ふろしき王子のブログ◎
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11月は暖かくて、まだ河原で葛のつるを採っていないが、
初冬の楽しみでもあるから、そのうち子どもらと行って
籠なりリースなり作ろうと思う。

自転車のカゴはしばらく無かったが、幼稚園の送迎で
リュックを入れるのに必要なので、とりあえず今朝、
使わなくなった子ども用の前座席を逆向きに
自転車の先頭に設置し、リュックを入れられるようにしました。



このような「見立て」をブリコラージュともいいます。
目的に沿って形づくるのではなく、
先に形があって、それを他用途に生かす。

その王様が、まさに風呂敷かもしれない。
カバンにするため、帽子にするためでもなく、ただ四角い布としてあって、
それをちょいと結ぶことで、いろんな物事へと機能させる。

手脚だって使途が決まっておらず、無数の働きをものす。
自然や生命はことごとくブリコラージュともいえる。

物質を構成している元素や鉱物も、ちょっとオプションをつけることで
多様な働きを備える。

オプションとは酵素であり、
たとえば亜鉛という鉱物(ミネラル)は、250種の酵素と
結ばれることで、250の働きをする。

自動車が鉱物ならば、運転手が酵素で、
同じ車でも乗り手が変われば、スピードも道筋も行き先も変わる。

風呂敷も、結び手によって様々な形と用に変化する。

かような見立て・ブリコラージュを成り立たせるには、
形を固定せず、元に戻すことを前提に、
材料を材料のまま、置場所や組み合わせを変えるだけにとどめればよい。
福笑いはパーツを糊で貼り付けないからこそ楽しめる。

固体同士を物理的に結着させるのではなく、
両者または片側が液体(可動)の状態で、自然な磁力や正負による
引き合い・結び合いをめざす。

葛のつるの籠もただ編み込むだけなので、ほどいて元に戻せるし、
うさぎの餌にしたり土に還すこともできる。

なるべく加工や抽出をせず、バランスのとれた生命体としての
素材のまま生かすことが大切。

化学合成された接着剤を使うなら、自然素材を使う意義が薄れるし、
実際に分解できないとか、燃やして有毒ガスが出るなど
生命にとって抵抗現象が起こる。

先の先の先まで考えて物を作り、選択し、できる限り、
生態系の一員のいきものとして矛盾のない生き方を求めていきたい。

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いちにち、人との交流をあっと楽しう駆け抜けて、
胸が高鳴るのか、眠れない、眠くない。
本当に一日ありがとうござった。

僕は外へ出るのがだいすきで、人と語らうのも大好きで、
そういう風にしていると、ちっとも疲れずお腹も空かず、
みなみなより元氣をいただきつづける。

目に見える手足と口でかたちを紡いでいれば、
同時に、見えない波風が導き後押ししているかのようだ。

貴方はどなた?と尋ねたくなるような、いつも見守られたる
感じがする。

思うに、それは自分なのだろう。
体がじぶんなのじゃない。
地球上に居るこの僕の身体という形・場に、
横山功という情報とエネルギーが降り立ち結ばれている。

だって、体の材料だけ集めれば動き出すってものでもない。

体という場に干渉してくる見えないものが、生命をむすぶ。

肉体と魂といえばよいのか。

たとえば風呂敷だけあってもそのままで、自然とむすばれるものでは
もちろん、ない。

誰かが結ぶ。

その誰かが、小さすぎたり速すぎたりで目に見えなければ、
あたかも風呂敷は自分で動いて包み、結ばれるように
見えるだろう。

実は人もそうではないか。
この肉や手足が勝手に動くのではなく、動かしている、
目に見えない情報とエネルギーが在る。

携帯電話の電波のように、音の周波数のように、目に見えなくたって
歴然と在るものがある。

僕が感じる見えない応援団は、自分自身であると同時に、
ここに共鳴するいろんな物物たちなのだろう。

何だか妙竹林のように感じられるかもしれないが、
本日の交流は、自分の思いを思うように伝えるごとに
ますます疲れが消えて元氣になっていったので、
この感覚を伝えるために、手探りで、つきづきしき言の葉を見出さむとしている。

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