毎日新聞 2011年1月15日 地方版
シーボルトの次男ハインリッヒ(1852-1908)の功績を紹介する「ハインリッヒ・シーボルト展」が長崎市鳴滝のシーボルト記念館で開かれているのに合わせて、ハインリッヒのひ孫、関口忠志さん(68)=東京都=らが14日、同館を訪れた。【蒲原明佳】
ハインリッヒはシーボルトがヨーロッパに戻った後、妻ヘレーネとの間に生まれた5人のうちの1人。シーボルト没後の1869年に外交官として来日。日本人女性・岩本はなと結婚した。父の研究を引き継いで日本の美術工芸品も集め、日本が初参加したウィーン万博では出品の選定などで活躍。アイヌ民族研究など日本の考古学の草分けとなった。
関口さんは学生時代から長崎を訪れるなどして曽祖父を研究。今回、ハインリッヒ没後100年(08年)に東京で展示した関口家所蔵のパネルなどで、その生涯を紹介している。「父の思いを引き継ぎ日本を愛したシーボルトの子供たちがどんな人たちだったのか、長崎の人にもにも知ってもらいたい」と展示を見つめていた。
特別展は23日まで。同記念館(095・823・0707)。
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20110115ddlk42040450000c.html
シーボルトの次男ハインリッヒ(1852-1908)の功績を紹介する「ハインリッヒ・シーボルト展」が長崎市鳴滝のシーボルト記念館で開かれているのに合わせて、ハインリッヒのひ孫、関口忠志さん(68)=東京都=らが14日、同館を訪れた。【蒲原明佳】
ハインリッヒはシーボルトがヨーロッパに戻った後、妻ヘレーネとの間に生まれた5人のうちの1人。シーボルト没後の1869年に外交官として来日。日本人女性・岩本はなと結婚した。父の研究を引き継いで日本の美術工芸品も集め、日本が初参加したウィーン万博では出品の選定などで活躍。アイヌ民族研究など日本の考古学の草分けとなった。
関口さんは学生時代から長崎を訪れるなどして曽祖父を研究。今回、ハインリッヒ没後100年(08年)に東京で展示した関口家所蔵のパネルなどで、その生涯を紹介している。「父の思いを引き継ぎ日本を愛したシーボルトの子供たちがどんな人たちだったのか、長崎の人にもにも知ってもらいたい」と展示を見つめていた。
特別展は23日まで。同記念館(095・823・0707)。
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20110115ddlk42040450000c.html