ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



以前、まだ実家浅草に住んでいたときから、
マイ塩を携帯していた。

たまにペロペロとなめる。
身体が欲したとき。汗でミネラルが流失したとき。

色んな塩を試してきて、12年くらい前から今のお塩に落ち着いている。

塩を摂りすぎると血圧が上がるから注意する、というのが
現代的な通説となっているが、

逆に不足のリスクもある。

塩はミネラルの集合体だ。栄養も酵素もホルモンも、
最終的には情報=微細な電気信号となる。
電気を通すには、体液に鉱物が溶けていることが必要で、
それがミネラルといえる。

認知症などは、血に中性脂肪がたまって
電導率が落ちることも原因といえる。

ここからは個人的な仮説も入るが、塩と血圧の関係は
まず、高血圧の多い地域が漬け物を多食しているというが、
日本で漬け物の発達している地域は冬に野菜の摂りづらい
豪雪地帯など寒いところ。

そこでは、特に風呂上がりなどの温度差が大きく、
急に血管が縮んだときに血圧が上がって内壁を傷つけて
内出血のかさぶたで血栓を起こすケースがある。

塩は無関係となる。

ただし、塩が血圧を高めることはあるかもしれない。
なぜなら、ナトリウムは押す働きがある。
ホースを押せば水圧は上がるだろう。
特に、塩化ナトリウム99%の精製塩はその割合が高まる。

ならば、海水を焚いたような自然塩ならよいかといえば、
ニガリの影響が懸念される。

豆乳にニガリを混ぜれば豆腐になるように、塩化マグネシウムは
たんぱく質を固める性質がある。

ニガリの多い海塩を多く摂取すれば、体が収縮するから、
そのために血圧が高まることも考えられる。

塩は、醤油や味噌にして発酵することでニガリが分解される。
塩素とマグネシウムに分かれた上で、それぞれが酵素と結合する。
もちろん、きちんと発酵させたものに限る。

僕の携帯したる塩は、海の塩自体を水に溶いて有機物と酵素により
発酵させてから、低温で再び乾燥させたもので、
多種のミネラルと酵素を含みながらも、ニガリ成分は分解されている。

20代のころ、近所の小学生たちとよくつるんでいたのだが、
僕がたまにマイ塩をなめるのを見て、皆も興味をもち
寄ってきたので味見させたら、
手のひらの塩をなめては即「もっともっと」と催促されつづけた。

それを見て、現代っ子は切実たるミネラル不足ではないかと
心配にもなった。
その中で最年少だった小1の男の子が
衝撃的な感想をもらした。

「僕はこの塩だけで、いきていける」

私が浅草から引っ越すとき、10人の小学生のともだちたちに
マイ塩を小びんに分けて、イルカや貝などの可愛いシールを貼って
プレゼントした。

大切なミネラルであるし、塩は霊を払うというから御守りにもなる。

あれから、あの子たちや小びんの塩はどうなっただろう。

10年以上前だから、成人している子もいよう。

人の体液は0.9%の濃度の塩水であり、そこには35種の元素が溶けている。

それが生命を制御する電氣信号を伝え、
酵素を届ける船となる。

全身かびだらけで、両目が失明していた亀を、
昨年近所の水路で末娘が見つけ、持ち帰った。

ほとんど動かず、初めは死んでいるかと思った。
外来種のザラアシドロガメで、病氣になって捨てられたのだろう。

飼ってげんきにしたいと、長男が毎日水替えをし、
毎回僕のマイ塩をひとつまみ入れた。

ひと月後、目を覆っていたかさぶたがはがれ、目がひらいた!
でもまだ何も食べない。

ふた月め、やっと餌に食いついた!
そこからはめきめきと元氣をとりもどし、
今にいたるまで非常に活発に生きている。

遺伝子は、回復のための設計図や解決策を持っている。
ただ、それを発揮するための場、器、環境が大切だ。

環境が破壊されては、生命の制御をそこなう。

先ず環境ありき。
カエルが願えば池が現れるかもしれないけれど、
普通は、池があるからカエルが生きていける。

受け皿が大切。

人にとってその器は、体のなかの水=「水そして塩」に他ならない。

これからは暑くなって汗をかけば
ミネラルは流出する。
上手に塩分をとりましょう☆

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




薬は、草かんむりに楽と書く。
つらいときにこの草を煎じて飲んだり、塗ったりしたら
楽になった、という智恵と経験と探究の成果たらん。
もともとは薬草、野草の利用であるから、ナチュラルメディスンといえるが、
その成分のみを化学的に抽出または合成した「ドラッグ」が、
現在主に使用、流通されている。

草木を使用していても、トリカブトのように毒草は存在する。
漢方だから安全、ともいえない。

本来ヒトは、どんぐりやハマグリを食べて何万年も生きてきたので、
野草も野菜も必要ではないが、

加熱して酵素を失ったことや過食、食べあわせによって
消化に負担がかかるようになると、野草などの酵素
(消化酵素の材料)やビタミン(抗酸化物質)、ミネラル(酵素をはこぶ船)を
他から摂る必要が生じた。

そのための植物をさらに抽出、乾燥、濃縮、精製して
効果を強くしたのが薬の元と考えられる。

何かのバランスの欠如を、反対の性質のもので中和して
安定化させるので、基本的に薬は強い性質を備えている。

だから、量やタイミングや体の状態によっては、
中和を超え、効きすぎて「過ぎたるは…」の状態になる。

それが副作用(副反応)に入るのだろう。
体の症状であれば、薬は肝臓が解毒しようとする負担を
考慮し、一時的な重症化を抑えるに徹し、
回復じたいは免疫という遺伝子のプログラムに任せたらよい。

問題は、からだではなく心の病。

悩んだり落ち込んだり、絶望したり塞ぎこんだり
ストレスにさいなまれたり、というのは誰にでも少なからずある。

その解決もさまざまで、時間によって和んだり、きちんと原因が
除かれたり、誰かと和解したり、距離を置いたり、
誤解や取り越し苦労に氣づいたり…。

悩みに悩んだあとに、希望が射しこむこともある。

原因が他に存在するとき、落ち込んだきもちを晴らすために
薬(抗うつ剤など)を摂ることは慎重になりたい。

その場しのぎにすぎず、悩みの源泉はなくならない。
効き目が消えたときの揺りもどしも大きいため、
こんどは切実に薬が必要と感じて、依存してしまう。

抗うつ剤のようにきぶんを高める薬の副作用で
躁状態になりすぎると、逆の精神安定剤の処方、となるが、
そのような脳内物質を薬でコントロールしようとすると、
本来の脳からの分泌の調整が不安定になる。

冷静なひと呼吸が置けなくなり、鬱症状がつっ走れば自殺し、
躁状態が制御不能になれば、人を刺してしまうかもしれない。

効く薬ほど、裏には反作用があり、リスクも理解した上で、
緊急的な対症処置として、必要悪の最終手段ととらえたほうがよいだろう。

これは、自然のものにもいえる。
大都会の中、遠くの島の植物を蒸留したアロマオイルで
癒されるのもよいが、身近に四季おりおりの草花が繁って、
芳香がただよってくるような環境に暮らすほうが
健康に思えるし、他の人やいきものへの貢献も大きい。

ゆたかな環境というのは、材料がそろっている。
都度道具を注文して届けてもらえる便利な世の中とは異なる。
材料があれば、必要なものは自分でつくれるし、
通りがかりの誰かがつくってくれたり、自分がだれかに作って
あげたりができる。

豊かな環境は、自分だけでなく、動植物や微生物が、
自然の循環のなかで、各得意分野を、頼まれもせず
おこなって、みんなのためになっている。

クスリはピンポイント爆撃にすぎない。しかも周りに散弾するリスクがある。

穏やかかつ雄大な循環の中に身をおければ、極端なことは減る。

重い荷物をひも一本で背負えば肩を傷めるが、
表面積のひろい風呂敷の、無数もの経(たて)糸緯(よこ)糸で
分散し、受け止める筋肉も広範囲なればこそ、楽にせおい運べる。

極端なもの、自分だけ助かる、儲かる、生き残る、
勝ち組負け組などの意識は、支えあって生きる
イキモノの定石から外れてしまう。

はじめからクスリで治そうとするのは孤独です。
みんなで、げんきになろう!!

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )