不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

「民族共生象徴空間」白老町で説明会 /北海道

2016-07-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年7月25日 地方版
 2020年開設予定の国立アイヌ民族博物館などを核とした「民族共生象徴空間」について、国による初の町民説明会が白老町・コミュニティーセンターで開かれた。
 内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室の松浦明室長や文化庁の国立アイヌ民族博物館設立準備室の内田祐一調査官らが出席。施設近隣の若草町内会の岩間隆一会長は「環境美化を図るなど町民として協力したい」と話した。【福島英博】
http://mainichi.jp/articles/20160725/ddl/k01/040/144000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化発信、来れ訪日客 官民アピール続々

2016-07-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/25 05:00、07/25 10:43 更新

アイヌ料理のオハウを味わう中国の旅行会社社員ら=8日、札幌市北区のいろはにほへと札幌駅前店
 アイヌ文化を海外に発信し、外国人観光客の誘致につなげる動きが広がっている。アイヌ民族の少女が活躍する人気コミック「ゴールデンカムイ」(集英社)の影響もあって知られ始めたアイヌ料理を、外国人客にも提供する試みが出てきたほか、9月には、自然や伝統文化をテーマに米アラスカ州で開かれる観光関連の催しに道内の旅行関係者らが参加する。自然を敬い自然と共生してきた先住民族のアイヌ民族を紹介し、北海道の新たな魅力としてアピールする計画だ。
道内で料理提供 米商談会に参加
 「食を通して北海道の文化に触れられるのは興味深い」。7月上旬、アイヌ料理を提供する札幌市内の居酒屋で行われた会食の席で、中国・上海の旅行会社社員陳駿さん(39)が満足そうに語った。味わったのは「オハウ」(サケと野菜の汁物)。北海道運輸局が中国の旅行会社の担当者らを招いた道内ツアーに参加した11人が、初めてアイヌ料理を体験した。
 ツアーでは、胆振管内白老町のアイヌ民族博物館も訪れた。運輸局観光部の安田稔幸次長は「中国の観光市場も成熟し、これまでと同じ内容では北海道を再訪してもらえない。歴史など深いテーマ性が求められる」と、アイヌ文化を紹介した狙いを語る。
 先住民族や伝統文化への関心が高いとされる欧米に向けて、アイヌ文化をPRする動きもある。運輸局や一般社団法人北海道開発技術センター、道東の観光関係者らは9月19~22日、米アラスカ州で開催される「アドベンチャー・トラベル・ワールド・サミット」に参加する。
 同サミットは自然体験型のツアーなどを紹介する世界的な旅行商談会で、日本からの参加は初めてという。サミットではカヌーやバードウオッチングなどをPRするのと合わせ、自然と共生してきたアイヌ文化も紹介する予定。北海道開発技術センターの佐賀彩美研究員は「北海道が誇るべき伝統としてアイヌ文化を広げたい」と意気込む。
 このほか鶴雅グループは8月から、外国人観光客の宿泊も増えている札幌市南区の「定山渓鶴雅リゾートスパ森の謌(うた)」で、エゾシカ肉が入った汁物「ユクオハウ」と昆布たれをかけた団子「コンブシト」のアイヌ料理2品を、朝食ビュッフェのメニューに加える。
 アイヌ文化発信に力を入れる北海道観光振興機構(札幌)が、アイヌコタンがある釧路市の阿寒湖温泉に拠点を置く鶴雅側に働きかけた。札幌アイヌ協会がレシピを監修する。当面、数カ月程度の期間限定で提供する予定だが、鶴雅リゾート(釧路)の大西希(のぞみ)常務取締役は「アイヌ料理で新しい付加価値を生み出せる。好評なら他のホテルでも試みたい」と話している。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0296699.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝統の丸木舟で川下り 20回目、70人参加 苫小牧アイヌ協会

2016-07-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/25 07:00

安全を祈願してから行われた丸木舟の川下り
 アイヌ民族が移動などに使っていた丸木舟による川下りが24日、苫小牧市内の勇払川で行われ、苫小牧アイヌ協会(沢田一憲会長)のメンバーらが交易などに使っていたころの様子を再現した。交流会ではアイヌ民族の料理が提供されたほか、伝統楽器の演奏も披露され、文化伝承のひとときを過ごした。
 苫小牧近郊のアイヌ協会の交流や当時の生活の様子を再現しようという目的で、苫小牧アイヌ協会が開いているもので今年20回目を迎えた。
 川下りには同協会や千歳アイヌ協会のメンバーや市民約70人が参加。行事の安全を願う「カムイノミ」を行い、火の神「アペフチカムイ」に安全を祈願。苫小牧と千歳のメンバーが、3人と4人に分かれて全長約8メートルの丸木舟に乗船し、器用に竹ざおを使って約3キロを下った。
 市内の市生活館で行われた交流会では、汁物「オハウ」などのアイヌ料理が振る舞われ、参加者は、アイヌ民族の伝統楽器「ムックリ」の演奏に耳を傾けながら親睦を深めた。
 苫小牧アイヌ協会の沢田会長は「アイヌ民族のことを幅広く皆さんに知ってもらえる機会になれば」と話していた。(若松樹)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0296636.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイECO 自然と人、共生の道探る 来月「アジア学生交流環境フォーラム」

2016-07-25 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年7月25日 東京朝刊
 国境を越えて若者たちが学び合う「アジア学生交流環境フォーラム」(主催・イオン環境財団、後援・毎日新聞社、中国青年報社、朝鮮日報社、トイチェ社)が8月3日、東京の早稲田大学で開幕する。テーマは「生物多様性と叡智(えいち)」。世界自然遺産の知床を擁する北海道をフィールドワークの中心にすえ、8日までの期間中、日本を含め7カ国の大学の学生たちが自然や野生生物と共生する道を探る。【明珍美紀】
 「北の大地が育む自然や生態系は、都会に住む学生たちが普段、接しているものとは全く異なる。そんな北海道でも大規模開発や川の汚染などで環境が壊されてきた」と、プログラムの構成を担当した早稲田環境学研究所客員准教授の吉川成美さん(47)は言う。
 「生物多様性の破壊が人々の暮らしや精神文化にどんな変化をもたらすのか。一度、壊した自然や絶滅の危機に追い込まれる野生生物をどう保全し、共生の道を探るのか。その実践例を北海道で見てほしい」
 早稲田大での開講式の後、学生たちはユーラシア大陸と巨大な生態圏を共有する知床を歩く。また、国際保護鳥(国の天然記念物)のシマフクロウの生息地の復元を目指す標茶町などを訪ね、活動の担い手である「虹別コロカムイの会」のメンバーらと交流。「先住民の叡智」を学ぶためアイヌ民族と対話し、釧路市の猛禽(もうきん)類医学研究所代表で獣医師の斉藤慶輔さんの話を聞く。
 「経済活動が生物多様性に深刻なダメージを与えてきた一方で、それらを再生しようとする動きがある。日本の経験はアジアでも教訓として引き継いでいく必要がある」と吉川さんは説く。
国際交流で視野を広げたい 韓国・李さんと台湾・〓さん
 早稲田大の参加メンバーに、韓国の李相和(イサンファ)さん(21)=国際教養学部2年=と台湾出身の〓〓萱(チェンジーシュエン)さん(20)=同=が加わった。いずれも「日本のアニメをよく見た」といい、日本への好奇心が同大への進学につながった。
 小5から高校まで米国のサイパンで過ごした李さんは「日本や中国だけでなくアジアのさまざまな学生と交流して視野を広げたい」と目を輝かす。〓さんの初の「北海道体験」は昨夏の旭川でのホームステイだ。「台湾も原発を抱えている。エネルギー問題についてみんなの意見を聞きたい」と話す。
 マイECOの「マイ」は、「MY(私)」と「毎日新聞」の「毎」をかけたものです。健康医療・環境本部では、「身近なエコを分かりやすく伝える」をコンセプトに、環境関連の特集記事や毎日の生活に役立つ情報をお届けしていきます。
 ■ことば
アジア学生交流環境フォーラム(Asian Students Environment Platform)
 イオン環境財団の岡田卓也理事長(90)が母校の早稲田大学と、文化活動などで親交がある中国の清華大学、韓国の高麗大学に提案して2012年に始まった。初回は日本で開かれ、「環境とは何か」という基本的な主題を掲げて東日本大震災で被災した岩手県田野畑村や世界遺産の中尊寺、京都などを訪れた。以後、フォーラムは韓国、中国、ベトナムで開催。参加校もベトナム国家大学ハノイ校、マレーシア・マラヤ大学、カンボジア王立プノンペン大学と回を重ねるごとに増えてきた。今夏は初参加のインドネシア大学を含め7大学の計84人が集う予定だ。
http://mainichi.jp/articles/20160725/ddm/010/040/070000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一筆半歩 修学旅行誘致に期待=横尾誠治 /北海道

2016-07-25 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年7月24日 地方版
 西胆振地方は、全国的に有名な温泉地であるとともに、自然や歴史・文化など見どころが多い観光地だ。
 行政区は室蘭市など3市3町だが、白老町を含めた登別洞爺広域観光圏協議会で連携。同町のアイヌ民族博物館を見学しても町内に大型宿泊施設は少なく、修学旅行などの団体客は登別温泉に宿泊する。2002年に登別市白老町観光連絡協議会を設立して、役割分担して教育旅行の誘致に努めてきた。
 国内初の洞爺湖有珠山ジオパーク、アイヌ古式舞踊、北黄金貝塚(伊達)など縄文遺跡群、さらに産業都市・室蘭でのものづくり体験など、この地域は学習素材の宝庫。20年に国立アイヌ民族博物館がオープンすれば、さらに関心が高まるとみられる。
 修学旅行の誘致は3、4年先を見越して旅行会社や学校にプランを売り込むが、本州の高校もアイヌ文化への関心は高く、一番の目玉になる。
 新千歳空港が近く、高速道路やフェリーへのアクセスもいい。北海道新幹線からも足を延ばせる。可能性と共に、期待は膨らむばかりだ。
http://mainichi.jp/articles/20160724/ddl/k01/070/070000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ遺骨12体 北大から返還、再埋葬 遅れる人権回復

2016-07-25 | アイヌ民族関連
東京新聞 2016年7月24日
 北海道大学が研究目的で墓地から掘り出したアイヌ民族の遺骨十二体が今月中旬、故郷の北海道浦河町に戻り、再埋葬された。八十年以上の歳月をへて返還された遺骨を迎えるため、三日がかりの伝統儀式が盛大に催された。関係者らは「大きな一歩」と喜ぶが、約千六百体の遺骨がなお全国十二の大学で保管されたままになっている。置き去りにされてきた人権回復の動きは始まったばかりだ。 (木村留美)
【こちらは記事の前文です】記事全文をご覧になりたい方は、東京新聞朝刊をご利用ください。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016072402000167.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先住民族に理解深めて 帯広でアイヌ文化交流会

2016-07-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/24 05:00
 アイヌ民族の伝統楽器や舞踊に親しむ「アイヌ文化交流会」(帯広市アイヌ生活文化展実行委主催)が23日、帯広市のとかちプラザ(西4南13)で始まった。8月9日の「国際先住民の日」にちなむ催しで、実行委員長を務める帯広アイヌ協会の笹村二朗会長(82)は「世界の先住民族に対する理解を深めてほしい」と呼びかけている。
 交流会は2010年に始まり7回目。笹村会長によると、帯広では現在もアイヌ民族400人以上が暮らしているという。
 この日は帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)の20人が、国の重要無形民俗文化財に指定されているアイヌ古式舞踊の一部を披露。「みんなで大きな輪をつくって踊りましょう」を意味する舞踊「ポロリムセ」では、来場者も手拍子して楽しんだ。
 会場には女性が身に着けるアクセサリー「タマサイ」や伝統楽器「ムックリ」、酒器「トゥキ」、山の神とあがめたヒグマの毛皮、民族衣装など、アイヌ文化に触れる盛りだくさんの展示物も。舞踊を見学した市内の会社員竹中智咲さん(22)は「アイヌ民族のことは漫画で知っていたけど、実際に踊りを見てムックリの音色を聞いたのは初めて。来て良かった」と話し、民族衣装の試着も楽しんでいた。
 交流会は24日も開かれ、午後1時~4時半にはアイヌ文様の刺しゅうや木彫りの無料体験会が行われる。(久保吉史)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0296424.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンガ大賞「ゴールデンカムイ」展 舞台の小樽、原画で

2016-07-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/23 07:00、07/23 07:36 更新
 小樽市総合博物館は、「マンガ大賞2016」を受賞した漫画「ゴールデンカムイ」に登場する明治期の小樽やアイヌ民族の文化を原画とともに紹介する企画展「ゴールデンカムイの中の小樽」を、23日から手宮1の同博物館本館で開く。作者野田サトルさんの取材に全面協力した縁で、全国唯一の同作の展示会が実現した。
 ゴールデンカムイは明治末期の北海道を舞台に、日露戦争帰りの元陸軍兵とアイヌ民族の少女が、伝説の金塊を求め陸軍第七師団や新撰組の残党らと激しい争いを繰り広げる冒険活劇。週刊ヤングジャンプ(集英社)で2014年から連載され、今年3月に書店員らが選ぶマンガ大賞を受賞し、大ヒット作となった。
 企画展は、原画を含め約30の漫画のコマを提供された。主に商都・小樽のにぎわいとアイヌ文化を紹介し、小樽編では作中で主人公がほおばる串団子が現在の小樽公園で人気だったことを説明。激闘の舞台となった色内大通や百十三銀行などの写真を飾り、忠実に描かれたコマを並べる。
 また、アイヌ文化編では弓矢など狩猟や生活の道具が描かれたコマを、同博物館所蔵の実物とともに紹介。触れられるヒグマの毛皮など約100点の資料を飾った。
 北広島市出身の野田さんは曽祖父が屯田兵だったことから同作を着想。14年に担当編集者と来館し、明治大正期の写真や文献を依頼した。「じっと資料に見入っていた」と学芸スタッフの山本侑奈さんは印象を語る。石川直章館長は「フィクションに膨らみを与える野田さんの細部のこだわりを見てほしい」と話す。9月25日まで。火曜休館。無料だが、入館料が必要。(峯村秀樹)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0296050.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界中の核の脅威伝え 京都でポスター展印刷用画面を開く

2016-07-24 | 先住民族関連
京都新聞 【 2016年07月23日 11時17分 】
 世界の核被害を伝えるポスター展「世界のヒバクシャ」が22日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で始まった。ウラン鉱山や核施設、核実験場などで明らかになった悲惨な事実を、写真や文章で報告している。
 ポスターの原画は核戦争防止国際医師会議が作り、昨年に広島で開催された「世界核被害者フォーラム」でも公開された。核被害の実態を京都でも知ってもらおうと、市民団体「アジェンダ・プロジェクト京都」がポスター展を企画した。
 アジアや欧米、アフリカ、オセアニアなど50カ所の事例を挙げている。各地のウラン鉱山で労働者が被ばくしてがんを患ったり、放射能の汚染水で先住民族の生活環境が破壊されたことを紹介。フランスの核燃料再処理工場から放射性ガスが大気に放出されたことや、1985年に旧ソ連で起きた原子力潜水艦爆発事故なども取り上げ、核が身近な脅威であり続けてきた現実を伝えている。
 24日まで。無料。核問題を追った映像作品の上映や参考書籍の展示もある。
http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20160723000048

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角松敏生は今も「未来」を見据えているーー35周年ライブを20歳のライターが詳細レポート

2016-07-24 | アイヌ民族関連
リアルサウンド 2016.07.23

 1981年のデビューから35年、2016年は角松敏生のキャリアにおいて重要な一年となるだろう。今年3月にはデビューアルバム『SEA BREEZE』のリミックスアルバム『SEA BREEZE 2016』を発表。当時の力量不足によるボーカルテイクに心残りを持っていたという作品を丁寧に再構築、改めてボーカルを吹き込んだ。常に楽曲のアップデートを繰り返してきた角松らしい試みだ。
 95年生まれの私は、角松のキャリアの大部分をリアルタイムで知らないが、彼を後追いしようとする若いリスナーは、まず最初にいわゆるシティポップのトップアーティストとしての角松敏生を知ることになる。80年代前半、彼は当時USで流行していたAORやフュージョンなどを消化し、日本語ポップスに落とし込んだ。その作品の纏う黒さと洗練されたサウンド、リゾートや都会を舞台とした詞は、今の若手シティポップ勢に親しんだ耳にも新鮮に響く。
 当時の角松サウンドは同シーンの他のアーティストと聴き比べても、良い意味で違和感がある。それは彼がかなり早い段階で取り入れていた、同時代の海外のブギーファンクやエレクトロファンクなどで使われていた独特なシンセサウンド、また、ラップ・スクラッチ等の日本ではまだ一般的ではなかった技法によるものだろう。Awesome City Club、Shiggy Jr.らに顕著だが、現在の若手シーンで散見されるブギーサウンドの先駆者であり、彼らの活躍の下地を作ったのが他でもない角松だ。彼の試みは現在まで脈々と受け継がれており、それゆえ今聴いても古さが全く感じられない。
 角松はその後もプロデューサー、シンガーソングライターとして成熟した作品を発表していくが、その中でも沖縄音楽やアイヌ音楽を取り入れ新しい表現手段を模索するなど、彼の実験的な姿勢は今日に至るまで一貫している。
 そして、先日7月2日、横浜アリーナにて彼の35周年記念ライブ『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』が開催された。リニューアル後の横浜アリーナのこけら落としでもあった本公演。客層は主に青春時代にリアルタイムで角松を聴いていたであろう世代で、家族連れの姿も目立つ。
 この日のライブでは、ドラム3台、キーボード3台、角松を含めたギター3人にベース、パーカッション、管楽器、コーラスを加えた大所帯バンドで構成されていた。照明の落とされた会場に「これからもずっと」のイントロが流れ始め、角松らしき人物がステージに登場するがなんとそれはダミー、会場中央の特設リフターに本人が登場し、観衆を沸かせた。その後「Startin’」「Realize」「CINDERELLA」続けて、「OFF SHORE」「LUCKY LADY FEEL SO GOOD」とミドルテンポのファンクチューンを披露し、徐々に会場の温度を上げていく。6曲を歌い終えたところで「既に押し始めています(笑)。マラソンのようなライブになると思いますが、皆さんはランナーを沿道で見守る観衆になったつもりで応援していただければと思います」と会場の笑いを誘った。
 そして、本公演が満員御礼となったことに触れ「多くの要素が考えられますが、大きな理由のひとつは、やはりの『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったからだと思います。この周年、今夜その『SEA BREEZE』を、ほぼレコードアレンジのまま、曲順通りにライブで再現したいと思います。それを演奏するにあたって必要不可欠なミュージシャンをご紹介します」と、なんと葉巻をくわえた村上”PONTA”秀一がゲストドラマーとして登場し、デビュー曲「YOKOHAMA Twillight Time」を含む『SEA BREEZE』全8曲を完全再現。日本のトップドラマーの一人である村上”PONTA”秀一を招き、通常のライブでは考えられないドラム3台という編成を実現してしまうのは、角松のリズムへの強いこだわりによるものだろう。ブラックミュージック由来の彼のダンサンブルな楽曲群は、リズムに厚みを持たせることにより生かされる。音源では味わえない生身のグルーヴ感は、『SEA BREEZE』がどんなアレンジにも耐えうる強度を持った楽曲群からなる名盤であることを教えてくれた。
 休憩を挟んで幕を開けたACT-2では、演奏を最小限に抑えコーラス隊の歌声をフィーチャーした「RAIN MAN」、20分にも渡るフュージョン組曲「The Moment of 4.6 Billion Years」を自身が編集したという映像と共に披露、続けて「RAMP IN」「DESIRE」バラード2曲を歌った。バラードを聴くと顕著に感じられたのが、年齢を重ねても歌声が一向に衰える気配がないことだ。デビュー時からの奥行きのある歌声は、歳を重ねるにつれてその艶を増していく感じがした。
 途中MCで「ポンタさんと言えば、80年台後半にギターをフューチャーしたインストゥルメンタルシリーズを制作しました。今日は久々に、あの楽曲を、若いドラマー二人(玉田豊夢、山本真央樹)と演奏したいと思います」と、アルバム『SEA IS A LADY』から「OSHI-TAO-SHITAI」を演奏。ドラマー3人のソロ回しに加え、各パートのソロも存分に披露され、観客からは拍手が起こった。
 その後、ゲストの吉沢梨絵、コーラスで参加しているMAY’Sの片桐舞子、千秋、凡子、都志見久美子らとそれぞれデュエット曲を熱唱。バラードからポップスと様々だったが、一人一人タイプの違う彼女達の魅力を引き出そうと丁寧に歌う角松の姿には、シンガーとしての矜持を感じさせられる。続いて『THE MOMENT』リリースツアーで出会ったという全国各地のシンガー達で編成された98人のクワイヤーが登場。迫力のあるコーラスをバックに「Get Back to the Love」を披露した。
 この時点で開演から4時間以上が経過していたが、角松にも観客にも疲れは見えない。「ここから最後の上り坂」と語ると、「After 5 Crash」「RUSH HOUR」「Tokyo Tower」「Girl in the Box」と、往年のアーバンファンクを続けてプレイ。大所帯だからこその音の厚みとグルーヴ感はディスコ調の楽曲群に見事にハマり、この日一番の盛り上がりを見せて本編を終えた。
 アンコールでは、長万部太郎名義で作詞作曲を手掛けた「ILE AIYE~WAになっておどろう」や、ファンが紙飛行機を飛ばすことが恒例となっている「Take You To The Sky High」など、ライブでの定番曲を惜しみなく披露。その後のダブルアンコールに応えて再び会場中央のリフターに立ち、アコースティックギターを手に、夏の代表曲の一つ「No End Summer」を歌い上げ、「また5年後!」と言い残してステージを去った。
 シンガー、ミュージシャンとしての力量は音源からだけでも読み取ることができるが、実際にライブを観て思い知らされたのは、エンターテイナーとしての彼の実力であった。前述の登場時のパフォーマンスはもちろん、MC中のファンの声にも軽妙に応えるなど、ファンサービスにも気を回す。そしていざ演奏が始まると、慣れた様子で、微妙なジェスチャーでバックバンドを自在に操る。あの堂々とした余裕の佇まいは、決して一朝一夕で身につくものではなく、35年間の数多のステージが彼に与えたものだろう。
 さらに特筆すべきことは、6時間強に渡る長時間のライブに関わらず、途中で締まりがなくなることが全くなかったということだ。というのは、ライブの構成が非常に巧みで、セットリスト自体に絶妙な押しと引きがある。ファンの求める曲とアーティストの好む曲は必ずしも一致しないが、角松はファンの要求に応えつつ、自分の聴いてほしい曲を聴かせる流れを作るのが非常に上手かった。強い思い入れのある曲を持たない私にとってもそれは非常に心地良いもので、周年ライブの度に多くのファンが駆けつけるのも納得だった。
 40周年となる5年後にまたこの会場でライブを行うことも示唆した、今年56歳の角松敏生。時代によって様々な音楽を自らの中に取り込んできた彼は、クリエイターとしての作品へのこだわりはよく知られているが、その音楽への姿勢を若いミュージシャン達に伝えたいとも語っている。その入り口の一つとして『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったと考えることもできるだろう。その思いと共鳴するかのように、ここ数年東京インディーズシーンを中心に進む70~80年代シティポップの再評価があった。そこに参照元を求めるアーティストも数多く登場しており、その評価も得た角松は、ここへ来てより広い層を捉えることに成功している。
 2016年、角松はただ過去の清算をしているのではない。彼は常に現在の自分と向き合っており、同時に未来/次世代の音楽シーンをも見据え、その上で活動している。そんな彼の思想が体現された、今後を楽しみにさせてくれるライブだった。
(文=渡邊魁)
http://realsound.jp/2016/07/post-8470.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トナカイを追いかけて チュコトカは常に私の心の中に

2016-07-24 | 先住民族関連
ロシアNOW-2016/07/22 クセニア・イサエワ、
 キリル・ウユトノフ氏は、モスクワ生まれ、モスクワ育ちのカメラマン。やがて、大都市の生活は自分向きではないと気づく。11歳で古生物学を学び始め、ロシアのさまざまな地方の探検に参加するようになる。写真に興味を持ち、旅の写真レポートをつくり始めたのは、探検していた時。
 
 ウユトノフ氏はすぐに、地質学的探検に加えて、ロシア各地の長い撮影・遠征を始めるようになる。訪れた先は、サハ共和国、チュクチ自治管区(チュコトカ)、マガダン地方、沿海州、カムチャツカ地方、カレリア共和国、コラ半島、イルクーツク州、バイカル湖東部、北カフカス、クリミア半島、亜極ウラル、プトラナ台地、タイミル半島など。
 「ロシア北部の辺境の地を訪れ、そこに暮らす少数先住民族の日常生活を異なる視点から見た。テレビや雑誌で伝えられるものとはかなり違っている」
 当地には現在、2種類のトナカイ牧場があると、ウユトノフ氏。一種類目は、いわゆる家内牧場。先祖代々トナカイの飼育に携わってきた人が運営している。このような人にとって、トナカイは私有財産であり、自分たちのトナカイを飼育している。
 トナカイはロシア北部に暮らす少数先住民族の生活である。トナカイ牧場はしばしば、小さな集落の経済の大きな部分を占めている。2011年にチュクチ自治管区ビリビンスキー地区のブルガフチャン川流域で撮影された、トナカイ飼育民の物語も、そうである。
  二種類目は、雇われた労働者によって運営されているトナカイ牧場。労働者は牧草地を守り、放牧地にトナカイを放ち、病気のトナカイを治療し、世話をすることを任務としている。だが、自分たちのトナカイを育てるトナカイ飼育民とトナカイの間の絆と、その絆は、違うかもしれない。
 サハ共和国モムスキー地区のチバガラフ川流域で働くトナカイ飼育民。他の農業生産と同様、雇用されている。これはソ連時代のソフホーズの遺産である。
  「悲しいことに、ソ連時代は繁栄していて、トナカイ飼育民は良い教育を受けた裕福な人々だった。トナカイは必要な世話を受けていた。今日、多くのトナカイ牧場は苦しい状況にある」とウユトノフ氏。
 「トナカイ飼育民は必要な教育を受けられず、知識を欠き、大きなトナカイの群れを世話できるほどの人数もいない。人手が足りないことから、トナカイの病気も増えており、トナカイの個体数の年間増加率はゼロに近い。これは過酷な条件での重労働。資金は乏しく、賃金は首都の平均年金額とそれほど変わらない」
 「技術が進歩しているのに、トナカイ飼育民の生活は向上するどころか、悪化していることが多い。ロシア北東部、特にサハ共和国のトナカイ牧場の状況が非常に深刻」
 「ごくたまに旅行者や地質学者がこの辺境の地を訪れ、目的を果たしていくが、目の当たりにしたことを公に伝えることはなかなかできない。写真撮影を通じて、トナカイ業界の問題に注目を集めたい」とウユトノフ氏。
https://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2016/07/22/614153

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第18回台北映画奨授賞式:先住民描いた「只要我長大」がグランプリ&最多5冠

2016-07-24 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2016/07/20 17:32
優秀な台湾映画を表彰する「台北映画奨」(台北電影節)の第18回授賞式が7月16日、台北市の中山堂で開かれた。同賞は、台湾の身分証または居留証(ARC)を持つ監督が製作した作品を対象としており、アニメーション、短編、ドキュメンタリー、長編フィクションの4部門が設けられる。今年の応募総数は過去最高の計302作品。各部門ごとに10作品ずつがノミネートされ、賞を争った。

「只要我長大」チーム。撮影に協力した台中市の林佳龍市長は翌17日、再上映に向けて協力するよう管轄の新聞局に指示を出したという
◇グランプリに「只要我長大」 最多5冠獲得
最高賞のグランプリ(百万首奨)に選ばれたのは、3人の男の子を中心に台湾原住民(先住民)集落の生活、社会的問題などを軽やかに描いた長編フィクション「只要我長大」。同賞は各部門の最優秀作品4本の中から選ばれる。また、同作品は長編フィクション賞、監督賞、新人賞、編集賞も受賞。今回の最多受賞作品となった。
メガホンを取ったのはタイヤル族出身のチェン・ジエヤオ(陳潔瑤)監督。今作が長編第2作目となる。
チェン監督は「こんなに多くの賞を獲得できるとは思わなかった」と興奮気味にスピーチ。今後も先住民をテーマとした作品を製作していく考えを明かし、「先住民を題材とした映画が毎年生まれれば」と願った。
中心人物となる3人の男の子の一人・瓦旦を演じたチェン・ユー(陳宇)は、受賞の感想を尋ねられると、作品中に出てくる台詞を用いて「人生嘛」(これも人生)とつぶやき、子供らしからぬ発言で会場を笑いに包んでいた。
同作は台中市にあるタイヤル族集落「環山」で撮影。キャスト全ては先住民で、そのほとんどは素人の役者。3人の男の子は監督が先住民の多い地域の小学校を巡り、探し出したという。
低予算の映画ながら、全体的にレベルが高く、生命力にあふれている作品だと審査員から評価された。
作品あらすじ:山間の先住民集落で育った3人の小学生、瓦旦、晨皓、林山。自由奔放でわんぱくながらも、それぞれ異なる家庭上の悩みを抱えている。そんな3人をやさしく見守るのは、車いす生活をしながらも補講クラスを開く拉娃先生。3人の悩みに立ち向かう態度、拉娃先生とのやり取りを通じ、人々の愛や成長を感じさせる温もりあふれる作品。一方で、先住民集落が抱える問題も浮き彫りにしている。先住民バンドのBoxingや歌手のクラウド・ルー(盧広仲)、女優のツァイ・ホァンルー(豆花妹)などがゲスト出演している。台北映画奨に先駆けて発表された国際新監督コンペティションにもノミネートされており、観客賞を受賞した。
◇ 主演賞はコウ・ガとティファニー・シュー
主演男優・女優賞に選ばれたのは、ともにホラーサスペンス映画「紅衣小女孩」に出演したコウ・ガ(黄河)とティファニー・シュー(許[王韋]ネイ)。ティファニーは同作のほか、「失控[言荒]言」と短編「世紀末的華麗」での演技も評価され、史上初となる3作品での受賞となった。(ネイ=寧の下半分が用)
名前が呼ばれた瞬間、驚きを隠せない表情を見せたコウ。今後はより幅広い種類の役、作品に挑戦していきたいと意気込みを示し、そのためにも「将来的に台湾でもっと多くのジャンル映画が生まれれば」と期待した。
「紅衣小女孩」は赤い服を着た女の子を巡る台湾の都市伝説を題材にした作品。コウは祖母と2人で暮らす不動産営業マン、ティファニーはコウの彼女を演じた。祖母が突然姿を消したのを機に、恐怖の物語が展開されていくというストーリー。
実は同作においてコウの出演シーンは決して多くはない。それでも主演賞に選ばれたことについて、審査員を務めた香港の映画監督、シュウ・ケイ(舒[王其])は「平凡な役こそ最も難しい」とし、シナリオにおいては平面的な役ながらも、その中でコウの努力が感じられたと役作りに対する姿勢を高く評価した。
一方、ティファニーの受賞については、出演した3作品がノミネートされているということはそれだけ演技が突出しており、さらに演じられる幅も広いことを示していると言及。審査員による投票は無記名で行われ、それぞれの審査員が3票ずつ投票する形式を採用していたが、1回目の投票で大勢が決まっていたという。
http://japan.cna.com.tw/topic/column/201607200001.aspx

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の雑記帳 ジャワ島原住民族が「カサダの祭り」、噴煙上がる火山に供物

2016-07-24 | 先住民族関連
毎日新聞 2016年7月22日 14時14分(最終更新 7月22日 14時14分)

7月21日、インドネシアのジャワ島にある火山のブロモ山で、この地域に住むヒンズー教徒のテンガル族による「カサダの祭り」が今年も行われた(2016年 ロイター/Beawiharta)
 [21日 ロイター] - インドネシアのジャワ島にある火山のブロモ山で、この地域に住むヒンズー教徒のテンガル族による「カサダの祭り」が今年も行われた。先住民族であるテンガル族は、噴煙の立ち上る火口に生きた鶏などの家畜や野菜、果物といった供物を投げ入れ、ブロモ山の怒りが静まるよう祈った。
 ブロモ・テンゲル・スメル国立公園の中にあるブロモ山は標高2329メートル。いまも活発な火山活動を続けている。
http://mainichi.jp/articles/20160722/reu/00m/030/008000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪へムード盛り上げ、巨大壁画の制作急ピッチ

2016-07-22 | 先住民族関連
読売新聞 2016年07月21日 20時11分
 【リオデジャネイロ=畔川吉永】リオデジャネイロ市中心部の港湾地区に五輪をテーマにした巨大な壁画が描かれ、8月5日に迫ったリオ五輪開幕に向けムードを盛り上げている。
 港の近くの倉庫に描かれた壁画は高さ約15メートル、長さが200メートルほどで世界五大陸の先住民族の顔などが色彩豊かに描かれている。ブラジルの芸術家、エドゥアルド・コブラさんが今月末の完成を目指して急ピッチで制作を進めている。
http://natalie.mu/eiga/news/194739

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (1) ボートピープルの衝撃 宇田有三

2016-07-22 | 先住民族関連
アジアプレス-2016年07月21日
2015年、ボートピープルとして海に出たロヒンギャの人々が、海上で、またたどり着いたタイやマレーシアで虐待を受け、多数の死者が出たというニュースは世界に衝撃を与えた。ミャンマー、バングラデシュ両政府から「自国民ではない」とつまはじきにされた無国籍の80万のイスラム教徒の民。彼らはどこの何者なのか? そしてなぜ迫害を受け続けることになったのか? ミャンマー(ビルマ)取材23年の宇田有三氏が、現地取材と研究の成果を長期連載して報告する。(アジアプレスネットワーク編集部)
ロヒンギャとは、国籍を剥奪された、世界で最も虐げられている少数者集団である―― 国際社会ではしばしばそう評されている。国籍を持った人身売買の被害者たちや、現代の「ボートピープル」として紛争国から逃げだした避難民たちには国籍があり、国際社会から援助の手がさしのべられる。だが、無国籍となったロヒンギャたちには、国家レベルでの援助はあまり進んでいない。

ミャンマーの隣国、バングラデシュの非公式キャンプの溜め池で水を汲むロヒンギャの子どもたち(撮影:宇田有三)
ロヒンギャたちが暮らすのは、東南アジアのミャンマー(ビルマ)とバングラデシュとの国境周辺である。ミャンマーは、仏教国が多くを占める東南アジア諸国の西端に位置し、イスラームやヒンズー教が支配的な信仰であるバングラデシュやインドである南アジアと接している。
日本に暮らす多くの人にとって、ロヒンギャと呼ばれる人びとの存在は2015年5月、テレビや新聞を賑わせた難民としてのロヒンギャの姿であったであろう。欧州ではその頃、シリアを初めとするイスラーム諸国からの難民問題が改めて大きく取り上げられており、それに呼応する形で東南アジアでもムスリム(イスラーム教徒)難民であるロヒンギャに注目が集まった。
関連写真を見る: ミャンマー現地写真報告(4) 選挙権剥奪されたロヒンギャの人々(写真9枚)
青い空を背景にした海原で、波間を漂う粗末な船の上で泣き叫ぶ避難民ロヒンギャたちの映像はショッキングであった。そのため、彼ら彼女たちを救わなければという人道的な側面を優先したニュースが流れた。しかしその際、「ロヒンギャ問題」はどのようにして起こってきたのか、その背景を的確に伝える報道は少なかった。
実はそれ以前の2012年、ミャンマーの西方ラカイン州で起こったロヒンギャに対する迫害で、ロヒンギャたちがミャンマー国内で迫害されているというニュースは何度も報道されてきた。もっともそれは、仏教徒とムスリムの「対立」としての面が大きく報道されていた。
” ロヒンギャ・ムスリム” に対する迫害は、1978年、1992年、2009年と立て続けに発生していた。1978年と1992年には、20万人を超えるロヒンギャたちが国境線に当たるナーフ河を超え、バングラデシュに避難していた。
関連記事:日本人ジャーナリスト、タイでビルマ講演会開催
2009年には、2015年に起こったように、ボートピープルとして避難するロヒンギャたちの乗った船がタイの海岸に漂着し、それをタイの官憲が迫害するという問題も引き起こしていた。これもやはり、一時期、日本でも大きく報道された。
私が不思議に思ったのは、どうして2015年になって、約40年間続いてきたこの問題が改めて国際的に大きく取り上げられたのか、ということである。それは、前述したように、同時期、欧州で難民問題が大きく取り上げられ、それに呼応する形で東南アジアでの難民問題や人身売買問題に注目が集まった、ということである。(つづく)
宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。
http://www.asiapress.org/apn/author/myanmar/post-48145/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする