ふろしき王子のブログ◎
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今日は都心に出張ってましたが、こまかに何かと忙しく、

お蔭で引きかけの風邪もなりを秘そめたが、
帰りが遅くなって空腹すら忘れていた。
するとコートのポケットに、日中友達より賜りし
豆に薄く飴をコーティングした姫菓子があった。

それを臼歯でかぷりと崩せば、落花生の香りが跳ね、甘さがひろがった。

時を忘れるこの刹那こそ正に電車カフェTimeと見えて、
ほっぺたを文字通り微笑ませつつ、水筒の澄水を呑む。

カフェという場は、仕事や日常の表層からはトリップさせ
別次元に切り替える装置であるから、

自らが手を掛けてあちこちに指紋が染みついているような場は
カフェにならない。

だからどんなに調度をととのえても、我が家をカフェモードにはし難く、
逆に友達の家であれば、雑然とした部屋であれ
ちいちゃい卓袱台と手作りカレーでカフェに成る。

要するにこれは自分以外の存在と交じり合いたいという
進化のための根源的な欲情にあらむ。

もしも家庭であっても、家族の1人が好きに手をかけた
場なり菓子料理であれば、他者感によって
他の家族にはカフェな風も吹く。

しかしその家族が、自分自身の趣味嗜好無意識をよけ、
誰かに合わせて設えたならば、その誰かは共感によろこびこそすれ
カフェTimeにはならない。

自分らしい空間を造りてそこに自分が居ることは二番煎じだ。

色んな情報やエネルギーに触れること。
カフェは器だけでなく、ここには知らない人も訪れて
見えないエネルギーを醸す。それを知らず受け取りながら、
世界がちょっとずつ広がる。

何だ蟹だ言いつつ、僕にはお菓子だに在れば
どこもみんなカフェ♪

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