先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ウポポイの舞踊チーム、都内でアイヌ民族の伝統舞踊披露

2024-02-24 | アイヌ民族関連

会員限定記事

2024年2月23日 21:02(2月23日 21:23更新)

ムックリ演奏も披露したウポポイの舞踊チーム(玉田順一撮影)

 胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」で活動する舞踊チームが23日、東京都内で公演し、アイヌ民族の伝統舞踊を披露した。

 アイヌ文化の理解促進とウポポイのPRに向けて、アイヌ民族文化財団(札幌)が開催した。ウポポイの舞踊チームによる道外公演は、2023年の岡山市に続き2回目。伝統衣装に身を包んだ22人が、イヨマンテ(クマの霊送り)の儀式を題材としたオリジナル演目「イノミ」を上演し、男性は刀を手に足を踏みならし、女性は着物の袖を振りながら輪になって踊った。

 ・・・・・・

(内山岳志)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/979065/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原作になかった実写版『ゴールデンカムイ』“名場面”とは…誕生の裏に存在したアイヌ語・文化監修者による「監督に録音のしなおしをお願いしました」

2024-02-24 | アイヌ民族関連

集英社2024.02.23

累計2700万部を突破した大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』。アイヌをはじめ、北方の少数民族の言語や文化に関するリアルな描写は、本作の魅力の一つだ。そんなディテールを支えたのが、アイヌ語監修にあたった言語学者の中川裕氏。その中川氏による解説本の第2弾『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(集英社新書)が刊行された。前編では、本書刊行までの経緯、そして中川氏がアイヌ語・文化監修で関わった実写版『ゴールデンカムイ』の制作秘話を聞いた。

『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修をはじめたきっかけ

――前作(『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』)の2倍以上のボリュームで、ものすごく読み応えがありました。大作を書き終えて、どのようなお気持ちですか。
中川裕(以下略) やっと終わった、よかったよかったという感じです(笑)。担当編集者さんの要望が非常に多岐にわたっていたので、それに従って書いていたら、どんどん枚数が増えていきました。

――読んでいて中川先生の『ゴールデンカムイ』愛がひしひしと伝わってきますが、そもそもどういった経緯でアイヌ語の監修をすることになったのですか。
作者の野田サトル先生と編集の方が、連載開始前、いろいろと取材をしていた時に、私の研究室にいらっしゃったんです。北海道アイヌ協会と北海道博物館に「こういう漫画を描きたいんだ」と相談したら、どちらも私を紹介してくれたということで。その時は最初の三話分の原稿をお持ちでした。まだアシㇼパ(本作のヒロイン)という名前も決まっていない段階です。それを読ませていただき、こりゃ面白いやと思って「ぜひやらせてください」とこちらからお願いしました。
それ以来、毎週楽しみに読んでいたし、アニメにも実写映画にも関わらせてもらったし、もちろん作品は野田先生のものですが、自分の作品でもあるような愛着があることは確かです。

今回の新書は、その『ゴールデンカムイ』を教科書にしてアイヌ文化を学ぶのなら、こういう読み方ができますよ、というガイドブックのような本として書きました。

実写映画には原作にない名場面が追加された?

――ちょうどいま実写映画の『ゴールデンカムイ』が公開中で好評を博しています。出演者の方々にアイヌ語の指導をなさったとうかがっていますが、ロケにも参加されたのですか。

はい。本当はアイヌ語のセリフが出るすべてのロケに参加したかったんだけど、日程的に、なかなかそうはいきません。だから私自身が立ち会っていないところでアイヌ語のセリフを言うこともあるわけです。そういう時は後で聞かせてもらって、「録音のしなおしを」とお願いすることもありました。
アシㇼパ役の山田杏奈さんには、アイヌ語だけではなく、仕草についても提案しました。アシㇼパが熊を解体する際、両手を上に向けて祈る「オンカミ」(礼拝)をするのは原作になかったもので、予備知識のない人でも「ああこの子は民族が異なるんだな」と分かる、いいシーンになったと思います。

――「アイヌ語監修」のみだった原作の時とは違い、映画では「文化監修」としてもクレジットされていましたが、コタン(村)の場面等、美術スタッフの方とはまた違ったこだわりを発揮されたのではないでしょうか。
小道具なんかは美術の方がそろえてくれるので、そこには口出ししませんが、配置にはこだわりましたね。家の中で、どういう風に物を配置するか。実際に立ち会って、「これは要らないですね」「これも要らないです」って、「要らない」がほとんどなんですよ。「ここに置いとくのは変だから、そっちに移して」とかね。そんなことをやっていました。
――今回のご著書でも、アイヌの伝統的なチセ(家)の中での席順について解説されていましたが(第二章 コタンの生活風景)、映画を観るとちゃんとその通りに座っていましたね。
それは原作漫画の時からそうなっていますからね。撮影現場でも、主人側がこちらに座って、主人公の杉元(山﨑賢人)はお客さんだからあっちに座って、そしてロルンプヤㇻ(「神窓」)のある側は通っちゃダメと、そういうことは指示しました。

コタンを訪れた山﨑賢人演じる杉元(左)と、秋辺デボ演じるアシㇼパの大叔父(右) ©野田サトル/集英社 ©2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

――そうしたリアリティについて、原作の画づくりと、実写映画の画づくりを比べて、なにか発見はありましたか。
原作は野田先生がしっかり調べて描かれていますが、例えば屋内の場面で、部屋の隅から隅まで360度全部気にすることは、おそらくありませんよね。アニメでも同様です。構図を決めたら、そこに納まる物だけを丁寧に描きこんでいけばいいでしょう。
ところが映画の場合、カメラがどう動いて、なにが写るかわからない。ぐるっと見回した時に、全体がそれらしくなっていないといけないわけですよ。要するに漫画やアニメではそこまで気にしなくてよい部分についても、なんらかの監修をする必要が出てきます。家の作りはどうなっているかとか、骨組みはどうなっているか、物はどういう配置か、一生懸命調べなければいけませんでした。
それでも、分からないことはたくさんあります。いま生きている人はもちろん、その前の世代の、私たちが(30年以上前にフィールドワークで)話を聞いてきた人たちだって、アシㇼパたちのような生活はしていなかったんですから。分からないところは「こうであるはずはない」という選択肢を排除していって、辻褄を合わせてゆく他ない。その点が大変でした。

さらなるリアリティと、フィクションの楽しみ

――アイヌ語の監修は、脚本段階からなさっていたのですか?
そうですね。頭から全部、読ませてもらって。アイヌ語の間違いを直すのはもちろんですが、撮影が進むうちに、脚本にないセリフを入れる作業も生じました。現場で、「ここでなにも言わないのは変だから、アイヌ語でよいセリフを考えて下さい」と、そういう監督からのリクエストがたびたびあるわけです。だから、原作にないアイヌ語のセリフも出てきますし、あとは人物の所作についても、共同監修の秋辺デボさんとアイディアを出し合って変えていったところもあります。
――よろしければ具体例をお聞かせいただけませんか。
アイヌ語のヒンナという言葉は連載時から人気になりましたが、原作でちゃんと「感謝の言葉」と説明されているにもかかわらず、「おいしい」という意味だと誤解されて広まりましたね。そこで映画では、アシㇼパが初めてこの言葉を口にする時、お椀を手にして祈るように上下させながら「ヒンナヒンナ」と言うようにしました。食べる前だから「おいしい」にはなりませんね。そこで杉元が「それなに?」と訊いて「感謝の言葉だ」とつなぐことで、非常にはっきりと伝わるようになったんじゃないかなと思います。

あと私が提案したのは、杉元が初めてアシㇼパのチセを訪ねる場面のフチ(アシㇼパの祖母/大方斐紗子)のふるまいです。漫画だとフチはあまり表情を変えず、ただアシㇼパが連れてきたお客さんだからもてなそう、という感じなんですが、映画では、いかにもアイヌのおばあちゃんだったらするだろうな、という仕草を入れてもらった。被り物をとって、こう(右手の人差し指で鼻の下をこする)するんです。これがアイヌの女性のあいさつなんですよ。
アシㇼパが大人の男性の前で被り物をとらないのは彼女のキャラクターだから、それはいいんです。本当にリアリティを追求するなら、そもそも文様つきのアットゥㇱ(アイヌの織物)をふだんから着ているのも変だ、という話になってしまいます。あれは晴れ着ですからね。
――原作漫画における登場人物の服装について、ご著書には「いわばアイヌであることをわかりやすくするための演出で、リアルな描写ではありません」と書かれていました。
はい。実写映画でも同様で、やはり映画としての見栄えが大事だから、極端にリアルを追求していくわけにもいかないでしょう。ドキュメンタリーを撮るなら別ですが。漫画が原作の場合はなおさら、イメージを崩さないようにしないといけませんしね。私が少し心配だったのは、熊やレタㇻ(白い狼)の描写でしたが、できあがりを観て納得しました。

――フィクションならではの演出とリアリティとのバランスは、歴史ものだと特に重要ですね。そして実際の歴史や文化を深掘りしたい人のために本書のようなガイドブックは必要ですね。

(後編に続く)

取材・文/前川仁之 撮影/内藤サトル

https://article.auone.jp/detail/1/2/4/339_4_r_20240223_1708657352845397


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゴールデンカムイ』の“カムイ”が意味するものとはそもそも何なのか? アイヌ語監修者が発見した、アイヌ文化を保存するために必要なこと 

2024-02-24 | アイヌ民族関連

集英社2024.02.23

累計2700万部を突破し、実写版映画も公開された漫画『ゴールデンカムイ』。そのアイヌ語監修を担当した中川裕氏による解説本の第2弾『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(集英社新書)が刊行された。後編では、「アイヌ語」にフォーカスし、半世紀近く研究してきた中川氏がいま考えていることを聞いた。

アイヌ語を「活保存」するには経済を回す必要がある

――中川先生は東京大学在学中の1976年に北海道に渡ってフィールドワークを始めて以来、半世紀近くアイヌ語の研究を続けるとともに、「活保存」(注:静内地方のアイヌ文化伝承者・葛野辰次郎さんの言葉で、言語を記録するだけの「死保存」に対し、使うことで生かしてゆくこと)を試みてこられました。本書の第八章では「活保存」の方法の一つとして、原作に出てきたアイヌ語のセリフをどのように考えていったか、解説されています。こうした形での「活保存」は新鮮な体験だったのではないでしょうか。
中川裕(以下略) はい。私自身はずっと前から、仲間を集めてアイヌ語を使った同人誌を作ったり、劇をやったりしていたので、アイヌ語のセリフ作りは初めてではありません。ただそれまでの、いわば内輪向けの活動と、何万もの読者を持つ作品にセリフを書くのとでは重みが全然違いますね。

それに、同人誌や劇をやっていた時にはまだ、「こういう時アイヌ語の母語話者だったらどう言うのだろう?」ということを質問できるアイヌ語の母語話者がいました。『ゴールデンカムイ』監修のお話が来た時には、もうそういった方々が亡くなっていた。本来ならアイヌ語の母語話者に確認しながら作文すべきですが、いないから、私がぜんぶ自分で書くしかなかったわけです。そういった意味では初めての作業でしたね。
――先生が研究を始めた頃と比べるとアイヌ文化はずっと広く認知されるようになり、2020年にはついに、国立アイヌ民族博物館を含む民族共生象徴空間「ウポポイ」が開業しました。先生はこちらのプロジェクトにも携わってらっしゃいます。今後の展望をお聞かせください。
私が提案しているのは、国立アイヌ民族博物館の展示解説や刊行物は全部アイヌ語にして、その文章を外部発注したらどうか、ということです。中の職員が作文しても、それは勤務の一環になってしまうので、それ以上の経済的効果は出ません。外部に発注したら当然、謝金を支払うことになります。つまりアイヌ語のできる人が、アイヌ語によって経済的に利益を得られる、そういう体制ができます。すると、前からアイヌ語に興味を持っていた人が「アイヌ語を仕事にすることができるのか。だったらもっと勉強しよう」とさらにがんばるかもしれない。
言葉というものは、話者のアイデンティティだけではなく、経済と密接に結びついています。ある言葉を維持するための経済的な基盤がなくなったら、消えていってしまう。世界中で、数多くの消滅危機言語がそうやってなくなっていっているわけです。だからアイヌ語を支えるためには、アイヌ語を使いたくなる経済状況を作ってゆく必要があります。これは以前からずっと言ってきていることで、ウポポイはその発信地になって欲しいと思っています。

――そうやってアイヌ語を習得した人が、次に『ゴールデンカムイ』のような作品が出る時に監修の仕事をできるのが理想ですね。
そうそう。だから私は、その皮切りをやっているだけの話でね。アイヌが登場する作品がどんどん出てきて、他の人が監修をやるようになればいいと思いますよ。

『ゴールデンカムイ』を支えた監修者たちのコラム

実写版では広大な雪景色のロケーションで『ゴールデンカムイ』の世界観が再現された ©野田サトル/集英社 ©2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

――本書には先生ご自身の解説だけではなく、樺太アイヌ、北方少数民族のニヴフ、ウイルタ、さらには物語後半の重要人物ソフィアのモデルを生んだロシア近代史についても、それぞれの専門家が書かれた濃密なコラムが収録されています。寄稿者の人選はどのように決めたのでしょうか。
編集者さんから「樺太編も含めた物語全体の文化解説をして欲しい、それぞれの専門家のコラムも入れたい」と相談があり、それなら、とこの人たちにお願いしました。みんな原作の監修に関わっているので、「内部の人が種明かしをする」というこの本のコンセプトにも合いますからね。
彼らともよく話をしているんですが、ニヴフやウイルタなんて、ほとんどの人が聞いたこともないような存在です。それについて書かれたものはあるにはあるけど、専門書や論文など、一般の人が読むものではありません。何万人という単位で読まれるかもしれない形で概説的なものを書いたのは、この本がたぶん最初でしょう。少数民族文化の紹介という点で、非常に画期的な本になったと思います。寄稿してくれた人たちもそう言っていますしね。
――樺太についてはコラムに加えて中川先生の解説も充実しており、守備範囲の広さに驚きました。
まあ、ここに書かれている民族はほぼすべて、私は実際に暮らしているところを訪ねて、話を聞いていますからね。初めて樺太に行ったのはソ連時代の1990年で、ペレストロイカのおかげで大規模な調査許可が下りたから行けたのですが、飲み水を手に入れるのにも苦労する状況でした。

アイヌ文化は現代社会へのヒントが詰まっている

――アイヌの伝統的な世界観についてもお聞きしたいです。『ゴールデンカムイ』の一冊目のガイドブック(『アイヌ文化から読み解く「ゴールデンカムイ」』)で、中川先生はアイヌの世界観の核となる「カムイ」という語について、しいて訳すのなら「環境」だと説かれていました。それまでは「神」と訳されるものと理解していたので、読んで目から鱗が落ちるようでした。新著の第一章でも、物語のさまざまな場面に即してさらに踏み込んだ解説をされています。
一方で、この数年の間に日本社会では「持続可能性」ということがしきりに言われ、環境へ配慮する意識は高まってきています。アイヌの伝統的な知恵がヒントになることもあるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

注意しなければならないのは、一口に環境への配慮と言っても、実践のあり方によってはアイヌの伝統文化と真っ向からぶつかるということです。アイヌの文化は動物を飼って、もしくは狩って、殺して、皮や肉を得て利用する文化です。一方でいま、動物の毛皮をファッションとして身につけること自体を否定する傾向がありますよね。あるいは、動物性たんぱく質を一切摂らないヴィーガンなど、実践する人からすればアイヌ文化はとても受け入れられないでしょう。
ですから非常に難しい問題ですが、本質的な部分を継げば現代社会にも参考になるんじゃないかと思うことはあります。例えば原作漫画にも登場するイオマンテ(熊送り)は、子熊を飼って、育てて、殺して、その魂を「カムイの世界」へと送り返す儀礼です。要するに、我々に肉やいろいろなものをもたらしてくれる存在に対する――それを殺すことになるわけですが――感謝の儀礼です。

じゃあこのイオマンテを現代によみがえらせるとしたら、私が思うのは、真っ先に、牛と豚と鶏に対してやらなくてはならないということ。牛とか豚は自分たちに食べ物を提供してくれるありがたいものなんだから、感謝の意をあらわすお祭りをやらなくてはならない、と。そして、それらを私たちが食べられるようにしてくれている、屠畜業の人たちにも感謝しなくてはならない。
命の消費を、消費の本質を考える時に、アイヌの伝統的な世界観は参考になるんじゃないかなと思います。
――アイヌ以外の日本の民間信仰にも通じるものがあるのではないでしょうか。今でも地方に行くと「畜魂碑」を見かけることがあります。あれも家畜に対する感謝や供養の気持ちで建てるわけでして。
それもあると思いますし、あとは「針供養」(注:役目を終えた針に感謝を込めて、供養すること)という習慣がありますね。ああいった信仰が、アイヌの考え方にぴったりと一致します。この本でも説明したように、自然界の動植物だけではなく、道具に至るまで、それらには魂があって自分たちの力になってくれるカムイなのだ、という考え方がアイヌ的な精神なので。

だから、「アイヌは自然と共に生きる民族」といった説明は好ましくない。と言うのも「自然と共に生きる」=「現代社会では生活できない文化」ととらえられてしまい、アイヌの可能性を狭めてしまうから。そうじゃないんです。自然だけがカムイではない、小さな道具に至るまで、あらゆるものがカムイである、という世界観です。カムイであるとはどういう意味かと言うと、人間と同じような存在として扱うということです。
――だからこそ感謝もするし、供養もするということですね。
はい。ありとあらゆるものとの共存なのであって、自然だけではない。それなら現代社会の中でも、アイヌの精神世界を基盤にした生活は十分に実現できるでしょう。そういう風にアイヌに対する見方を変えていく必要があるんじゃないかなと思っています。

取材・文/前川仁之 撮影/内藤サトル

https://shueisha.online/entertainment/196962


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三つの可能性 道州制論の時は一致 立場超え開かれた議論を 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>13

2024-02-24 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2024年02月23日 15:20更新日時 2024年02月23日 15:21

辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票の開票速報を受けて報道陣の取材に答える「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表=2019年2月24日、那覇市の教育福祉会館

 この連載は、2022年に2期目に入った玉城デニー知事が国連訪問に意欲を見せていることを受けて、15年に当時の翁長雄志知事が国連人権理事会で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べた経緯や意義を振り返りながら、あらためて「沖縄の人々の自己決定権」を検証するために始まった。これまで1年にわたり、自己決定権の国際法上の発展に呼応する形で、琉球・沖縄の人々について、(1)植民地またはそれに類する地域の人民として、(2)先住民族として、そして(3)人民として、という自己決定権の三つの可能性を論じてきた。

 その議論をもとに私が主張してきたことをまとめると、米国による軍事統治と“返還”の過程を国連の諸文書に照らして考えれば、(1)の観点から少なくとも1972年に“返還”されるまで、沖縄(琉球)は外的な自己決定権、つまり独立する権利としての自己決定権を有していたと考えられるということ。そして、そのような権利を有していた人民であるという事実が、現在において沖縄の人々の人民として、あるいは先住民族としての内的な自己決定権の主張を補強するということ2)または(3)の可能性)だ。

 つまり、もともと琉球国として独立した国だったにもかかわらず日本に併合され、戦後、実質的に米国の軍事的植民地であったという歴史から、人民、あるいは先住民族として自己決定権を主張することには国際人権法の観点から正当性がある。そしてその自己決定権とは、社会的、文化的、経済的、政治的にどのような発展をするかを集団として決める権利である。

 明日2月24日で、名護市辺野古の埋め立てについて72%という圧倒的多数が「反対」の意思を示した県民投票からちょうど5年となる。残念ながら民意を示した県民投票の翌日も工事は継続し、昨年末にはとうとう国土交通相が「代執行」という強行的な手段まで使い、今年に入って軟弱地盤がある大浦湾側の工事も開始した。

 その背景には、沖縄県が「地盤の安定性の検討が不十分」であり「何が沖縄県民にとっての公益であるかの判断は国が押し付けるものでなく、沖縄県民が示す明確な民意こそが公益とされなければならない」として最後まで反対した設計変更について、国が代わりに承認することを認めたこの国の司法のお墨付きがある。

 故安倍晋三元首相や菅義偉前首相、そして歴代の国土交通相の発言からは、日本政府が1996年の日米合意を根拠に海を埋め立てて辺野古の新基地を造る、という非常に短期的な視野で眺めていることが伝わってくる。しかしこの辺野古の埋め立てをめぐる沖縄の人々の問題意識は、武力による併合を行った日本政府が敗戦後に軍事的植民地として沖縄をアメリカに差し出し、返還後もその構造を沖縄に強いてきた上で、沖縄の人々の反対の意思を踏みにじろうとするその姿勢にいかに対峙(たいじ)するか、という琉球・沖縄の歴史の延長線にあるのだと感じる。

 自らの土地や周辺海域をどう保全し、どう活用するか。それはまさに自分たちの社会の政治的、文化的、経済的、社会的発展を自らが決める権利と深く関わる。だからこそ、辺野古埋め立てについてNOという「民意」が反映されず、国によって強権的に工事が進められている現状は、9年前に翁長氏が指摘した「沖縄の人々の自己決定権の侵害」が続いていることにほかならない。

 玉城知事は昨年9月に国連訪問を果たしたが、自己決定権については「十分な議論ができていない」として触れるのを回避した。しかし、民意に反する工事が強行され、司法での救済も得られないという現状において、自己決定権に関する議論にしっかりと目を向ける必要があるのではないだろうか。

 自己決定権について、県議会では「先住民族だという誤った認識を広げる」という否定的な議論を繰り広げる会派「沖縄・自民党」の議員が少なくない。だが、2000年代初めに活発だった道州制の議論の中では、自民党の國場幸之助氏が「県民の民意や尊厳、自己決定権を求める心なくして日本の発展はあり得ない」などと述べるほど、自己決定権は“当たり前のもの”として保革を超えて認識されていた言葉だったのだ。

 腫れ物のように扱うのではなく、子どもたちや孫の世代にどんな沖縄を渡したいのか、そのバトンをつなぐためにあらゆる可能性を否定せず、立場を超えて開かれた議論が行われるべきだと考える。

 一方で、現在の沖縄の状況、そして日本政府の沖縄に対する扱いを見ていると、近年議論されるようになっている国際法上の「救済的分離」という理論が、今後沖縄に当てはまりうることもあるのではないかとさえ思えてくる。「救済的分離」とは、自己決定権のように確立した権利ではないが、主権国家の政府が国内の特定の集団を差別的に扱い、民主的な意思決定への参加を絶えず拒否し、これらの集団の権利を大規模に、組織的に踏みにじり、そして国家構造の中で平和的な解決の可能性が見い出せない場合に、そうした集団を救済する目的での分離であれば認められうるという説だ。

 次回は、沖縄の現状をこの「救済的分離」の観点から考察し、自己決定権に関する議論にどのように関わるのかを論じたい。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2834229.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする