昨夜、帰宅したとき
家族はみなお風呂に入っていた。
曇りガラスの扉の外側から顔や手のひらを付けると
見え方が面白いのか、子どもらの笑い騒ぐ声がひびく。
僕も味をしめて、ちっちゃなぬいぐるみをガラスに寄せて
とことこ動かしてみたり、
息子のトランクスをかざしつつ、ワープさせて
楽しんだのだが、
やがて、息子の虎が何やら怒っているような言葉が
漏れ聞こえてきた。
パンツをかざされ恥をかかされたと怒っているのかと思えば、
そうではなく、笑い過ぎてきもちわるくなったそうだ。
寒いから浴室の窓は閉め換気扇も回していない所で
みなで笑ったことで軽い酸欠になったのか。
扉を開けたらすぐにすっきりしたようだ。
笑い過ぎにも注意しないと。
笑うと喜ぶはまた別だが、
苦しみが強かったほど喜びも大きくなるから、喜びすぎるのも
不安定の側面がある。
真に安定していれば、割りとたんたんとしていて
感情の起伏は少なくなる。
感情の浮き沈みに引っ張られることなく、
ただやるべきこと、体が口が自然と動いてかたちや風を
一歩ずつ確実に広げていくことに時間をつかいたい。
不和をおそれて合わせあうのではなく、
揺らがない自分の姿勢を貫けば、共鳴する人だけが残って
こころや力を結ぶことができる。
見つめる先は揺らがない、ただし
伝え方や言い方は、伝家の宝刀・日本語の婉曲表現を
上手に生かし、品と凜を失わなぬようにしたい。
ことし2017年は、いはゆる厄年のようなものか
3度ほどもひどい風邪をひき、高熱や咳や頭痛に苦しんだが、
自然の経過で回復しながら心も鍛えられたのか、
秋も半ばから、ふしぎとかつてなく前向きになっていて
それを後押しする風波さえも感じられる。
受け身でゆるふわだった姿勢に、自信をもった
毅然とした対応が加わるから、
これからは離れていく人もいるかもしれない。
それは自然なことであり、みな自分の道を歩きつづけるだけのこと。
また会うかも分からないし、新たしき出会いもいっぱい待っている。
ますます、
風通しと、日あたりが、よくなってくるです。
来年のことを思う前に、
この最後のひと月、否、いつでもこの瞬間の
生命のみなぎりを、確かめととのえていこう。
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