先住民族関連ニュース

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スライムのかわいさ「会心の一撃」 旭川冬まつりでドラクエ人気 肉まん連日完売

2024-02-10 | アイヌ民族関連

北海道新聞2024年2月9日 21:45(2月9日 23:25更新)

 第65回旭川冬まつり(実行委主催)の大雪像にデザインされている人気ゲーム「ドラゴンクエスト」が、会場のさまざまな場所にお目見えしている。市民雪像のデザインとなったり、スライムの形の肉まんが登場したりするなど、来場者を楽しませている。

 会場には、ドラゴンクエストに登場するモンスターをモチーフにした市民雪像が並ぶほか、雪の巨大迷路では、ゲームの世界観をパネルや小道具で紹介している。

・・・・・・ 

(佐藤愛未)

■10日の主なイベント

 ▽ダンスで届けたい!勇気と笑顔(午前10時)▽アイヌ古式舞踊(午後3時)▽旭川冬まつり×ドラゴンクエスト音と光のナイトショー(同7時25分)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/973911/


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影絵作り、自由な発想で 浦河の幼稚園 森の生きもの次々

2024-02-10 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2024年2月9日 19:39(2月9日 20:49更新)

自分で作った影絵を映し出して喜ぶ子どもたち

 【浦河】子どもたちに自分で影絵を作って楽しんでもらおうと、「影絵あそびの会」が4日、町内の浦河フレンド森のようちえんを会場に開かれた。自由な発想で作った影絵の数々に、参加者から笑いが湧き起こった。

 講師は、東京を拠点に全国で影絵のパフォーマンスや体験講座を行う川村亘平斎(こうへいさい)さん(43)。昨年9月に浦河で開かれた「アイヌ音楽祭2023」などで川村さんの舞台を見た、町内の高村はるかさん(44)が「子どもたちにもぜひ影絵を見せたい」と、企画した。

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(加藤敦)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/973804/


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旧社台小で世代間交流 高齢者大学の拠点+児童らの運動施設 白老町方針 来春開始目指す

2024-02-10 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2024年2月9日 19:20

白老町が高齢者大学を移転して活用する方針を示した旧社台小

 【白老】町は9日の町議会全員協議会で、2016年3月に閉校した旧社台小(町社台)の活用策として、生涯学習で60歳以上の町民が学ぶ「白老町高齢者大学」の活動拠点とする方針を示した。小学生などが使う運動施設としても活用し、世代間交流の場にしたい考えだ。町は25年4月からの利用開始を目指す。

 町中心部にある高齢者大学を旧社台小に移転するとともに、町内の児童らを対象にしたスポーツクラブの会場にする計画。校舎内にはトレーニングジムやリハビリ設備なども設置する予定だ。大塩英男町長は全員協議会で「町内の高齢化が進む中、世代間交流やスポーツ、健康、運動習慣の結びつきを強化したい」と説明した。新年度予算案に内部改修のための設計業務費などを盛り込み、建物の改修や新たな条例の制定を行う。

 高齢者大学は現在、町東町3の町高齢者学習センターを拠点に、本年度は高齢者141人が町の歴史やスマホの使い方を学び、陶芸やスポーツなどに励む。ただ、1958年建築で旧町立白老高校校舎(90年閉校)だった木造の建物は、老朽化が進んでいた。

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(斎藤雅史)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/973790/


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原子修さん死去 詩人、道内詩壇をリード 91歳

2024-02-10 | アイヌ民族関連

 

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北海道新聞2024年2月9日 18:27

 北方の自然や縄文文化などを雄大にうたう作品で道内詩壇をリードし、縄文やアイヌ文化を素材にした詩劇でも知られる詩人、原子修(はらこ・おさむ)さんが1月30日、肺炎のため死去した。91歳。函館市出身。自宅は小樽市築港。葬儀は近親者のみで行った。

 道学芸大函館分校(現道教大函館校)卒。1956年の「第一詩集」以降、「鳥影」「受苦の木」「未来からの銃声」(日本詩人クラブ賞)など10冊を超す詩集を刊行。98年、北海道文化賞を受賞。2015年に「叙事詩 原郷創造」で北海道新聞文学賞を受け、同作を自ら歌劇「ノンノ」(八木幸三さん作曲)として台本化し、21年に上演するなど、多方面に活躍した。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/973719/


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アイヌ工芸家アートを語る*近美で開催中「モレウのうた」

2024-02-10 | アイヌ民族関連

(北海道新聞2/9)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/973064/

【中央区】道立近代美術館(北1西17)で開会中の特別展「AINU ART―モレウのうた」(道立近代美術館、アイヌ民族文化財団主催)。木工や刺しゅうなど数々のアイヌ工芸品が並ぶ会場で、作家が「ものづくりの現場から」と題して語るトークイベントの1回目が1月27日に行われ、木彫家貝沢徹さん(日高管内平取町二風谷)、金工家下倉洋之さん(釧路市阿寒町阿寒湖温泉)がそれぞれ、特別展を企画した同美術館の五十嵐聡美学芸部長と対談し、作品に込めた思いを語りました。

 貝沢さんは、札幌市が2019年、地下鉄南北線さっぽろ駅構内に開設した「アイヌ文化を発信する空間」(愛称ミナパ)を象徴するオブジェとして、「IWOR-UN-PASE-KAMUY(イウォルン パセ カムイ=その場所を見守る尊い神様)」と題する翼を広げたシマフクロウの木彫(高さ約2.5メートル、幅約2.4メートル)を制作。JR札幌駅に14年に設置された木彫家藤戸竹喜さん制作のエカシ(長老)像を取り囲む、大きなへら状の祭具・イクパスイ6本のうち1本を手掛けています。

 特別展に展示された高さ2・4メートル、幅74センチの大作「Iron Will(鉄の意志)」は、貝沢さんが昨年12月から正月返上で制作に当たり、1月10日に納品した最新作。渦巻き状のアイヌ文様「モレウ」やうろこ模様を彫り込んだイタ(盆)を複数組み合わせ、それぞれ異なる彩色を施しています。国の伝統的工芸品に指定されている二風谷イタの伝統を受け継ぎ、「鉄のように固く揺るぎない精神を持ちたいという自らを含めたウタリ(同胞)へのメッセージ」が込められているといいます。

 ファスナーの内側にモレウなどを彫り、アイヌ民族としての自覚や誇りを表現した木彫「アイデンティティ」は、貝沢さんの代名詞ともいえる作品で、国際的に高く評価されています。今回展示されているのは2011年作で、アイヌ民族文化財団の所蔵。これまでに5点の「アイデンティティ」が制作され、英国で日本文化を発信する複合施設「ジャパン・ハウス ロンドン」で4月まで開催中の展覧会「アイヌの物語 沙流川流域の現代生活」に新作を出展しています。

 熊彫りの第一人者である藤戸さんを目指していたという40歳の頃に制作したタヌキ(1998年)やフクロウ(2001年)など写実的な木彫、貝沢さんがアイヌ文様を彫り始めるきっかけとなった曾祖父の名工ウトレントクが明治20年代に彫ったイタ(盆)、愛用する彫刻刀なども展示されています。

 貝沢さんは「中学生の頃、サケを彫っていた父に教わり丸刀でうろこ彫りをやってみたのが木彫りを始めたきっかけ。当初はアイヌ文様を彫ることに抵抗があったが、ウトレントクが残してくれたイタの良さに30代で気づき、アイヌの伝統と向き合うようになった」と振り返りました。五十嵐さんは「二風谷の工房を訪ねて一番感動したのは、貝沢さんが使う道具のいろんな文様の装飾。使い込まれて傷があるニマ(木鉢)もそうですが、暮らしの中の美がアイヌ工芸の魅力」と説明しました。

下倉さんは・・・・・

3月10日までの午前9時半~午後5時(2月12日を除く月曜と13日休館)。大人千円、高大生600円、小中生300円。アーティスト・トークは2月17日午前11時から結城幸司さん(南区)、午後2時から藤戸康平さん(阿寒湖温泉)=写真=、3月2日午前11時から関根真紀さん、午後2時から小笠原小夜さん(いずれも平取町)が登場します(要観覧券)。


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・平和への祈り込めたパフォーマンス バレエ×アイヌ舞踊をウクライナのダンサーらが表現 さっぽろ雪まつり

2024-02-10 | アイヌ民族関連

HTB2024年 2月 9日 19:31 )

開催中のさっぽろ雪まつり。さきほど、大通会場のステージで、平和への祈りを込めた一夜限りの特別なパフォーマンスが披露されました。
大通8丁目雪のHTB広場で行われたのは、ダンスパフォーマンス「フロストフラワーズ」です。
プロジェクションマッピングを交えた雪のステージには、世界的バレエダンサーの「針山愛美さん」とアイヌの伝統・文化の伝承者「秋辺デボさん」を中心に、ウクライナのダンサーたちも出演。
バレエとアイヌ舞踊のコラボレーションを通じて魂の共鳴を表現し、世界平和への祈りを届けました。

https://www.htb.co.jp/news/archives_24741.html


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『ゴールデンカムイ』フチが「フチすぎた」 アイヌ語・文化監修も驚き

2024-02-10 | アイヌ民族関連

シネマトゥデイ2024年2月10日 7時02分

『ゴールデンカムイ』よりフチ(大方斐紗子) - (C)2024 映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

 野田サトルの累計発行部数2,700万部を突破する人気漫画を実写化する『ゴールデンカムイ』(公開中)で、アシリパ(※リは小文字)の祖母フチを演じているのが、高畑勲演出の名作アニメーション映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)のホルス役の声優や、ドラマ「あなたの番です」の赤池幸子役などで知られる84歳のベテラン女優・大方斐紗子)(おおかた・ひさこ)。SNSでは「再現度1位はフチ」「フチがめっちゃフチだった」「フチが100%フチ」とその再現度の高さについて話題沸騰だが、本作でアシリパの大叔父役、アイヌ語・文化監修を務めた秋辺デボも圧倒する名演を見せている。

【画像】フチが杉元に託した思いは…名場面集

 明治末期の北海道を舞台に、“不死身の杉元”の異名をとる元陸軍兵・杉元(山崎賢人※崎は「たつさき」)とアイヌの少女・アシリパ(山田杏奈)が、莫大なアイヌの埋蔵金を巡り軍人や脱獄囚らとバトルを繰り広げる本作。大方演じるフチは、アイヌの古い教えを大切に日々を生きている女性。

 キャスト発表時には大方が「今回アイヌの役を初めてやらせていただきました。アイヌ民族の風習や方言が分からないので最初は苦労しましたがアイヌ語監修の中川先生をはじめとしたスタッフの皆さん、共演者の皆さんのおかげで最後までやり遂げる事が出来ました。ありがとうございました」とコメントを寄せていたが、映画が公開されるとアシリパへの深い愛がにじみ出るフチの姿がファンを魅了。SNSでは絶賛のコメントが並んだ。

 演じる大方は、「あまちゃん」「ひよっこ」「半分、青い。」「おかえりモネ」など朝ドラの常連でもある一方、1990年代に実際に起きた殺人事件をモチーフにした園子温監督の映画『恋の罪』では猟奇的な母親を怪演。大ヒットドラマ「あなたの番です」では車いす生活を送る介護老人役で強烈な存在感を放った。第90回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞したディズニー/ピクサー『リメンバー・ミー』では、主人公ミゲルのひいおばあちゃんで100歳に近いココの吹き替えを担当している。

 アシリパの大叔父として出演し、劇中のアイヌ語・文化監修も担当した秋辺デボは「フチ役の大方さんは、私の祖母や曾祖母がよみがえったのかなと思うくらい素晴らしかったです」と絶賛。劇中、映画オリジナルの描写もあり、秋辺と共にアイヌ語・文化監修を担当する中川裕は「私は漫画の連載当時からアイヌ語監修者としてこの作品に関わってきましたが、映画となると、漫画には描かれていないさまざまなことを表現する必要がでてきます。そういったものを秋辺デボさんと相談しながら、撮影の現場で加えていきました。杉元が初めてアシリパの家を訪れた時に、フチが被り物を取って鼻の下を人差し指ですっと擦る女性の挨拶をする場面もそのひとつです。それをフチ役の大方さんに寒い雪の中で何度も演じてもらいました」と話している(いずれも劇場パンフレットより抜粋)。

 なかでも印象的なフチが杉元にアシリパへの想いを託すシーンでは、日本語字幕が付けられていないアイヌ語のシーンがある。原作でも日本語訳がないシーンで、“アイヌ語が分からなくともフチのアシリパへの想いが伝わる”シーンであることから、映画でもあえて字幕を付けていない。なお、原作では該当シーンの日本語訳が2巻の巻末に書かれているが、劇場パンフレットにも記されている。(編集部・石井百合子)

https://www.cinematoday.jp/news/N0141314


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「金カム実写化は無理じゃない?」から一転…映画『ゴールデンカムイ』を成功させた“2人の男”の正体「業界で異例のことを…」

2024-02-10 | アイヌ民族関連

 文春オンライン02/09 17:10

 映画『ゴールデンカムイ』が大ヒットしている。

【「原作そっくり」と話題】山田杏奈演じるアイヌの少女・アシリパ

 1月19日に公開されると、わずか17日間で観客動員数111万人、興行収入16.3億円を突破。おそらく今後もロングランとなり、マンガの実写映画史にその名を刻む作品となるのではないだろうか。(記念すべき作品を「映画館で観た!」と言うために、ぜひ今のうちに映画館に行ってほしい!)

1月19日に全国公開された映画『ゴールデンカムイ』(映画『ゴールデンカムイ』公式Xより)

 なぜ映画『ゴールデンカムイ』は、「人気マンガの映像化」というプレッシャーをはねのけ、まごうことなき傑作になったのか。その背景には、本作を「ダイジェスト映画」にしなかったという英断が潜んでいる。成功を収めた最大の理由は、原作の完成度をそのまま丁寧に映画に移し替えたことにあった。

◆ ◆ ◆

全31巻の大長編ストーリーを2時間の映画に

『週刊ヤングジャンプ』で2014年から2022年にかけて連載されたマンガ『ゴールデンカムイ』(野田サトル/集英社)は、日露戦争後の北海道を舞台にした、元陸軍兵の杉元佐一とアイヌの少女・アシリパ(リは小文字)の「金塊探し」の物語。全31巻にわたる長編ストーリーである。

 その長さをかけるに値するほど、『ゴールデンカムイ』の展開の密度は濃い。とくに後半訪れるクライマックスには「そこでこう来るか!」と息をのんだ読者も多いはずだ。

実写化は「無理じゃない?」と…

 そんな『ゴールデンカムイ』を実写映画にするという。第一報を耳にした時、正直、筆者は不安に思った。「あの長い物語を、2時間の実写映画にする……? 無理じゃない?」と苦笑したのだ。

 長編マンガの『ゴールデンカムイ』をもし2時間の映画にするならば、どう考えても「ダイジェスト版」にならざるを得ないからだ。

「ダイジェスト版」とはどういうことか。メディアミックス作品を見てきた方ならば、一度は「ああ、あれね」と苦笑してもらえるのではないか。

 つまり作品の主要な展開は変えていないし、キャラクターや重要な台詞は登場しているものの、どうしても素早く次の展開に向かってしまうので、物語のカタルシスが薄く「ただあらすじを解説しているだけ」に見えてしまう――そんな失敗例のことだ。

メディアミックスに対して原作ファンが望むもの

 中には、映像化の際に原作のエッセンスをまるっきり変更してしまう作品もある。だから原作の要素を変えないだけ、「ダイジェスト版」でもいいのかもしれない。しかし、だ。観客が映像化に求めているのはそんなことではない。

 原作が映像化されたときに、読者や観客が望むもの。それは、「メディアミックスによって、よりたくさんの人に届き、『こんなに面白い物語があったんだ。知らなかった!』と言ってもらえる作品になること」だ。

『名探偵コナン』『テニスの王子様』『あさきゆめみし』…メディアミックスの成功例

 たとえば『名探偵コナン』(青山剛昌/小学館)はアニメになったことで、たくさんの人に「名探偵コナン」というキャラクターの魅力が伝わった。『テニスの王子様』(許斐剛/集英社)はミュージカル作品として舞台化されたことで、「テニミュ」としても親しまれるようになった。『源氏物語』は『あさきゆめみし』(大和和紀/講談社)としてマンガ化されたことで、より多様に古典の魅力が知られるようになったのだ。原作ファンがメディアミックスに求めているのは、このような現象だろう。

 もちろんメディアミックスされた結果、原作の要素を削ぎ落としたり、あるいは逆に原作にない要素を足したりすることは多々ある。たとえば『あさきゆめみし』を読んだ後に『源氏物語』を読むと「えっ、この場面って大和和紀さんの創作だったの!?」と驚く(筆者もそうだ)。舞台版『テニスの王子様』は当初、原作に登場する女性キャラクターを登場させなかったことで知られている。

 このような改変ゆえに、原作ファンからしたら「やっぱり原作が一番だ」と思うこともあって当然だろう。しかし、たとえそうであっても、メディアミックスによって、たくさんのファンを掴み、それゆえに原作の価値も、楽しめる期間も増える――それこそがメディアミックスの理想であるはずなのだ。

 だからこそ、映像化にあたり「長いストーリーの要素だけを紹介する、ただのダイジェスト版」になってしまうのは残念だ。それではなかなか新しいファンを掴めないから。

 さて、そのような意味で映画『ゴールデンカムイ』はひとつの映像化の成功例になった。なぜか。

※次のページから、映画『ゴールデンカムイ』の内容の一部に触れています。

2時間の映画で描かれたものは…

 映画『ゴールデンカムイ』の映像化が成功した理由。それは2時間の映画の構成が、マンガの序盤のみを描くことに限ったからである。

 全31巻ある原作の、たった3巻のエピソードを、2時間かけて描く。

 この挑戦は、見事に成功した。アクションシーンやアイヌ文化の豊饒さを丹念に映し出し、映画という新たな形で『ゴールデンカムイ』という作品の魅力を提示した。

 たとえば映画冒頭、日露戦争でもっとも過酷だったといわれる203高地の戦いのシーンが挿入される。山﨑賢人演じる主人公・杉元に「不死身の杉元」の異名がつけられる契機となった舞台だ。

 原作では何度も回想で反芻されるこの203高地の場面を、本作は迫力たっぷりに撮ってみせた。杉元がどのような戦いぶりだったのか、私たちは映画館のスクリーンで間近に見られるのだ。

原作でおなじみの「食べる」場面も

 さらに山田杏奈演じるアシリパが、アイヌの村に帰る場面では、アイヌ文化をじっくりと美しく撮ってみせる。原作ではおなじみの「食べる」場面もしっかり存在する。

 このように、埋蔵金争奪バトルという本筋だけを追いかけていると、零れ落ちてしまう原作の魅力――日露戦争の描写や北海道の熊の登場、そしてアイヌ文化の豊饒さ――を映画はしっかり時間をとって、スクリーンで見せてくれる。だからこそ私たちはこの物語の面白さに気づくことができるのだ。

 日露戦争やアイヌ文化を映すシーンに「尺を使うことができた」のは、映像化する部分を原作序盤のみにとどめたからだろう。なぜ映画『ゴールデンカムイ』は、「まずは原作の序盤だけを映像化する」という選択を取ることができたのだろう? そこには、本作の脚本家と監督が関わってきた、日本の映像エンタメの歴史が背景としてある。

映画『キングダム』シリーズ成功させた脚本家の手腕

 たとえば本作の脚本を担当する黒岩勉は、『ONE PIECE FILM RED』、『キングダム』(佐藤信介・原泰久と共同執筆)、『キングダム2 遥かなる大地へ』『キングダム 運命の炎』(ともに原泰久と共同執筆)といった、マンガ原作の映画化を成功させてきた脚本家である。

 とくに『キングダム』シリーズは、まさに「長編マンガを、数作かけて映画化する」という手法を取っていた。この前例があったからこそ、『ゴールデンカムイ』も「まずは原作マンガの3巻までを描く」という選択を取ることができたのではないだろうか。

「同じ世界観のなかで何作も生み出す」ことに長けた久保監督

 また監督の久保茂昭は、『HiGH&LOW』シリーズの監督として知られている。「ハイロー」として熱狂的なファンを生んだこの作品の特徴は、「ひとつの世界観で、テレビドラマや映画が何作も続いている」ことにある。

 これは日本のテレビドラマ業界においては異例のことだ。海外の長編ドラマでは、数シリーズをまたぎ展開する例はしばしばある(たとえば『ゲーム・オブ・スローンズ』はシーズン8まで辿り着いている)。しかし昨今の日本のドラマでは、たとえシリーズをまたいだとしても、続編は1~2作で終わることが多い。

 そんな状況にあって、『HiGH&LOW』シリーズだけが異質なのだ。『HiGH&LOW』シリーズだけで映画を7本も作っている久保は、現在日本でもっとも「同じ世界観のなかで、さまざまな登場人物に焦点を当てながら、何作も映画やドラマを生み出す」手法を操るのに長けた監督なのである。

 長編マンガ実写化のノウハウが詰まった脚本と、シリーズものとして構成するノウハウが詰まった映像。その2つが交差したところに、映画『ゴールデンカムイ』は存在する。本作が高い評価を受けているのには、こうした2人のプロフェッショナルが携わっているという背景があるのだろう。

 とはいえ、ノウハウだけではもちろん映画は成功しない。真冬の北海道で撮影されたというスタッフや俳優たちの本作に賭ける熱量が、スクリーン越しに伝わってくる。おそらくこの先、続編も制作され、『ゴールデンカムイ』はマンガの実写映画化の歴史に残る作品になるはずだ。

 このような作品が生まれたという奇跡を、ぜひ映画館で目撃してほしい。

(三宅 香帆)

https://article.auone.jp/detail/1/5/9/136_9_r_20240209_1707466295422661


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・厳寒の夜を幻想的に彩るラッチャコ…占冠村・あの街行く北海道(スポーツ報知2/9)

2024-02-10 | アイヌ民族関連

https://hochi.news/articles/20240209-OHT1T51038.html?page=1

揺らめく火が心に染みいる(占冠・村づくり観光協会提供)

 占冠村の冬の名物イベント「ラッチャコナイト2024」(主催=NPO法人占冠・村づくり観光協会)が、10日に道の駅「自然体感しむかっぷ」で開催される。「ラッチャコ」とはアイヌ語で「あかり」の意。約200個ものアイスキャンドルが輝き、厳寒の夜を幻想的に彩る。


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・蝦夷地を北海道と名付けた松浦武四郎~アイヌ搾取の暴虐に抵抗する(武将ジャパン2024/02/09)

2024-02-10 | アイヌ民族関連

https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2024/02/09/123350

北海道が成立してから、150年という歳月が流れました。

それを記念して2019年7月15日(北海道では6月7日)に放映されたのが、NHKドラマ『永遠のニシパ』。

この年に放映されたのは偶然ではない気がします。

というのも2019年は、アイヌ新法案が提出された年だからです。

アイヌは先住民族である――。

歴史的経緯を見てごく当たり前のこの真実、この年まで法で定められてはおりませんでした。

それどころか同法案を【日本人の対立を招く】として、差別的にバッシングする動きもあるほど。

もしも彼が生きていれば、こんな現代を見てどう思うか。

『まったく変わっていないではないか!』

松浦武四郎――。

まだ「蝦夷地」と呼ばれた土地を探検し、「北海道」の命名者となった江戸期の人物で、明治21年(1888年)2月10日が命日。

本稿ではその生涯を振り返ってみましょう。

文化年間に生まれた松浦武四郎

江戸時代というと、こんなイメージがあるかもしれません。

幕末だ、何だとドタバタし始めたのはペリーの来航以降のことで、それまでの日本人は太平に慣れきっていた。

と、これが実はそうでもありません。

19世紀はじめ、ヨーロッパはナポレオン戦争で荒れ果て、その余波は、地球を回って日本にも到達。知識人はナポレオンの伝記を読み漁る等して、動乱を感じておりました。

こうした話は、武士階級だけではありません。

豪農でも、国際情勢や愛国心に目覚める人物がおりました。

後に西郷隆盛の命令で江戸でテロ活動をした相楽総三もその一人でしょう。

あるいは、それまで平穏に生きていたにも関わらず、情熱をたぎらせ上洛した松尾多勢子のような女性もいたほどでした。

※以下は相楽総三と松尾多勢子の関連記事となります

最後は西郷に見捨てられた 相楽総三と赤報隊は時代に散った徒花か

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久坂や岩倉お気に入りの松尾多勢子!遅咲きの勤王おばちゃんて何者?

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文化15年(1818年)――。

伊勢国の徳川家領地士・松浦桂介時春の三男として生まれたその赤ん坊・武四郎も、こうした時代の申し子でした。

地士とは、苗字帯刀を許された庄屋(村の長)のことです。

彼が生まれた時代は、ナポレオン戦争終結の3年後。歴史的に見ても、ターニングポイントの時期です。

ロシアと国境を接していた蝦夷地の松前藩は、不凍港を目指すロシア南下の脅威にさらされつつありました。

松前藩が所領を幕府に召し上げられ、海防のため奥羽諸藩が蝦夷地を支配した時期もあったのです。

それが一時停止したのは、ロシアがナポレオン戦争に巻き込まれたから。

松前藩にとって一息つけた時期が終わり始めた頃に、彼は生まれたのでした。

夢は諸国放浪! 海を越えたい!

父の松浦桂介は、秀才でした。

本居宣長のもとで国学を学び、茶道を嗜む風流な人でもあったのです。

国学者・本居宣長の何が凄いのか?医学をやりつつ『古事記伝』を完成

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その末っ子である松浦武四郎は、父の愛を受けたやんちゃな子として育ちます。

彼は幼時に剃髪し、寺で学問を学んだこともありました。

学問のみならず、慈愛の心を学んだことが、その性格に影響を与えたことでしょう。

津藩の儒学者・平松楽斎の塾で、13歳から三年間学んだことも。

しかし、この師匠からは破門されています。理由は不明。どうにも我慢がならないと耐えきれない性格のようです。

とても塾でジンワリと学んでいられるようなタイプではない。

13歳の彼にこんな話があります。

そのとき武四郎は「文政のお蔭参り」をジッと見つめていました。いわゆる【伊勢参り】をする旅人の姿に、強い憧れを抱いていたのです。

夢は、諸国放浪だ――。

として天保4年(1833年)に家出し、一ヶ月ほどで連れ戻されています。こんな性格では、師匠も怒ったことでしょう。

松浦の夢は大きいものでした。

江戸、京都、大阪、長崎……それどころか、唐や天竺まで行きたいと手紙に書いていたほど。

外国――日本の外まで見たい!

まだ鎖国の時代に、そう夢見る少年だったのです。

そんな我が子の夢を、親も受け入れざるを得ません。

嫡男ならばまだしも、兄がいる末っ子です。そういう気楽さも、彼には幸いしたのでしょう。

17歳から21歳にかけては、仙台から鹿児島まで。旅の費用は、篆刻や四書五経、漢詩の講義で稼いでおりました。

知的かつ器用で、かつ親の仕送りをあてにしていなかったわけですね。

18歳の時は、あの天保の改革でお馴染みの水野忠邦の奥向で半年ほど奉公したことも。

なぜ水野忠邦は天保の改革で失敗した?質素倹約ゴリ押しで社会は混乱

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21歳になると、長崎で大病に罹ってしまいます。回復後、しばらく仏僧として、看病をしてくれた周囲にお礼として仕えていたこともあります。

とはいえ、目的はそれだけとも思えません。

大塩平八郎の乱」の影響もあり、幕府の目が厳しい中、淡々と海を越えられないかと期待し、3年間待っていたとも考えられます。

大塩平八郎の乱って意外と物騒~半日程度で鎮圧するも大坂は火の海に

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勉強をしたい。

できれば出世もしたい。

それでも、やっぱり旅をしたい!

そんな好奇心旺盛な青年であったのです。

蝦夷地への旅

そんな彼に転機が訪れたのが、天保14年(1843年)のことでした。

この3年前にはアヘン戦争が勃発。捕鯨船の出没も増え、「外国船打払令」では対応できなくなりつつあった頃です。

誤解されがちな幕末の海外事情~江戸幕府の対策は十分にイケていた?

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そしてここが重要な点です。

アメリカやイギリスよりもっと前に、日本に迫っていた外国の脅威――。

それがロシアでした。

ペリーの黒船に注目が集まるためあまり知られておりませんが、文化年間(1804-1818年)辺りから、樺太や択捉にロシア戦艦が出没する事件が相次いでいます(「文化露寇」)。

漂流民も増えています。

蝦夷地にロシアが迫っているらしい――よし、これより蝦夷地を回ってみよう。

そして、そのことをいつかこの国のために役立てようではないか。

松浦はそう考えると実家に戻って、現地への上陸を決意。弘化2年(1845年)に津軽から、松前藩領・江差に渡ったのでした。

ここで、考えておきたいことがあります。

ゴローニンらが漂着し、幕府もロシアに対する危険を察知している。

それなのに、奥歯に物が挟まったような感覚がある。

それが幕末の北方事情です。

松浦武四郎が、その目と足、そして筆で暴くのです。

そこはアイヌモシリだった

蝦夷地で出会った人々。

それはアイヌでした。

彼の渡航歴は以下のように3度あります。

1回目:1845年6月〜10月

2回目:1846年4月〜9月

3回目:1849年閏4月〜6月

松浦は蝦夷地を隅々まで歩き回り、アイヌの知恵、勇気、優しさ、助け合いの精神に感銘を受けました。

蝦夷地とは、まさしくアイヌモシリ(人間の静かなる大地)だったのです。

アイヌも、松浦を歓迎しました。

「酷いシャモ(和人のこと、地方によって呼び方は異なる)も多いもの。でも、そんなニシパ(旦那)の中で、あなたはよい人だ」

アイヌは親切にもてなし、料理をふるまい、興味深い話を聞かせてくれるのです。彼らの言葉を学びながら、松浦は『蝦夷日誌』はじめとする多くの著作に残しました。

生き生きとした筆致でアイヌの姿が記録されています。

例えばアイヌの記録とは以下のようなものがありました。

マキリ(小刀)だけでヒグマと対峙し追い払い、子グマをコタンまで連れ帰った烈婦。

親のために狩りをして、食料を求め、届ける孝子。

関羽の髭を見て憧れて伸ばし、その髭で子供を遊ばせる酋長。

松浦の知的好奇心は、そんなアイヌの話を聞いて膨らんでいきます。

賢いアイヌもいる。
素晴らしいアイヌもいる。
勇敢なアイヌもいる。

髷を結っていない。
服が左前である。
耳環をしている。

そういう服装や風習の違いだけで、野蛮だと見下すなんて、なんと愚かでくだらないことだろう。

アイヌは素晴らしい。

松浦はそんな信念を抱き、様々な列伝を記録したのです。

ゴールデンカムイ』のアシリパは、女性でありながら狩人です。アイヌ女性は狩りをしないと思われてきました。

一方、口承文芸では、存在していました。

松浦の記録にも、狩りをするアイヌ女性が出てきます。少なく、一般的ではない、されどいなかったわけではない。

漫画『ゴールデンカムイ』アシリパのリアリティは、松浦の記録からもわかるのです。

【ゴールデンカムイ 5話】ついに味噌(おそま)を食べるアシリパ

https://www.youtube.com/watch?v=2q5zC03Xl1o

アイヌをなぜ苦しめるのか?

松浦は、アイヌの美徳を残すだけで終わりませんでした。

アイヌが、松前藩によって、和人によって、どれほど苦しめられ、傷つけられてきたことか。

幾度も旅をすることで、陰惨な扱いを目にし、怒りを覚えるようになっていきます。

夫に対して貞節を守ろうと、奮闘するアイヌ女性の逸話も多く含まれています。

なぜ、そうなるのか?

多くの和人が、アイヌ女性の美貌に目をつけました。

少女が16にもなれば、そろそろよい年頃だと狙い始めるのです。夫を労働に連れ出し、留守を守る妻を誘う。それでも断られたら脅し、殴りつけました。

そんな脅しに対して、マキリ(短刀)で撃退した女性。その健気さ、必死の抵抗。

和人からの性的暴行により、梅毒に感染した被害者もおります。

アイヌにとっては未知の症状であるため恐れられ、隔離され、一人身を腐らせながら死んでいきました。

妻が和人の妾にさせられ、抗議を聞き入れられず、木で首を吊り、死を選んだアイヌ男性もおりました。

そうかと思えば妻を和人に略奪されることを防ぐため、敢えて障害のある妻を選ぶアイヌ男性も……。

こうした搾取の結果、人口が激減し、滅亡に瀕していったコタン(集落)もあります。

ろくな食事も与えられず、ぎりぎりの給与を与えられ酷使され、どうせ頭が悪いからわからないだろうと、騙し続けられるアイヌの人々。

日本に奴隷制度はなかったと言えるのか?

アイヌ女性のこうした境遇は、アメリカの歴史をも思い出させるものです。

「黒人奴隷少女は恐怖と淫らさの中で育つ」ハリエット 地獄の体験記

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聡明で観察眼を持つ松浦は、これは和人の残酷さと無知だけの問題ではないと見抜きました。

背景にあるのは、松前藩というシステム。

「場所請負制」という藩が富を吸い上げる仕組みが、暴虐につながっていたのです。

実は、藩そのものが、アイヌからの搾取を前提として成立していました。

しかも、ロシアに対抗するため、その状況は時代が進んで改善どころか悪化するばかり。

アイヌを救うためには、何をすればよいのか?

松浦は考え抜きます。

黒船来航、変わりゆく幕末の中で

三度目の蝦夷地探検を終えたあと、松浦はその成果『蝦夷日誌』を水戸藩主・徳川斉昭に献上しました。

水戸藩といえば、幕末の尊王攘夷運動の先駆けとなった藩。

黒船来航以来、日本は国防問題への関心を高めていました。

プチャーチンも来日する中で、蝦夷地探検を進めてきた松浦は、注目を集め始めます。

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幕府も無策ではありません。

「御雇」として松浦を蝦夷地探検させようとし、これに待ったをかけたのが、松前藩です。

「場所請負制」によるアイヌへの暴虐を暴かれたため、松浦に対して敵意を抱いておりました。

この松前藩の妨害も、意味をなさなくなってゆきます。

安政2年(1855年)、幕府は「日米和親条約」による開港に備え、函館を幕府直轄領にします。

そして松浦は、箱館奉行所支配組・向山源太夫の推挙もあって、登用されたのです。

前述したようなアイヌの苦境をまとめた松浦は、幕府が松前藩から彼らを救うのではないかと期待を寄せていました。

しかし、そうはならず病気を理由に、江戸に戻ってしまうのです。

松浦には、失望感がありました。

悪逆な松前藩とは異なり、幕府はアイヌに仁政を施すのではないか?という期待は裏切られたのです。

さらに【安政の大獄】が起きます。

頼三樹三郎はじめ、友人知人が処刑されたことで、彼は幕府にも失望しました。

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このころから、松浦は出版に精力を注ぎます。

学術的な書物だけではなく、紀行文、漫画(イラスト入りの本)、双六といったカジュアルなもので、蝦夷地を知ってもらおうとしたのでした。

江戸と大阪でヒットし、懐も潤った松浦。

しかし、金儲けや名声だけが目当てだったとも思えません。

庶民にまで、アイヌの知識が広まりますように。そのためには、金が必要になる。

そんな彼の考え方が窺えます。

 

新たな世でも、アイヌは救われないのか?

松浦を捉える上で難しいところ。

それは「どの勢力に与していたのか」把握しにくい点です。

頼三樹三郎と懇意にしていたこともあり、水戸藩とつながりがあります。こうした経歴を大々的に解釈されることが、戦前は目立ったものです。

「尊王攘夷の志士」という紹介も、よくなされています。

それならば、幕府に登用されて喜ぶのだろうか。

箱館奉行所支配組・向山源太夫とも、彼は懇意にしていました。

さらに複雑なのは、明治政府からの招聘に応じて出仕し、しかもすぐに職を辞しているところです。

結局、松浦は何なのか?

どういう考え方なのか?

慶応4年(1868年)、幕府から明治政府へと変わる中、松浦はその知識と経験を大久保利通に見出されました。

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「北海道」と名付ける

箱館戦争が終結すると「蝦夷開拓御用掛」、開拓使の「開拓大主展(だいさかん)」、「開拓判官」と、松浦は新政府の役職を歴任しました。

蝦夷地という名称は、変えなくてはならない。

これこそが急務でした。

明治時代初期は、古代律令制の名称をふまえたものでした。そこで「五畿七道」から「道」を採用し、国郡とすべしというところまで決めたわけです。

地名制定は、松浦以上の適任者はいません。

・日高見道
・北加伊道
・海北道
・海島道
・東北道
・千島道

彼の提出した六案のうち「北加伊道」から「ほっかいどう」という読みを、「海北道」から表記を取り入れ、「北海道」が誕生したのです。

その他にも、松浦が提案した多くの地名が、取り入れられました。

彼が蝦夷地を探検し、アイヌの地名を記録したものがかくして残されたのです。

北海道のあちこちに、アイヌ由来の地名が残っていること。これは、アイヌの命名と、松浦武四郎の探検と記録ゆえなのです。

アイヌと和人――。

二つの民族あっての北海道なのです。

松浦の目指した北海道は

こうした活躍から、金百円と従五位の官位を得た松浦。

しかし開拓使では、藩閥争いが発生していました。

長州系の兵部省と佐賀系の北海道開拓使の対立は、深刻なものでした。

対立構造は、こうなります。

松浦武四郎/wikipediaより引用

【開拓判官】
松浦武四郎
島義勇※「北海道開拓の父」とされ、札幌都市開発に関わった、佐賀藩出身

vs

【開拓長官】
東久世通禧※「七卿落ち」で長州に逃れた公卿の一人

東久世通禧/wikipediaより引用

これは、あまりに酷い人選であったと思わざるを得ません。

幕末明治初期にかけて、勝者となった長州藩の背後には、攘夷思想に凝り固まった公卿たちがおりました。

彼らは京都を出ることもなく、国際情勢を学ぶこともありません。

「獣のような穢らわしい夷人が、この神の国に上陸するとは! あきまへん」

「ところで、キリシタンバテレンゆう国はどこにありますのえ?」

そんな感情論と優越感だけで、無謀な攘夷の後押しをしていたのです。

こうした公卿は、岩倉具視のような稀有な例外を除けば、実務能力など皆無。

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よりにもよって、そんな公卿を北海道開拓を任せるとは最悪です。松浦と理解し合えたはずもない。

戊辰戦争には、差別感情がつきまといました。

大和朝廷以来、東北には野蛮な蝦夷がいるのだから、それを倒すという感覚がそこにはあったのです。

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自分たちこそ大和朝廷以来の洗練された日本人だと思う、その頂点に位置する公卿。

彼らにアイヌの権利を説いたところで、蝦夷と一蹴されてもおかしくはありません。

北海道開拓は、こうした政治的な権力争いの中、混沌の中で始まりました。

開拓のため、真っ先に送り込まれたのが戊辰戦争で敗北した東北諸藩の武士たちです。

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彼らに、食料や寒冷地対策を教えたのは、開拓使ではなくアイヌです。

その親切心と知恵を知ればこそ、松浦の焦燥感は増すばかり。

アイヌを苦しめ抜いた松前藩は、幕末の混乱の最中、大打撃を受けながらも一応官軍側についたと言えます。

そのため、転封とならなかったのです。

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「場所請負制」も、廃止となりません。松前藩は、打撃を受けた際にアイヌの搾取で立て直すことが、身についていました。

松浦の苦悩は、いかばかりであったか――。

早くも明治2年(1870年)には、官位を返上し、辞表を提出してしまうのです。

彼が明治維新に期待を寄せたのは、「安政の大獄」だけが原因ではありません。

松前藩を放置し、結果、アイヌを苦しめている幕藩体制。その打破を願ったからこそでした。

しかし、その松前藩は官軍側についた。そのために、新政府は処罰するどころか、残してしまう。アイヌを救うために、力と正義に期待する。

それを繰り返して、松浦はことごとく裏切られました。

幕府に期待しても、幕末の混乱のさなかにどうにもならない。新政府も、結局は駄目だった。アイヌをどうあがいても救えない。

松浦は疲れ果ててしまいました。

退官後、新政府から功績に対し「終身十五人扶持」を受けます。

松浦は北海道を後にします。

そして、二度とそこに戻ることは、ありませんでした。

「一畳敷」に座る探検家

退官後も、松浦は探検家として身についた生き方を捨てませんでした。

しかし、その旅路はまるで精神世界へ向かうようなもの。熊野、奈良の霊場、菅原道真関連の史跡巡りを繰り返したのです。

そんななか「好古家」(骨董マニア)としても知られるようになっていきます。

学究心の塊であった松浦は、

・勾玉
・青銅鏡
・石器
・古書物

等々、ありとあらゆる骨董品を集めたのです。

そのマニアぶりは「乞食松浦」というあだ名までつけられたほど。晩年の旅は、こうしたコレクション収集の一環でもありました。

そんな彼の究極の部屋が、東京神田の自宅に建てた「一畳敷」です。

友人から提供された寺社仏閣由来の古材で建てられた、まさに集大成とも言える場所。

大正期の随筆家・内田露庵をして「好事の絶頂」とされた、究極のコレクションルームでした。

古希を迎え、死を悟った松浦。

生涯を歩き尽くしてきた彼にとって、最期の旅の場所のようなものです。

肉体は歩けなくとも、魂はこの小さな場所で、飛び回っていたのでしょう。

明治21年(1888年)、松浦は享年71という生涯を終えました。

生前の松浦は「一畳敷」を破壊し、その木材で遺体を焼き、遺骨ともに大台ケ原山に埋めるように言い残していました。

しかし、それは実現していません。

彼の書斎「一畳敷」は何度かの移転を経て保存されています。

関東大震災、東京大空襲から逃れ、今も国際基督教大学敷地内に「高風居」として残されているのです。

・ICU TAIZANSO(→link

・ICU「なぜ、松浦武四郎の一畳敷を大切に保存しているのか?」(→link

 

松浦の生涯を振り返る理由とは

蝦夷地を歩き抜いた松浦は、北海道から身を置きました。

その背後には、失望感と苦しみもあったことでしょう。

松浦が職を辞した後、明治政府首脳部は「岩倉使節団」をアメリカに派遣します。

そこで彼らが目にしたのは、日本人によく似たネイティブ・アメリカンが迫害される姿でした。

実はトラブル続きで非難された岩倉使節団 1年10ヶ月の視察で成果は?

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はじめこそ憤っていたものの、こうした西洋諸国の姿から、明治日本は学んでしまったのです。

偽科学に基づく「合理的な人種差別」という概念を。文明国である欧米もそうなのだから、そういうものなのだと。

こうしてアイヌは、政府により人間動物園で展示されました。

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アイヌの墓から骨が盗掘され、「学問のための資料」として研究されてしまいました。

その蹂躙はまだ決着がついていません。

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屯田兵はじめ、多くの和人がアイヌの知恵で救われたにも関わらず、そうした歴史は消されてゆきます。

一方的に和人が恩義を施してやったと、歴史修正がなされてゆくのです。

このやり口も、欧米諸国から学んだものでした。

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その一方で、アイヌは「日本人だから」という理由で、戦場に送り込まれていく。

功績をあげても一時的に褒められるだけで、その待遇には露骨な差別がある。

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この北海道の歴史を、アイヌの苦難を、松浦武四郎が目にしていたら?

彼はどう思うのでしょう。

松浦の苦悩に似た苦い味を、アイヌとその差別解消に尽力する側はまだまだ噛み締めねばなりません。

太平洋戦争後――GHQの支配下のもと、アイヌは権利向上に期待を寄せます。

しかし、そうはなりませんでした。

珍しい踊りや儀式を見せる観光資源としてのみ、期待される。その一方で、差別をされたのです。

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一体いつになれば、アイヌは正義ある扱いを受けられるのか?

もしも松浦武四郎が生きていたら、激怒する歴史が、まだ刻まれているのです。

そうした歴史を経て、2019年に彼の生涯がドラマになること。これは画期的な一歩ではあります。

金田一京助ではなく、なぜ松浦武四郎なのか。

明治以降のアイヌ研究者は、研究材料として彼らを扱い、許可なしに文物を収集することも珍しくありません。

金田一の収集や研究も適切であったか?

そこはアイヌの見解をふまえねばならないでしょう。

金田一京助とは?コツコツと地味な作業で国語辞典の編纂やアイヌ語の謎を解明

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そこをふまえますと、適任者は松浦武四郎なのです。

彼は、和人とは思えぬほど親切なニシパであると、評価されていました。

これは彼だけの証言とは思えない部分があります。

著作や証言をみてゆくと、松浦は無私無欲、知的好奇心に突き動かされ、アイヌの保護と研究に生きていたことがわかります。金銭は、あくまで探求費用でしかありません。

家を残すことも二の次と考えていた節があります。

40を過ぎてから女性側のアプローチで、やっと結婚したほどでした。

彼は己の探究心と、その果てみ見出したアイヌのことを考え抜き、生きた人物でした。

そういう彼は世間から見れば異色で、理解しがたいものがあったのかもしれない。

攘夷志士であることを強調した戦前の伝記は、迷いながらキャラクター付けをしたあとすら感じるほどです。

松浦武四郎という人物は、江戸から明治においても、戦前ですら、理解しにくい先進性のある人物であったのではないでしょうか。

ヒューマニスト、人間とは何であるかをひたすら追い求めた。そんな人物だと感じます。

彼以上に、北海道の誕生にふさわしい人物はいないでしょう。

それは、彼が北海道の名付け親という名誉を担っているからだけではありません。

松浦は、あまりに先進的でした。

人は人らしくあるべきだ。

人種による差別ほど愚かしいものはない。

そう理解していたからこそ、アイヌのことを考えてきました。

人間は、人間だ。

そう人類が学び、到達できたのは、松浦が世を去ったずっとあとのことです。

松浦は、その先進性ゆえに苦労を重ねました。

しかし、だからこそ、現在でも錆びつくことのない、そんな人物なのです。

松浦武四郎と『ゴールデンカムイ』杉元佐一の比較

ここから先は、蛇足かつ彼自身の人生とは離れるものです。

松浦武四郎は、北海道の歴史を扱う漫画および『ゴールデンカムイ』主人公・杉元佐一との共通点もある人物ではないでしょうか。

TVアニメ「ゴールデンカムイ」第二期PV

https://www.youtube.com/watch?v=2PDY8LgeS-o

作者の野田先生がそこをふまえているのかどうかは、わかりません。

ただ、そうであっては不思議でない要素があります。

・家の束縛を受けない立場ではぐれもの

→松浦は嫡男ではなく浪人の期間が長い。杉元は家そのものを失い、かつ除隊済み。

・激烈な怒りの持ち主

→両者ともに、特にアイヌに対する迫害には激怒を見せます。

・名誉欲が薄い

官位返上した松浦。軍人としての功績や勲章に未練を見せない杉元。

・金銭欲も薄い

→実際にそんな記録の残る松浦。アイヌの金塊を必要以上には望まない杉元。

・頑健でサバイバルスキルに長けている

→幾度にも渡る探検をこなした松浦。満身創痍でも死なない杉元。生まれついて頑健なだけではなく、サバイバルスキルを身につけていきます。

・アイヌへの敬意

→著作の数々でそれを残した松浦。アシリパを「知恵を持つ戦士」として敬意を示す杉元。

・恋愛感情が薄い

→40過ぎるまで妻帯を考えたことすらなかった松浦。アシリパ側からの好意はうっすらと描かれていますが、実は杉元側からの描写は一切ありません。

・合理的で柔軟性がある

→松浦の生き方からは、「二君に仕えず」という理論が感じられません。尊王攘夷の志士という捉え方もありますが、そう単純なわけではない。幕府側の箱館奉行とも懇意であり、維新後も幕臣である勝海舟と親しく交流しています。

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松前藩とは次第に対立を深めてゆきますが、はじめのうちは交流があったわけです。

そういう彼の言動を見ていると、あまりに態度を変えすぎているように思えなくもありません。

ただ、これも彼にすれば当然のこと。

目的達成のためならば、手を組む相手を変えることは何の不思議もありません。

これは、杉元にも同じことが言えます。

もしも裏切っていると察知すれば、仲間だろうと倒すと笑顔で言い切ります。その反面、あれほど死闘を繰り広げてきた第七師団と手を組むのです。

目的のためならば、仲間を選ばない。

そんな合理性が両者ともにあります。

・アイヌよ、そのまま生きてくれ!

→松浦は、儒教的な倫理に従って導けば同じ人間であると著書に書いてはいます。

ただ、本気でそう思っているとは考えにくい。そんな要素があります。

アイヌがありのままに生きることこそ最善の道だと信じている。そんな考え方が伝わってくるのです。

杉元も、アシリパに和人として生きろとは言いません。

ウイルクがアシリパを戦士にしたいと知った時は、あのまま生きていって欲しいと自分の願いをぶつけています。

両者ともに、あれほどの苦労をいとわないにも関わらず、その願望はシンプルなことなのです。

こうした要素はかなり重要です。

こういう要素があればこそ、アイヌを差別せずに、描くことができる。そんな配慮を感じます。

杉元とその一行は、作中でもアイヌに差別意識がないように描かれています。

・杉元および彼の一行は、アイヌ女性を性的に搾取しない

→谷垣の場合、彼もインカラマッとの恋愛関係は相互の許可と意志を確認した相思相愛である。

アイヌ女性の性的虐待をふまえると、これは重要な点。

アイヌ女性の授乳をいやらしい目で見ていた白石ィ! おいちょっとお前、杉元に殴られて来い。

・杉元および彼の一行は、アイヌを金銭的に搾取しない

鯉登は、樺太アイヌであるエノノカが提示した犬橇の経費をそのまま支払っています。

それどころか、交渉のあとは握手までして、対等の契約であるように思えます。

かなりの高額。アイヌを搾取した和人が多い中で、これは重要です。

・杉元および彼の一行は、アイヌと同じ環境で行動している

→食卓や寝台を、人種によって分けることはありません。

実は、彼らは差別からほど遠い行動をとっているのです。

白石が差別発言をした際には、杉元がきっちりと制裁をしております。

松浦は、自分の著作が漫画(イラスト入りの本)や双六に利用され、庶民の間に広まってゆくことを歓迎していました。

漫画やアニメを通して、アイヌの知識が広まる『ゴールデンカムイ』は、現代版松浦武四郎の作品とも言えるのではないでしょうか。

「金塊争奪戦だ!」
それが表向きのアピールでありながらも、主役である杉元はそこまで金塊に執着していない。

むしろ彼は、アイヌであるアシリパがそのまま生きてゆくこと。

そこに、全力を注いでいるのです。

杉元佐一は、現代の目線から見ても差別意識がない、先進的なヒューマニストです。

その勇気のみならず、差別と無縁の言動が、大きな魅力と言えます。

そしてここで忘れてはならないのが、明治生まれの杉元佐一の以前に、文化生まれの松浦武四郎が実在したということです。

彼はまさしく、そういった意味で素晴らしい人物です。

松浦武四郎の思いを忘れるな

なぜ、杉元は松浦武四郎に近いのか。

そういう振る舞いを見せてこそ、2010年代という時代において、ふさわしいヒーローであるからではないでしょうか。

松浦武四郎にせよ、杉元佐一にせよ。

こういう極めて差別から程遠い和人がいたからと、そこで安心して救われてはなりません。

「白人救世主」という概念があります。

人種差別を行う人物が多い舞台の中で、差別される側に理解を示すマジョリティを描くこと。

『ドライビングMissデイジー』
『ジャンゴ』
『ヘルプ』
『グリーンブック』
といった名作とされる映画でも、このことは指摘されています。

https://www.youtube.com/watch?v=awUd_khNEcc

この概念を、噛み締めねばなりません。

よい和人もいた。

だから何なのか。

松浦に安心している場合じゃない。彼を安易な救世主にして、安心してはなりません。

できることならば、松浦武四郎ではなく、アイヌ目線でアイヌ自身を描いたドラマが見たい。

スパイク・リー作品のような、痛みを感じるほど厳しいアイヌ差別と戦う映画が見たい。

こうした流れを踏まえ、そう言いたくなる。

ただ、残念なことに、日本はそこまでの段階に達していない。

だからといって諦めてはいけません。

『永遠のニシパ』には、エカシ役に宇梶剛士さんがキャスティングされました。アイヌに、アイヌが配役されること。これは画期的な一歩です。

まだここまで――と、そう思うのか。

ようやくここまで来られたか。ここから進むぞ――と、前向きに捉えるのか

松浦武四郎の生き方を通じて、和人が暗い歴史と問題を受け止めるのであれば、それは素晴らしいことです。

アイヌの問題は、アイヌだけのものではない。

和人の、いや人間のことなのだ。

そんな松浦武四郎の思いを、忘れてはならないでしょう。


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