(朝日新聞 2010年12月19日10時26分)
作家の津島佑子さんが新作『黄金の夢の歌』(講談社)を刊行した。近年、アイヌ口承文芸の仏訳に取り組むなど、文字ではなく歌として伝えられてきた世界の豊かさを紹介してきた津島さんは、そうした歌を「夢の歌」と呼ぶ。「夢の歌」は、民族としてだけでなく「誰の体にもある」と言う。新作はキルギスの英雄叙事詩「マナス」の歌に魅せられ、中央アジアを旅した魂の記録でもある。
◇
マナスはキルギスに伝わる叙事詩の主人公の男の子。成長して、外敵から民族を守るリーダーとなる。津島さんは、アイヌの叙事詩「ユカラ」の男の子ポイヤウンペと共通するものを感じた。共に他民族からの侵略にさらされてきた歴史から生まれた英雄。「でも、どうしようもないいたずらっ子。その輝きが魅力的。物語の原型として男の子がいる意味をずっと探りたいと思っていた」と言う。
作者の分身でもある小説の中の「あなた」に、マナスともポイヤウンペともいえる男の子が何度もささやきかけてくる。さらには、マケドニアから中央アジアにまで遠征したアレクサンドロスの少年時代の声も聞こえてくる。
「暴れん坊の男の子には、がちがちに固められた人間社会を破って、新しいエネルギーに満ちた世界を現出させてほしいという期待がある。アレクサンドロスは人類の夢を体現した、ひとつの像。繰り返される戦争に嫌気がさし、どうしたら平和になるかを考えてきた歴史の中で、希望が託された。彼はその使命感を持っていたのではないか」
津島さんは、念願のマナスの歌をキルギスの首都ビシュケクのユネスコ事務所で聴く。殺風景な部屋だったが「楽器も持たず、身ぶりだけで歌うリズムにだんだんしびれてきて感動した。はるか昔、人間は小鳥のさえずりや動物の咆吼(ほうこう)をまねし、意味をくみ取ろうとした。大自然からのメッセージを感じ、人間からも送り返す。そのやりとりが歌の起源なのでは」
そんな「夢の歌」は「だれにもあらかじめセッティングされているのでは」と言う。
「命そのものがつながっていると実感をもてる場所がどこかにあるはずだが、見いだせずにもどかしい思いをしているとき、そこに導いてくれる。一人ひとりが、絶対につかめないものにつながっている夢の歌を持っていて、懐かしい場所へのガイドブックの役割を果たしてくれる」
「夢の歌」が「あなた」を最後に導いたのはイシククル湖だった。地上から飛行機を仰ぎ見る「あなた」と、飛行機の乗客となった「あなた」がいる。地上の「あなた」は30年以上前の出産の記憶を思い起こし、機上の「あなた」はマナスを産んだ母親のようにおなかがふくらんでいる。
実際に湖で泳いだ津島さんは「時間が堆積(たいせき)していて、古代のままのタイムカプセルのようだった」と言う。「女性にとって生命のはじまりを生み出すということは幸せな時間。それは個人にとどまらず、生命体としての希望でもある」
現実の時間の中で流れた悲しみを知っている地上の「あなた」と、臨月の幸福感に包まれた機上の「あなた」とが交錯し、再生への希望が痛切に伝わってくる。(都築和人)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201012170393.html
作家の津島佑子さんが新作『黄金の夢の歌』(講談社)を刊行した。近年、アイヌ口承文芸の仏訳に取り組むなど、文字ではなく歌として伝えられてきた世界の豊かさを紹介してきた津島さんは、そうした歌を「夢の歌」と呼ぶ。「夢の歌」は、民族としてだけでなく「誰の体にもある」と言う。新作はキルギスの英雄叙事詩「マナス」の歌に魅せられ、中央アジアを旅した魂の記録でもある。
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マナスはキルギスに伝わる叙事詩の主人公の男の子。成長して、外敵から民族を守るリーダーとなる。津島さんは、アイヌの叙事詩「ユカラ」の男の子ポイヤウンペと共通するものを感じた。共に他民族からの侵略にさらされてきた歴史から生まれた英雄。「でも、どうしようもないいたずらっ子。その輝きが魅力的。物語の原型として男の子がいる意味をずっと探りたいと思っていた」と言う。
作者の分身でもある小説の中の「あなた」に、マナスともポイヤウンペともいえる男の子が何度もささやきかけてくる。さらには、マケドニアから中央アジアにまで遠征したアレクサンドロスの少年時代の声も聞こえてくる。
「暴れん坊の男の子には、がちがちに固められた人間社会を破って、新しいエネルギーに満ちた世界を現出させてほしいという期待がある。アレクサンドロスは人類の夢を体現した、ひとつの像。繰り返される戦争に嫌気がさし、どうしたら平和になるかを考えてきた歴史の中で、希望が託された。彼はその使命感を持っていたのではないか」
津島さんは、念願のマナスの歌をキルギスの首都ビシュケクのユネスコ事務所で聴く。殺風景な部屋だったが「楽器も持たず、身ぶりだけで歌うリズムにだんだんしびれてきて感動した。はるか昔、人間は小鳥のさえずりや動物の咆吼(ほうこう)をまねし、意味をくみ取ろうとした。大自然からのメッセージを感じ、人間からも送り返す。そのやりとりが歌の起源なのでは」
そんな「夢の歌」は「だれにもあらかじめセッティングされているのでは」と言う。
「命そのものがつながっていると実感をもてる場所がどこかにあるはずだが、見いだせずにもどかしい思いをしているとき、そこに導いてくれる。一人ひとりが、絶対につかめないものにつながっている夢の歌を持っていて、懐かしい場所へのガイドブックの役割を果たしてくれる」
「夢の歌」が「あなた」を最後に導いたのはイシククル湖だった。地上から飛行機を仰ぎ見る「あなた」と、飛行機の乗客となった「あなた」がいる。地上の「あなた」は30年以上前の出産の記憶を思い起こし、機上の「あなた」はマナスを産んだ母親のようにおなかがふくらんでいる。
実際に湖で泳いだ津島さんは「時間が堆積(たいせき)していて、古代のままのタイムカプセルのようだった」と言う。「女性にとって生命のはじまりを生み出すということは幸せな時間。それは個人にとどまらず、生命体としての希望でもある」
現実の時間の中で流れた悲しみを知っている地上の「あなた」と、臨月の幸福感に包まれた機上の「あなた」とが交錯し、再生への希望が痛切に伝わってくる。(都築和人)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201012170393.html