昨日から微熱が出て頭痛やだるさがあったが、
「よわってる場合ではない」と心身引き締めて、都心の
用事へ向かった。
もちろん、休息をとれるときはきっちりとるべきだが、
完全に健康でないとパフォーマンスを発揮できないというのは幻想で、
そこに陥ると、ちょっとしたトラブルやストレスで
氣のほうから滅入って、体調に影響をおよぼす。
一部の病は甘えや受け身の姿勢からも長引いてしまうと
個人的な経験からはかんじる。
しかし、不調に負けるなというのは
無理をすすめるわけでは全くない。
誰に対しても、媚びず屈しない自尊の態度であるから、
空氣をよめていなかろうが、はっきりとキャンセルできる強さでもある。
たとえば、頻繁な徹夜作業が心身を披露させているなら、
「徹夜する」という習慣に疑問と抵抗をもち、
「徹夜してたまるか」と、徹夜しなくても済む
工夫や仕組みを追求する。
世界も環境も日々かわりつつある所で、
自分ばかり惰性に生きていてはつらくなってくるだろう。
抵抗をかんじることには、事なかれ主義で何となく知らない
振りをするのでなく、こまめに、自分のきもちや
身体性にあったやり方に変えていくべきだ。
たとえば
風呂敷包みの中身がふえてきて、片手では重くて
しんどいのに、我慢して持ちつづけるのは美徳といえるか。
両手で抱っこしてみたり、結び方をかえて
肩にかけたり、背負ってみたら、ちっとも苦でなくなるかもしれない。
宗教や思想、哲学にがんじがらめとられていないか。
2000年まえの教えは、2000年前には通用したかもしれない。
過去にいきるのではなく、今ひつような情報のセンサーは、
ここにいる自分の身体の感受性にほかならない。
嫌なものはイヤと、はっきり自覚すること。
静かに従っていては、どこかに悪意のあった場合に、
ただ都合よい思うままの奴隷と陥ってしまう。
負けないで、毛穴をしめて、細胞がよろこばないことは
はじき出し、宇宙の彼方へ飛ばして
天使になっていただこう。
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