ふろしきマントは、現代の街角でみかけることはほぼない。
ひと昔まえならばパーマンごっこ。
さらに前は子どものチャンバラであろうが、
なぜチャンバラにマントなのか。
侍は別にマントなどしていない。
とはいえ、道中合羽に三度笠というのはある。
子ども心にマントがかっこよく映るのは、古くは
紙芝居の黄金バット、次に月光仮面、木枯し紋次郎、
パーマンやガッチャマン、アンパンマンと至るのか。
マントを羽織っても、なかなかムササビのようには飛ばれないが、
防御力が高まる期待は持てる。
布が一層ふえるし、動き方によっては敵を撹乱できる。
また、自分を大きく見せて威嚇にもなる。
本来我々もふくめて哺乳類は、全身の毛皮がバリアになって
水や乾燥、紫外線、衝撃などから守っている。
ヒトは厚い毛皮が無いかわりに、布をまとっているから、
布にくるまれれば安心感にもつつまれる。
いちまいマントは精神を安定させ、勇氣を得られるのかもしれない。
僕はアンパンマンのようにはふろしきマントを羽織らないが、
隣の角をそれぞれ小さめに真むすびしたのを
背中にしょった形の羽織りは、雨具や防寒具として
しばしば活用している。
古くはマーガレット、今はドルマンスリーブとも呼ばれる
この形は、風が吹いても舞い上がらずに使いやすい。
夏場でも、冷房が効きすぎてさむいときに生かせる。
息子がちいさいときは、帰りみちの夕暮れに寒がると
この風呂敷羽織「ぽかぽかマント」をはおらせて対応していた。
この羽織は、そのまま買いもの袋としてもつかえる。
このように複数の機能を兼ねてしまうのは、
ふろしきはそもそも見立て(ブリコラージュ)であるからだ。
しかし、真に有用な道具とは、あらゆる機能を内包し、
見立てが可能となる。
その最たるものが、手である。
手は使いみちが限定されておらず、
かくも便利なものは無いが、
当たり前すぎて「手が便利ですき」という人も少ないだろう。
僕にとってのふろしきも、手のように一心同体であるから
もはや「ふろしきが好き」という距離感ではない。
好きなうちはまだ、対象と距離があるということになる。
そして、知ればしるほど、分からなさも深まっていくから
安易に語ることが難しくなる。
ふろしきのマントや羽織を正面へまわせば、
赤ちゃんが安心してお乳を吸える。
おっかさんも乳かくしとしてよいのだろうが、
町や電車内で胸をだして授乳させるというのは
ひと昔ふた昔まえには日常風景だっただろう。
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