「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

まだ音楽に感動する力が残っていた!

2022年12月14日 | 音楽談義

現役を引退してから「時間に縛られない生活がこれほどいいものか」と、毎日のように自由を満喫しているが惜しむらくは若い頃に比べて「感動する力」が弱ってきていることが心残り。

20~30代にかけて、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ32番」、モーツァルトのオペラ「魔笛」、そしてジネット・ヌヴ―が弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」に涙したあの感動は今いずこ~。

その反動のように「好きな音で聴けば(あの感動が)少しは蘇るかもしれない」と、オーディオに邁進しているものの、所詮は音楽の僕であって、やはり限界を感じることが多々あり、ときどき虚しくなってしまう。

ところが・・。

まだ、音楽に感動する力というか、「命の泉」が涸れ果てることなく残っていたんですよねえ(笑)。

その思いを強くしてくれた曲目が、コルンゴルト作曲「歌劇 死の都」からアリア「私に残された幸せは~マリエッタの歌~」。ソプラノは「ルネ・フレミング」。

先日来「オペラ専門チャンネル」(ネット)をたびたび紹介しているが、好きな曲目になるとパソコンににじり寄って曲名と歌手を確認しており、その一環として発見したのがこの曲だった。

6分ほどのアリアだが聴けば聴くほど歌唱力といい、メロディーといい、もうゾッコンで、ウ~ンと思わず涙ぐむほどの感動ぶり。

何とかCDを手に入れたいなあ!

まずは「ルネ・フレミング」のCD一覧をネットで開陳させて、それらしきタイトルを探し回った結果、ようやく「歌劇 死の都」を突き止めた。

となると、話は早い。



ネットで注文して3日ほどで届いた。一番最後の「トラック16」に「死の都」が収録されている。

さっそく「ブルーレイ」に収納して「リピート」再生でおよそ2時間あまり耳を傾けた。曲目が6分ほどだから20回ぐらい連続して聴いたことになる。

屈託のない伸び伸びとしたソプラノがあたりを睥睨するかのように音響空間を漂いながらどこまでも気持ちよく広がっていく。

もう「たまらん」の一言で、フレミングって歌手はまったく盲点だったなあ~。

それにしても「歌劇 死の都」って、どれだけの人がご存知なのだろうか。改めてネットラジオの威力、そして設定してくれた「博士」に感謝です~。

「好きな音」に巡り合うことと「好きな音楽」に出会うこと、うれしさの点でどちらに軍配を上げるか、これは難しい質問だが「永続性」となると音楽でしょうかね。

12月の中旬ともなると、この1年を振り返ってそろそろ恒例の「ベスト10」を考えないといけないが、文句なく「ベスト1」はこの曲目の発掘で決まり。

さあ、となるともっと突き詰めたくなった。久しぶりに出会ったこの「心震える感動作品」をどのスピーカーが一番うまく再生できるかな。

「真空管アンプ転がし」は常習犯だが、「スピーカー転がし」となると極めて珍しい(笑)。

「スーパー10+サブウーファー」 → 「AXIOM80+サブウーファー」、そしていろいろと「紆余曲折」があったが、とうとう最後には・・。

以下、続く。



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文學は音楽に敵わない

2022年12月13日 | 音楽談義

「永遠の0」「海賊とよばれた男」など驚異的なベストセラーを持つ作家「百田尚樹」さんの著作「至高の音楽~クラシック永遠の名曲~」を読んでいたら、131頁に「文学は音楽に適わない」の言葉があった。

                       

これが音楽家から発せられた言葉なら「我田引水」なので信用できないが、負の立場にある文学者側の言葉となると大いに信憑性が増してくる。

日頃から暇つぶしを兼ねて読書と音楽に勤しんでいるが、ややキザなことを言わせてもらうと「文学=多角的なモノの見方を養う」、「音楽=美的感性を磨く」ものだと思っている。

したがって、これまでどちらかの優位性なんて意識したことはなかったのでこの言葉はなかなか新鮮に感じた。


ありていに言うと、「文学と音楽とどちらが好きか」と問われたら圧倒的に音楽に軍配を上げるので、思わず共感を覚えてしまったというのが本音。

「苦労して書いた長編小説が俳聖“芭蕉”の一句にとうてい敵わないことがある」と、作家の五味康祐さんがいみじくも書いていたが、それと同じことで、芸術の分野では長ったらしい口上よりもイメージ的かつ感覚的な理解に訴える方がむしろ説得力が増すこともある。

さて、本書を通読したところ、百田さんがこれほどのクラシック通とは思わなかった。常にクラシック音楽を鳴らしながらの執筆だそうで、ちなみに「永遠の0」のラストの執筆中は泣き濡れながら「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲をエンドレスで聴かれていたそうだし、レコード、CD合わせて2万枚の所蔵とは、恐れ入りました!

本書の狙いはクラシックをよく知らない読者とよく知っている読者の双方を満足させたいという狙いで、著者が愛してやまない曲目を一曲づつ8頁前後でもって紹介する形で展開されている。

クラシック通にとっては全25曲の顔ぶれがかなりポピュラーな面に片寄っているのもそのせいだが、折角なので順に挙げてみよう。この中で、一曲でもふと聴いてみようかという気になったら著者の狙いは成功である。ただし、興味のない方もおありでしょうからそういう方は読み飛ばしてください。

 ベートーヴェン「エロイカ」~不意に凄まじい感動が舞い降りた~

 バッハ「平均律クラヴィーア曲集」~完璧な音楽~

 モーツァルト「交響曲第25番」~天才がふと見せた素顔~

 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」~当初酷評を受けた、20世紀を代表する名曲~

 ショパン「12の練習曲集」~超絶技巧の演奏でなければ真価は味わえない~

 ベルリオーズ「幻想交響曲」~失恋の苦しみが生んだ狂気と前衛の曲~

 モーツァルト「魔笛」~田舎芝居に附された「天上の音楽」~

 ベートーヴェン「第九交響曲」~聴力を失った後の「最後の戦い」~

 シューベルト「魔王」~最後にデーモンが顔を出す~

 ヴァーグナー「ヴァルキューレ」~新手法「ライトモティーフ」の麻薬的な魅力~

 パガニーニ~「24の奇想曲」~はたしてこれは純粋に音楽か?~

 ムソルグスキー「展覧会の絵」~第4曲「ピドロ」の謎~

 ブルックナー「第8交響曲」~「滑稽な変人」が書いた巨大な交響曲~

 チャイコフスキー「白鳥の湖」~チャイコフスキーの魅力が全て含まれている~

 ベートーヴェン「第5交響曲」~「文学は音楽に適わない」と思わされる瞬間~

 リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」~英雄とはなんとシュトラウス自身~

 ブラームス「第1交響曲」~なぜ完成までに21年もかかったのか~

 バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」~すべての旋律が主役~

 ベ^トーヴェン「悲愴」~悪魔的演奏術をすべてぶち込んで作った傑作~

 ラヴェル「夜のガスパール」~昼と夜で聴いたときの感覚が異なる~

 シューベルト「死と乙女」~死に魅入られた男~

 ロッシーニ「序曲集」~クラシック界の「天才ナンバー1」~

 モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」~「職人」が自分のために作った曲~

 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」~対位法の最高峰~

 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」~「闘争」がまったくない幸福感に溢れた曲~

読後に印象に残った点を2点ほど挙げてみると、

1 「決定盤趣味」について

上記のそれぞれの曲目にはベスト盤も紹介されているが、著者は「決定盤趣味=この曲目の演奏の決定盤はこれだ」という決めつけをしないタイプで、CDで発売されるほどの演奏家なら、いずれも優れているはずとの“おおらか派”。芸術はスポーツではない。優劣を競うものではないし、数値化できるものでもないとのこと。

たしかに、「この演奏でなきゃダメだ」という見方もよく分かるが、自ら選択の範囲を狭めているだけなので音楽鑑賞に当たってはいろんな演奏の良い点を汲み取る幅広い包容力も必要だと思う。

2 オペラ「魔笛」について

「またお前の好きな魔笛か、いい加減にしろ」と言われそうだが、こと魔笛となると黙っちゃおれない(笑)。本書の関連個所にこうある。(61頁)

「ひどい台本にもかかわらず、モーツァルトの音楽は言葉を失うほどに素晴らしい。魔笛こそ彼の最高傑作という音楽評論家は少なくない。

モーツァルトは最晩年になると、音楽がどんどん澄みわたってきて、悲しみを突き抜けたような不思議な音の世界を描くようになるが、魔笛はまさしくそんな音楽である。

曲はどこまでも明るく、軽やかで、透明感に満ち、敢えて恥ずかしげもなく言えば、もはや天上の音楽と呼びたくなるほどである。」


モーツァルトの音楽の本質を言葉で表現するのは難しいが、巷間言われているのは「涙が追いつかない悲しさが疾走していく」とある。つまりモーツァルトの音楽から「もの悲しさ」が感じ取れればそれで良し。

古文でいえば「人生、いとはかなし」という心境だろうか。



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果てしなく続くオーディオ探究

2022年12月12日 | オーディオ談義

毎日のようにああでもない、こうでもないとシステムを弄り回しているといつの間にか目的を見失ってくる。

「好きな音楽を好きな音で聴きたい」、その1点あるのみなのに、好きな音楽が自然と脇に追いやられて「好きな音」だけが主役になってくる。

いわば「主客転倒」だが、これはこれで楽しいし「自業自得」なので文句を言うつもりはさらさらない(笑)。

で、現在”ぞっこん”なのがこのシステム。



久しぶりの「ヒット作」で、クラシックからジャズ、ポピュラー、歌謡曲に至るまでかなり広範囲の音楽ソースに対応できるので重宝している。

しかも、オーケストラやオペラも「サブウーファー」のおかげでそこそこいけるのもなんだか楽しくなる。

で、このシステムでポイントになるのは、ワーフェデール「スーパー10」(口径10インチ=25cm)のポテンシャルをいかにうまく引き出せるかに尽きる。



何度も画像に出すようだが、この強力なマグネットによるスピード感あふれる再生はちょっとこたえられない。

かって、オーディオ仲間が「まるでホーンスピーカーを聴いているみたいに音が飛んできますね!」と、驚いていたほど。

で、最初に組み合わせたアンプはエース級の「WE300Bシングル」だったが、意外なことにどうもしっくりこなかった。

一言でいえば「オーバーパワー」気味で、音のタメがない感じといえばいいのかな~。

どんなに一流と言われるアンプでもスピーカーによっては「万能ではない」ことがわかった。

「そんな大切なことを今ごろわかったのか!」・・(笑)。

さっそく、方向転換して出力が「1ワット~3ワット」クラスのアンプの出番となった。



手前、左から「71Aシングル1号機」「同2号機」、そして奥の方から左が「2A3シングル」、右が「6AR6シングル」(三極管接続)。

これら4台のアンプが入れ代り立ち代りの「大乱戦」。

その結果、それぞれにいいところがあって、まさに甲乙つけがたし~。

強いて言えば、71系アンプは曲目によっては95点いくときもあるかと思えば、85点ぐらいのときもあって、ちょっと波が激しいかな。

その点、あらゆる音楽ソースを90点以上で鳴らしてくれたのが「2A3シングル」(出力管フランスVISSEAUX:刻印)
と「6AR6シングル」(初期型:楕円型プレート)だった。

ちなみに、「2A3シングル」は去る11月1日にお見えになった「S」さん(福岡市)のご指摘でボリュームを交換したせいか、溌剌とした響きの持ち主となった。

結局、現在は「スーパー10」に「2A3シングル」アンプ、70ヘルツ以下を受け持つ「D123」(JBL)には「6AR6シングル」を充てている。

ほぼ完ぺきなサウンドだと自惚れているが、「スーパー10」の代わりに「AXIOM80」を載せたら、はたしてどういう音になるんだろう。

大いに興味ありますなあ!

これからも複雑怪奇なオーディオの探究を果てしなく続けるつもり(笑)。



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無駄の効用

2022年12月11日 | 独り言

週に2~3回ほどの定期的な図書館通いをずっと続けているが、これはといった本に出会える確率がとても低いのが難点。

換算すると10冊あたりで1~2冊が精一杯。

何とか確率の高い方法はないものかと思っていたら、先日の地元紙に「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博)と題した本の紹介の中で次のようなことが書かれていた。

            

「読書をするだけで10人に一人の人材になれる。というのも、これから先の日本は<本を読む習慣のある人>と<本を読む習慣のない人>に二分される階層社会がやってくるから。~以下略~。」

ちなみに本好きの人がハズレを引かない方法だが、“数が勝負”とにべもない。無駄な本に出会わずに効率的に本を選ぶことなどどだい無理
とある。

やっぱり面白い本に出会うには「数が勝負」のようだ!

「闇夜の鉄砲」みたいに「数撃ちゃ当たる」というわけだが、そういえば「無駄の効用」という言葉もある。

ハズレたものでも、そのときは一見無駄のように見えるが意外にも記憶に残っており、思わぬところで役に立つことがあるかもしれない。

そういえば、先日(12月4日)のNHKのテレビ番組「サイエンスZERO」で「睡眠・持久力・肥満まで!腸内細菌がもたらす驚異」を放映していた。

現在、「腸内細菌」の効果が健康面で大きな脚光を浴びており、食事のときでも「腸内細菌が喜びそうなものを食べる」という意識が必要だと言ってた。

そういう食べ物となると、栄養価の高いものではなく「野菜、果物、豆類」といった「味覚」の面ではパッとせず、無駄ともいえそうな食物ばかり。


「無駄の効用」は、さらにオーディオにも通用しそうですよ。

たとえば我が家では真空管のパワーアンプだけで現在8台ほどある。その中でどうにか現用のシステムと相性のいいものが4台、残りの4台はイマイチ相性が悪い。

確率的には50%となるが、それかといって後者の4台のアンプが無駄だったかといえばけっしてそういうことはない。後々の選択過程における貴重な礎(いしずえ)となっていることは言うまでもない。

スピーカーだって7系統のうち、あまり出番が無いものが2系統あるが、どういう組み合わせで大化けするか全く予断を許さないところがあるので辛抱強く持っている。

「無駄と思ったものが実は無駄ではなかった!」、こういう逆転劇もワクワクして楽しいものです(笑)。



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小道具といえどもまったく手が抜けないオーディオ

2022年12月10日 | オーディオ談義

前々回のブログ「ちょっと聞きはいいんだけど」からの続きです。



イギリス系のSPユニットは総じて「箱鳴り」をうまく利用するようにできているようで、こうやって箱(板厚:1.2cm)に容れて聴いてみると明らかに平面バッフルのときに比べて、ふっくら感が出てきて響きが柔らかくなった。

これなら長時間聴いても耳が疲れるはずもなく「よし、うまくいったぞ~」と、ひと安心。

後は細かな調整に移って、バッフルの下部の隙間が大きすぎるようなので、適当な材料を物色して隙間を埋めてみた。

50ヘルツ以下を担当するJBLの「D123」(口径30cm)も少し音が一塊になって団子になる傾向にあるが、まあ、50ヘルツ以下だからこんなものだろう・・。

とはいえ、そのうちだんだんと気になってきてハイカットしているコイルを念のため入れ替えてみようかな。

現在は「12mh(ミリヘンリー)+12mh=24mh」を使っているが、抵抗値が「3.29Ω」とあって2個連結だから「6.58Ω」となり、これがちょっと気になる。

それにしても、何せ50ヘルツ以下だからそれほど重要な周波数帯域とも思えずたいして変わり映えしないだろうと、それほど期待はしていなかった。

これが入れ替えた「ムンドルフ」(ドイツ)のコイルで、特徴は抵抗値が少ないことで「0.96Ω」とガクッと落ちる。

 6.8mh(ミリヘンリー)+8.6mh=15.4mhになり、周波数換算でいくと70ヘルツあたりでハイカットしている計算になる。

はじめに右チャンネルだけコイルを入れ替えて聴いてみたところ、なんとまあ腰を抜かさんばかりに驚いた。

まったく左側と右側でサウンドの透明度が違うのである!

たったの50ヘルツ以下の周波数帯域でもこれほど全体のサウンドが違うとなると、極めて問題だなあ・・。

急いで左側のチャンネルもムンドルフに入れ替えた。

実は団子になって聴こえるのは「D123」のせいかなと半分疑っていたのだが、責任はなかったことになる。

あらぬ疑いをかけてごめんね~。

それにしても、たかがコイルごときでこんなに音が変わるなんてと背筋がゾツとした(笑)。

あわてて、新たなコイル(ムンドルフ)をネットで発注した。現在「ウェストミンスター」に使用している銅箔コイル(1.7mh)を代えるためである。

左右の両チャンネルに使用するので、2個ともなるとちょっとしたお値段になるが、これほど音が変わるとなると捨てておけない。

ただし、輸入品になるので「2~3か月お待ちください」とあり、来年の春まで気長に待つとしよう、やれやれ・・。

それにしても、オーディオは小道具といえどもまったく手を抜けませんね、とりわけ「スピーカー周りは」・・。



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面白いと思ったことはとことんやってみた

2022年12月09日 | 独り言

今年(2022年)のノーベル賞は残念なことに日本人の受賞者はいなかったが、外国人に目を向けると「mRNAワクチン」を開発した「カタリン女史」が有力な候補だと思っていたが、まだ時期尚早だったのだろう。

そして、6年前にめでたくノーベル賞(医学・生理学)を受賞された大隅良典氏(東京工大栄誉教授)は我が母校「福岡高校」の先輩にあたる。

ちなみに福岡市の場合、当時は学区制があって東部地域の大学進学希望者は「福岡高校」へ、西部地域の進学希望者は「修猷館高校」へと勢力地図がくっきり色分けされていた。

大隅氏の父は元九州大学工学部教授、長兄は東京女子大名誉教授なので、典型的な学者一家である。

その大隅さんの受賞インタヴューでの次のような「3か条」がいまだに強く印象に残っている。

「誰もやってないことをやる」、「ワクワクすることが科学の醍醐味」、「面白いと思ったことはとことんやってみよう」

この3点セットに思わず膝を打ちつつ、少しでもあやかりたい一心でこれらを少々強引だが我がオーディオにこじつけてみた(笑)。

☆ 誰もやってないことをやる

オーディオシステムへの取り組み方を大まかに分けると、評判のいい機器を組み合わせて事足れりとする「常識派」と、一方では誰もが考えもしない組み合わせをやってのける「異端派」とに区分されるのではあるまいか。

そして、その比率は前者が圧倒的な割合を占めているように思う。


どちらがいいとか悪いとかいうことではないが、「音は人なり」という言葉もあるし、せめてオーディオくらいは人に迷惑をかけることがないのだから思いっきり個性を発揮したいところ。

というわけで、自分は明白な「異端派」だと自認している。

たとえば手元にあるオーディオ機器のうち、さすがにデジタル系の機器には手を出せないが、アンプやスピーカー類は個別に作ってもらうか、あるいは市販のものを購入したとしても必ずといっていいほど改造している。

「もっと自分好みにできないか」を煎じ詰めていくと、結果的にオリジナル排斥主義者 兼 オンリーワン主義者になってしまう。


実例を挙げると、オーディオ仲間たちから「随分思い切りましたねえ!」と言われているのが、タンノイ・ウェストミンスターの改造。                

タンノイのフラッグシップモデルを改造して他のユニットを取りつけるなんて「常識的には考えられず、とても怖くてできない。」そうだ(笑)。

自分でも当時を振り返ってみるとつくづく「盲目蛇に怖じず」だったと思うが、随分長いこと回り道した結果「正解だった」と、ようやく思えるようになってきた。

ただし、セオリーを無視したこうした取り組みを苦々しい思いで見つめている人もきっと居ることだろう(笑)。


次に、

☆ ワクワクすることが科学の醍醐味

☆ 面白いと思ったことはとことんやってみる

オーディオシステムの構成機器となると、前段機器(CDやレコードプレイヤー)~プリアンプ~パワーアンプ~スピーカーとなるが、これらのどこを弄っても音は変わる。

そして、弄るところが多ければ多いほどオーディオは楽しくなる。一部を変えて、新たに音出しするときのあのドキドキ、ワクワク感は何物にも代えがたく、まるで少年時の未知の体験に目を輝かした頃に戻ったかのような気持ちになる。

仲間たちも「よくもまあ、熱心に取り組んで~。いつも来るたんびにどこかシステムの一部が変わってるなあ。」と、呆れ顔だが、理由の一つは代えてから音が出るときのあのワクワク感が忘れられないからである。

また、とことんやるのも性格的に合っている。いわば凝り性である。

古今東西の有名なミステリーはたいがい読破したし、波止場釣りは「仕掛けつくり」から「竿さばき」まで極めた積りでいるし、大好きなクラシックのオペラ「魔笛」(モーツァルト)に至ってはトチ狂ってしまいCD、DVD合わせて指揮者の違うものを50セット近く収集している。

おそらく数としては世界で一番だろう。オーディオだって、まだまだ未知の世界があるし、到達感はいまだに無いのでとことん突き詰めるつもり。

アッ、そうそう、このブログだって今年の10月21日で17年目を迎えたが、投稿した記事の数はおよそ3000件に上り、これからも病気にでもならない限りとことん続けるつもり。

こうして、とことん詰めていく趣味があると日常まったく退屈感を覚えることがないので大いに助かる。

ただし、学問の方は面白いと思ったことがないため、とことんやることもなく結局世の中に貢献できなかったのが残念至極(笑)。
 



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「ちょっと聞き」はいいんだけど

2022年12月08日 | オーディオ談義

前回の「2泊3日の冬の旅」の続きです。

検査入院中に読んだミステリーに挟まれていた謎解きのクイズ「見知らぬレストランで本物のウミガメのスープを飲んだ男が自殺した。いったいなぜ?」

その回答がこちら。

「その男は昔船乗りだった。ある日、船が嵐で沈没し男は数人の仲間と一緒に無人島に漂着した。しかし、そこには食料が無いので弱った者から一人二人と餓死していった。

残った者は死は死者の肉を食べて命を繋ごうとしたが、男は(人一倍潔癖症のため)それを固く拒否し、そのためにどんどん衰弱していった。

それを見かねたほかの者が「これはウミガメのスープだ」と偽って男にスープを飲ませ、おかげで男は救助されるまで生き延びることが出来た。

しかし、ずっと後になってレストランで本物のスープを飲んだとき、あまりの味の違いからすべてを悟り、自殺に至った」というわけ。

どうでした? 他愛なかったですか・・(笑)。

閑話休題

さて入院中はいつものとおり午前3時ごろに目が覚めたのだが、朝食は8時半ごろときている。退屈しのぎにベッドの中でいろいろ考えるのだが、やはりオーディオは避けて通れない課題(笑)。

そして、自宅に戻ったら「いの一番」に取りかかろうと焦っていたのが次のシステム。そして、そのとおり退院した即日(7日)の午後に実行した。



読者から「なんだなんだ、そんな話聞いてないぞ~」と、悲鳴が上がるかなあ(笑)。

順を追って経緯を述べてみよう。

 いつもイギリス系のしんねりむっつりしたSPを聴いていると、たまには切れ味がよくてスカッとした音が聴きたくなる。その象徴は本格的なシンバルの響き。そこで「D123+075ツィーター」の登場。



 これはこれでシンバルの響きを堪能したものの、次第に欲が出てきた。つまりD123(フルレンジ)が少々弱くて、解像力に不満が出てきたので、クロスオーバーを設定して075の代わりに175ドライバーを起用。



このシステムで見事に「175ドライバー」が開花し、その能力に目を見張って、もう少し「晴れの檜舞台」で活躍させたくなった。

そこでウェストミンスターの上に移動。



 残されたD123はもはや使い道がなくなったが、せっかくなのでサブウーファーに使ってみようかな。丁度その上に載せるユニットがあまっている。

それはD123の前に容れていたワーフェデールの「スーパー10」(口径25㎝2ウェイ)。

見事な重量級の赤帯マグネットの持ち主である。もう見るからに「悪い音」が出ようはずがない代物である。

そこで、まずは平面バッフルに取りつけて「D123」の上に置いてみた。



ちなみに、サブウーファーの「D123」は「12mh(ミリヘンリー)+12mh=24mh」のコイルを使って50ヘルツあたりでハイカットしている。

これで、ようやく「スーパー10」の帯域に被りが少なくなってスッキリ感が向上した。

☆ これはこれで「素晴らしい!」と、2~3日は大いに楽しんだのだが、そのうち耳が疲れてきた。

「ちょっと聞き」はいいのだけれど、長時間となると問題があって、やはりどこかサウンドに不自然なところがある。

たとえて言えば「2~3時間ほど試聴して帰られるお客様向きの音」といえようか。

けっして大向こうを唸らせなくていいから、もう少しハーモニーを重視した「ふっくらした柔らかい響き」が欲しいなあ~。

と、ここまでが入院するまでの話。

そして、退院してすぐに編成したのが冒頭の画像となる。

さあ、ふっくらした響きが出るかどうか・・。

以下、続く。


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2泊3日の「冬の旅」

2022年12月07日 | 独り言

5日(月)から「2泊3日」の「冬の旅」に出かけて来ました。

行き先は ?

残念ながら殺風景な「病院」(検査入院)でした(笑)。

今年の(2022年)3月~4月にかけて心臓血管に「ステント」を入れて、その確認検査だった。

その結果は、最近の体調からいって自信満々だったが、1か所の血管に不安があるので1年後にもう一度確認させてくださいとのこと。

あ~あ、喜びも中くらいなり~(笑)。

(入院中は)退屈なので、ミステリーを読みふけった。



図書館の本を持って行って「行方不明」になるとたいへんなので、娘が帰省した時に置いていったもの。

両方とも読みごたえ充分だった。

「危険なビーナス」は流石に「東野圭吾」さんだけあって、読者をまったく退屈させず、面白かったの一言。「手練れ」という言葉がふさわしい。

片方の「涙香迷宮」は、まずタイトルからしてその由来を知りたくなる。

「涙香」とは明治時代に活躍した粋人「黒岩涙香」(くろいわ るいこう)から来たもので、「いろは歌」にちなんだ「謎解き」ミステリーで、少しくどいようにも思ったが、これでもかとばかり「いろは歌」が登場してきて、作者の「黒岩涙香」の薀蓄と博覧強記ぶりには驚いた。

興味のある方はご一読をお薦めしたい。

最後に、本書の中で、探偵のメンバーたちが閉じ込めらた洞窟の中で謎解きをするシ~ンがある(374頁)。

その中の一つがこれ。

「ある男が、とある海の見えるレストランでウミガメのスープを注文しました。けれどもその客は出てきたスープをひと口飲んだところでハタとスプーンを止め、シェフを呼びつけて訊きました。

「これは本当にウミガメのスープですか?」

「ハイ、これは間違いなくウミガメのスープです。」

シャフが答えると、男は早々に勘定を済ませて店を出ました。そしてそのまま岸壁に向かい、海に飛び込んで自殺してしまいました。」

どうして自殺してしまったのか、謎解きというよりも「ストーリー」をいかに組立てるかという問題です。

解答は明日のブログの冒頭で~(笑)。



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作曲家マーラーの夢 「やがて私の時代がやってくる」

2022年12月05日 | 音楽談義

日本経済新聞で「交友抄」というエッセイが短文で連載されている。

著名人が親しい友人との交流状況を記載したものだが、つい先日の記事にはこういうことが記載されていた。

「久しぶりにごく親しい友人と会った際にこれからの生き方ということで次の3つの申し合わせをした。1 健康管理に気をつけること 2 奥さんを大切にすること 3 夢を持ち続けること。」

1と2はよく分かるが、3となるとどうもピンと来ない。青春時代ならともかく・・。

皆さまはいつまでも夢を持ち続けていますか?

そういえば、作曲家「グスタフ・マーラー」が在世時に
「やがて私の時代がやってくる」
カッコいい啖呵をきったことを思いだした。

「人の評価は棺を覆うてのち定まる」という言葉があるが、芸術家とは作品を通して時代を超越し、生き続ける存在なのだろう。

さて、マーラーは九つの完成した交響曲と未完の第十番、そしていくつかの歌曲を遺した作曲家として知られているが、周知のとおり今では世界中の大半のオーケストラがその作品をレパートリーに取り入れ、コンサートの定番としているので彼の「夢」は見事に的中したことになる。

現在、ときどき聴いているのがマーラー作曲の交響曲第4番(CS放送「クラシカ・ジャパン」による録画)。

指揮者:ワレリー・ゲルギエフ

演 奏:WOP 2010(ワールド・オーケストラ・フォー・ピース)

会 場:ロイアル・アルバート・ホール(ロンドン)

演奏時間:60分

      

演奏がWOPとあるので、どうやらユネスコ行事の一環として世界中から寄せ集められた演奏家ばかりのようだが、コンマス(コンサート・マスター)には、あの「ライナー・キュッヘル」氏がスカウトされているのでウィーン・フィルのメンバーが主力になっているのだろう。

マーラーでは4番と並んで好きなのが「大地の歌」の第六楽章で、旋律と歌詞(漢詩:孟浩然と王維)に「この世への大いなる惜別の情と諦観」を感じので晩年に聴くのにはとてもふさわしい曲目。

ちなみに、晩年に大作曲家たちがどういう曲目を好んで聴いていたのかというのは興味のあるところで、一例を挙げるとショスタコーヴィッチは「大地の歌」だったし、ストラヴィンスキーはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲群にこだわっていた。

そして、あのモーツァルトは死の床で時計を見ながら、「(上演されているオペラ魔笛に思いを馳せて)今ごろはちょうど”夜の女王”の出番だ」とつぶやいた。

話は戻って、本題のマーラーについてだが現代では作曲家として非常に有名だが、実は生存中は音楽家としての時間の大半をオペラの指揮者として過ごしていた。

楽家マーラーの一つの不幸は、その死後、作曲した作品が高く評価されたため、指揮者としての業績が隠れてしまったことだという。

というわけで、珍しくも指揮者としてのマーラーにスポットを当てたのが次の本。

「指揮者 マーラー」(河出書房新社刊、著者:中川右介)

                           

本書では意識的にマーラーの創作とその過程については最低限のことしか触れず、指揮者としてのマーラーが当時の音楽界でどのようなポジションにあり、そのポストをめぐり、どのようなドラマがあったのかに焦点を絞り、なおかつ彼がいつどの演奏会場でどういう曲目を指揮したかを詳らかにしている。

興味を引かれた点を私見を交えながらピックアップしてみよう。

 ヨーロッパでの音楽鑑賞といえば歌劇場における「オペラの上演」が圧倒的な割合を占めている。マーラーは極論すれば、ワグナーとモーツァルトのオペラの指揮ばかりしていたが(2025回も!)、とりわけ「魔笛」を振った回数は歴代指揮者の中でN0.1ではなかろうかと、思うほどその多さに驚く。

なお、当時ワグナーのオペラを指揮する事は指揮者にとって憧れの的であり、そのために指揮者同士がその権威とポストをかけて血まなぐさい(?)争いを展開している。その点でマーラーはニキシュ(ベルリンフィル常任指揮者)とも正面きって争うなど実に好戦的だった。


 マーラーの作品には同年代の作曲家リヒャルト・シュトラウスのようにはオペラがない。なぜなら、マーラーはいつもオペラの指揮をしていたので夏休みに入るとその息抜き(オペラを忘れる!)をするために交響曲の作曲に没頭していたからである。

もし、マーラーがシンフォニー・コンサートの日々が続いていたら、今度はシンフォニーを忘れるためにオペラを書いたかもしれない。それにしてもあのシンフォニー群が「夏休みの余技」として書かれたのには驚く。


 マーラーは名だたる指揮者になってからも2~3年おきに音楽監督や常任指揮者などの職を辞して各地を転々としている。プラハ、ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクでもマーラーさえ辛抱すれば、もっと長く居れた。

転職の理由は、常によりよい条件を求めてのキャリア・アップ、そしてあまりにも過酷な練習を楽団員に強いたり、強引な手法をとるため反対派が多くなって居づらくなるなどが挙げられるが、そのほかにも「成功した日々」に飽きたという可能性が大いにあるそうで、つまり「成功は飽きる」というわけ。 

以上のとおりだが、最後に出てくる「成功は飽きる」という言葉につい連想を飛ばした。

卑近な例だが我が家の「オーディオ・システム」では7系統のシステムを操っているが、
面白いことにあまりに「気に入った音」を出してくれると、日常聴くのは不思議なことに不満足なシステムの方に偏る傾向がある。

「何とかもっといい音にできる工夫はないものか」と考えながら聴く方が何となく”安心”できるのである。

結局、「オーディオ・システムなんて8割程度の出来に留めておく方が一番楽しいのかもしれない」なんて思ったりするが、負け惜しみ半分としても、これは「成功は飽きる」に一脈相通じるところがありはしませんかね(笑)。
 



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4年サイクルの「フィーバー」で終わらせたくない

2022年12月04日 | オーディオ談義

前々回のブログ「気に入った!JBL・・」からの続きです。

「本格的なシンバルの音を聴きたい」ばかりに、JBLの「075」ツィーターを起用したところ、だんだんエスカレートしていって「175ドライバー」を動員する破目に~。

ところが、一昨日の過去記事ランキングに4年前の記事「JBLの175ドライバー VS 075ツィーター」が登場していた。

一読してみると、な~んだ、4年前にも同じようなことやっていたんだ!。

どうやら「4年おきのサイクル」で沸き起こる「フィーバー(熱病)」のようだ(笑)。

しかし、当時とはオーディオ環境が違っていますぞ。

真空管アンプの「プリ・パワー」ともに凄く精度が上がっているし、しかも高音域用のSPケーブルが極めて抵抗の少ない「LANケーブル」になっているのも大きい。

と、自分なりに言い訳しながら、懲りもせず「夢よもう一度」と「175」をウェストミンスターの上に載っけてみた。



大型スピーカーの登場ともなると自然に気合が入ってコイルやコンデンサーも大型化する。

まず、画像の「175」の横に据え付けている、まるで弁当箱のような大型のコンデンサーは、高圧電力を使う現場で使用されるもので、たしか20年以上前に四国の人だったと思うがご厚意で譲っていただいたもの。

容量は「22μF(マイクロ・ファラッド)」もあって、周波数レンジで換算すると「900ヘルツ」(-6db/oct)あたりでローカットできる。

肝心の音もメチャ良くて「10μF」を2個パラってやるよりもはるかにいい。

そして、ウーファーにあたる「スーパー12」(口径30cm:赤帯マグネット)の方は「1.7mh(ミリ・ヘンリー)」の銅箔コイルで、およそ「750ヘルツ」あたりでハイカットした。



と、ここで考察。

学術的な研究ともなると「仮説 → 実験 → 検証」という過程をたどるのが定石となる。

オーディオだってむやみやたらに「いきなり実験」とくると味気ないので、多少なりとも真似事をしてみよう(笑)。

<仮説>

 ウェストミンスターにもともと入っていたユニットはクロスオーヴァーが1000ヘルツの同軸2ウェイユニットだった。したがってフロントのショート・ホーンも1000ヘルツ用として機能していたはずなので今回の目論見と適合するはず。

 また、1000ヘルツ以上についても(同軸2ウェイの中の)金属のダイヤフラムを使って音を出しているので、それも同じ。

 ホーンを使った音を近めの距離で聴くと耳に突き刺さってくるようで長時間だと疲れてくる。今回のケースでは距離や高さともにリスナーから離れるので多少は聴きやすくなるはず。

 ただし、イギリス系ユニット「スーパー12」とJBL「175」の音色の折り合いがつくかどうか一抹の不安が残る。

と、いったところかなあ。

さあ、ワクワクドキドキしながら音出しだ。

<実験>

駆動するアンプについては750ヘルツ以下を受け持つ「スーパー12」には「WE300Bシングル」を充てた。大型SP用としてようやく出番がやってきた感じ(笑)。

そして900ヘルツ以上を受け持つ「175」には不動の「71Aシングル」を充てこんだ。

そして、音出ししながら慎重に両方のアンプのボリュームの位置を調整した。

<検証>

一聴するなり「これは豊かな音だなあ・・」、クロスオーヴァーを「900ヘルツ」あたりに設定した効果が十分に出ている感じ。

家庭オーディオでオーケストラやオペラの「豊かさ」が堪能できれば、もうそれで十分なのかもしれないと思わせるほどのたっぷりした音響空間が広がった。

ただし、使いこなしとしてクラシックを聴くときは「175」を控えめにする、つまり「71Aアンプ」のボリュームを落とし気味にする、そしてジャズやポピュラーを聴くときはやや上げ気味というのがコツのようだ。

懸念していた両方のユニットの折り合いもいいようで、いやあ、満足、満足・・。

これ以上、弄るところはいっさい無し、と言いたいところだが、こうなると欲が出てきて、いったん捨て去った「口径38cm」の音も聴いてみたい気もする。

もちろんJBLの「D130」と「タンノイ」のユニットは、たっぷり失敗経験があるので、それ以外のユニットで・・。

というわけで、幸か不幸かウェストミンスターに「TRIAXIOM」(グッドマン)を内蔵させる目論見がだんだん遠くなっていく~。

最後に、「JBL」の登場について今回ばかりは4年サイクルの「フィーバー」で終わらせたくない気が充満している、今のところは・・(笑)。



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ブログの効用

2022年12月03日 | 独り言

ブログをupすると、つい気になるのが読者の反応で、例えばアクセスの状況やランキングのポイント数などに目がいく。

いや、何も点取り虫の自己満足ということでは決してない。自分と世間との感覚のズレを知る貴重なバロメーターとなっているのである。

なぜなのか、説明しよう。

このところ毎日ブログを更新しているが、できるだけ題材が偏らないようにと、それなりに心がけているつもり。

すると「玉石混交」という言葉があるように、自分なりに「会心の出来」があったり、「ま、いいか」と気乗り薄でupするのもあったり、さまざまである。

つまり、毎回100点というわけにはいかない。自分でいうのもおかしいけれど(笑)。


ところがである。

これはなかなか出来のいい仕上がりになったと自信を持ってupしたブログが意外にアクセス数が伸び悩んだり、逆に時間稼ぎの穴埋めの積もりで仕方なくupしたものが意外に評判が良かったりで実に変化に富んでいる。

けっして自分の思惑通りの結果にならないところがとても面白い。


自分の思惑と他人の反応がずれていることを知ることは、それだけ視野が広くなったような気がしてならないのである。

自分の関心と読者の無関心のギャップがなぜ生じるのか、その辺をあまり出来の良くない頭で思考するのは「ボケ防止」のためにとてもいいトレーニングになる~(笑)。

もともと「自分が絶対正しい」とは思わない性質(たち)なのでなおさらのこと。


「作者 対 読者」つまり「1人 対 およそ800人(1日当たり)」となると、多勢に無勢で間違いなく読者の方が正しいだろうと思うのだから世話はない(笑)。

そういうわけで他人と接触する機会が極めて少ない現状では、ブログは社会に対するアプローチへの貴重な窓口になっているともいえる。

そして、ときどき「読者の嗜好」を試したくなるのも悪い癖(笑)。

たとえば、つい先日搭載した「リズムとマンネリズム」。

芸術作品に込められた作者の「精神のリズム」をいかにくみ取るか、といった、およそ日頃にはない「高尚な内容」について、読者の反応やいかにと興味津々で見守った。

すると予想に反してアクセスがいつものブログよりも多かったのには驚いた。

このブログの読者はなかなか「いい線」いってるなあ(笑)。

実際に具体的なメールをいただいたので、臆面もなく紹介させていただこう。

まず、半年に一度くらいのペースで(メール)をいただく「T」さんからは、

今日のブログは深度のある素晴らしい内容でした。ご努力に感謝します。貴方のブログはリズム感満点です。」

そして、常連の「I」さんからは、

「志賀直哉の”リズムとマンネリズム”の話、すごく腑に落ちました。」

こういう発信を厭わない読者がおられると、感謝の念とともに「これからもブログを続けよう」と励みになるんですよねえ。

オーディオに興味がなくなった時、そしてブログを続ける気力が無くなったときは、命尽きる時かなあ(笑)。



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気に入った! JBLの「175ドライバー」

2022年12月02日 | オーディオ談義

前々回の「久しぶりのJBLサウンド」の続きです。

どうやら「脳はマンネリズムを嫌う」ようで、日頃聴いてるイギリス系のスピーカーにはない、引き締まった「JBLサウンド」に一時的なフィーバー状態になっている。これまでの言動からして面目ない限り(笑)。

さて、JBLのユニット「075」ツィーターでシンバルの響きを堪能したわけだが、その一方「D123」(口径30cm)をフルレンジで鳴らすのは「ちょっと物足りない」気もするなあ、一工夫してみようかと思い至った。

せっかく「道具立て」が揃っているので実験したくなる。



チャレンジするシステムの概要を述べておこう。

★ 「D123」を1000ヘルツあたりでハイカットする。その道具は「1.2mh(ミリヘンリー)」の銅箔コイル。バナナプラグを挿し込むSPターミナルを使いたいので先端部分を細工している。

★ 「175ドライバー」を2000ヘルツあたりでローカットする。その道具は「ウェスタン」製の「10μF(マイクロファラッド)」のオイルコンデンサー。

30分ほどで組み立て完了。

それにしても「JBL」を鳴らそうと思ったら、やたらにコイルやコンデンサーの出番が増えるので倉庫の中を調べるのがたいへん(笑)。



駆動するアンプは従前どおりで「D123」には「6FQ7プッシュプル」、「175」(109db)には「71Aシングル」を充てた。

最初は2台のアンプのボリューム調整がちょっと厄介だったがどうにか落ち着いた。

肝心のサウンドについては、まあ可もなし不可もなしといったところでボチボチかなあと、思っていたところ、ふと東海地方の「T」さんからのアドバイス「JBLは逆相ですよ!」を思い出した。

さっそく、「175」のSPターミナルのプラスとマイナスを入れ替えて試聴したところ、あっと驚くほどの変わりよう。

澄み切った青空のような音響空間が目の前いっぱいに広がった。

これは素晴らしい!

もう夢中になって、あらゆる音楽ソースを聴きまくった。特筆すべきは懸念していたヴァイオリンが「AXIOM80」ほどではないが、そこそこ「いける」ことだった。

「金属のダイヤフラムを使ったドライバーでは弦楽器の鑑賞は無理」の先入観が見事に打ち砕かれた(笑)。

シンバルや管楽器に至ってはもう言わずもがなの仕上がり。

ウ~ン、参ったなあ・・、イギリス系SPの愛好家としては微妙な心境である。

そういえば「瀬川冬樹」さん(故人:オーディオ評論家)でさえ、「AXIOM80」から「JBL」へ鞍替えされたくらいだから、あまり突っ込まないでほしい(笑)。


それにしても(71Aシングルアンプで駆動する)「175」って掛け値なしにいいなあ。

ずっと以前に「375」や「LE85」も使ってみたがこれらにはない良さがあるように思う。

ちなみに、JBLにはヴィンテージ・システムとして「ランサー101」がある。クロスオーヴァーが1000ヘルツでウーファーは「LE14」(口径35.5cm)、ドライバーは今回と同じく「175」なので似たようなものかもしれない。

しかも、こちらの方がアンプ2台で駆動できる2ウェイ・マルチ方式なのでサウンドの自由度は高いはず。

そして翌朝(1日)のこと、急に寒くなったので寝床の中でぐずぐずしていたところ、いきなりアイデアが閃いた。

「そうだ、ウェストミンスターの上に175を載せたらどうなんだろう」


寝床の中のアイデアは成功率が高いので、もう止まらない(笑)。

以下、続く。



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身の回りのこと 3題

2022年12月01日 | 独り言

★ 5回目のワクチン接種をどうしようかな

つい先日のブログで搭載したところ、いまだに過去記事ランキングの上位にランクされているほどで、悩んでいる方が多いことに気付かされる。

このほど市役所から「接種券」も届いたので、本当にどうしようかな・・。

折しも、斜め向かいに住んでいる若夫婦の一家がコロナに感染。ご主人が洗濯物を干していたので、「どうして?」と家人が訊ねたところ「実は一番下の子供が学校でコロナをもらってきて・・」、そのうち家族全員が総崩れ。

東海地方のメル友さんも、3世代家族生活とのことだったが、やはり子供さんが最初の感染者になって、次から次へ感染。現在ブログで「コロナ闘病記」を搭載されているが、最初は喉の痛みから始まったそうで、ワクチン接種には否定的なご見解。

で、両者の共通項といえば外部と接触の多い子供が媒体になっていること。

我が家には子供はいないし、外部との接触もせいぜい買い物とか図書館程度だし、運動ジムは重たいアンプの持ち上げ過ぎで右上腕部を痛めてここ1か月ばかりご無沙汰の状況。

というわけで、5回目の接種は見合わせる方向に大きく傾いている。

★ 「紫いも」の補充



昼食のときの主食「紫いも」が切れたので、遠くの「道の駅」まで買いに走った。

高速を使うと、1時間10分程度だが一般道を使うことにした。

高速代くらいと軽視しがちだが、往復ともなるとばかにならない。「物」に換算すると「サントリーの角瓶」並み、となると、つい「もったいない精神」が湧いてきた(笑)。

まったく生産性の無い時間を過ごしている無役の人間には一般道が向いている、そういえばかって「一般道」のことを「年金道路」と言った方がいましたよ(笑)。

現地には1時間40分ほどで到着したが、「紫いも」はごくわずかなスペースに置いてあるだけだった。評判が良さそうなので、これからは事前に在庫確認をした方が良さそうだ。

で、「紫いも」の効能についてだが、このほど定期的な血液検査をしたところ、悩みの種だった「LDL(悪玉)コレステロール」の値が激減していた。ちなみに、HDL(善玉)コレステロールの方はまったく変動なし。

とにかく、下限値を下回るほどだから驚いたが(あまり下回っても悪いのだが)、思い当たる節といえば、この1か月ほど常食(昼食)している「紫いも+トマトジュース」だけ・・。

「紫いも」のシーズンが過ぎたら困るなあ。

★ 皮膚がんの心配



1週間ほど前から左手の親指の上に赤い痣が突然出来てなかなか消えてくれない。

もしかして「皮膚がんだったら大変だ!」と、皮膚科に駆け込んだ。

すると「ああ、これは血管の老化現象です。肘から手の部分にかけて、なにか物が強く当たったりすると、もろくなった血管が破れてこういう痣ができます。まったく心配は要りませんよ」

オーディオに夢中になって「がさつ」に動き回っていると、生傷が絶えない、困ったことだ・・(笑)。

あつ、そうそう「ガン」といえば近所のウォーキングコースの途上に住まわれている方がたまたまお二人「前立腺がん」を宣告された。

お一人は「ダ・ヴィンチ」手術であっさり除去され再発の危険性が無くなったが「尿漏れ」などのデリケートな症状に悩まれている。

もう一人の方は手術を忌避され、根気よく放射線治療を受けられて全快したが、その一方再発の不安にびくびくされている。

いったい、どちらがいいのだろう。

最後に、通りに面した庭に咲いた季節外れの「狂い咲き」の薔薇2輪を。



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