集英社2024.02.23
累計2700万部を突破した大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』。アイヌをはじめ、北方の少数民族の言語や文化に関するリアルな描写は、本作の魅力の一つだ。そんなディテールを支えたのが、アイヌ語監修にあたった言語学者の中川裕氏。その中川氏による解説本の第2弾『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(集英社新書)が刊行された。前編では、本書刊行までの経緯、そして中川氏がアイヌ語・文化監修で関わった実写版『ゴールデンカムイ』の制作秘話を聞いた。
『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修をはじめたきっかけ
――前作(『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』)の2倍以上のボリュームで、ものすごく読み応えがありました。大作を書き終えて、どのようなお気持ちですか。
中川裕(以下略) やっと終わった、よかったよかったという感じです(笑)。担当編集者さんの要望が非常に多岐にわたっていたので、それに従って書いていたら、どんどん枚数が増えていきました。
――読んでいて中川先生の『ゴールデンカムイ』愛がひしひしと伝わってきますが、そもそもどういった経緯でアイヌ語の監修をすることになったのですか。
作者の野田サトル先生と編集の方が、連載開始前、いろいろと取材をしていた時に、私の研究室にいらっしゃったんです。北海道アイヌ協会と北海道博物館に「こういう漫画を描きたいんだ」と相談したら、どちらも私を紹介してくれたということで。その時は最初の三話分の原稿をお持ちでした。まだアシㇼパ(本作のヒロイン)という名前も決まっていない段階です。それを読ませていただき、こりゃ面白いやと思って「ぜひやらせてください」とこちらからお願いしました。
それ以来、毎週楽しみに読んでいたし、アニメにも実写映画にも関わらせてもらったし、もちろん作品は野田先生のものですが、自分の作品でもあるような愛着があることは確かです。
今回の新書は、その『ゴールデンカムイ』を教科書にしてアイヌ文化を学ぶのなら、こういう読み方ができますよ、というガイドブックのような本として書きました。
実写映画には原作にない名場面が追加された?
――ちょうどいま実写映画の『ゴールデンカムイ』が公開中で好評を博しています。出演者の方々にアイヌ語の指導をなさったとうかがっていますが、ロケにも参加されたのですか。
はい。本当はアイヌ語のセリフが出るすべてのロケに参加したかったんだけど、日程的に、なかなかそうはいきません。だから私自身が立ち会っていないところでアイヌ語のセリフを言うこともあるわけです。そういう時は後で聞かせてもらって、「録音のしなおしを」とお願いすることもありました。
アシㇼパ役の山田杏奈さんには、アイヌ語だけではなく、仕草についても提案しました。アシㇼパが熊を解体する際、両手を上に向けて祈る「オンカミ」(礼拝)をするのは原作になかったもので、予備知識のない人でも「ああこの子は民族が異なるんだな」と分かる、いいシーンになったと思います。
――「アイヌ語監修」のみだった原作の時とは違い、映画では「文化監修」としてもクレジットされていましたが、コタン(村)の場面等、美術スタッフの方とはまた違ったこだわりを発揮されたのではないでしょうか。
小道具なんかは美術の方がそろえてくれるので、そこには口出ししませんが、配置にはこだわりましたね。家の中で、どういう風に物を配置するか。実際に立ち会って、「これは要らないですね」「これも要らないです」って、「要らない」がほとんどなんですよ。「ここに置いとくのは変だから、そっちに移して」とかね。そんなことをやっていました。
――今回のご著書でも、アイヌの伝統的なチセ(家)の中での席順について解説されていましたが(第二章 コタンの生活風景)、映画を観るとちゃんとその通りに座っていましたね。
それは原作漫画の時からそうなっていますからね。撮影現場でも、主人側がこちらに座って、主人公の杉元(山﨑賢人)はお客さんだからあっちに座って、そしてロルンプヤㇻ(「神窓」)のある側は通っちゃダメと、そういうことは指示しました。

コタンを訪れた山﨑賢人演じる杉元(左)と、秋辺デボ演じるアシㇼパの大叔父(右) ©野田サトル/集英社 ©2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会
――そうしたリアリティについて、原作の画づくりと、実写映画の画づくりを比べて、なにか発見はありましたか。
原作は野田先生がしっかり調べて描かれていますが、例えば屋内の場面で、部屋の隅から隅まで360度全部気にすることは、おそらくありませんよね。アニメでも同様です。構図を決めたら、そこに納まる物だけを丁寧に描きこんでいけばいいでしょう。
ところが映画の場合、カメラがどう動いて、なにが写るかわからない。ぐるっと見回した時に、全体がそれらしくなっていないといけないわけですよ。要するに漫画やアニメではそこまで気にしなくてよい部分についても、なんらかの監修をする必要が出てきます。家の作りはどうなっているかとか、骨組みはどうなっているか、物はどういう配置か、一生懸命調べなければいけませんでした。
それでも、分からないことはたくさんあります。いま生きている人はもちろん、その前の世代の、私たちが(30年以上前にフィールドワークで)話を聞いてきた人たちだって、アシㇼパたちのような生活はしていなかったんですから。分からないところは「こうであるはずはない」という選択肢を排除していって、辻褄を合わせてゆく他ない。その点が大変でした。
さらなるリアリティと、フィクションの楽しみ
――アイヌ語の監修は、脚本段階からなさっていたのですか?
そうですね。頭から全部、読ませてもらって。アイヌ語の間違いを直すのはもちろんですが、撮影が進むうちに、脚本にないセリフを入れる作業も生じました。現場で、「ここでなにも言わないのは変だから、アイヌ語でよいセリフを考えて下さい」と、そういう監督からのリクエストがたびたびあるわけです。だから、原作にないアイヌ語のセリフも出てきますし、あとは人物の所作についても、共同監修の秋辺デボさんとアイディアを出し合って変えていったところもあります。
――よろしければ具体例をお聞かせいただけませんか。
アイヌ語のヒンナという言葉は連載時から人気になりましたが、原作でちゃんと「感謝の言葉」と説明されているにもかかわらず、「おいしい」という意味だと誤解されて広まりましたね。そこで映画では、アシㇼパが初めてこの言葉を口にする時、お椀を手にして祈るように上下させながら「ヒンナヒンナ」と言うようにしました。食べる前だから「おいしい」にはなりませんね。そこで杉元が「それなに?」と訊いて「感謝の言葉だ」とつなぐことで、非常にはっきりと伝わるようになったんじゃないかなと思います。
あと私が提案したのは、杉元が初めてアシㇼパのチセを訪ねる場面のフチ(アシㇼパの祖母/大方斐紗子)のふるまいです。漫画だとフチはあまり表情を変えず、ただアシㇼパが連れてきたお客さんだからもてなそう、という感じなんですが、映画では、いかにもアイヌのおばあちゃんだったらするだろうな、という仕草を入れてもらった。被り物をとって、こう(右手の人差し指で鼻の下をこする)するんです。これがアイヌの女性のあいさつなんですよ。
アシㇼパが大人の男性の前で被り物をとらないのは彼女のキャラクターだから、それはいいんです。本当にリアリティを追求するなら、そもそも文様つきのアットゥㇱ(アイヌの織物)をふだんから着ているのも変だ、という話になってしまいます。あれは晴れ着ですからね。
――原作漫画における登場人物の服装について、ご著書には「いわばアイヌであることをわかりやすくするための演出で、リアルな描写ではありません」と書かれていました。
はい。実写映画でも同様で、やはり映画としての見栄えが大事だから、極端にリアルを追求していくわけにもいかないでしょう。ドキュメンタリーを撮るなら別ですが。漫画が原作の場合はなおさら、イメージを崩さないようにしないといけませんしね。私が少し心配だったのは、熊やレタㇻ(白い狼)の描写でしたが、できあがりを観て納得しました。
――フィクションならではの演出とリアリティとのバランスは、歴史ものだと特に重要ですね。そして実際の歴史や文化を深掘りしたい人のために本書のようなガイドブックは必要ですね。
(後編に続く)
取材・文/前川仁之 撮影/内藤サトル
https://article.auone.jp/detail/1/2/4/339_4_r_20240223_1708657352845397