先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ぶらり♪お散歩カメラ ex#3 日高編(動画)

2016-07-05 | アイヌ民族関連
MY J:COM 2016年07月04日
ぶらり♪お散歩カメラは写真共有サイト連動した番組です。「撮った瞬間の感動を共有する」をコンセプトに、カメラ・街の魅力をぶらりとお散歩しながらご紹介します。 またホームページでは投稿写真を大募集! そちらもぜひご利用ください。
※どちらのチャンネルも、ケーブルエリア内にお住まいの方であれば 誰でも無料視聴可能なチャンネルです。

http://www.myjcom.jp/tv/channel/sapporo/20120907/ex03hidaka.html


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バングラデシュの言語状況の歴史的変遷について

2016-07-05 | 先住民族関連
ハフィントンポスト- 2016年07月04日 16時17分 JST 更新: 2016年07月04日 16時17分 JST
A.B.M. Razaul Karim Faquire, Ph.D. レザウル・カリム・フォキル 社会科学者(言語政策、言語文化)、ダッカ大学現代言語研究所教授
バングラデシュは、1971年に独立以来、唯一の公用語(公共語でもある)ベンガル語(またはバングラ語)を持つ国として知られているが、今バングラデシュとして知られている地域は、何世紀にもわたって、多言語地域として存在していた。
歴史の初期に、この国には、様々な言語話者共同体即ちオーストロ•アジア(ムンダ)系、チベット•ビルマ系、ドラビダ系の言語話者が各地域に分布していた。この地域に長い間続いていた多言語状況は、次の時代に二段階の外来民族の移住によって大きく変わった。
最初は、紀元頃までにアーリア言語話者共同体の移住があった。第二段としては、10世紀の初頭から英領インド期までに、中央アジア諸国から様々な民族即ちアフガン、アラビア、ペルシャ、トルコ系民族のイスラーム教徒が移住してきた。
アーリア人が話す言語は、インド•アーリア系言語(通称サンスクリット語の一種)だったが、その方言の一種であるプラークリット語(自然に形成された言語の意味)が、先住民族の各言語と接触を行うようになった。移住してきたインド•アーリア系民族言語が支配的となり、先住民族の言語と接触が行われた結果、そのプラークリット語が編成され、先ずアパブランシャ語(崩れた・下品な言語)が形成された。それはさらに変遷してインド諸語の一種としてベンガル語が生まれた。
この変遷の過程のなかで先住民族の言語のほとんどはが姿を消した。ベンガル語の変遷は、さらにイスラーム教徒による征服の時代から英領インド時代まで続いた。イスラーム教徒による征服とともに、幾重にもわたって、中央アジア各地から様々な言語話者がこの地域に移住してきた。
中世においては、それまで南アジア亜大陸の宗教的且つ学問的な言語であったサンスクリット語の代わりに、ペルシア語が公共語として導入された。長い間このような社会言語的な変革の中で言語接触が頻繁に行われた結果、原始ベンガル語が形成された。現代ベンガル語の変遷は、次の通りである。
サンスクリット語>方言サンスクリット語>プラークリット語>アパブランシャ語>原始ベンガル語>現代ベンガル語
イスラーム教徒による支配期には、中央アジアからアラビア語、アフガン語、ペルシャ語やトルコ語のような様々な言語話者とともに、南アジア他の地域からも様々な言語即ちオリヤー語、ボジュプリー語、マルワリー語、カシミール語の話者が移住して来た。その結果として、ベンガル語の変遷課程の各段階に地域毎に様々な多言語状況が生まれた。
英領インド期にも、その移住の流れは止まらず、南アジアの各地域からオリヤー語、ボジュプリー語、マルワリ語、カシミール語、ネパール語、テルグ語などの話者が移住してきた。そして多言語状況がさらに拡大した。
当時の英領インド政権は、1835年に公共語としてペルシャ語の代わりに英語を導入した。この地域の多言語的状況は、1947年に英領インドからの分離独立によるパキスタンの誕生後、東パキスタン時代に更に変わった。なぜなら、ヒンドゥー教徒の多くはインドに移住し、インドから多くのイスラーム教徒と西パキスタンからの移民が流入し、人口構成を変えたからである。各時代の言語状況とその変遷の動向を位下に述べる。
1)初期(7世紀まで):対象とする地域(バングラデシュと西ベンガル州)には7世紀まで、言語間の接触は殆ど行われておらず、オーストロ・アジア系とチベット•ビルマ系、およびドラビダ系の少数民族が少なからず居住していた。その後、アーリア系の民族が南アジア西北部から移住してきて、ヒンドゥー教、仏教といった宗教の説教手段としてサンスクリット語の方言プラークリット語の使用が始まった。それを契機として、この地域において言語間の接触が始まった。
2)中世初期(750-1204年):この時期、インド•アーリア系民族が先住民族に統合し始めた。一方、インド•アーリア語話者の移民の流れは続いていた。そして先住民の言語と支配的なインド・アーリア、即ちプラークリット語との間に接触が始まった。そして仏教とヒンドゥー教の普及に伴ってプラークリット語は、アパブランシャ語(崩れた・乱れた言語)と言われるまでに変化が進んだ。
3)中世後期(1204年〜1576年):イスラーム教徒の征服に伴い、アフガン系、アラビア系、ペルシャ系、パタン系、トルコ系のイスラーム教徒がこの地域に移住して来た。そして先住民の人々と様々なイスラーム教徒の間で異族間の結婚が行われ融合が進んだ。その結果サンスクリット語から派生したアパブランシャ語と、イスラーム教徒が持ち込んできた新たな言語であるペルシャ語およびアラビア語との言語接触が行わた。これによってベンガル語の形成に向けて、アパブランシャ語がさらに変遷していった。
4)ムガル時代(1576~1757年):ムガル時代に入り、中央アジアからのアラビア系、ペルシャ系、アフガン系、トルコ系の移民が増え、先住民との融合が進んだ。この時期には、より多くの中央アジアの民族がこの流れに加わった。さらに、中央アジアのみならず、南アジアの近隣地域からオリヤー語、ボジュプリー語、マルワリ語話者も、移住して来た。この時期には、イスラーム教の説教言語としてアラビア語とペルシャ語が重要になった。こうした様々な言語話者の移動によって、アパブランシャ語が、アラビア語とペルシャ語と接触し、濃縮していった。イスラーム教徒による支配の下で、ベンガル語が変遷し文学的言語の手段として普及していった。
5)英領インド時代(1757~1947 年):亜大陸の近隣地域から他のインド語話者が、より多く、この地域に移住してきた。支配者である英語話者もそれに加わったそして教育の媒介語としての英語は、ベンガル語の形成に影響を与えた。その結果、当時英領インドの首都であったカルカッタの社会的•文化的環境において、標準ベンガル語が発展していった。この期に近隣地域の様々な先住民族の人々は、彼らのリンガ・フランカとしてベンガル語を受け入れるようになった。
6)パキスタン時代(1947~1971 年):この時期には、権力者であった全英語話者人口は、祖国イギリスに戻ったが、イスラーム教国家パキスタン誕生を契機としてインド北部からウルドゥー語とビハール語話者のイスラーム教徒が多く入ってきた。そして同じ国になったことによって、西パキスタンからもパンジャビ語、パタン語話者が入ってきた。他方、ボジュプリー語、マルワリ語、カシミール語、ネパール語、テルグ語話者のヒンドゥ-教徒は、この国を去ってインドに移動した。この時代は、言語政策遂行の過渡期として特徴づけられる。英領インド時代にカルカッタで標準化されたベンガル語は、東パキスタンの公用語の一つとして位置づけられた。
昔存在していた多言語的言語状況は、六つの言語状況段階を超え、バングラデシュの現在の言語状況が形成された。そして昔の多言語的状況から現在の単一言語状況に形成されるまで二千の年月がかかった。
http://www.huffingtonpost.jp/razaul-karim-faquire/bangladesh-language_b_10792346.html

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「森は私の母」——アマゾンの森林伐採に抗う先住民(動画)

2016-07-05 | 先住民族関連
BIGLOBEニュース-BBC7月4日(月)14時6分

アマゾン熱帯雨林が広がるブラジルで昨年、森林伐採を止めようとして殺害された人の数が過去最高に達した。中でも熱帯雨林の中で生活する先住民たちは、不法伐採者や採掘業者の暴力に対峙する「前線」にいる。カアポール族のリーダーの一人、マイルサ・カアポールさんに話を聞いた。
http://news.biglobe.ne.jp/international/0704/bbc_160704_7062048600.html

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映画『彷徨える河』16年10月公開 - アマゾン奥地で交わる過去と現在、原住民と生物学者が生んだ物語

2016-07-05 | 先住民族関連
Fashion Press-2016年7月4日

映画『彷徨える河』が2016年10月より、シアター・イメージフォーラム他で全国順次公開される。
本作は、20世紀初頭と中盤にアマゾンに足を踏み入れた2人の白人探検家の手記に触発されて作られた物語。神秘的な幻覚や呪術に彩られたマジックリアリズム的な世界観を、美しいモノクロームの映像と情感溢れる多層に重ねられた音によって描き出した作品だ。
監督は、米エンタメ業界紙『Variety』にて、「2016年に注目すべき監督10人」に選出されるなど、 近年世界的な注目を受けているコロンビアの俊英、シーロ・ゲーラ。本作も2015年カンヌ国際映画祭監督週間芸術映画賞受賞、2016年アカデミー賞外国語映画賞ノミネートなど、数々の映画祭で高い評価を得ている。
■ストーリー
アマゾン流域の奥深いジャングル。侵略者によって滅ぼされた先住民族の村、唯一の生き残りとして、他者と交わることなく孤独に生きているシャーマンのカラマカテ。ある日、彼を頼って、重篤な病に侵されたドイツ人民族誌学者がやってくる。白人を忌み嫌うカラマカテは一度は治療を拒否するが、病を治す唯一の手段となる幻の聖なる植物ヤクルナを求めてカヌーを漕ぎ出す。数十年後、孤独によって記憶や感情を失ったカラマカテは、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者との出会いによって再び旅に出る。過去と現在、二つの時が交錯する中で、カラマカテたちは、狂気、幻影、混沌が蔓延するアマゾンの深部を遡上する。彼らが向かう闇の奥にあるものとは...。
【概要】
映画『彷徨える河』
原題:El abrazo de la serpiente
公開時期:2016年10月〜 シアター・イメージフォーラム他で全国順次公開
監督・脚本:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイヴート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレス
2015/コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン/B&W+color/2.35:1/124
©Ciudad Lunar Producciones
http://www.fashion-press.net/news/24615

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南アフリカ訪問記(1)人々の融和を目指す「虹の国」

2016-07-05 | 先住民族関連
毎日新聞 2016年7月4日
 「虹の国」。多民族国家の南アフリカはこう称される。植民地支配を受け、アパルトヘイト(人種隔離)政策という負の歴史を持つ国は、人種、民族の垣根を越えた融和を目指して歩んでいる。南アフリカを5月に訪問した。【生活報道部・西田真季子】
 南アフリカには、白人やアジア系などの住民もいるが、人口の約8割を占めるのが先住民族だ。先住民族も単一ではない。公用語は、英語に加え、アフリカーンス語、ズールー語、コサ語、ソト語など11にのぼる。南アフリカ観光局の近藤由佳さんは「現地では、隣の人の話す言葉が同じことはほぼない。5~6種類の言葉を話せる人も多いです」と話す。

南アフリカ、ズールー族の若者の踊り。女性にたくましさをアピールするためのものだという=南アフリカで2016年5月10日午後8時、西田真季子撮影
 南アフリカの原住民は、ドラケンズバーグ山脈の洞窟に壁画を残しているサン族とコイ族と言われ、15世紀ごろまでに他民族も南下し、生活してきた。
 1652年、オランダ人がケープタウンに入植したことで一変する。以降はオランダやイギリスの覇権争いの場になり、イギリスの植民地を経て、1961年にようやく「南アフリカ共和国」として完全独立を果たした。
 独立後も、民族融和に暗い影を落としたのがアパルトヘイトだ。アパルトヘイトでは、法律で黒人と白人の居住区を分けたり、白人と非白人の結婚を禁じたりした。それに対し、50年代から黒人指導者の故ネルソン・マンデラ元大統領らを中心とした反対運動や学生の大規模デモが起こり、国際社会からの非難や経済制裁などを経て、91年にようやくアパルトヘイトは撤廃された。
      ◇
南アフリカで開かれた観光産業ショー「インダバ2016」に登場した民族衣装を身にまとった女性たち。この後はダンスを披露した=南アフリカ・ダーバンで2016年5月8日午前11時3分、西田真季子撮影
 南アフリカ滞在中、ズールー族の若者のダンスを見学することができた。この踊りは、男性が女性に対して自分のたくましさをアピールするダンス。固い地面にお尻から落ちる痛みに耐えたり、足を高く上げたりして「少年ではなく一人前の大人だ」「他の男性より自分の方がたくましい」ということをアピールするという。
 国民の父とも慕われたマンデラ氏は、大統領就任時に各部族の習慣を認め、尊重する方針を出し、ラグビーなどスポーツを通じた民族融和にも努めた。映画「インビクタス」(監督クリント・イーストウッド)では、95年のラグビー・ワールドカップ(W杯)で多様な人種からなる南アフリカチームが初出場、初優勝した実話に基づき、マンデラ氏やチームの奮闘が描かれている。
 南アフリカ観光局アジア太平洋地区プレジデント、ブラッドリー・ブラウワー氏は「白人と黒人が分かれていたのが一緒になった歴史、人種の違いに関係なくみんなが文化を創り上げているのは、南アフリカのユニークな魅力」と話す。ブラウワー氏は「人種を超え、争うことのない南アフリカの子どもたちの姿が、世界に影響すれば、戦争のない平和な世界につながるのではないか」と期待を寄せる。
 今回の訪問で一番印象的だったのが、南アフリカの人たちの温かく、明るく、オープンな人柄だった。「アパルトヘイト」という負の歴史を経て培われた、異民族や異文化への寛容さが、南アフリカの居心地の良さにつながっているのかもしれない。=次回は7月5日掲載
 にしだ・まきこ 35歳、独身。別業界を経て、2008年入社。さいたま支局で7年間勤務し、15年5月から生活報道部。支局では埼玉県内の行政などを取材。現在は消費者行政、食の安全、子どもの貧困などを担当している。
http://mainichi.jp/articles/20160701/mog/00m/100/001000d

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まちの歴史知ろう 白老で地域学講座

2016-07-05 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2016年 7/4)

愛宕神社にある石灯籠を見学する参加者
 白老町内を散策しながらまちの歴史などを紹介する地域学講座「館長とまち歩き」が1日行われ、町民4人が参加して仙台藩白老元陣屋周辺の史跡などを5カ所を巡り歩いた。町教育委員会の主催。元陣屋資料館の武永真館長が愛宕神社、仙台藩士墓地などを案内しながら町内に残る歴史などを解説した。
 館長とまち歩きは地域の歴史に詳しい専門家を招き、全8回で歴史や産業などを学ぶ町民向け講座。これまでに本町や社台など3地区で行われ、多い時は10人以上が参加している。
 4回目の今回は資料館友の会の川西政幸会長をゲストに招き、資料館駐車場からスタート。武永館長はかつて陣屋跡の敷地内に町道があったことや、陣屋跡横を流れるウトカンベツ川について「アイヌ語で矢を交えるという意味があるので、かつては戦いがあったのでは」などと町の歴史を説明しながら、参加者と共に散策した。
 高台にある愛宕神社の見学では、参加者が息を切らしながら枕木を使った212段の階段を上って神社前に到着。川西会長が石灯籠の一部を紹介しながら「これは当時に建てられたもの。塩竃神社にも同じような石灯籠がある」などと解説した。
 白老陣屋では北方警備に当たった仙台藩士のうち23人が亡くなっており、町内の藩士墓地には7人分の墓石が今も残る。武永館長は「当時の陣屋にいた藩士のほとんどが現代でいう”単身赴任”をしていたが、亡くなった23人のうち4人は女性だった」などと紹介した。
 参加者のうち、以前に周辺を散策したことがあるという町内萩野の坂本清志さん(68)は「久しぶりに歩いてみたが、普段は意識しないところも楽しく見ることができた」などと感想を語った。
 同講座は2日にポロト地区で5回目を開催。今後は▽萩野・北吉原地区(8月6日)▽竹浦地区(8月7日)▽虎杖浜地区(9月22日)の3回を予定している。問い合わせは仙台藩白老元陣屋資料館 電話0144(85)2666。
http://www.tomamin.co.jp/20160740196

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イナウ供え 自然に感謝 恵庭でカムイノミ

2016-07-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/04 16:00
 【恵庭】恵庭アイヌ協会は3日、アイヌ民族の伝統儀式「カムイノミ」を恵庭市盤尻(ばんじり)の渓谷にある岩屋(シラッチセ)で行った。協会のメンバーら14人が自然への感謝を込めて祈りをささげた。
 文化継承を目的に毎年実施している。シラッチセは、アイヌ民族が狩猟時に寝泊まりしたり、捕ったクマの魂を送る儀式を行ったりした場所。盤尻の岩屋は、上部が手前にせり出した高さ5メートル以上の岩壁の下にある。
 この日、参加者らは木を薄く削って作ったイナウ(木幣)などを祭壇に供え、「クマの神の霊をお祭りするために、祈ります」とアイヌ語で話しながらトノト(お神酒)をささげた。
 シラッチセでカムイノミが行われるのは全道唯一という。同協会の藤原顕達(けんたつ)会長(52)は「今後もアイヌ文化を伝えていくために続けていく」と話した。(高木緑)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0289420.html

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「むつサテライトキャンパス」開講 2大学と連携、市民に高度な学習機会提供

2016-07-05 | アイヌ民族関連
デーリー東北 2016/7/4 11:48

 むつ市が弘前大、青森中央学院大と連携し、市民に高度な学習機会の提供を目指す「むつサテライトキャンパス」公開講座の開講式が2日、市立図書館で開かれた。関係者や参加者約50人が事業の本格スタートを祝うとともに、今後のカリキュラムに向けて学習意欲を新たにした。
 同市には大学などの高等教育機関がない。サテライトキャンパスを拠点に大学講義レベルの公開講座、2大学の学生による滞在型学習を実施することで、にぎわいの創出、地域ニーズへの高度な取り組み、産業の創造につなげるのが目的だ。
 このうち、公開講座のテーマは、高校生向けが「くらしと地域~地域を考える視点を養う~」、経営者向けは「収益性を基礎とした入門経営」。高校生向けは23日から12月10日までの7日間17コマ、経営者向けが7日から12月8日までの15日間15コマで行われる。
 開講式では、所長の大河原隆・弘前大副学長が「専門的講義、教員・学生の交流を実現し、充実した形で成長、発展していければいい」とあいさつ。佐藤敬・弘前大学長、花田勝美・青中大学長、宮下宗一郎市長が祝辞を述べた。
 これに対し、受講生代表の齊藤愛理さん(県立田名部高3年)が「地域の人口減少に問題意識を持っている。財政の仕組みなどを学び、対策を考える力を養いたい」と決意を述べた。
 引き続き、弘前大人文社会科学部の関根達人教授が「本州アイヌと地域社会」と題して記念講演を行った。
http://this.kiji.is/122532471319102969?c=75768590128873475

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民博リニューアル完了 中央・北アジアとアイヌ、紹介一新印刷用画面を開く

2016-07-05 | アイヌ民族関連
京都新聞 【 2016年07月03日 21時00分 】
アボリジニ・アーティストの作品を集めた「ワン・ロード」展 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の「中央・北アジア」と「アイヌ文化」の新展示が完成した。約10年前から地域やテーマごとに進めてきた本館の常設展示のリニューアルが一通り終了し、須藤健一館長は「約40年前の開館時から見て、資料の更新だけでなく、年表など時代の変化を考える展示を増やせた。今後も情報の高度化を図りたい」と語る。
 中央アジアからモンゴル、シベリア、極北に至る「中央・北アジア」展示は33年ぶりに一新。カザフ草原の牧畜民の生活用品、オアシス都市のウズベキスタンの民家や飾り皿、ソーラーパネル付きのモンゴルのゲル、ホッキョクグマの毛皮など約1200点が、グローバル化の中で自然と共生する人々の姿を伝える。レーニン像などを集め、社会主義時代にも光を当てた。
 37年ぶりに一新した「アイヌの文化」展示は、木彫り工芸品や、伝統的家屋「チセ」や祭壇などを通じて自然に敬意を払う生活を紹介。東北にも広がるアイヌ語由来の地名や先住民族の社会的地位向上に力を注いだ人々の歴史をたどる資料も新設した。
 リニューアル完成目前の3月、資料撮影中の照明の熱から出火、チセのかやぶき屋根を一部焼く火災が発生。復旧作業を経て、6月中旬に一般公開となった。吉田憲司副館長は「失火を重く受け止め、第三者検証委員会などの調査結果を基に防火体制を強化する」と説明。その上で「日本や他地域とのつながりや同時代の共感などをコンセプトに新展示を構築した。文化人類学も伝統だけでなく目の前の変化に注目していく必要がある」と語った。
■先住民の現代芸術展も注目
 また、本館では現在、企画展「ワン・ロード 現代アボリジニ・アートの世界」を開催中で、オーストラリア先住民の現代芸術作品が注目を集めている=写真。
 「ワン・ロード」は、いまから100年以上前に白人入植者が豪州西部の砂漠地帯に開いた1850キロの1本道「キャニング牛追いルート」のこと。牛を北部から南部の食肉市場へ移動させたこの道で入植者と先住民が初めて出会い、アボリジニの迫害や離散も招いた。2007年に、かつて周辺に住んでいたアボリジニと子孫の芸術家がルートを旅して絵画などを制作し、作品はオーストラリア国立博物館に収蔵された。
 企画展では、鮮やかな彩色と抽象的なデザインで、神話や自己のアイデンティティーを表現した絵など計38点を展示。ルート周辺の井戸建設で水場を奪われるといった苦難の歴史を祖先の精霊などとともに描き出す。実行委員長の丹羽典生准教授は「先住民の歴史や芸術性だけでなく、異文化の出会いや衝突、地域コミュニティーとの関わり方など人類学の視点でみるべきものも多い」と話す。
 水曜休館。「ワン・ロード」展は7月19日まで。有料。
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160703000095

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