ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



福島より帰り中。
今朝はうっかりエラーによりばたついてしまいましたが、
1本後の新幹線でも問題なく間に合い、
タクシー代5000円は授業料になりました。
「焦るとろくでないよ」と。

講座は無事に楽しんで進みました。
呉汁を混ぜたスミで、小風呂敷にモチーフをシルエットで描く。
お昼はさんで、午後は描いたふろしきで色々な結び方の練習。

このたびは親子で参加の企画でしたが、
家族3人のカバンを小風呂敷で包もうとしたとき、
そのままでは布が足りないので、斜めに折って帯にした風呂敷を
3つ分の取っ手に通して結んで背負うという
ロープ的な使い方が生きたので、
今後は風呂敷の帯の使い方を広げるとともに、
かねてから興味のある、輪っか状のひもの可能性を探求していきたい。
ひもはふろしきの角に結んでつなぐこともできて
相性がよい。

手ぬぐい、シュシュ、ひも、カゴなどとの組み合わせも
シンプル素材を知恵ととんち(?)で生かす
風呂敷の醍醐味がある。

宇宙はまだまだ広くて、身近にそれは待っている。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりの、携帯(PHS)からの更新です。
今日は4時にアラームをセットし、パタパタ準備して
朝風呂に浸かってから、福島へ向かっています。
県立の美術館で、午前は風呂敷に墨で描き、
午後はそのふろしきで結び方を学ぶという一日講座。
墨にはもともとニカワ(ゼラチン)が入っていて
若干水につよいですが、ここに生大豆の絞り汁(呉汁)を加えて
より定着させます。

この世の見た目には色とかたちがあるとするなら、
墨だと表面的にはカラフルではない無彩色なので、
かたちを表すほうが向いています。

なので、今回はあえて、シルエットのみを描くことにします。
影のようなもので、鳥ならトリ、魚ならウオの形を塗りつぶします。

まつ毛の長い人は、正面からの輪郭では分かりませんが
横顔なら描けるように、
まずはその特徴を最もよく表す形を探してみます。

基本的に布に墨では描き直しができないので、
先に下描きのように構想を練っておくとよいですが、
紙と布では情感は変わるので、本番は下描き丸写しではなく
生の手のものした想定外の容(かたち)も生かして、
いきいきと進めていくとよいでしょう。

キャンバスとする風呂敷は自分で縫いました。
53×55cmの、若干大きめな小風呂敷。
墨がにじみすぎない質の生地を選ぶことに氣をつかいました。

と、武蔵浦和から新幹線駅の大宮へ向かう予定が、間違えて
逆方面に乗ってしまい、ひと駅とはいえ本数が少なくて
このままじゃ新幹線に間に合わない。
それで、タクシーで高速も使って5000円かけて大宮駅に到着しましたが、
結局予定の新幹線は過ぎ去った後。

次の30分後の線でも講座には大丈夫ですが、タクシー代が杜甫ほほ。
このエラーを無駄にせず生かせるように、心に吹く風を入れ換えたり、
必然的な出逢いを期待してみよう。
そして、5000円の出費は精神的にびくともしないくらいに
ならないとなぁ。

ともあれ、きもち急いでくれたタクシーで事故もなく、
うっかり乗り違いもこの程度で済んだことを感謝すべきですわ。
そして、こういうのは何かのサインであるから、
今日はちょっと氣もちを引き締めてみよう。

昨日、高幡不動参道の和菓子屋店頭にあった
撞きたての餅を買いました。
現在妻は1才(亜依)と0才(京佳)の二人からお乳を吸われているのでして、
せっせと生産しなければなりません。

昔から鯉とかモチなんていいますが、
我が家でもなるべく質のよい卵やバターを選び、
日常それほど濃いのを食べない妻も、体が求めて美味しく感じるようです。

肉食過多の現代は、逆につまって母乳が出にくい人もいるようで、
その場合は、果物や芋や大根おろしや生姜など
あっさりしたものが向いているようです。
結局は、今何を食べたいかという体の声に従えばよい。
思考を超えた、遺伝子幾億年の経験による判断を尊重したい。

今日は、福島のみんなと逢ってきます。
そして、震災復興へのつながりを結んできたいと思います。

ちょっとしたことでも、心身に佳きことが
日々継続されたら、響きは大いに変わります。

僕がタクシーの件でちょっと落ち込んでたら、新幹線の窓から
山とお空が見えて、未確認飛行物体が浮いていたので
僕はそれを自分への応援のサインと見なし、
これからもげんきに生きていこうと感じたのでした。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




一昨日誕生日を迎え、昨夜は満月を見逃しましたけれども、
涼やかできもちのよい朝を迎えました。

いつもブログにお立ち寄りくださるみなさまへの
本日のメッセージを導いてみると、
白い・・・鳥・・・にわとり
その心は→早起き です。

9/18(木)の14時から、
多摩モノレール「万願寺駅」近くの会場で、
風呂敷も生かした古武術のワークショップを行ないます。
JR立川駅や京王線高幡不動駅から乗り換えて行く駅です。

武術といっても、人と闘って倒す目的というよりは
自分も相手も安全な護身や、筋肉に負担をかけず
骨と筋によって生涯きびきびと動くための日常動作につながる
身体操法で、どなたにもおすすめです。

大まかに決めたメニューは以下になりますが、
参加者とその場の流れによって臨機応変にいたします。

1.ハイハイで掃除
2.ハイハイと四足歩行で追いかけっこ
3.腰をひねらない、民謡の動作
4.腰に帯を締める
5.風呂敷で荷物を背負って歩く
6.自分なりの、安定した決めポーズを導く
(足腰を決めながら、上半身は自由に動かせる)
7.横たわった人を二人で持ち、安全に着地させる
8.手押し相撲、ひざをついた相撲
9.がに股であぜ道歩き(足裏と腰をきめるので、O脚にはなりません)
10.両側から腕を引っ張られながら、足腰で歩く
11.木刀
12.(手裏剣)
13.風呂敷を結んだ球をよける

基本の風呂敷むすびも練習します。

参加費:2000円(子どもは1000円)
時間:14時~16時半
集合:多摩モノレール万願寺駅の改札前に13:45です。

参加ご希望の方は、コメントまたは
メール isamix@gmail.com
までお願いします。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今宵は十五夜らし。
先日母子退院し、我が家は5人となった。
妻がだんごを欲しいというので、今日出張した
世田谷区千歳船橋駅前の和菓子屋で月見団子を買ったら、
尾花(ススキ)も頂戴した。



月が見えるかは分からないけど、家の周りからは
コオロギ多重奏が夜長を彩っている。

生まれて間もない京佳とくらべたら、1才の亜依は
お団子のようにむちっと見える。

そういえば、明日9/9(火)は、母が私を産んだ日だった。
年月は流星のごとく過ぎていく。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




醗酵は、微生物の命の営みといえるが
土の中ではたえず地表から浸透した有機物の分解という
醗酵が行われていて、そのいのちの響いたるエネルギーこそが
植物を育てる。
単に、微生物の酵素によってイオン化された養分を吸収して
生長するという単純なものではない。

からだは窒素由来のたんぱく質で成り立ち、活動のための燃料は
光合成で産生したブドウ糖(でんぷん還元)であるけれど、
そういう材料を流す道をいつもスムーズにメンテナンスする
電子(電子が足りないと酸化して朽ちていく)は、
生きて動きのある場こそが生み出している。

だから、どこかで醗酵させた堆肥を持ってきて
土に混ぜても、現場は醗酵するような環境でなければ、
栄養分はあっても、植物の元氣の源にはなり得ない。

似た例えとして、温泉は、温泉が湧き出ているその土地の
エネルギーをもらってげんきになるものなので、
湯だけ汲んできて浴槽に移してへえったところで、
現地でもらう効能とは天地の差があるだろう。

要するに、場のエネルギーが共鳴する。

畑にしても、先に土の醗酵している環境があって、
そこに野菜の種が蒔かれることで、自然な醗酵熱
(一般的な切り返し堆肥のように70度近くにはならない)
によって発芽し、はじめもおわりもなく
つづく食物連鎖の中での醗酵の養分、電子を受け取って
育っていく。

わが家の裏庭はどんな性格の場であるか。
どんな醗酵をかもしているのか思えば、
日当たりが少ないし、川も近いゆえに
若干、暗くてじめじめ系に入る。
そうなると、基本的に野菜向きではない。
常緑樹の苗木を育てるにはよい。
石など積んでおけば蛇も住める。
晴れた草はらのバッタよりも、枯れ草の裏のコオロギ。
何しろ、来たときはほとんどドクダミばかりに覆われていた。
葉の広いのは日蔭につよい。

一方、二階のベランダは日当たりがつよく、乾いている。
植物を育てるにしても、このままではサボテンやアロエ向きで、
野菜ならばもっと土部分の湿度を保つ必要があるので、
木箱の中に鉢を入れるのと、ヨシズで微妙に日蔭も用意したらよい。

一般的に野菜に向くのは、日当たりが十分なのと、土の保湿性が高いこと。
水分と熱があれば、醗酵しやすくなる。

こういう観点では、中身も大事だけど、もともとの器の特性を合わせなければ
内容も共鳴せず、持ち味を発揮できない。

出かけるなら、人や命の生き生きしているところがいい。
消費よりも生産の場。
漁港とか、すてきな畑、評判の定食屋、美しい森、子どもが生物を探す水辺。
そこの、産み出すエネルギーをもらって、自分もげんきに動きたくなるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




度々ここにも書いていますが、僕は
女性は黒髪ストレートでベリーロングを至上としている。
白髪や天然パーマという自然現象なら
もちろんそのままでよいが、
染める、パーマ、バッサリ短く切っちゃうのは
もったいないと思う。

なぜなら、髪は受発信のアンテナであり、
いま自分に必要な情報をキャッチしたり、
自分の思いを無意識に届ける機能があると考えているから。

そんなに長いと作業のじゃまになる、と思われるかもしれないが、
その時に合った髪型に結んだらよい。
長いほど多様な髪型をたのしめるし、
結ぶことで、その場に合ったアンテナの形にすることができる。

選択肢から何かを決定するときは一つに束ね、
たくさんの情報を集めるときはいくつかに結う。
そのままおろしておくと、大地から地球の今を得る。

切らずに結んで容(かたち)づくるのは
風呂敷にも通じる。

毛染めもパーマも何かの表現となるが、表面的な発信が主になる。

細胞の意思による受発信のアンテナとなり得るのは
あるがままの自然な髪ですが、よいものも、そうでないのも受け取るために
しんどい時は髪を切っちまう人も多い。

だけど本当は、そのままの長い髪でも
ストレスなくやっていける環境やライフスタイルを見つけたほうが
結果的にしあわせになりそうだし、
一時的に護るためには帽子をかぶって
髪を隠せばよい。

髪の洗い方は、
冬:水で洗い、水で流す
春秋:湯で洗い、水で流す
夏:少し重曹を溶かした湯で洗い、水で流す
上記は、下にいくほど皮脂を落とす力がつよい。
冬場に落としすぎると乾燥してフケが出たりする。
夏場は汗かいてべたつきがちなのでそれなりに落とす。
どのときも、水で引き締める。

石けんは落としすぎるし、シャンプーはシリコンコーティングされ
頭皮窒息し薄毛につながる。

また、日頃からつげ櫛でカミを解いておくと、
汚れをとる、髪間に酸素を送る、頭皮血行がよくなる。
抜け髪がたまらなくて清潔だし、プラの櫛のように
静電気が起きず優秀。

できればシャワーよりも、湯舟にためた湯や水をすくって
使う。
塩素を吸い込まないように。

浴槽に水をためるときは、蛇口に目の細かなフキンの
折り畳んだのをかぶせて(ゴムなどで留めて)水を出し、
赤錆をとったらなおよい。
あんまり赤く色付くならば、配管を新しくしたり
タンクの掃除をしましょう。

さらに温めを上げるなら、近所の川原へ出向き、
ちいさき石ならひとつ100円玉、ちゅっくらいなら500円と交換に
丸石を数種類拾ってきて(硬貨はうずめておく)、
金網に乗せてガスコンロで焼く。
その石たちを湯に入れると遠赤外線が出る。
川の石はきちんと何かと交換したほうがよい。
海は大丈夫そうだけど。

入浴剤は入れなくてもよいが、体がべとつくなら重曹、
リセットしたいなら自然塩。

髪はきちんと乾かしてから寝る。
自然乾燥がよいが、ドライヤーは熱くなりすぎないように。

何だかいろいろ書いてしまいましたが、
とにかく、髪ってものはすごく大切じゃと云うこと也。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




全身で体験したことは、メモをとらずとも忘れ得ぬ。

だから逆に、忘れちまったのは大したことじゃない。

覚えていることが、必ずしも佳き経験とは限らないけれど、
身をもってものした分、それを真に生かすことできよう。

色んな人のゐるもので、それは生まれ育ちによる
地(じ)の氣質なのか、それともタマタマその方が今決めて
演じている生き方に依るのか。

人により何らかの弱点や短所がもしあるとするなら、
弱点をそのまま出すんじゃなくて、弱点の生かし方を追及したらよいかも。

怒りっぽいシトは、家族や友達に怒るんじゃなくて、
世の中に広く目を向けて、社会の中で理不尽や不義理なことを
知って怒りを感じるとともに、それを伝えたり改善する原動力に
おこりんぼパワーを使ったらいいさ。

怠け者ならば、一人おうちにこもってなまけるんじゃなくて、
無理をしすぎない穏やかな生き方を
誰もが採り入れられるような
暮らしの中のちょっとした知恵を練ったりして、その先駆者になんて
ならないものかは。
楽せむが為の努力は惜しまない、ではないけれど。

性格のくら~い人は、逆にわざとらしく明るくないカウンセラーになれるかもしれないし、
何でも最悪に考えられるのは危機管理のプロかと。
困った人と共感しあえる優しいひと。

お金の無いひとは、面白くなるほど極端で独創的な節約術を
あれこれと編み出して、ブログに記録。
いつしか本に。
たといその本がよく売れたとしても、
そもそも貧乏を抜け出したい発想はないから
驚くような使途でつかい切り、リアルの中でインスピレーションを得つづける。

うっかりドジしてばかりの人は
ムードメーカーとして許される環境が向いているかも。
心の問題を抱えて深刻にしている患者さんや生徒のいる施設であれば、
薬を打つよりも、そういう肩の力が抜けちゃう人が身近にいることは
有意義と思われる。
あとは、お笑いの道もあり。一流の芸人でないとしても、
自らのドジネタの宝庫で、みんなを笑わせて各所を回ったり。

僕はボーッとしているので、
ぼーっとできる環境にあると生き生きする。
電車で長時間座ってたり、長い距離を歩いたり、ベンチで待ちぼうける。
そんな折々に降ってきて、かみのけでキャッチした情報を
僕は生かしていきたいと思ってる。

短所も長所も本当は存在しない。
動植物もみなみな、自ら生まれもった天分の生きる環境に
棲み分け、共生している。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )






長男は虎之介と云う。
2010年1月3日、とら年の正月に
予定よりひと月半近く早く、しかも
当時の小平市の自宅前の救急車の中で誕生。

女の子が産まれると思ってて、青沙(あさ)を用意してた。
青がすきで使いたかったのだ。
そこで、男児で青虎 (あおと)にしようとしたが
父から「名前に意味がない」と反対を受けて
虎之介に至る。

今思えば、青児という名前もあるし、青は若いという意もあれば
青虎はわかいトラという、内実やんちゃだけど
青で見た目静まっているなまえではある。
ともあれ、今は虎之介がぴったりだ。
早産だったので
干支のトラの助けを願って「とらのすけ」になる。




次の長女は、2013年8月9日、
予定より一週間はやいものの適正体重でうまれる。
府中の産院に着いて1時間。
亜依(あい)というが、愛でもあり藍、
また夫婦があきこといさおなので
初めをとると「アイ」になる。
一人めは2才くらいまで母乳を吸いていたが、亜依がまだ
数ヶ月のうちに
3人めを身籠って、乳の出が減ったので
粉ミルクと併用になる。
そのためか、甘えんぼで優しくて慎重派の長男と違って
自立心に富み、活発でおてんばの風がある。
第三子誕生とともに母乳が甦ったので
年子で1才の亜依はふたたび飲みはじめている。




そして三人めは、おそらく京佳(きょうか)になる。
2014年8月30日うまれ。府中の産院に着いて1時間。
もともと、佳なみ(かなみ)を用意していたが
どうもかなみたる顔じゃあない。
妻は前から京という字がすきと言っていたのでこうなった。
子どもは名前を選んでくるというから、
あれこれ名付けで紆余曲折するのも
子の意思によるコントロールかも。

虎、あいちゃん、お京の3人で、ときに力を合わせて仲良くやってほしい。
家を出るまでは、家を出られるように
環境を調え見守ろう。

老後は決して世話をかけぬ。
自然に任せて朽ちていきます。

ただ、出産前後は人の手が必要なので、
そういう所は頼みに応じて助太刀したい。

現代の妊婦さんも大変だ。
学校卒業後は、多くの女性が当然のごとく就職するから
晩婚と高齢出産になりやすい。
また、核家族が多く、親が遠かったり里帰りできないと
負担がふえる。

日本が本当に少子化を改善したければ、
三世代同居家族に対する減税や
出産費用の補助、給付、
共働きが難しくなるので児童手当ての見直し、のように
フランス並の政策があるとだいぶ違うと思う。

もちろん、子を産みたい、育てたいという思いと責任感が大切だが、
意思を左右するのも世の中の仕組みの影響がつよい。

冷蔵庫に何もなければ、食べたくても食べられないが
たっぷりごちそうが詰まっているのを
意志力で我慢するのは難儀するように、
仕組みは思いより強力。

世界的に人口が増えすぎているとはいえ、日本は減っている。
高齢社会を支えるとか、経済を回すために消費者は多いほどよいという考えもあるけれど、
お金や人数の問題よりもまず、人という生き物として、
自然現象である妊娠出産育児がしやすい環境や社会は
誰にとっても優しいものでしょう。

いのちの根っこをおろそかに、または食い物にする
行政、事業、教育、思想があるとするならば、
酸化・腐敗・滅びの方向へ近づいてしまうだろう。

援助ではなく、援助しなくてもやっていける仕組みを築くこと。
それはむしろ、余計なことや無駄なことを洗い落とすことからはじまる。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




今日も庭も近隣にも百日紅の咲きそろっている、
八月最後の土曜日、曇って涼しめな朝にまどろめば、
妻は深夜から幾度か不定期に腹の痛むと言うから、
産院に電話し、また陣痛タクシーなるサービスを呼び
府中にある産婦人科へお腹の子と三人で向かう。
家では長男虎之介と長女亜依が、彼/女らの母方の祖母と留守番。

タクシーはすぐに到着したため、急いでいつもの風呂敷バッグにあれこれ詰めた後
スニーカーを履くいとまもとれず、やっぱり夏の相棒たる下駄で出る。

8:25ころ産院に着き診察すると、すぐそこまで赤ちゃん来ていて
院長さん「家で産まれなくてよかったね」という。
まあ、行く行くはみなが自宅で安心出産できる
ライフスタイルへ世の中変わったらよかと思うが。
さて、そんなこんなで9:29にはスルリと安産。
頭が出ると、身体はスムーズに抜ける。
げんきに鳴き出して安堵。
螺旋状のへその緒がつづいている。
産まれた赤ちゃんに出逢ったときは、知らず、涙がこみ上げるところのあったものの
むしろ静かに坦々と見ていた私だったが
助産師さんから「臍の緒はお父さんに切ってもらいましょう」と
ハサミを手渡された。
個人的には、産まれてしばらくしてから切るほうがよいと
考えているが、よく泣いて肺呼吸へ移っているし
郷に従うわけで、ハサミを頂戴する。

それでも突然たる断絶は無情なので、ゆっくりと刃をすすめた。
同時に何本ものコードを切るごとく、しっかりした管である。

その後、残った緒を引くと、今度は胎盤がのるっと出てきた。
薄白き膜に覆われたて、中は赤い血管が縦横に集積された
スーパーコンピュータのごとき器官。

胎盤も風呂敷も、必要なときに形を表し、
目的を果たせばほどけ去るところが似ている。
現場に血生臭さは皆無で、きっと清浄な胎内環境だったろう。

女性ならむと聞きしかば、横山佳なみ(かなみ)たる名を
準備したれども、我が父は漢字とひらがな混ざらぬがよきと言うし
実際の顔(まるこい)見れば、佳なみでもない。そこで、
横山京果(きょうか)となむ名付ける。

生まれいでて間もなく乳を盛んに吸いはじめる様、
早食の父、多食の母親に似たるかも。

ともあれみな無事元氣にありて落ち着きつつも、
自宅で待機の幼な児の世話や弁当つくり、
ほぼ毎日の出張仕事に追われ、仙台からの義母が
泊まり掛けですけてくださっている。

我が子だからと特段区別はなく、親は子の所有主にあらざって
一時預かりに過ぎない。
みなと協力して社会で楽しく生きられるよう、
囲い込まず、自発するように見守ろう。
巣立ちの日まで。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今日は息子幼稚園休むのに、忘れてせかせか弁当を用意していた。

子どもは本能に優れているから、基本カロリーの高い食べ物を好む。
里芋と唐(さつま)芋なら、糖質の多い後者を選ぶし、
肉ならササミより脂肪の多いもも肉を好く。
氷河期を生き抜いてきた生存本能だろう。
子に限らず、多くの人は甘くて油のあるものに舌をなめずり、
ごちそうとされるものもたいていそういうもの。

弁当作るのもひと手間なのでして、個人的にはご飯に梅干しの
日の丸弁とでよいと思うが(蛋白質は夜とればよい。野菜もその消化を助ける補酵素)
子どもの世界は周りと比べて氣にする所があるから
現代はちょっと工夫が要る。
玉子焼きくらい練習するかな。
あとは海苔おむすびと漬物があれば大丈夫。

僕は今日も、混みこみたる奴隷鉄道に乗って街へ働きへ出ている。
もっと列車の数が多ければ空くだろうが、増やせないのは
燃料コストの問題と、通勤する方の各企業や学校の始業時間によるだろう。
午前出勤と午後出勤に二分することで、集中力を上げたり
見聞や視野を広げる余暇時間をふやせると思う。
同時に、電車の電気の燃料が水(水由来の水素と酸素)になれば
燃料費はぐんと下がって、通勤も悠々となりぬべし。

学校も、自分の考えを巡らすよりは
暗記で点数のとれる評価。
僕は氣が小さいために、赤点をとったらお仕舞いだと教師に脅されて以来
中高6年間、試験前の徹底的な丸暗記によって高順位に
位置しつつも、試験終了とともにさっぱり忘却していた。

きちんと覚えているのは、友達の少ないバス通学中、
詩歌を詠むために自発的に学んだ古典文法くらいだ。

恥ずかしながら、本当の実地の学びへ向かいはじめたのは二十歳を過ぎてから。
先にものや現象の体験があって、学問はその後に付いてくるもの。
また、必要や興味に迫られて紐解くもの。

レシピは覚えるものではなく、いずれ生じてきてしまうもの。
もちろん我流の思い込みや誤解も出てくるが、
まずは自己流、自己満足でも、自分なりの理屈でかたちにできる処から、
学問の扉がひらく。 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




せみ時雨は止んで、毎夜コオロギたちの多重合唱会がつづいている。
産院の母子は明日帰宅する。

僕は毎朝、息子の幼稚園の弁当をこさえる。
昨日のご飯を蒸しておむすび、あとはミニトマトと茹で卵を入れた初日は
おかずの種類が少なく感じたそうなので、翌日はわかめ入りのおむすびに
煮物の残り、豆腐の肉団子、ミニトマト、茹で卵にした。

僕も今週は毎日7時に出かけるため、朝はパタパタ。
卵をうでる湯の上にセイロでご飯をふかす。

一方自分は、朝は果物などつまみ、昼はクラッカーにりんごジャム程度とシンプル。
糖質さえとれば体は動くが、摂りすぎては眠うなる。
夜は若干たんぱく質を摂り入れる。

幼稚園へは、お母さん友達が送迎をしてくれて助かる。
一歳の娘は義母がいま仙台から、すけに来てくださっている。
色色ばたばたと時間に追われながらも、体調さえ何とか調えれば
習慣として慣れるもの。ただし、我慢やストレスに慣れた振りになるのはよくない。

常々思っているのは、面倒くさがりや怠け者こそ、佳き世の中をつくると。

生真面目に従順に、指示通りに従うだけでは
無駄なことや非効率があっても改善されぬまま過労する。
頑張る人間しか暮らせない社会になっちまうと、
けがや病気や障碍、老齢を抱えた方は生きづらくなる。

もし怠け者が、そんな自分でもやりよいように
様々な無駄をなくしてシンプルな仕組みにあつらえたなら、
移動時間がもったいない近所で商売するとか、
外交も面倒だから、欲しい人に来てもらう、宣伝しないからこそ質をよくする。
複雑に手間をかけたくないから、はじめからよい素材を選ぶ
ていう風に、進化の鍵をにぎるにゃ、役立たずや駄目人間方なんだ。
そういう人物が、嫌なことはしない代わりに、
やることは素直に氣持ちよくするから、重くて疲れる空氣を世界にけつからない。

以前チャボを飼っていたとき、毎日の鶏小屋の掃除が面倒くさくなったので
上野公園から落ち葉をどっさり集めてきて敷いたら、
糞は虫や微生物に分解され、臭わず、
餌になるミミズも繁殖し、楽でよい状態となった。

これを律儀に毎日掃除して、かき集めた鶏の糞や餌の残りを
ごみに出すというのは、地球の仕組みとして自然だろうか。

そんなこんなで、僕もなるべく真面目ぶることなく、
誰もが易しく回していける世のために
マイペースを続けようと思っています。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »