準備の、裏の裏のこころは不安から来ている。
失敗しないようにという。
それはもっともなことですが、準備をきっちりしすぎて
安心し(氣が抜け)てしまうと、本番は腑抜けた二番煎じになる可能性もある。
書道で、下書きをなぞって書くようなことで、
一点集中力が欠けるかもしれない。
準備しすぎて安心して、本番はただ台本を棒読みのごとし。
そうならないためには、準備と本番を分けず、
いつもそのとき今素直に湧き出るものだけで勝負すること。
リハーサルも本番以上に本氣に臨み、本番はまた自然と変化が起こる。
準備だからと何度も下書きを書き直して、
無難に治まったものをただなぞる本番にはいのちがない。
しかし準備というものは不安から行なうものならば、
その時点でリアルから外れている。
たとえば謝罪をするとき、このように怒られたらこう答えよう、
などとシミュレーションして準備したとしても、実際は怒らないかもしれないし
相手をそのように設定するほうが失礼だ。
準備の多くは、不安の結晶である。
ただ、失敗を避けたいから行なう準備をしないとなると
もちろんしばしば失敗することになろう。
レシピを見ずに料理することだから。
それで失敗すれば、悔しさやもったいなさから真面目に探求したりして、
本当の実力につながり、準備なくとも次第に失敗が減る。
そうでなくては、想定外に対応できないし、不安から他人の分まで
食糧を買い込むという、準備過剰による不調和まで生じる。
人人みないつも協力連携助け合いの絆の太ければ、
寛容さも相まって準備は不要となる。
それは義理と人情の厚い世の中ともいえるが
残念ながら社会はその逆を向いて感じる。
それでも私は、準備をせずに歩んでいきたい。
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