先住民族関連ニュース

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豊浦のカムイチャシが国指定名勝へ、年度内にも決定

2010-12-12 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年11月23日(火)朝刊】
豊浦町礼文華にある遺跡で町の文化財となっている「カムイチャシ」が、文化庁の文化審議会から国指定名勝「ピリカノカ」に追加するよう、文部科学省に答申された。年度内にも正式決定する見通しだ。
 ピリカノカとはアイヌ語で「美しい・形」を意味し、アイヌ民族の文化的背景と結び付く名所的、学術的価値の高い景勝地群の総称で、国が昨年度から指定している。
 カムイチャシは同じく「神の・砦(とりで)」の意。大岸と礼文華のほぼ中間に位置する噴火湾に突き出た茶津岬上にあり、周囲は海上約30メートルのほぼ垂直の断崖(だんがい)となっている。「天然の要塞(ようさい)」として戦闘用の形態を残し、祭場や見張り台の役割もあったと考えられている。
 道内にチャシは約480カ所を数えるが、町では多くの文献資料を収集し、アイヌ文化の伝承地としての重要性を検証。数百万年前の火山活動で形成された基盤地形の特異性や保存状態の良さ、周辺の荒々しい海岸美を含めピリカノカへの指定を目指しPRしていた。(菅原啓)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/11/23/20101123m_08.html

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ヒグマを学ぶ連続市民講座

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報2010年11/22)
 市民団体・恵庭フットパスをつくる会(瀬川真弓代表)は、ヒグマのことを知る連続市民講座を、恵庭市内で始めた。「ヒグマを知り、学ぶことで、豊かな自然を守っていきたい」と企画。23、27日(午後2時)にも、夢創館で開催する。
 20日に開講し、会場のえにわ市民プラザ・アイルに約40人が集まった。松田忠義恵庭造園土木代表取締役会長、谷上嶐千歳文化財保護協会理事、庄田洋環境NGOエコスクール北海道代表プロジェクトマスターの3人が、「盤尻のヒグマとアイヌ民族」をテーマに討論形式で講演した。
 松田さんはヒグマの生態をはじめ、アイヌ民族の「クマ送り」の儀式を紹介。「(恵庭は)明治の開拓で山が丸坊主になり、昭和29年ごろまでヒグマはいなかった。豊かな自然が盤尻にあるのでクマが戻ってきた」と述べた。
 市民講座は参加料1回500円(高校生以下無料)。23日は岩見沢市の写真家・伊藤健次さんが「北海道の自然とヒグマ~スライド&トーク」、27日は自然林再生ネットワークの前田菜穂子代表が「ヒグマが育てる森」をテーマに、約1時間半講演する。
 参加希望者は当日、直接会場へ。23~28日は夢創館で伊藤さんのヒグマ写真展「いのち巡る森」も入場無料で開く。問い合わせは、つくる会 電話0123(36)7343。

http://www.tomamin.co.jp/2010c/c10112201.html

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アカハラ こじれて裁判に

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年11月22日11時28分)
大学などの研究機関で起きる「アカデミック・ハラスメント」(アカハラ)。深刻な人権侵害として対策を構える大学が増える一方、加害者とされた人が法廷で処分取り消しを求める裁判が相次いでいる。外の風が入りにくい大学特有の環境もあり、こじれるケースが多いようだ。

■「加害者」准教授が勝訴 大学側控訴、遠い解決
 今月12日、札幌地裁。学生にアカハラをしたとして懲戒解雇された北海道教育大旭川校の男性准教授3人が、解雇の無効を求めた裁判の判決があった。
 3人はアイヌ語の研究プロジェクトに学生たちを手伝わせていた。この中で「学生たちに多すぎる課題を強制して長時間拘束した」「学生たちをマインドコントロールした」「幻覚症状など心身の調子を崩す学生を続出させた」などとして、大学が09年2月に諭旨解雇を通告。3人が退職願を出さなかったため翌3月に懲戒解雇にした。
 3人は「アカハラはなかった」と主張し、同月に提訴した。その結果、勝訴したのは准教授たちだった。裁判所は「(准教授たちが)学生たちに作業を半ば強制した」と、大学が解雇理由に挙げたハラスメント行為の一部を認めた。だが、「作業しなかった学生に不利益を課すような積極的な人権侵害に及んでおらず、懲戒解雇はふさわしくない。懲戒権の乱用だ」として、大学に解雇の無効確認と賃金の支払いを命じた。
 判決後の会見で、大学の後藤嘉也理事らは「厳格な調査と学内の規則に基づき、きちんと処分した。判決は到底受け入れられない」と話した。判決が「減給や停職などの軽い処分を選択せず、解雇を決めたのはバランスを欠く」と指摘した点については、「軽い処分で大学に残ったら同じことが繰り返されると判断した。被害にあった学生たちも3人が大学に戻ることを恐れている」と反論した。
 結局、大学側は15日に控訴。判決が確定しないため、状況は変わらないままだ。
 労働ジャーナリストの金子雅臣さんは「大学は学部や研究者ごとに指導や教育のやり方が異なり、ハラスメントがあっても内部の人間だけで厳密な調査と処分をするのは難しい。担当する教職員も調査や組織運営に慣れておらず、結果として対応が過剰になることもあるのだろう。調査や処分の過程に外部の人間を参加させたほうがいい」と話す。

■相談窓口 できたけど 定義、各大学まちまち
 そもそも、アカデミック・ハラスメントとは何なのか。NPO法人「アカデミック・ハラスメントをなくすネットワーク」(大阪市)は「研究教育の場における権力を用いた嫌がらせ」と定義する。
 具体的には部下の昇進や研究の妨害、学生の論文への指導放棄や必要以上の叱責(しっせき)などが挙げられる。人事や指導の権限が「ボス」研究者に集中しやすいうえ、研究室の独立性が高いという大学特有の環境が背景とされる。このNPOで受ける相談は年間約200件。ここ数年は横ばいが続く。
 同ネットワークによると、アカハラという言葉が使われ始めたのは1990年代後半から。当初は「大学内のセクハラ」の意味でも使われたが、04年ごろから区別されて定着し、各大学も相談窓口や対応についてのガイドラインを整え始めた。だが御輿久美子代表理事は「アカハラの定義や調査方法は各大学でまちまち。制度ができても運用は万全と言い難い」と話す。
 文部科学省は99年、セクハラ防止に取り組むよう全国の大学に通知したが、アカハラについての通知や実態調査はしておらず、国としての対策はとっていない。
■「調査に不満」教員側の提訴続々
 被害者が声を上げやすくなった一方、北海道教育大旭川校のように、加害者とされた教職員が調査結果や処分に納得せず、訴訟に発展するケースが相次いでいる。
 東京外国語大(東京都府中市)では、指導していた元院生に「論文を書いても見ない」と発言したなどとして出勤停止処分を受けた准教授が10月、処分が無効であることの確認と2200万円の損害賠償を求めて、東京地裁立川支部に提訴した。准教授は「元院生が修士論文の下書きを盗作したのを注意したのに、不当に処分された。学生がハラスメント調査を申し立てたのは指導教員を代えて安易に修了するため」と主張している。提訴について大学側は「裁判の中で大学の正当性を明らかにしたい」との談話を出し、争う姿勢を示した。
 処分そのものでなく、その後の大学の対応について争われた例もある。佐賀大(佐賀市)で学生へのハラスメントで停職4カ月とされた農学部の准教授が、処分後も「ハラスメント再発の恐れ」を理由に研究指導から外されたことに納得せず、佐賀地裁に訴えを起こした。地裁は今年7月、「無期限停止措置になりかねず、学生を指導する原告の権利を不当に制約する」と判断し、大学などに慰謝料30万円を支払うよう命じた。大学側は控訴している。
 加害者とされた大学教員の代理人を務める弁護士の一人は「不利益な処分につながるのに大学から訴えの内容や証拠が開示されず、調査される側の防御が保障されない仕組みになっている。事実関係を争っているときに、証拠を見ようとしたら、裁判を起こすしかないのではないか」と指摘する。
 同ネットワークの御輿代表理事は「被害者が再び研究に打ち込めて、アカハラが再発しない環境を整えることこそが解決だが、その目標をイメージできていない大学が多い。調査して加害者を処分するだけがゴールではない」と話している。(根岸拓朗、芳垣文子)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201011220130.html

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【白老】丸木舟を送るイワクテ 13年ぶり復活アイヌ儀礼

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 11/20)
 役目を終えた「物」に宿る魂を神の国へ送るとされるアイヌの儀式「イワクテ」が22日、白老町のアイヌ民族博物館(野本勝信代表理事)で行われる。13年ぶりという。博物館は「アイヌ文化の根源を知ってほしい」と、一般の来場を呼び掛けている。
 アイヌには「この世に存在するすべてのものに神が宿っている」という考えがあり、熊送りのイヨマンテはよく知られている。イワクテもその一つ。博物館は1992年、95年、97年の3回、丸木舟やチセ(家屋)を送った記録がある。
 22日のイワクテは、館内に展示されている丸木舟(チプ)3そうのための儀式。カツラ材で、作られてから15~20年たち、老朽化して舟尾に穴が開いてしまった。
 儀式は、舟に傷を付けることから始まる。ニマムカムイ(舟の神)の魂を解き放つ、といい、細かく解体し、感謝の祈りをささげる。解体された舟は、まな板として新たな役目を得る。古くからそうしてきた、という。
 祭主を務める博物館の山丸郁夫伝承課長は「物を大事にするアイヌの精神文化を学んでもらえたら」と話している。イワクテは22日午前11時から、博物館ポロチセで開かれる。

http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10112001.html

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函館・垣ノ島遺跡 史跡に 富士山など計11件 文化審答申

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 11/20 09:20)
 文化審議会(西原鈴子会長)は19日、日本を代表する山岳信仰の対象である富士山や、函館市の垣ノ島遺跡など11件を新たに史跡に指定するよう高木義明文部科学相に答申した。また、名勝に指定されているアイヌ文化由来の景勝地群「ピリカノカ」に、オホーツク管内遠軽町の瞰望岩(がんぼういわ)と胆振管内豊浦町のカムイチャシを追加することも盛り込まれた。いずれも年度内に正式決定する見通し。
 垣ノ島遺跡は縄文時代の遺跡が多数発見されている函館市臼尻町(旧南茅部町)地区でも最大規模で拠点的な集落跡とみられる。縄文早期前半から後期後半までの集落が途切れることなく見つかっており、北日本の縄文遺跡を考える上で重要な位置づけにある。同遺跡の指定で道内の史跡は51カ所。
 名勝に追加指定される瞰望岩はアイヌ語で「インカルシ」といい、意味は「見張りをするところ」。かつてアイヌ民族同士が戦った戦場で、遠軽の語源になったとされる。「カムイチャシ」は「神のとりで」という意味で、アイヌ民族の神聖な祭場、海上の見張り台といった役割があったとみられている。
 ピリカノカは「美しい・形」を意味する、アイヌ文化由来の景勝地群の総称。これまで名寄市の九度山(クトゥンヌプリ)、石狩市の黄金山(ピンネタイオルシペ)などが指定されており、今回が5、6番目の指定。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/culture/260939.html

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【白老】博物館の朴さんが鹿児島大准教授に

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2010年 11/19)
 白老町のアイヌ民族博物館の韓国人研究員朴炳宰(パク・ビョンゼ)さん(39)が、12月から鹿児島大学農学部准教授に就任する。博物館在任8カ月。アイヌ文化の学習のほか、多くの町民とかかわってきた。「いつまでもこの町とかかわりを持ち続けたい」と話している。
 朴さんは韓国の大学を卒業後、鹿児島大大学院で農学博士号を取得。北見工業大の研究員(2006年から)を務めた後、白老町にやって来た。
 博物館勤務は4月から。先輩職員からアイヌ文化を学ぶ傍ら、韓国人観光客への展示解説や韓国プロモーションの通訳、職員・町民向けの韓国語講座も開いた。「自分の知識も役立てたい」と、野草研究の経験を生かして、町内に多く自生するツルニンジンやドングリが薬膳(やくぜん)食材になる、と提案、そこから町商工会の「山野草リキュール」や、授産施設フロンティアの「うどんぐり」が生まれた。休日は山菜採りに出掛け、畑でツルニンジンも栽培した。
 白老生活を、「あっという間に感じるほど、たくさんのことが体験できた」と話す。薬膳メニューの開発を挙げて、「野草でまちおこしをしたいという町民の行動力や熱意が伝わってきた」とも。
 鹿児島大で赴任後も、食のアドバイザーとして白老町とかかわっていきたい、といい、「白老はほかの地域に比べ山の食材が豊富。活用法はまだたくさんありますし、町民や行政がそこにもっと目を向けてほしい」とも話した。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10111902.html

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貴重な文学、演劇資料を寄贈 故永田秀郎さんの遺族「研究に役立てて」

2010-12-12 | アイヌ民族関連
(北海道新聞11/19 14:35)
 釧路の演劇と文学の発展に尽力し、昨年8月に亡くなった故永田秀郎さんが所蔵していた膨大な資料が、遺族から釧路市に寄贈された。市は構想中の文学館の資料として活用する方針で、関係者は「貴重な資料が次世代に継がれることで、新たな作品が生み出される種になれば」と期待を寄せている。
 永田さんは1934年(昭和9年)、釧路市生まれ。市内の高校などで国語の教諭を務めながら、市民劇団の代表や釧路演劇協議会会長としてアマチュア演劇の振興に貢献した。
 文学では文芸誌「釧路春秋」編集長や、市が整備を計画している文学館の構想研究懇話会の座長も務めた。
 寄贈された資料は昭和初期の戯曲全集などの蔵書のほか、主宰した劇団「どらま・ぐるうぷ」の会報、親交のあった釧路ゆかりの劇作家佐佐木武観(たけみ)さん(1923~2000年)との友情がうかがえる書簡も。永田さんは、明治から大正にかけて釧路市内でアイヌ民族の教育に尽力した永久保秀二郎の研究にも力を注いだ人で、アイヌ民族の歴史などを記した大正時代発刊の「アイヌの足跡」といった資料もある。
 釧路演劇協議会現会長の永田政允(まさちか)さん(70)は「正確な数はわからないが数千点に上るのでは」と話す。
 資料はいずれも9月に、埼玉県在住の長男永田秀一さん(49)ら遺族が市に「演劇関係者や研究に活用してもらえれば」と寄贈した。現在はまだ市内住吉の自宅にあるが、これまで文学館開設のために市民から寄贈された他の資料を保管している旧釧路柏木小に運び込み、演劇協議会の有志が協力して整理作業や目録作りに当たる。
 市教委生涯学習課の高木まみ専門員は「釧路の文学や演劇活動の歴史を知る貴重な手がかり。多くの人が活用できるよう整理を進めたい」と話している。(坂本有香)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/260851.html

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