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覆いかぶさってきた熊が、右の耳の上から頬まで・・・重傷を負いながらも熊を撃退したアイヌ青年の実話

2024-12-05 | アイヌ民族関連

山と渓谷 12/4(水) 17:03

長きにわたって絶版、入手困難な状況が続いていた伝説の名著『羆吼ゆる山』(今野保:著)がヤマケイ文庫にて復刊。「赤毛」「銀毛」と呼ばれ恐れられた巨熊、熊撃ち名人と刺し違えて命を奪った手負い熊、アイヌ伝説の老猟師と心通わせた「金毛」、夜な夜な馬の亡き骸を喰いにくる大きな牡熊など、戦前の日高山脈で実際にあった人間と熊の命がけの闘いを描いた傑作ノンフィクションです。本書から一部を紹介します。著者と親交の深かったアイヌの兄弟が遭遇した羆の話です。

アイヌの兄弟

その日、七郎は古い村田銃の三十番を背に、愛犬のテツ(牡四歳)を連れて、早朝六時頃、和寒別の小屋を発って沢なりに赤心社の山へ足を踏み入れた。そこは、先日、歌笛のハンターたちが手負い熊を捜索した山よりもさらに奥の山であった。

七郎は、その話を少しは耳にしたが、頼まれもしない熊狩りに自ら進んで参加するのは遠慮していた。そして歌笛のハンターたちもまた、七郎にも弟の八郎にも「手を貸してくれ」とは言わなかった。

七郎は熊撃ちを始めて十年は超えているし、弟の八郎にしても同じくらい熊撃ちの経験があって、二人はいつも一緒に出猟していた。兄と弟は一つ違いで、もう三十歳を過ぎていたが、その頃はまだ独身であった。部落の人たちも、そんな二人を変わり者のように見ていたのかも知れない。それというのも二人は、兄が浦河七郎、弟は浦河八郎というアイヌ人であり、この和寒別の奥に移り住むようになってから日が浅く、人前に顔を出すことは稀で、他の人々との交流はほとんどなかった。

私の父は、そんな二人を訪ねてはよく一緒に山歩きをしていたし、二人もまた山歩きの都度、家に立ち寄っていくようになっていた。さてその日、弟の八郎は用事があって前に住んでいた向別の方へ昨日のうちに出掛け、小屋ではひとり七郎が留守居をしていた。

今日の夕方には八郎が帰るはずだから、“ヤマドリ(蝦夷雷鳥)でも少し撃ってこよう”と思い立った七郎は、朝早く小屋を出て山へ向かった。そして山に足を踏み入れてからは、笹の生えているところを避け、落葉の山肌を足音を忍ばせてゆっくりと上っていった。ヒラマエ(斜面)を上りつめて峰に上った七郎は、しばらくそこで立ち停まっていたが、やおら口に咥えた呼笛(よびこ)を吹き鳴らした。ピピーッ、ピーッ、ピピッ、ピッと、牡とも牝ともつかぬ笛の音が、二度三度と原生林の真ん中へ吸い込まれていった。いつもなら必ず呼び返すヤマドリの声はなく、早朝の樹林は静寂の中にうち沈んでいた。

愛犬のテツは、ウサギでも追っているのか、その辺りには姿も、いる気配もなかった。七郎の立っている峰には、熊やシカのような大型獣や、キツネ、タヌキ、ムジナ、はてはエゾノウサギなどの小動物が通う獣道がついていた。七郎は、散弾を装塡した銃を背に、その峰伝いに伸びる獣道をゆっくりと歩んでいった。

だが、時おり立ち停まっては吹く呼び笛に応えてくれるヤマドリの声はやはりなく、たまさかにはこの辺りにも姿を見せるコウライキジも、目にはつかなかった。

“まだ時間も早いことだし、もう少し行ってみよう”、七郎はそう思いながら、さらに歩を進めた。すると前方に、その獣道を横切るように一本の太いミズナラの木が根剝(むく)れのまま倒れているのが見えた。地表の浅いこの辺りでは、ところどころで目にする風倒木である。

一瞬の出来事

七郎は幾度もこの辺一帯を歩いており、その風倒木も何回となく越えていた。その時も、いつものように風倒木によじ上り、いつものようにポンと向こう側に飛び降りたが、何かに足をすくわれたようになって踏鞴(たたら)を踏み、前へのめった。咄嗟に体勢を立てなおそうとしたとき、ガウーッと叫ぶ熊の声が耳に入り、同時に肩のあたりを強く打たれ、振り向きざまに後ろへよろけて、そのまま尻もちをついてしまった。“しまった”と七郎が急いで立ち上がろうとしたときには、覆いかぶさってきた熊が、右の耳の上から頰までを嚙み裂いていた。

しょうことなく七郎は、そのまま熊の腹にしがみつき、その顎の下に自分の頭を付けて両前足の腋の下に腕を回し、背中の毛をしっかりと握って体を熊の腹に密着させた。熊はガウーッ、ガウーッと吼えながら七郎を抱きかかえ、地面に強く押えつけたまま立ち上がろうとはしなかった。そっと右手を離した七郎は、腰のあたりを探った。手に触れたのは、いつも腰に下げて持ち歩く刺刀(さすが)であった。尻の下になってはいたが、幸いにも柄は体の外側に出ており、それを握って引いてみると、スーッと抜けてきた。刃渡り三十センチに近い刺刀に祈りをこめて、七郎は力一杯、熊の前足の近く、ここが心臓とおぼしきあたりへそれを突き刺し、グイグイと懸命に抉り上げた。

ガガァーッと怒りの声もすさまじく立ち上がった熊は、辺りをグルグルと暴れ回り、七郎を振り落とそうとして荒れ狂った。そして七郎を振り落とすや再び彼の頭を襲った。体をかわしはしたものの一瞬の遅れはいかんともしがたく、七郎はまたもや右半面に鉤爪の一撃を受け、目がかすみ、頭がガーンとなって体の力が抜けてゆき、ヘナヘナとその場に倒れゆく己れを意識した。薄れゆく視野に、走り寄ったテツが熊の鼻先に喰らいついてゆく姿がおぼろに映った―。

熊にやられたな

その日八郎は、朝早くに向別を出て、なぜともなし、心せくまま足を急がせ、昼少し過ぎに和寒別の奥にある小屋へ戻ってきた。小屋には七郎の姿はなく、テツの姿もない。背中の荷をおろし、持ってきた食料品や雑品の片付けも終え、銃の掃除を始めた時、八郎は、荒々しく表の戸板を引っ搔きながらせわしなく吠えるテツの声を耳にした。戸を開けてみると、転ぶように飛び込んできたテツの体には、血の塊りが付着し、茶色の毛が赤く汚れていた。一目その有様を見た八郎は、“熊にやられたな”と判断すると同時に無言のまま支度に掛かった。急いで足拵えを済ませ、今掃除を始めたばかりの銃を手に表へ跳んで出ると、先をゆくテツの跡を追って走りだした。

テツは、八郎を案内でもするように、ときどき立ち止まっては後ろを振り返り、八郎が追いつくとまた走りだし、和寒別の沢なりに奥を目指して走っていった。跡を追う八郎は不安であった。どこまでゆくのか、走るテツの様子では、七郎が近くにいるとは思われない。やがてテツは右の緩やかなヒラマエを上り始め、立ち止まって後ろを振り向いた。八郎は足を停め、息を整えてから沢水を呑んだ。そしてテツを追って斜面を上っていった。

テツが再び駈けだした。八郎はその跡を懸命に追った。しかし、いかに八郎が達者でも、そして勾配が緩やかだといっても、この長い上り斜面を犬のようにどこまでも走り上ることなどできはしない。呼吸が苦しくなり、胸が早鐘を打つように高鳴って、八郎はとうとう立ち木にもたれかかるようにして息をついだ。そのとき、ワン、ワンと、どこか上の方でテツが吠え、少し間をおいてまたもやせわしげに吠えたてた。その声は、まるで“早く、早く”と自分をせきたてているかのように八郎には聞こえた。気力をふりしぼった八郎は、斜面をしゃにむに駈け上がり、ようやく峰伝いの獣道に立った。

“どこだろう、兄貴は熊にやられてしまったんだろうか”頭の中を不安が走った。

「テツー、どこだあー」

八郎は思いっきり大きな声で犬の名を呼んだ。ワン、ワンと、あまり遠くないところからテツの吠え声がして、まもなく峰の獣道からテツがころがるように走り下りてきた。足下に寄ったテツは、いったん八郎の顔を見上げ、それから先に立って小走りに峰の細道を上っていった。その跡を駈け足で追った八郎は、やがて太いミズナラの木が獣道を横切って倒れているところに辿りついた。八郎もまた、この風倒木は何度も乗り越えたことがある。いつものようにその木によじ上り、その上に立って向こう側に目をやった八郎は、兄の七郎がそこで熊に襲われたことを知った。

辺り一面、落葉が搔き荒らされ、血に染まった落葉が点々と乱れ散っていた。さらに、そこから少し離れた、右手の大きなカエデの根方に、左半身を下にして、俯せに倒れている七郎の姿があった。

走り寄った八郎は兄を見た。七郎の右半面は血にまみれ、耳の上からめくれた皮が赤くただれたようにぶら下がっていて、見るも無惨な有様である。銃を背負ったままの格好で倒れているので、後ろから不意をつかれたのは明白であった。

顔面の血は黒くこびりつき、乾きかけたところもある。出血はほとんど止まっているようだ。八郎が調べた限りでは、顔面のほかに傷は負っていない。八郎は、兄を抱き起こして胸に耳を当てた。七郎は気を失っているだけで、息はしていたし、心臓もしっかりと働いていた。

文=今野 保

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b94b98a76835eedc788acc5aa7584fed55949cf

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