先住民族関連ニュース

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アイヌ民族の争い、オニビシがシャクシャインに討ち取られた地「メナチャシ」を訪れた

2024-10-20 | アイヌ民族関連

バイクのニュース 10/19(土) 12:10

内地とは異なる防御設備、アイヌ民族の争いと開拓の歴史を知る

 バイクで北海道新ひだか町の指定文化財「メナチャシ」を訪れました。聞きなれない名称ですがそれもそのはず、アイヌ民族に関わる史跡です。

【画像】アイヌ民族の砦跡「メナチャシ」を画像で見る(12枚)

 北海道新ひだか町の公式ホームページでも紹介されており、内容を見ると「チャシ」とはアイヌの人々の城砦や砦、見張り場、儀礼や儀式、談判などの用途に使われていた、柵で囲われたエリアを指すそうです。北海道内には500カ所以上あり、特に南東部に多く分布しています。

 

 今回訪れた「メナチャシ」は、日高地方のアイヌ民族である静内川上流の首領「オニビシ」が、対立していた下流の首領「シャクシャイン」によって討ち取られたチャシとして知られています。近隣には「シャクシャイン城址」、「シャクシャイン記念館」があり、そちらも訪れたのですが工事で臨時休業中でした。

 1669年に起きた「シャクシャインの戦い」は、ウェブ検索でもそのあらましを知ることができます。対立するオニビシとの抗争や和人(大和民族)の交渉先であった松前藩との争いが激化したもので、最終的にはシャクシャイン自身も酒宴で謀殺される運命をたどっています。

 松前藩との交渉において、現在の日高町門別地区を拠点としていたオニビシとシャクシャインが争う事になった経緯ですが、1653年に酒の席での両者の争いがあり、松前藩の調停、1666年に争いが再燃します。翌年には砂金掘りの文四郎という和人によって仲裁されています。その後オニビシは現在の新ひだか町の静内にメナチャシを築いたそうです。

ここがアイヌの砦であったことを伝える空堀の跡がしっかり残っている。長さは40m以上、深さは最大3mあるという

 ところが、1668年にオニビシが文四郎宅へ立ち寄った際に、シャクシャインの軍勢に殺害されてしまうのです。首領オニビシを殺害された日高のアイヌ民族は、松前藩に報復のための武器の提供を希望するも、対立を納めたい松前藩はこれを拒否します。帰りの途中で首長ウタフ(オニビシの姉婿)が疱瘡にかかって死去したことが「松前藩による毒殺」と流布されたことで、シャクシャインはアイヌ民族の松前藩に対する蜂起を呼びかけます。

 結論から言えば誤報、誤解によるものではありますが、それを仕掛けた人物もいたようです。そして敵対していた部族間の争い以上に、和人に対する不信感の方が強かったという事でしょうか。約2000人のアイヌ軍勢により、356人の和人が殺害されたそうです。

 その後、松前藩へのアイヌ民族の恭順が進み、民族間は分断。孤立し窮地に立たされたシャクシャインは和睦に応じるために松前藩での酒宴に参加しますが、そこで謀殺されたと言います。そうしてアイヌ民族は松前藩との交易で和人に主導権を握られていく事になります。

 メナチャシは前述のアイヌと松前藩の仲介を果たした文四郎の館もあったと言われており、文四郎館とも呼ばれているようです。砦らしさを感じさせる土塁と空堀は今でも原型をとどめており、ここもまたある種の城跡なのだと実感しました。

 そしてここは明治4年、政府によって北海道への移住を命じられた淡路島の稲田藩家臣546名の開拓史が刻まれた土地でもあります。公園内には移住、開拓のレリーフや稲田氏の墓、移住時に沈没した平運丸遭難の碑なども見ることができました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6de39ca292e2758b8da8b7d49eb997d4359c264c


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【北朝鮮】ロシアへの派遣兵士は元特殊部隊員だった!身分証を使われた少数民族「ブリヤート人」の悲劇

2024-10-20 | 先住民族関連

アサ芸biz 10/19(土) 

北朝鮮が韓国との友好の象徴だった南北を結ぶ道路と鉄道を爆破したのは10月15日のこと。その直前の14日と15日に、全国の青年同盟員や学生を含む140万人以上の若者が、朝鮮人民軍への入隊・復隊を志願した、と朝鮮中央通信が伝えた。

むろん、大本営発表なので真偽のほどは定かではないが、米韓との関係に緊張が高まった際には決まって「愛国的入隊志願者の急増」をアピールし、プロバガンダとして利用してきた北朝鮮も、今回は「戦争が勃発すれば、韓国は地図から抹消されるだろう。戦争を望むなら、われわれはその存在に終止符を打つ意思がある」と威嚇をエスカレートさせていることから、両国がのっぴきならない状況になっていることは明らかだ。

一方、北朝鮮はロシアに3000人とも1万人ともされる兵士を派遣している。16日に放送された韓国のニュース番組では、これらの兵士が「建設労働者」として派遣された元特殊部隊所属兵士で、身分を偽り、モンゴル系「ブリヤート人」の身分証で活動していることを韓国当局が把握していると伝え、波紋が広がっている。

報道によれば、3000人の北朝鮮人労働者がロシアに派遣されたのは、今年4月。しかし、彼らはいずれも昨年末から今年初めまでの間に軍を退役した元特殊部隊所属の兵士で、北朝鮮が外貨獲得のためロシアに送り込んだものと韓国政府関係者は見ているようだ。

「退役軍人とはいえ、北朝鮮兵士はロシア軍兵士に比べはるかに戦闘能力が高い。彼らが所属するのは、ロシア軍第11独立空挺突撃旅団にある『ブリヤート特別大隊』と呼ばれる部隊で、ロシア軍からモンゴル系先住民族であるブリヤート人の身分証を発給され、ウクライナで活動しているといわれます」(北朝鮮ウォッチャー)

ブリヤート人とは、ロシアやモンゴル、中国に住むモンゴル系民族だが、バイカル湖の西側にあるブリヤート共和国はロシア連邦を構成する共和国の一つであり、生活もロシア化され、ロシア人とのミックスも多い。

プーチン大統領は2022年9月、こうした少数民族に対しても動員令を発動。徴兵を避けるため多くのブリヤート人がロシアから脱出したものの、途中で捕まり、強制的に戦場に送られて亡くなった者も数多くいたという。そんなブリヤート人たちの身分証を偽造して北朝鮮兵士らに与えているということなのか…。

「ブリヤート共和国で現在、首長を務めるツィデノフ氏はもともとロシアの官僚だった人物。モスクワに戻って出世したいという人たちにとって、地方での実績づくりは必須。そのため、どんな無理難題を押しつけられようが、プーチンに逆らうことはできない。結果、それが少数民族らの悲劇につながっているんです」(同)

消息不明だったり、すでに死亡しているブリヤート人の身分証が偽造され、北朝鮮兵士に使われているとしたら…。戦争に人権もなにもないことを、改めて思い知らされるばかりだ。

(灯倫太郎)

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/北朝鮮-ロシアへの派遣兵士は元特殊部隊員だった-身分証を使われた少数民族-ブリヤート人-の悲劇/ar-AA1sxWGS?apiversion=v2&noservercache=1&domshim=1&renderwebcomponents=1&wcseo=1&batchservertelemetry=1&noservertelemetry=1


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バリ警察は、伝統的な儀式で花火を打ち上げるというポレミックビーチクラブについて言った

2024-10-20 | 先住民族関連

VOI 16 Oktober 2024, 19:06

インドネシア国防大学イラストレーション/チャングー地区、バドゥン、バリ/アレクサンダー・ニジウルフ

デンパサール-バリ地域警察は、バリ島バドゥンリージェンシーの北クタ、ティブベネン村のベラワビーチにあるビーチクラブでのバイラルビデオの論争に対応し、ティブベン村のバンジャールテガルグンドゥルの住民がビーチエリアで儀式や伝統的な式典を行いました。

バリ警察の広報部長、コンベス・ヤンセン・アビトゥス・パンジャイタンは、捜索の後、ビデオは実際に起こったと述べた。

彼によると、ビーチクラブと伝統的な儀式を行う先住民族の間には誤解があります。

ヤンセンは、広く流通し、ソーシャルメディアで広まったビデオに見られるように点火された花火に関して、ビーチクラブは完全な許可を持っており、花火を打つ活動はその場所での毎日のルーチンであると述べた。

「火事の発火は毎日日常茶飯事です。許可証が完成していることが確認されており、おそらく事件の時点では、宗教活動があることを知らない誤解があるかもしれません」と彼は言いました。

ヤンセンは許可証について詳しく説明しなかったが、通常、ビーチクラブの花火の点火は、特に伝統的な儀式がある場合、ビーチ周辺のコミュニティ活動に合わせて調整されると述べた。

通常、宗教的な儀式がある場合、ビーチクラブの経営陣はWITAの18:00から20:00まで花火の点火を遅らせるとジャンセン氏は述べています。

ジャンセン氏は、これに関して、ビーチクラブの経営陣と先住民族が会い、論争を終わらせることに同意したと述べた。

「私たちはビーチクラブのオーナーと式典を行ったコミュニティを仲介しました。今までは問題ありません」と彼は言いました。

調停が行われたのは、花火の活動が地域社会やバリの指導者から抗議を受けたことが判明したからです。

「彼らが活動していたので、抗議した活動があり、花火があり、邪魔されたことが判明しました。これまでのところ、現場では、お互いを受け入れることに問題はありません」と、バドゥン警察による調停の理由についての質問に答えて語った。

ヤンセンは、地域社会の状況に注意を払いながらビーチクラブ経営陣の日常的な活動の一部であったため、将来の花火の点火が継続されることを保証しました。

「私たちは、もはやそのような誤解がなくなり、お互いに思い出させることを願っています」と彼は言いました。

月曜日(14/10)、Kodo GuangのFacebookアカウントは、夜間に宗教的な伝統的な儀式を一時的に行っているいくつかの先住民族のバリ人を示すビデオを投稿しました。

礼拝所の場所はビーチクラブからそれほど遠くありません。祈っている間、花火のブームがあり、祈りの活動が中断されました。この投稿は、最終的にソーシャルメディアでバイラルになるまで、いくつかのアカウントによって再投稿されました。

https://voi.id/ja/news/425482#google_vignette


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KANO、地元台湾で公演 野球部監督の教え子も

2024-10-20 | 先住民族関連

共同通信 2024/10/19

記念撮影に応じるミュージカル「KANO」のキャストや関係者ら=19日、台湾嘉義市(共同)

 【嘉義共同】台湾が日本統治下にあった1931年、全国中等学校優勝野球大会で台湾代表、嘉義農林が準優勝した実話を基にしたミュージカル「KANO」の一般公演が19日、台湾南西部・嘉義市で行われた。「坊っちゃん劇場」(愛媛県東温市)の作品で、嘉農を率いた近藤兵太郎(松山市出身)の日台それぞれの教え子も駆け付けた。

 KANOは先住民と漢民族、日本人の混成チームが夏の甲子園大会を目指し、熱血監督、近藤の指導の下で一つにまとまる人間ドラマを描く。上演中は観客から何度も大きな拍手が湧いた。同名の映画は2014年に台湾で大ヒット。近藤は今年、台湾野球への功績を認められ、台湾の野球殿堂入りを果たした。

https://nordot.app/1220327312623321497


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“天国に一番近い島”ニューカレドニアで、最近何が起こっていたのかを現地の人に聞いてみたら

2024-10-20 | 先住民族関連

Livhub 2024.10.19

「花が咲き乱れ果実がたわわに実る夢の島、神様にいつでも逢える島。働かなくてもいいし、猛獣や虫もいない。そんな天国にいちばん近い島が地球の遥か南にあるという….」

これは、1980年代に日本でヒットした映画の中で描かれた、南太平洋のフランス領ニューカレドニアに対する描写だ。これ以降、今でも観光サイト上にこのフレーズの引用を見かける度に、日本にからみたニューカレドニアという国の姿は、いまだに当時のイメージから更新されていないのでは、とも思わされる。

80年代当時、日本でヒットした映画の影響で、ニューカレドニア観光ブームが起こった。ただ皮肉なことに、当時のニューカレドニアでは、そのブームの時期と並行する形で1985年以降、フランスの植民地支配に対する独立運動が激化し、一部では危険な雰囲気の地域もあった。だがそういった政治的な部分は映画には一切描かれておらず、映画の制作側は批判も浴びたという。

かつてそんな出来事があったニューカレドニアで、今年2024年5月にも暴動が起こったというニュースを何度か目にした。

ニューカレドニアは1853年以降フランスの支配下にあり、現在ではフランスの海外領土となっているが、先住民のカナックらを中心に独立の動きが続いている。そして今回の暴動の発端は、2021年12月に行われたニューカレドニア独立の是非を問う住民投票まで遡る。この投票では選挙のやり方に不満をもった独立派がボイコットしたことでニューカレドニアのフランス残留が決まった。

その後、仏議会がニューカレドニアの選挙ルールを変える憲法改正案を可決したことで、先住民の票の重みが減るという意見が高まりついに暴動に発展した、というような解説が、今年の暴動時に報道されていたニュースの主な内容だった。

しかし80年代の映画でもそうだったように、報道にも描かれない部分がある。その描かれない部分を現地の方から直接聞いてみたい、という思いから、実際に現地に住んでいる日本人移民ニューカレドニア在住日本人の2人に、暴動後の状況や現地での暮らしへの影響についてオンラインにて1人づつ順に伺ってみた。まず最初にお話を伺ったのは、首都であるヌメア市近郊でお土産販売店を営む高橋リサさんだ。

話者1: 高橋リサ(たかはし りさ)さん

土産物店「AQUA」オーナー。
1967年生まれ。1984年から4年間、グアムに留学。1992年にニューカレドニアに移住。
1994年に同じくニューカレドニアで働いていた現在の主人と結婚。ダイビングインストラクター、免税店などの店員を経て、2001年に夫婦で土産物店「AQUA(アクア)」を開店し、現在アンスバタにあるラ・プロムナード・ショッピングセンター内で営業。
日本人観光客向けにヌメアの最新マップの配布、電源プラグの貸出、観光案内、ニューカレドニアの情報発信、日本からニューカレドニアの商品を買えるネットショップ、などのサービスを展開中。http://www.aqua-nc.com/

──暴動はご自身の店舗や現地のコミュニティにどのような影響を与えましたか?

私達夫婦は、ニューカレドニアの首都ヌメア市の南にあるアンスバタ湾に面したリゾートホテルが立ち並ぶ地区でAQUAというお土産店を経営しています。

なので暴動の影響により観光客が途絶えるのが大問題です。コロナの影響があり、日本人観光客は未だコロナ禍以前と比べて65%減の状態でしたが、そのタイミングでこの暴動が起きてしまいました。

ここまで暴動がひどくなるとは思っていなかったので、青天の霹靂でした。ニューカレドニアには長く住んでいますので、日本人の友人達とはSNSのグループチャットで情報交換をしています。暴動が起こった当時、被害状況や食料品やガソリンの供給に関する情報について、夜遅くまで情報交換していました。

暴動の影響は、住んでいる地域によって天と地の差があります。私が住むアンスバタ地区は暴動の影響を全く受けていない地域で、生活の面で怖い思いはしていません。危険な地域に住んでいる人は、いまだに夜中や明け方に暴動を起こしている人々と警官隊との衝突で起こる爆発音が近くで聞こえたりと、眠れない夜を過ごしている人もいます(2024年6月取材時)。

危険な地域は勿論、危険ではない地域に住んでいる住民も全員、現在は自分たちの地域を守るために自警団を作り、住人以外が入れないように道路にバリケードを作り自衛していました。

──暴動の影響を受ける中で、どのような対策を取ってお店を経営されていますか?

私達の店舗は暴動の影響を受けていない地域にあるので、経営に関してはいつもと同じです。ただ危険そうな人が店の近くに来たら、とりあえず鍵を閉めるようにしています。

現時点ではまだ夜間外出禁止令が出ているので、営業時間は短いです。また、同じショッピングセンター内でもグループチャットが出来て、お互いに情報交換をしています。暴動が始まった日から4日の間に、たくさんの商店や企業が強奪や放火の被害を受け、ATMが破壊されました。

──ニューカレドニアがフランスの海外領土であることについて、現地の人々はどのように感じているのでしょうか?

ニューカレドニアの先住民であるカナック人の一部は、自分たちの土地を返せと主張しています。ただ統治が始まったときから住んでいるフランス系移住者もいますし、日本にルーツを持つ人が現在も1万人以上住んでいます。

ニューカレドニアに住んでいる住人の殆どはルーツこそ違えど、殆どが仏国籍を持っている人達です。フランスに属している故の恩恵も沢山受けていますし、フランスの海外領土のままであって欲しいと思っている人も多くいます。今独立をすればどうなるか理解している人は、独立に反対しています。ただカナックの人々が多い地域ではそのような発言が出来ない雰囲気もあります。

今回の暴動は政治的な思想をもったものというよりは、一部の集団による暴動と言った方がいいかもしれません。住民投票に関するフランス本国での憲法改正が暴動に繋がってはいますが、今回の暴動の中心になったのは一部の過激思想を持ったグループにそそのかされた若者達が起こした暴動だと推測しています。

今回の暴動で7千人以上が失業しました。その半分以上がカナック人だと聞きます。失業した人は皆悲しみに暮れ、若者達と彼らをそそのかしたグループに対して怒りを感じているようです。

──今回の暴動は観光業にどのような影響を与えていますか?

すでに5月と6月の観光客は殆どがキャンセルとなりました。暴動のニュースを受けて、7月以降の方もキャンセルされた方が半分、迷っている方が半分といった感じです。

実際のところ、観光客が立ち寄る場所やツアーで行く場所に関しては一部を除いて、略奪や放火などの直接的な被害は受けていません。また、このような事態でニューカレドニア全土の景気が低迷している中で、私は観光業が必要だと考えています。少しでも早く、全ての商店や企業が元に戻り、観光客の数がコロナ前の観光客数に戻ることを目標としています。日本での「ニューカレドニア=危ない場所」というイメージが早く改善されると良いと思っています。

話者2: 佐々木千鶴(ささき ちづる)さん

自然、海、どうぶつが大好きな柔道家。
所属:Collège de Kone, Collège de Paiamboue, Lycée Michel Rocard(ニューカレドニアの公立中学校および高等学校)、役職:日本語教師。

父の影響で始めた柔道に夢中になり、地元の花巻北高校、柔道の名門筑波大学に進学。大学時代に、世界中の柔道家と一緒に練習を重ねる中で、世界中で柔道をする夢を抱く。大学院時代にブラジルのファベーラで、柔道を通じた国際貢献をテーマに活動し、他にも世界中で柔道の指導と交流を行ってきた。その後、全日本柔道連盟事務局職員として、国際関係や柔道普及活動に携わる。その傍ら、大好きな海の暮らしに憧れ、ニューカレドニアへ移住。柔道と海のおかげで出会った人々と、心がわくわくで満たされることたちに導かれ、今に至る。

──ニューカレドニアで日本語教師として働くことになったきっかけは何ですか?

好きなことを追いかけていたら、自然とニューカレドニアにたどり着きました。柔道選手、また柔道指導者の駆け出し、そして全日本柔道連盟の事務局職員として活動する中で、ニューカレドニア柔道チームとの出会いがありました。それをきっかけに、綺麗なサンゴ礁に囲まれる小さな島の存在を知り、いつか行ってみたい場所に代わりました。

オリンピック後、全日本柔道連盟を退職し、観光で念願のニューカレドニアへ行きました。ニューカレドニアの美しい自然や人の温かさに魅了され、滞在2週間目にして、現地求人を検索し、現地中学校の日本人アシスタントの職に応募しました。7ヶ月間の雇用が実現し、それが終了した後にも、ニューカレドニアに滞在し続けたい思いが強く、そんな中で今の日本語教師の仕事に巡り合いました。

──ニュースの中には、移民と先住民の間に分断が起きているというような内容の報道も見受けられます。現地にいる千鶴さんの目にはその辺りに関する現地の様子はどう映っていますか?

現地に住む人々の間に亀裂が入り、辛い思いをしている方が多いと思います。一方で、現在私が住んでいるニューカレドニア北部(コネ)では、失業や道路の封鎖などに苦しむ人が多い一方で、建物の破壊や放火は少なく、むしろ人種や民族を越えたつながりを感じることも多くあります(2024年6月取材時)。

先住民の方々もとても優しくて、先住民の方々が暮らす村やご自宅に招待してくれたり、「あなたは日本人(外国人)なんだから気をつけてね」と声をかけてくれたり。私の大家さんは先住民の方とフランス系移民とのご夫婦なので、家にも先住民の方々がたくさん遊びにきます。そこで、一緒に料理をしたり、ニューカレドニアの民族衣装の作り方を教わったりなど、地域内の温かい交流があります。なので、報道だけをみて「ニューカレドニアは怖い」と思ってほしくない」という想いもあります。

──先日の暴動は、学校や教育現場にどのような影響を与えましたか?特に、日本語の授業における困難な点はありますか?

5月13日から始まった暴動を受けて、学校は5月14日から7月上旬まで完全閉鎖されていました。学校閉鎖中は、急に決まった閉鎖だったため、学校側も何も準備ができておらず、家庭や生徒とのコミュニケーション、そして教育の継続について、手探りで進めていた状況でした。

学校としては、学級担任が全家庭に連絡し、情報の把握に努めていました。また、生徒が家でも教育に触れ続けることができるような支援をするため、教材の配布はオンラインと紙媒体を併用していました。

日本語の授業においては、日本語を学び始めたばかりのニューカレドニアの生徒たちが、思うように授業を受けられず、教材もままならない状況の中で何かできないかと思い、日本語教材として、日本の友人たちの協力も得て、動画メッセージの定期的なオンライン配信を行うことにしました。学校閉鎖という背景において、人との関わりが薄れてしまう時期に、少しでも生徒とのコミュニケーションを取ること、日常生活の中に心が休まる時間を提供すること、そして日本語や日本文化に触れる機会を絶やさず提供することを目的としています。

約2ヶ月間の学校閉鎖を経て、7月上旬に学校が再開してからは、ニューカレドニアの現状に対して不安やショックを受けている生徒たち、そして放火被害や家族の失業など家庭状況が不安定な生徒たちへの心のケアが最優先されました。

──暴動開始後の生徒たちの状況や反応は?

長期間においてニューカレドニア各地で道路が閉鎖されていたため、実家に帰れていない生徒や、家族に会えないでいる生徒も多くいました。

また、放火や強盗の被害、経済状況や治安への懸念から、ニューカレドニアを離れる決断をした家族も多く、たくさんの生徒たちがニューカレドニア外へ転校しているという現状もあります。生徒たちは、今もなお、大きな心理的負担を抱えていると感じます。

学校閉鎖中にオンラインで配布した教材に対しては、数多くの生徒や保護者から「とても嬉しい。優しい応援のありがとう!」という反応がありました。Youtubeで発信した日本からのビデオメッセージは、現地で日本語教材として高い評価をいただき、ニューカレドニア教育委員会のWEBサイト、日本語教育サイトにも掲載されることになりました。

その後、ニューカレドニア内の様々な中学校でビデオメッセージを使用したという連絡もいただき、中学校の生徒皆さんが作ってくれたビデオメッセージにおいては、日本とニューカレドニア間のオンライン交流を計画する機会にもなりました。

改めて、メッセージを送ってくださった皆さんに感謝申し上げます。今後も、メッセージやビデオ交流などは広く募集しておりますので、ぜひニューカレドニアの生徒たちにメッセージを送っていただけたら嬉しいです。テキスト、手書きや動画など、フォーマットは問いません。
国と国、民族と民族、地域住民と観光客。日々数えきれないニュースや情報に接している中で、どうしても「〇〇vs〇〇」などのわかりやすい二項対立の構図を脳内に描いて、安易に社会問題について理解しようとしてしまう自分がいる。そして今回のようにニュースに関わる当事者に直接話を聞く度に「世の中、そこまで単純じゃない」と毎回気づかされるのだ。

どんな場所にも、ニュースはもちろんのこと、SNSにすら現れない人の営みがある。そして今回インタビューした2人が語ってくれた内容も、報道されない現地の日常の一部だ。特に今回は、日本から遠く離れたニューカレドニアに、今もなお日本語を学び続けているたくさんの子供達がいることについて初めて意識した。

困難を乗り越えながら今も日本語を学んでいる現地の子供達に対して、ちょっとしたエールを日本語で送ってみてもいいという方がいたら、以下のメールアドレスにぜひ自由にメッセージを送ってみて欲しい。

https://livhub.jp/interview/newcaledonia-202410.html


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「海外のハロウィン」ってどんな感じ?仮装コスチュームのルールがあるって本当?

2024-10-20 | 先住民族関連

ミモレ10/19(土) 19:32

もうすぐハロウィンがやってきます。日本でも年々ハロウィンの仮装パレードなどが盛り上がっていますよね。そこで、海外に住んでみて驚いた「本気すぎるハロウィン」「意外だったハロウィン」について紹介したいと思います。

【写真】ハロウィンの仮装のガイドラインを踏まえて、選んだ「みんなを笑顔にする」コスチュームとは?

家のハロウィンデコレーションが本気すぎて凄い!

10月に入ってからハロウィンのデコレーションをしている家をよく見かけるようになりました。初めてのハロウィンを海外で過ごした年は「短い期間だけの装飾なのに、ここまで本気でやるの?」と驚いたほどです。

ちなみにデコレーションをしている家は多くの場合、子供が「トリックorトリート」と訪ねていっても良いという目印にもなっているのだと知りました。

ハロウィンの仮装コスチューム、学校ではガイドラインがあるって本当?

ハロウィンの仮装をするのは夜だけではありません。学校が禁止してなければ、仮装して登校する子供もいます。息子が小学生の頃は、クラスで「ハロウィンパーティ」もありました。

息子の学校は教育委員会によって「コスチュームのガイドライン」がしっかりと決められているのも驚きました。

・人種差別になる仮装はしない(肌の色など)

・文化にまつわる仮装はしない(先住民族の衣装、ヒジャブ、ドレッドヘアなど)

・宗教にまつわる衣装の仮装はしない(宗教上の人物、神様など)

・性別をからかうような仮装はしない

・武器などを身につけない

つまり、誰かを傷つける可能性がある仮装はしないということ。 高橋 香奈子

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a86d111e247eb91bc9b15668e8bc12882d3d0ef


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