たされた時間が流れて行く。        今朝は、山陰の「美保(関)の松原」を中海越に、伯耆富士の背中からゆっくりと、黄金色に輝く陽を、漆黒の海にゆっくりと映しながら、静寂の中で明け行くひと時を過ごしてきた。

『海を見に』 長田弘

海を見にゆく。        時々その言葉に内からふっとつかまえられて、よく海を見にいった。        どこでもいいのだ。        目のまえに、海が見えればそれでよかった。        なにもしない。 そのまま、ずっと、海を見ている。   水平線がぐらりと沈んでゆくように見える日もあれば、空が水平線を引っぱりあげているように思える日もある。        夕暮れの海にはいつでも、どこでも子供たちがいた。 遊んでいる。        喚声を上げて走りり回っているのだが、声は聴こえない。  犬は波が好きだ。        海をまえにするとき、言葉は不要だと思う。      私はただ海を見にいったのだ。        海ではなかった。        好きだったのは、海を見にゆくという、じぶんのためだけの行為だ。        万葉の昔のころからずっと、海を見ること、寄せては返す白波を見つめることは、この世のさまに思いを致すことでした。        海を見にゆく。        それはわたしには、秘密の言葉のように親しい行為だった。        何をしにゆくわけでもなく、ただ海を見にゆくということにすぎなかった。        海からの帰りには、人生にはどんな形容詞もいらないという、ごく平凡な真実が、靴の中にのこる砂粒のように、胸にのこった。    一人の日々を深くするものがあるなら、それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、どれだけ多くの言葉でではない。・・・・・海辺が訪れるものにいつのときも語ってきたのは、地球というものを原初からずっとささえてきて、いまもささえているもの、地球を地球たらしめいる調和というもの、そういうものを思い出させる秘密ではないでしょうか。      その古くからの秘密こそ、・・・「海を見にゆく」ということが、私たちの心を誘って止まないものなのだろう。・・・・・     (出典:長田弘・なつかしい時間)

 

 

 

田中彩子~エーデルワイス