鬼ヶ島通信の初期のメンバーで、「絵本とおはなし」を創刊し、その後、版元がMOE出版のときの雑誌「MOE」の編集長もされていた榎本司郎さんがお亡くなりになったそうです。ももたろうの山本悦子さんが連絡してくださいました。
鬼ヶ島のパーティなどにも顔をだされていた方なので、知っている方も多いと思い、ここにも書きました。
わたしは榎本さんには、ももたろうができた頃、よく飲みに行って、いろいろ教えてもらったり、はげましてもらいました。
山中湖半の宿で鬼ヶ島のファンのつどいをして、ももたろうの合評をしてもらったことはすごい思い出です。
あのときは、みんな若くて、村上勉先生が、富士山がきれいだなーとすばらしい笑顔でおっしゃられて、みんなで写真をとりました。厳しかったけど、わたしにとっては転機になった合評会でした。
台湾にもごいっしょしました。鬼ヶ島のメンバーとももたろうの有志でいったんですね。
おもしろかったなー
MOEが白泉社にうつり、榎本さんがフリーの編集者になってからは、ポプラ社の文庫を三冊、つくってもらいました。ほんとうにかけだしの頃で、今読むとはずかしいです。お世話になりました。榎本さんは、野心もあられて、「絶対売れるものにする」といってはりきっていらっしゃいました。
その後も編集者をして、マンガの同人誌もつくったりされました。若い人を応援することが好きで、おしまず声をかけてくれるんですね。
最近は好きな演劇をされていて、講演会のちらしを見せてくれたりしました。
また、歌がとてもうまく、カラオケにも数回、ごいっしょしました。
最後にお会いしたのが、山本悦子さんが野間児童文学賞をとったときだったかも。
あの時が、ちゃんとお話しをした最後だったかもしれません。
末吉暁子先生が亡くなられて、千葉幹夫さんが岡山にもどられて、そして、榎本さんまでなくなられるなんて・・・。
あこがれて、お世話になった鬼ヶ島の初期のメンバーが少なくなっていくのは、とても残念で淋しいです。
なんか、しんみり、いろんなことを思い出しますね。
ご葬儀はされないようなので、今日、伺ってお悔やみをさせていただこうと思っています。
ご冥福を心からお祈りいたします。