毎日新聞 2016年7月4日
「虹の国」。多民族国家の南アフリカはこう称される。植民地支配を受け、アパルトヘイト(人種隔離)政策という負の歴史を持つ国は、人種、民族の垣根を越えた融和を目指して歩んでいる。南アフリカを5月に訪問した。【生活報道部・西田真季子】
南アフリカには、白人やアジア系などの住民もいるが、人口の約8割を占めるのが先住民族だ。先住民族も単一ではない。公用語は、英語に加え、アフリカーンス語、ズールー語、コサ語、ソト語など11にのぼる。南アフリカ観光局の近藤由佳さんは「現地では、隣の人の話す言葉が同じことはほぼない。5~6種類の言葉を話せる人も多いです」と話す。
南アフリカ、ズールー族の若者の踊り。女性にたくましさをアピールするためのものだという=南アフリカで2016年5月10日午後8時、西田真季子撮影
南アフリカの原住民は、ドラケンズバーグ山脈の洞窟に壁画を残しているサン族とコイ族と言われ、15世紀ごろまでに他民族も南下し、生活してきた。
1652年、オランダ人がケープタウンに入植したことで一変する。以降はオランダやイギリスの覇権争いの場になり、イギリスの植民地を経て、1961年にようやく「南アフリカ共和国」として完全独立を果たした。
独立後も、民族融和に暗い影を落としたのがアパルトヘイトだ。アパルトヘイトでは、法律で黒人と白人の居住区を分けたり、白人と非白人の結婚を禁じたりした。それに対し、50年代から黒人指導者の故ネルソン・マンデラ元大統領らを中心とした反対運動や学生の大規模デモが起こり、国際社会からの非難や経済制裁などを経て、91年にようやくアパルトヘイトは撤廃された。
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南アフリカで開かれた観光産業ショー「インダバ2016」に登場した民族衣装を身にまとった女性たち。この後はダンスを披露した=南アフリカ・ダーバンで2016年5月8日午前11時3分、西田真季子撮影
南アフリカ滞在中、ズールー族の若者のダンスを見学することができた。この踊りは、男性が女性に対して自分のたくましさをアピールするダンス。固い地面にお尻から落ちる痛みに耐えたり、足を高く上げたりして「少年ではなく一人前の大人だ」「他の男性より自分の方がたくましい」ということをアピールするという。
国民の父とも慕われたマンデラ氏は、大統領就任時に各部族の習慣を認め、尊重する方針を出し、ラグビーなどスポーツを通じた民族融和にも努めた。映画「インビクタス」(監督クリント・イーストウッド)では、95年のラグビー・ワールドカップ(W杯)で多様な人種からなる南アフリカチームが初出場、初優勝した実話に基づき、マンデラ氏やチームの奮闘が描かれている。
南アフリカ観光局アジア太平洋地区プレジデント、ブラッドリー・ブラウワー氏は「白人と黒人が分かれていたのが一緒になった歴史、人種の違いに関係なくみんなが文化を創り上げているのは、南アフリカのユニークな魅力」と話す。ブラウワー氏は「人種を超え、争うことのない南アフリカの子どもたちの姿が、世界に影響すれば、戦争のない平和な世界につながるのではないか」と期待を寄せる。
今回の訪問で一番印象的だったのが、南アフリカの人たちの温かく、明るく、オープンな人柄だった。「アパルトヘイト」という負の歴史を経て培われた、異民族や異文化への寛容さが、南アフリカの居心地の良さにつながっているのかもしれない。=次回は7月5日掲載
にしだ・まきこ 35歳、独身。別業界を経て、2008年入社。さいたま支局で7年間勤務し、15年5月から生活報道部。支局では埼玉県内の行政などを取材。現在は消費者行政、食の安全、子どもの貧困などを担当している。
http://mainichi.jp/articles/20160701/mog/00m/100/001000d