いちにち、人との交流をあっと楽しう駆け抜けて、
胸が高鳴るのか、眠れない、眠くない。
本当に一日ありがとうござった。
僕は外へ出るのがだいすきで、人と語らうのも大好きで、
そういう風にしていると、ちっとも疲れずお腹も空かず、
みなみなより元氣をいただきつづける。
目に見える手足と口でかたちを紡いでいれば、
同時に、見えない波風が導き後押ししているかのようだ。
貴方はどなた?と尋ねたくなるような、いつも見守られたる
感じがする。
思うに、それは自分なのだろう。
体がじぶんなのじゃない。
地球上に居るこの僕の身体という形・場に、
横山功という情報とエネルギーが降り立ち結ばれている。
だって、体の材料だけ集めれば動き出すってものでもない。
体という場に干渉してくる見えないものが、生命をむすぶ。
肉体と魂といえばよいのか。
たとえば風呂敷だけあってもそのままで、自然とむすばれるものでは
もちろん、ない。
誰かが結ぶ。
その誰かが、小さすぎたり速すぎたりで目に見えなければ、
あたかも風呂敷は自分で動いて包み、結ばれるように
見えるだろう。
実は人もそうではないか。
この肉や手足が勝手に動くのではなく、動かしている、
目に見えない情報とエネルギーが在る。
携帯電話の電波のように、音の周波数のように、目に見えなくたって
歴然と在るものがある。
僕が感じる見えない応援団は、自分自身であると同時に、
ここに共鳴するいろんな物物たちなのだろう。
何だか妙竹林のように感じられるかもしれないが、
本日の交流は、自分の思いを思うように伝えるごとに
ますます疲れが消えて元氣になっていったので、
この感覚を伝えるために、手探りで、つきづきしき言の葉を見出さむとしている。
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