先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北メール カムイへの近況報告=平田剛士さん(フリーランス記者) /北海道

2016-07-13 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年7月12日 地方版
得難い体験をした。
 アイヌの儀式「カムイノミ」の唱え文をデジタルテキスト化する作業だ。
 市民グループ「コタンの会」の葛野(くずの)次雄副代表(新ひだか町)から相談を受け、モノ書きのスキルが役立つなら、と引き受けた。
 参照したのは、アイヌ文化の継承に力を尽くした故葛野辰次郎エカシの著書「キムスポ」など。
 辰次郎エカシは次雄さんの父である。父が遺(のこ)したオンカミ・ポロセ・イタウッ(礼拝の唱え言葉)など十数編を、朗唱しやすいように再レイアウトしてほしい、というリクエストだ。
 OCR(光学的文字読み取り装置)には頼らず、片仮名表記のアイヌ語を、一文字ずつキーボード入力した。
 アイヌ語を学んだことのない身には初め、まるで暗号を書き写しているようにも思われたが、口ずさんで二度三度と校正するうち、次第に心地よくなってきた。「カムイノミ=神への祈り」だけあって、美しい響きの言葉ばかりが連なっている。
 「カムイノミには、先祖や神々に対する近況報告の意味もある」と次雄さんが教えてくれた。
 唱え文は、15〜17日に浦河町杵臼(きねうす)で同会が執り行う「返還遺骨を迎え入れるカムイノミ、イチャルパ(慰霊)」で朗唱される。
 80年以上前に北海道大学が杵臼の墓から掘り出していったアイヌ遺骨12体が、この日やっと帰ってくる。
 神々に対し、長い長い報告の儀式になりそうだ。
http://mainichi.jp/articles/20160712/ddl/k01/070/096000c

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8月にアイヌ文化体験キャンプ

2016-07-13 | アイヌ民族関連
釧路新聞  2016年07月12日
  子どもたちにアイヌ文化を体験してもらおうというキャンプ(阿寒アイヌ工芸協同組合主催)が、8月8日から3泊4日の日程で釧路市阿寒町阿寒湖温泉で開かれる。今年は日程を増やし、参加対象も拡大。アイヌ民族が狩りの際に使用する狩小屋「クチャ」をつくって寝泊まりし、アイヌ料理を調理して食べ、丸木舟に乗るなど、昨年以上に内容を充実して行う。
http://www.news-kushiro.jp/news/20160712/201607123.html

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北欧の癒しサウンドとなるか?若手が伝統音楽に改革を起こす!ノルウェー現地レポート

2016-07-13 | 先住民族関連
鐙麻樹 | 北欧ノルウェー在住 ジャーナリスト&写真家 2016年7月13日 6時21分配信
北欧の「フォークソング」に、新しい波がきている。「民謡」、「伝統音楽」と呼ばれているジャンルに、若手たちは新しい解釈を加える。伝統楽器を使いながら、どこかポップな現代風のリズムをプラスする。居心地の良い音の流れが特徴的で、聞いていると、眠くなることも。まさに、北欧からの癒し音楽ともいえるかもしれない。
テア・イェルメラン(Thea Hjelmeland)の音楽には、ノルウェーのフォークサウンドが散りばめられており、ポップ・フォークと呼ばれる。ノルウェーのグラミー賞ともいわれるスペッレマン賞を2014年にインディー部門で受賞。
https://youtu.be/keekJ4OPG3Q
新北欧フォークサウンド
北欧の民謡音楽の新しい流れは、「コンテンポラリー北欧フォークサウンド(ミュージック)」とも呼ばれている。「新北欧フォークサウンド」とでもいおうか。多忙な生活で、疲れが溜まりやすい現代人。北欧ののんびりとした自然と暮らしから生まれた北欧音楽は、癒しを求める日本人の心にも響くのではないだろうか。
デンマークの男性3人組フォークバンド、ドリーマーズ・サーカス(Dreamers’ Circus)
https://youtu.be/FkgEwnjVREg
なぜノルウェーで伝統音楽は需要があるのか
EUに非加盟であることからもわかるように、ルウェーでは愛国心や独立心が強い。ノルウェーがスウェーデンとの連合を解消したのは1905年。自国のアイデンティティが確立されはじめて、まだ約110年ほどしか経っていない。人口がたったの510万人しかいない小国のため、歴史の浅い自分たちの伝統を誇りに思う傾向が強い。そのため、ノルウェーを色濃く象徴する民族楽器や民族衣装などを好みながら、そこに新しいエッセンスを加える。
ノルウェーの歌手マルティーネ・クラフトは、魅力的な歌声と、白い花模様が特徴的な伝統楽器ハダンゲルヴァイオリンが特徴的。
https://youtu.be/IsivXJfG-ao
「男性の帽子ダンス」を踊る、初のノルウェー人女性
シッリエ・オンスタ・ホーリエン(Silje Onstad Haalien)は、競技的なアスリートダンスともいわれる、ノルウェーの民族舞踏「ハリング」のダンサー。帽子を使って、足で大きくステップしながら踊り続けるものだが、これまで「男性の踊り」とされていた。ホーリエンは、初のプロの女性シリングダンサー。慎ましい女性とは対照的な、嫉妬深い、情熱的な女性を演じる。
https://youtu.be/FkgEwnjVREg
現地のモダン音楽祭に招待される新フォークミュージシャンたち
若手が民謡文化の発展に集中できる背景には、政府からの支援政策もあるが、現地でのファン層が厚く、ビジネスとして成り立っている側面もある。ノルウェーの新フォークサウンドを奏でる音楽家たちは、現地で有名なポップやロックの音楽祭でも引っ張りだこで、数々の賞を受賞。ポップやメインストリーム音楽がストリーミングで聞かれる一方、フォークミュージックのファンは、CDやレコードの購入も好み、歌手の継続的な活動を支える。

※ノルウェーの音楽業界団体IFPIによると、ノルウェーで2015年度に聞かれた音楽の77%はストリーミングから。
若手のハダンゲルヴァイオリン奏者として注目を浴びるアーラン・アプネセス(Erlend Apneseth)
https://youtu.be/NpOTCg85zkQ
また、歴史や伝統が他国と比べて浅い分、伝統をあえて壊す若手に反発や批判が起きにくいのもノルウェーの特徴だ。これは音楽に限らず、デザインや料理業界などでもいえることで、「こうあるべき」という縛られた観念があまりないことが、若手が新しい挑戦をしやすい空気をつくりだしている。
「競争」よりも「協力」を意識した、北欧各国のコラボが生み出す新しい「北欧の音」
「小国」なので、競争を意識するよりも、他のアーティストや他国とコラボして、知識や才能を共有し、新しい作品を作っていこうとする動きも、北欧ならではの特徴だ。音楽祭では、言語や文化が特に近いとされるスカンジナヴィア諸国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク)からアーティストが招待されることが一般的。先住民族サーミ人の文化からも影響を受けている。北欧の文化交流やコラボが、こうして新しい「北欧サウンド」をつくりだしてゆく。
ノルウェーのイェルムン・ラーセン・トリオ(Gjermund Larsen Trio)と、スウェーデンのノルディック(Nordic)との共演。中間2:54頃からの盛り上がりがよい。
https://youtu.be/GbWj7ybFcIs?list=RDGbWj7ybFcIs
2011年に「今年のベスト・ヤング・フォークバンド」賞を受賞したスウェーデンのコロニーエン(Kolonien)。「フォークミュージックって、なんだろう?」と考え始めてしまう一曲。
https://youtu.be/NpOTCg85zkQ
北欧の自然が生む、ヒーリングサウンド
ノルウェー音楽は、自然からインスパイアされているものがとても多い。キーンとした冷たい氷、寒い冬、鳥の声や森のざわめきを連想させる音。農民時代が長く続いた、山や山小屋での暮らしを思い起こさせる、民族楽器による懐かしい響き。大都会での騒音や機械的な音とは対照的だ。ミュージック・ビデオでも山や森を舞台に選んでいる人がとても多い。
世界で唯一の「氷の音楽家」といわれるテッリェ・イースウングセット(Terje Isungset)。フォークサウンドを口ずさむヴォーカリストと共に、自然の氷でつくった様々な楽器を、手で優しくたたいたり、吹きながら、クリーンで美しい音を奏でる。人口の氷では、同じ音を出すことはできない。ユニクロのCMにも出演した。デジタルで聞く音以上に、コンサートで実際に耳にする氷の音は、非常に迫力がある。まさに雪国ノルウェーがうみだした北欧のヒーリングサウンドといえる。
https://youtu.be/QosfSaE0q7c
ノルウェーのグラミー賞スペッレマンを、2016年度のオープン・クラス部門で受賞したSlagr
https://youtu.be/XgfmtrXuOYA
ノルウェー/スウェーデンの男性5人組によるフォークバンドSVER。不思議な音楽ビデオだ。ノルウェー人はスキーが大好き。
https://youtu.be/ZTYQy9p2tvQ
のんびりとしたリズムが続く、北欧の新フォークサウンド。移動中や仕事中、寝る前など、ちょっと頭を休憩させたい時に聞く、新しい癒し音楽にいいかもしれない。
※今回紹介した歌手の一部は、北欧最大級の伝統音楽の祭典、フォルデ祭(Fordefestival)に登場した。舞台での短い生歌はインスタグラム@asakikikiにアップ中。
Photo&Text: Asaki Abumi
鐙麻樹 北欧ノルウェー在住 ジャーナリスト&写真家
オスロ在住ジャーナリスト、フォトグラファー。上智大学フランス語学科08年卒業。オスロ大学でメディア学学士号、同大学大学院でメディア学修士号修得(副専攻:ジェンダー平等学)。日本のメディア向けに取材、撮影、執筆を行う。ノルウェー政治・選挙、若者の政治参加、観光、文化、暮らしなどの情報を数々の媒体に寄稿。オーストラリア、フランスにも滞在経歴があり、英語、フランス語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語で取材をこなす。海外ニュース翻訳・リサーチ、通訳業務など幅広く活動。『ことりっぷ海外版 北欧』オスロ担当、「地球の歩き方 オスロ特派員ブログ」、「All Aboutノルウェーガイド」でも連載中。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/abumiasaki/20160713-00059886/

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先住民地域で金の違法採掘 月800万レアル相当の取引=パラー州

2016-07-13 | 先住民族関連
サンパウロ新聞 2016年7月12日
Written by admin

今年1月にマト・グロッソ州内で摘発された金の違法採掘現場(Foto:SESP/MT)
 連邦警察は7日、北部パラー州南東部オウリランジア・ド・ノルテ市のカイアポー先住民居住地区内における金の違法採掘・販売グループの捜査作戦を実行し、8人を勾留した。G1サイトが8日付で報じている。
 この作戦で、総額73万1450レアル相当の金および銀が押収された。これらの貴金属に加えて、警察は現金26万2829レアルを発見しており、52万2000レアル相当の重機も押収している。採掘現場で発見された宝石を除いても、押収金額は152万9279レアルに達するという。
 国立インジオ保護財団(Funai)では、採掘人達は毎週20キロの金を採掘していたと推計している。毎月の取引額は800万レアル相当に上るとみられている。
 採掘された金を販売していたとみられる容疑者はパラー州南部とトカンチンス、サンパウロ各州で逮捕されている。
 このほか、2人の先住民が毎月3万レアルを受け取って採掘を許可していたとして逮捕された。連邦警察のカゼラニ署長は、「金の採掘人達が必要とする全ての物資を提供し、そのエリアの探索を許可し、滞在場所を定め、採掘された物からの定期収入を徴収した時から、協力者は犯罪者になる」と説明している。
 採掘人達は、2つの村に住んでいるカイアポー族の共存にも損害をもたらしていた。2016年初めにFunaiは、金の採掘に反対するグループと違法採掘を認めるグループとの間での紛争が起きたため、連邦検察庁(MPF)と連邦警察に通報している。この紛争で6人の先住民が負傷し、うち4人は重傷を負ったという。
 Funaiは1980年台から違法採掘が行われていた事を認識していたと発表しており、先住民居住地区における違法採掘の撲滅と環境モニタリングのために数多くの共同作戦を実施している。
 金の違法採掘に関する捜査は、Funaiからの通報後、15年末に連邦検察庁により開始された。上空からの捜査により、オウリランジアのツレジャン村近郊が採掘活動の中心地となっていた事を確認していた。
 このカイアポー先住民地区で行われていた違法採掘作業では、その広大な場所から金を採掘するため重機が使用されていた。連邦検察庁の情報によると、上空からの捜査中に40台のシャベルカーが確認されている。
http://saopauloshimbun.com/archives/55233

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パラグアイの子どもたちに教育を!

2016-07-13 | 先住民族関連
横浜国立大学の学生を中心に、パラグアイにおける学校建設のためにクラウドファンディングを開始!
プレスリリース ゼロ (プレスリリース)-2016年 07月 12日

特定非営利活動法人ミタイ・ミタクニャイ子ども基金のプレスリリース
 特定非営利活動法人ミタイ・ミタクニャイ子ども基金(以下ミタイ基金)は、パラグアイの学校建設支援をするために6月20日より株式会社READYFOR(東京都文京区、代表取締役 米良はるか)が運営するクラウドファンディングサービスにて、90万円の資金調達を開始しました。
(URL:https://readyfor.jp/projects/mitaimitakunai)
《プロジェクト内容 》
 今回のプロジェクトは、パラグアイ共和国カアグアス県コロネル・オビエド市域にあるアセンタミエント・ラス・メルセデス地区(以下メルセデス地区)の小学校の2つ目の教室の屋根と内装を完成させることが目的です。
《なぜ、学校建設をするのか?》
 ミタイ基金はプロジェクト対象地域であるメルセデス地区の住民への学校建設に対するニーズ調査を2009年より開始し、2010年より建設計画を立て始めました。その後、ミタイ基金現地メンバーや校長先生、地域住民と連携し、土地を取得し、2012年より建設を開始、2013年9月、一つ目の教室の開校に至りました。
 校長先生や教員の努力の結果、地域の方々からの小学校に対する評価も高く、生徒数が徐々に増え、2016年度現在の生徒数は74名に達しています。
 2015年10月より新たに教室を増設するプロジェクトを地域住民とともに開始しましたが、建設資材の高騰や為替の変動、エルニーニョ現象による酷暑のため、本基金が準備していた資金と地区の住民が集めた資金が不足してしまい、屋根と内装を残して建設がストップしております。パラグアイでは夏の時期は40度を越える暑さから、屋根がない教室ではとても勉強できる環境にありません。
●クラウドファンディングプロジェクト概要
・プロジェクト名:「パラグアイの子どもに教育を!横浜の学生を中心とした学校建設!」
・プロジェクトURL:https://readyfor.jp/projects/mitaimitakunai
・募集期間:2016年6月20日(月)〜2016年8月24日(水)23時
・目標金額:90万円
 集まった金額は、メルセデス地区の学校建設の費用に充てられます。 ※目標金額90万円に到達しなかった場合支援者に返金されます。
●特定非営利活動法人ミタイ・ミタクニャイ子ども基金について
《活動実績》
 本基金は、ミタイ基金代表理事である藤掛洋子が、1993年から1995年にかけて青年海外協力隊隊員として現地の方々と行ってきた支援活動を母体とし、パラグアイ共和国における非日系農村部の人々、特に子どもたちを支援するために1995年に設立しました。 その後、2008年にはミタイ基金学生部が発足しました。
 本基金の名称である「ミタイ・ミタクニャイ」とは、パラグアイの先住民族の言語であるグアラニー語でミタイは男児、ミタクニャイは女児を意味します。ミタイが子どもを意味する場合もあります。
 これまでミタイ基金は、パラグアイ農村部にて小学校など4校を建設してきましたが、学校建設支援のみならず、栄養改善活動や衛生講習会、運動講座の実施といった農村部での社会開発も行っています。また、貧困世帯への奨学金の授与や女児、女性への就学支援などの教育支援、資金的サポートも行っています。
 国内での活動としては、グローバルフェスタJAPANなどの国際協力イベントへの出展や、現地の伝統工芸品であるニャンドゥティのフェアトレード商品の販売もしています。これらの活動で得られた収益は、学校建設のための資金やパラグアイの子どもたちへの奨学金にあてられます。
 2013年にはパラグアイの首都アスンシオン郊外にある廃棄物集積場であるカテウラ地域で結成されたカテウラ楽団(The Recycled Instruments Orchestra of Cateura*ゴミ山の様々なものから楽器を作成し、演奏する)団員を招致し、ワークショップなどの交流会を行いました。
 2015度はNPO法人道普請との連携により現地の人々の協力のもと、農村での道直しを行いました。
《ミタイ基金学生部について》
 ミタイ基金学生部は2008年に結成され、現在は横浜国立大学や米国の大学生を中心に活動しています。
 学生部メンバーは、毎年実際にパラグアイへの渡航を行い、現地での調査や学校建設、道普請など、学生だからこそできる国際協力活動を展開しています。
●READYFOR(https://readyfor.jp/)について
 READYFOR(レディーフォー)は日本で最初のそして最大のクラウドファンディングサービスです。クラウドファンディングは、インターネットを介して不特定多数の個人から資金(支援)を集めるサービスです。READYFORは、 2011年4月のオープンから約4,470プロジェクトの資金調達を行い、これまで日本最大の17万人から25.8億円以上が支援されています。
【お問い合わせ先】 
(特活)ミタイ・ミタクニャイ子ども基金学生部
広報担当:齋藤誠仁(さいとうまこと)
【TEL】090-3591-1080 【E-mail】mitaikikin.cf@gmail.com
http://pressrelease-zero.jp/archives/96867

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“全裸の写真家”ヨシダナギ「ターザン:REBORN」の推しメンはまさかの族長!

2016-07-13 | 先住民族関連
映画.com 2016年7月12日 13:30
[映画.com ニュース] 「ハリー・ポッター」シリーズや「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」(11月23日公開)のデビッド・イェーツ監督によるアクション大作「ターザン:REBORN」の女性限定試写会が7月11日、都内で行われ、映画コメンテーターのLiLiCoと“全裸の写真家”として知られるヨシダナギ氏が、女性目線で映画の魅力を語った。
アフリカのコンゴの密林で動物に育てられ、現在は英国貴族のジョンとして暮らすターザン(アレクサンダー・スカルスガルド)が、何者かに連れ去られた妻ジェーン(マーゴット・ロビー)を救うべく故郷で戦いに身を投じる姿を描く。
作品を鑑賞した2人は「先に知っておかないといけないものが何もない。わかりやすいし、ターザンにほれる。真のエンタテインメント」(LiLiCo)、「ターザンの知識がなく、アクション映画も好きじゃないけど格好いいと思えたし、ターザンとジェーンのロマンスがいいなと感じました」(ヨシダ氏)とアピールする。
LiLiCoは、米映画サイト「TC Candler」が選ぶ「世界で最もハンサムな顔100」の常連で、自身と同じスウェーデン出身のスカルスガルドのワイルドな魅力や、気さくな人柄に言及。新たなターザン像について「ターザンは心は英国紳士かもしれないけど、体が野生だから葛藤や迷いがあり、放っておけない。でもターザンは愛するジェーンを助ける。今の時代は草食系男子ばかりになっちゃって……」とヒロイックさが魅力と語る。「ターザンに会ったら、湖の中に入っていく私とターザンの全裸写真を撮ってほしい」と妄想を爆発させた。
アフリカの少数民族を撮り続けているヨシダ氏は、現地で自らも裸になる撮影スタイルが話題を集めている。「助けてくれる男性に憧れる」とLiLiCoに同調しながらも「職業柄、(肌が)黒い人に目が行く。(先住民族の)族長がすこぶる格好いい。リアルなアフリカ人と同じ表情をするんです」とジャイモン・フンスー演じるターザンの敵・ムボンガにメロメロ。さらに、好みのタイプについて「蝶野正洋さん一筋です」と告白し、LiLiCoは驚きの表情を見せていた。
「ターザン:REBORN」は、サミュエル・L・ジャクソン、クリストフ・ワルツらが脇を固める。7月30日から全国公開。
(映画.com速報)
http://eiga.com/news/20160712/10/


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北海道の歴史に触れて健康増進を図る

2016-07-13 | アイヌ民族関連
札幌市役所-2016年7月11日
7月7日(木曜日)、宮の森大倉山地区福祉のまち推進センター(通称:福祉プラザやまなみ)主催のバス見学会「やまなみ探検会」が開催され、地域に住む高齢者ら127人が参加しました。
これは、高齢者の健康維持・増進と交流を目的とし、宮の森大倉山地区(宮の森、円山西町、盤渓)に住む65才以上の方を対象に毎年実施されているもので、今年で20回目となります。今回は、2015年4月にリニューアルオープンした北海道博物館と北海道開拓の村(厚別区厚別町小野幌53・50)の見学会を行いました。
この日は気持ちの良い晴天に恵まれ、参加者は宮の森まちづくりセンター(宮の森2-11)前からバス3台に乗車し、午前9時20分に出発しました。博物館に到着すると、初めに同行した保健師の指導の下、軽い体操で体をほぐしました。その後はおのおの館内を巡り、アイヌ民族の文化や本州から渡ってきた移住者の暮らしなどに触れ、そこに生きた人々の歩みに思いをはせていました。
昼食時にはお弁当が配られ、木陰に座り楽しそうに会話をしながら食事する姿が見られました。
続いて、博物館隣の北海道開拓の村を自由に散策しました。参加者は、旧札幌停車場や旧開拓使札幌本庁舎をはじめ移築復元された明治から昭和初期の歴史的建造物を眺めるなど、北海道の開拓の歴史を肌で感じていました。
参加した80代の女性は「とても楽しかったです。懐かしい物もあり、自分が子どものころを思い出していました」と笑顔で話していました。
このページについてのお問い合わせ
札幌市中央区市民部総務企画課
〒060-8612 札幌市中央区南3条西11丁目
電話番号:011-205-3216
ファクス番号:011-231-6539
http://www.city.sapporo.jp/chuo/news/h28/news160707-1.html

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多民族が融合した日本文化/日本経済新聞社参与 吉村久夫

2016-07-13 | アイヌ民族関連
Kigyoka.com ベンチャー企業のためのメディア-2016年07月11日
企業家倶企業家倶楽部2016年8月号 教育への挑戦~新しい日本人を求めて~ vol.2
日本人はどこから来たのか
 日本人はどこから来たのでしょうか。現生人類の祖先はアフリカの一人の女性だとされています。今から20万年も昔のことです。なんだかマリア様や天照大神を思い出します。とにかく、そのアフリカの女性を出発点に、時とともに人類が地球上に溢れて行ったというのです。その流布はやがて極東の日本列島にも及びます。およそ2万年ほど前のことです。
 2万年前の日本といえば石器時代です。確かに石器時代の日本人がいました。最近では、沖縄や福井などで人骨も出土しています。その人骨を使って、石器時代の日本人のDNA(遺伝子)が解析されるようになりました。母系の先祖を辿ることの出来るミトコンドリアDNAです。その結果、ミトコンドリアDNAは20種類ほどに分類出来ることが解りました。
 ミトコンドリアDNAの世界の分布状況と日本の石器時代人のそれを対比して行きますと、日本人の祖先が見えて来ます。石器時代人のミトコンドリアDNAの内、約3割を占めるタイプも解りました。それは中国大陸に多いタイプでした。つまり、日本人の多くは中国大陸に起点を持つ人たちで、彼らは海を渡ったり、朝鮮半島を南下したりして、日本へ渡って来たのです。
 約20種類のミトコンドリアDNAの存在は、日本人が多様な先祖を持っていることを意味します。街を歩いていると、いろいろなタイプの日本人に会います。その特徴から先祖のタイプが類推されて来ます。北方系、蒙古系、朝鮮系、中国系、南方系などです。明治10年代、日本を旅行した若い英国の女性旅行家イザベラ・バードは、アイヌ人がヨーロッパ人によく似ていると感嘆しています。日本は昔、明らかに多民族社会でした。
日本は希望の新天地だった
 主としてアジア各地から、人々が日本列島へ海を渡って移住して来ました。石器時代、縄文時代、弥生時代と波状的に移住して来たのです。その理由は様々だったでしょう。飢餓や疫病を逃れたり、政争や戦争に負けたりです。西日本の大名には祖先を中国、朝鮮の王族とするものが少なくありません。例えば、山口の大内氏です。大内氏は、祖先は百済の王族と称しています。
 いろいろな理由があるにせよ、人々が日本列島を目指したのは、日本列島の方に受容力があったからでした。日本は温暖の地です。山の幸、海の幸に恵まれています。山紫水明です。おいしい水が飲めます。回りを海に囲まれていて、異民族が攻めにくい国でもあります。つまり、移住する人たちにとって、日本は希望の新天地だったのです。私はかねてから、日本は古代、アジアの新世界、つまりアジアのアメリカだったと考えています。
 いい例が、徐福伝説です。中国の秦の時代、始皇帝の命令で徐福が大勢の人を引き連れて日本へやって来ました。不老長寿の薬を求めてです。不老長寿の薬が東海の蓬莱山、つまり日本にあるといわれていたのです。不老長寿の薬は入手できませんでしたが、徐福の一行は中国に戻らず、日本に住み着きました。
 そのせいで、日本の各地に徐福伝説があります。例えば和歌山県新宮市には徐福の墓があります。また佐賀県には金立神社があって、徐福を祀っています。近くに徐福が上陸したという場所もあります。そういえば、吉野ケ里遺跡も近くです。この全国最大級の弥生時代の遺跡は徐福と関係があるのかも知れません。
日本は希望の新天地だった
和の日本文化が生まれた
 石器、縄文、弥生の永い先史時代によって、日本文化の基本的な特徴が形成されて来ました。それは一口にいって「和の文化」です。有史時代に入って、聖徳太子が17条の初の憲法を設けましたが、その第1条は「和をもって貴しとなす」でした。
 日本は恵まれた自然環境にありました。そこで人々は自然と共生することを覚えました。自然を崇拝するようになりました。もちろん、地震や台風もありました。そこで人々は八百万の神々を祭って神と親しみました。
 日本人の祖先はアジアの各地から移住してきました。多少のいざこざはあったにせよ、おおむね旧人は新人を親切に受け入れました。そして水田稲作に必要な共同作業の仲間としました。人々は自分たちの祖先を崇めるようになりました。その一方で仏教を受容しました。
 人々は自然と祖先を崇めながら、混血を繰り返して行きました。先史時代は2万年にも及びました。有史時代はせいぜい2000年くらいのものです。日本人は永い先史時代を通して、混血によって融合し、共同作業を共にして来ました。
 有史時代になると、日本人はまるで一家のようになり、姓も源平藤橘の4つの姓に代表されるようになりました。そして源平藤橘は無姓の天皇家を天子様と崇めました。天皇制は日本社会が生んだ独特のソフトウエアです。
 むろん、日本列島はいつも平和を享受していたわけではありません。水田耕作が進み、経済的な格差が生まれると、争いも起きてきました。中国の史書によると、弥生時代の終わり頃には、倭と呼ばれた日本は百余国に別れて勢力争いをしていました。勢い余って朝鮮半島へ攻め入ったりもしていました。
 とはいえ、日本人は基本的には平和を愛し、自然と祖先を崇拝し、皆な親族として仲良く暮らしました。和を尊び、自由を愛した楽天的民族でした。勤勉でかつ好奇心旺盛でした。外国人や外国文化を喜んで受け入れました。仏教も漢字も受け入れ、それを日本独自のものにしました。いわゆる創造的技術導入です。日本人はそれだけの創意工夫の才能を身につけて行ったのです。
なぜ戦争へ突入したのか
「和の文化」の日本がなぜ太平洋戦争へ突入したのでしょうか。戦争の原因は当事者双方にあります。恨みの連鎖は平和をもたらしません。そこで日本では戦国時代に「喧嘩両成敗」の大名法が制定されたりしました。
 とはいえ、中国や韓国などが問題にしている日本の「歴史認識」を軽視するわけには行きません。日本は率先して戦争の真因を究明し、二度とあのような暴走が起きないよう、しっかりと歯止め策を講じる必要があります。
 明治の文明開化は一応、成功しました。大正時代にはデモクラシーが謳歌されました。ところが、大正の末期から昭和初期にかけて、急速にファシズムの風潮が強まり、青年将校たちのテロリズムが頻発して、日本は軍国主義一色となりました。
 世論は急変するものです。日本人の欠点は付和雷同しがちなことです。大正から昭和へかけて、環境が急変しました。第一次世界大戦で勝ち組だった日本の好景気は、一変して昭和恐慌に転落しました。不況で失業者が溢れ、農村は疲弊し娘たちを売るという騒ぎになりました。
 人々は優柔不断な政党に愛想を尽かします。軍部主導の満州国の建設が素晴らしいことに思えました。青年将校たちがテロを起こし、国論は軍国主義に急傾斜して行きます。日本は国際的に孤立し、ついにドイツ、イタリアと三国同盟を組んで第二次世界大戦を引き起こします。
 明治以来の国民教育の成果はどこへ行ったのでしょう。人々は非国民と言われることを恐れ、軍に協力します。ついには特攻隊がつくられます。しかし、戦勢の挽回はなりませんでした。日本は330万人の戦死者を出し、焼土の中で敗戦を迎えました。
 日本の文化、教育のどこが間違っていたのでしょうか。それを検証して「温故知新」の知恵を得たいと思います。
Profile 吉村久夫(よしむら・ひさお)
1935 年生まれ。1958年、早大一文卒、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、日経ビジネス編集長などを経て1998年、日経BP社社長。現在日本経済新聞社参与。著書に「進化する日本的経営」「本田宗一郎、井深大に学ぶ現場力」「二十一世紀の落とし穴」など。
http://kigyoka.com/news/magazine/magazine_20160711.html

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創立80周年でイベント企画、釧路市立博物館

2016-07-13 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2016年07月10日
  所蔵するアイヌ民族木綿衣が世界最古の可能性があるとして注目されている釧路市立博物館(白幡敏弘館長)は、創立80周年の記念日となる14日、施設を無料で開放し各種プレゼントを用意。チェリスト原永里子さんによるコンサートや新ミュージアムグッズの発売など、さまざまなイベントを実施。スタンプラリーの対象企画展の第2弾も開催中で、「誕生80年の節目を祝ってほしい」と多くの来館を呼び掛けている。
http://www.news-kushiro.jp/news/20160710/201607101.html

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豪移住 村上安吉の生涯

2016-07-13 | 先住民族関連
読売新聞 2016年07月10日
◇和大で企画展 母に宛てた写真展示
 明治時代にオーストラリアに移住した串本町出身の実業家、村上安吉(1880~1944年)が撮影した写真約100点などを集めた企画展「村上安吉のライフストーリー」が和歌山大(和歌山市栄谷)の紀州経済史文化史研究所展示室(付属図書館棟3階)で開かれている。安吉は真珠採取のための潜水服の改良などで大きな役割を果たしたとされ、写真からは当時の日本人移民のオーストラリアでの暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。29日まで。
 安吉は1880年、田並村(現・串本町田並)の山林所有者の次男に生まれ、16歳の時、友人と西オーストラリアのコサックに渡った。その町で雑貨商を営んでいた移民の西岡高蔵と知り合い、商売を学んだ。
 西岡が真珠産業で栄えるブルームに引っ越した際、安吉も同行し、西岡の死後、その事業を引き継ぎ、写真館経営などを手がける実業家として成功。潜水服の改良などでも大きな役割を果たした。
 41年に太平洋戦争が始まると、タツラの収容所に入れられる不遇の中、44年、心臓病で死去した。
 現在、串本町には安吉の次女、南ヤス子さんが住み、安吉が渡豪後、古里の母親などに宛てて送っていた写真などを保管している。
 安吉の歩みを研究する成安造形大(大津市)の津田睦美教授(54)がヤス子さんらの協力を得て、和歌山大での展示が決まった。
 会場には安吉自身や家族の写真、ブルームの日本人街や、先住民族アボリジニの姿などをとらえた写真などを展示している。
 ヤス子さんの娘で、安吉の孫にあたる南瑠霞るるかさん(55)は「祖父が残した写真から、串本からオーストラリアに渡った移民の暮らしぶりや当時のオーストラリアの実情について多くの人が理解を深めてくれればうれしい」と話す。
 会場は土日曜、祝日は閉館。開館は午前10時半~午後4時。入場無料。問い合わせは同研究所(073・457・7891)へ。
http://www.yomiuri.co.jp/local/wakayama/news/20160709-OYTNT50150.html

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