昨日、今日と二日間に渡って、とても良い天気で、今見ると室内で22℃もあると言うまるで初夏の様。 散歩をしていても、雲一つなく真っ青な空が、どこまでも高く広がって気持ちの良い一日です。 ここは毛利尼子の古戦場の跡、石積みの向こうにブナの木が一本、空に向かって伸びています。 陽の光をいっぱいに受けて、黄金色にキラキラと輝いている。
空の青さを見つめていると <谷川俊太郎詩集より>
空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
思い出のソレンツァラ:エンリコ・マシアス
片付けて置くことも多く、愚痴も出ますよ。
いいじゃないですか。
誰もそうですよ。
写真撮りに行くことは出来ましたか!
気晴らしや、人生どこかにクッションは必要ですから。
大いに愚痴り、大いにそして楽しみましょう。
心に余裕がないと見えるものも見えなくなってしまうような。。自然は器が大きくて、個人のせっかちは吹っ飛ばしてしまいます?!
そんな感じでしょうか?
今日はこれから、写真を撮ることにしました。心の洗濯です。
先般ご紹介の、茨木のり子さんの詩集も
借りてきて読みたいと思っているところ
です。
とは言うものの、やはり作者ご本人の作
詩の際の、背景、心境等々知りたいもの
です。
谷川俊太郎さんの詩、私も大好きです。
「あの 青い空の波の音が聞こえるあたりに 何かとんでもないおとし物を 僕はしてきてしまったらしい 』
で始まる『かなしみ』などなど。
「空の青さを見つめていると。私には帰るところがあります。」「陽は絶えず豪華に捨てている・・・」人は・・・「樹のように豊かに休むことがない」人の本当は内面にはそんな世界が存在しているのに。
これまで人生で身につけてきた余分な物をそぎ落とせば、きっとそんな世界につながるがることが出来るのでは。。。ないだろうか。
宇宙はあるがままで完全なのだと。
不要なものを数えきれないほど抱え込んだ、私達の思い込みを捨てると(去る)、そこには光と力に溢れた私が戻ってくるでしょう。
私はそんな風にこの詩を受け止めて見ました。
作者の思いとは違うのではないかと思いますが。
傷つけるなんて・・。
悲しいときに書いた詩なのでしょうか;
でも天気がとってもよくて、
紅葉がきれいで、
よかったですね(^^♪
ブナの紅葉は黄色ということを
初めて知りました。お散歩おつかれ
様です~(^^♪