撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

ワットクアンウボンラットに到着

2025-01-30 07:15:32 | タイ王国
2024年4月29日(月)グーグル地図に導かれ、国道2109号線からとんでもない原野の中の狭隘路をノロノロ進んで


12時13分、コーンケーンワットクアンウボンラットの山門に到着した。

山門を入って直進し駐車場にクルマを停めたが人の気配がなく、そばに火葬炉があって少し不安になったゆえ下車して境内を探索した。



看板。英語表記があるゆえ外国人参拝者も多いのであろう。ちなみに境内で猿は見なかった。



石碑



瞑想場所の様なのがあったが、床は砂埃が積もって誰もおらず。これを過ぎたところに人がいる場所が見えたので行ってみようとしたが、トヨタウィーゴでも車体の底を擦りそうなデカいハンプがあったので、境内を横断するのは断念し、一度クルマで山門を出て田舎道を走ったら



国道2063号線に出て、立派な表札発見、ここがメインの入口だったのだ。とんでもない狭隘路は距離的に近いが時間的には2109号線から左折して2063号線に入ってきた方が道が良いゆえ断然早い。グーグル地図は距離を優先して表示するのであろう、時としてとんでもない道を示すことが多々あり、この後、別の目的地でも再びしてやられたのだが、後段に譲る。



看板を左折後直進



ロータリーを過ぎて



このゲートをくぐると坂になっていて



坂の先で駐車、以下次号

PTTサムラン

2025-01-28 07:20:16 | タイ王国
2024年4月29日(月)2024年GW訪泰四日目は宿を出発して


11時22分、PTTにて休憩



場所はコーンケーンのサムランという所だった。



PTTにしては小さなガソリンスタンドだった。



トイレだけ済ませて目的地へ向かった。

朝食後リゾート出発

2025-01-26 07:34:15 | タイ王国
2024年4月29日(月)2024年GW訪泰四日目


7時43分、朝食が取れる建物へ向かった。



入ったら集会所か会議室みたいな雰囲気だった。



机の上にクラッカーが置いてあった。



給茶器から湯を入れてインスタントコーヒーを作って



これが本日の朝食である。二泊するゆえ明日もこうであろう。



朝食後に出かけようと、受付のおじさんに鍵は預けるべきか否か、聞こうとしたら不在だった。



振り返ったらおじさんは自転車に乗って敷地内を見回っていた。鍵は預けずに持っていく事にして



出発、以下次号

リゾートにて起床

2025-01-24 07:32:34 | タイ王国
2024年4月29日(月)2024年GW訪泰四日目


5時27分、起床。ぐっすりと眠れた。



バルコニーにて一服。灰皿がなかったので、ペットボトルに水を入れて灰皿代わりにした。



部屋の狭さに比べてバルコニーは意外と広かった。



部屋を出て敷地を探索、部屋の横に駐車スペースがあるにもかかわらず、クルマが通路に何台か停まっていた。なぜ駐車スペースにクルマを停めないかというと



非常に乗り降りしづらいのである。



宿の看板。設備も新しく、静かな環境



国道213号に面していて、左折して入るには問題ないが、中央分離帯があって右折入場は不可。2kmくらい通り過ぎてUターンせねばならんのが残念だった。

リゾートに飛び込みで泊まった

2025-01-22 07:12:24 | タイ王国
2024年4月28日(日)マハーサーラカームの旧知のお宅でご馳走になった後


20時54分、ビールを飲んでいないEさんにトヨタウィーゴを運転していただき、飛び込みで今宵の宿に到着。ご主人がピックアップトラックで先導して下さったが、ハッキリ言って日本では飲酒運転に当たると思うが、しっかり安全運転ではあったので、タイではビールくらいは問題ないのであろう。
宿であるが、両サイドに部屋が並んでいて、左側が一泊500、右側が700バーツだったと記憶。



寝るだけゆえ、安い方、一泊邦貨約2,200円に即決定。二泊することにし、Eさんご夫妻にお礼を申し上げ



部屋に入った。トイレは清潔、バスタブはなくシャワーだけだがホットシャワーである。



部屋は広くなく、ベッドが大部分を占めるが、TVもエアコンも冷蔵もあり問題なし、明日に備え就寝したのであった。

マハーサーラカームで晩餐

2025-01-20 07:16:43 | タイ王国
2024年4月28日(日)マハーサーラカームの旧知の方のお宅にて


19時01分、手料理をご馳走になった。足だけ写っているが、右側がSさんの奥様の叔母さんのEさん、正面がご主人だ。



いくつかアップで撮ったのでご紹介、これはゲーンチュー、玉子豆腐が入ってウマい。筆者の好物である。



左側がおなじみのプラートゥー、アジの塩焼きに似てウマい。これも筆者の好物だ。
右側はイサーンソーセージヌア、牛肉が原料の柔らかいサラミのような食感、イサーンソーセージといえば酸っぱいイメージがあるが、これは甘くてウマかった。Eさんの話では、豚肉が原料のものもあるとの事、次回ぜひトライしたい。



ソムタム、激辛



ビールのつまみはヌアダットディアオ、牛肉を天日干ししたもの。味はビーフジャーキーである。



たんまりご馳走になった後、エアコンがなくて暑いが良ければ泊って行きなさい、と言われたが、お気持ちだけ頂き、21時23分にお暇。近くに宿がないかお聞きしたら、クルマで少し走るが「リゾート」がある、と仰る。以下次号

マハーサーラカームの旧知宅訪問

2025-01-18 08:41:16 | タイ王国
2024年4月28日(日)マハーサーラカームはボーラブーのチェンカムの木橋に遊んだ後


18時30分、この日最後の目的地、既にご家族を伴い日本に帰国したIさんのタイ人奥様のお姉さん、Eさん宅に到着、正確にはEさんのご主人の生家という事だった。途中、集落の路地で道に迷ったが、なんとご主人が探しに来て下さって、無事到着、ありがとうございます。


Iさんのお姉さんとはバンコク駐在時代の2009年2月22日(日)にお会いしてから何度かご主人も交えてお目にかかっているが、EさんとSさんの奥様とはいとこ同士という縁もあって、イサーンに来るなら3人してぜひ寄ってほしいという事になったのだが、Sさんの来泰が遅れた為、肝心のSさんご夫妻はおらず、筆者ひとりだけで訪問となったのである。



Eさんにしてみたら、いとこ夫婦とその友人を招待したところが、肝心の夫婦は来ず、オマケの友人だけが来るという変な展開になったのだ。



筆者もあまりに図々しいと思い、お招きをお断りしたのだが、構わずにおいでなさいという。Sさんご夫妻からもぜひ行ってあげてほしいというので、メールしてもらったグーグル地図を頼りに、のこのこマハーサーラカームまでやって来たのだ。



ハッキリ言って、知らぬ中ではないが、言葉が通じぬのでどうしたものかと悩みながらお宅の近所を散歩しながら考えた。



しかし何とかなるだろうと、ご自宅の調理場を見せて頂いた。



奥の方には薪が備蓄してあった。採りに行くのか、どこからか買ってくるのか、聞いてみたが言葉の壁があって、よくわからなかった。



小さなかまどからは、懐かしい匂いがした。



タダ飯もどうかと思い、ご主人に聞いたらチャンがいいというので、近所のよろず屋にチャンビールを買い出しに行った。よろず屋の前には酒盛りをしている近所の人がいて、その人たちから



なぜかマンゴーを頂いたので、晩餐の足しにさせていただいた。厚く御礼を申し上げて以下次号

マハーサーラカームの夕日

2025-01-16 07:08:24 | タイ王国
2024年4月28日(日)マハーサーラカームはボーラブーのチェンカムの木橋に遊んだ後


18時13分、大地に沈む夕日を見ながらこの日最後の目的地に向かった。



ここはイサーンである。

チェンカムの木橋を後にした

2025-01-14 07:02:37 | タイ王国
2024年4月28日(日)マハーサーラカームはボーラプーにある


チェンカムの木橋を渡り終え駐車場近辺を見てみた。



近くにはカフェや売店もあったが訪問時は閉まっていた。



これがカフェ兼売店だったと思う。



道向こうには地元の人向けのよろず屋があって、これは営業していた。



道の右方向を見た。行ってみたが道幅が狭く、トヨタウィーゴで行くのは困難と判断、来た道を戻ることにした。



戻る途上、路肩にトヨタウィーゴを停めてチェンカムの木橋を眺めた。この橋は、グーグル地図にも出ていて、チィアンカム橋という表記になっているが、タイの人はチェンカムと発音していたので、当記事ではタイ式に統一した。



ここからも木橋に入れる様だった。



その後、こういう景色の中にある道を走って



17時08分、木の橋と書かれたボーラプー集落の門を抜けてこの日の最終目的地に向かったので以下次号

チェンカムの木橋を歩き終えた

2025-01-12 08:36:16 | タイ王国
2024年4月28日(日)2024年GW訪泰三日目、マハーサーラカームはチェンカムの木橋に遊んだ。


16時34分、文字は読めぬが、何かあるというので行ってみたら



祠があった。手を合わせて



戻った。



この辺りは手入れがされていて、グラグラすることはなかった。



水中に目をやると、小さな細い魚が泳いでいた。ヨウジウオの稚魚っぽかったが、ここは淡水なので違うであろう。



とにかく歩いて



陸地に戻った。写真に写っている人は地元の方で、牛飼いのおばさんだった。どこから来たか聞かれたので日本と答えたら少しビックリしていた。
おばさんの話によると今は閑散としているが、水連の花が咲く時期は多くの人で賑わうという。ソンクラーンも混むらしい。その他いろいろと教えて下さったが、筆者のエセタイ語の技量では理解できなかった。おばさんにお礼を申し上げ



クルマを停めたところからチェンカムの木橋を眺めたのだった。