このところ我が家にお見えになるお客さんがめっきり減った。
「お前の音なんかありふれていて聴かなくてもわかる」ということだろうか(笑)。
そのせいかオーディオ・ルームがいつのまにか散らかってくるのでせめて年末ぐらいは綺麗にしておこうと、このところ整理整頓に余念がない。
古いスクラップブックにも1頁づつ目を通して要・不要を振り分けているが、いちいち中身を読むものだから時間がかかってしようがない。そのうち、つい興味を引かれたものが出てきたので紹介させてもらおう。
およそ12年前の2010年の4月19日付で地元紙に掲載されていたものでタイトルは「”のほほん天国”日本」。寄稿者は「丹羽 宇一郎」氏(元中国大使、その前は伊藤忠商事の社長)。
「このほど米国の首都ワシントンとニューヨークを訪問してきた。もっぱら学者と政治家にあったが、その時に話したのが、ナマコとカニをめぐる次のような日本の言い伝えだ。
ナマコは弱りやすく漁師が沖合で捕っても港へ着くまでにほとんど死んでしまうが、そのナマコの群れの中にカニを1匹入れておくと、生きたまま持ち帰れるという。
なぜか。
カニはナマコの天敵に当たり、緊張するため死なないといわれている。科学的にはナマコの天敵はカニではないようだが、“何事も新鮮であり続けるためには天敵が必要”とのたとえ話として彼らに紹介した。」
この話の流れは、ソ連の崩壊とともに資本主義へのチェック機能が働かなくなり、リーマンショックをはじめとする金融危機などの暴走が始まったことにあるのだが、これを現代の日本になぞらえるとすれば「天敵=カニ」に当たるとすればお隣さんの国ではあるまいか。
「厄介な隣人だ!」と、心理的にくたびれているのはおそらく自分ばかりではあるまい。
しかし、モノは考えようでこれら「天敵」のおかげで日本は絶え間ない緊張感のもとでモチベーションが維持できるとしたら、(天敵の存在は)かえっていいことなのかもしれないと上記の丹羽さんの寄稿を読んで思った次第。
次に、この話を身の回りのレベルに降ろしてみよう。
組織で仕事をしたことのある人ならお分かりのとおり、誰もが一度は経験する中間管理職というものは上役と部下の板挟みになる厄介なポストだが、不思議なことに両方に恵まれることはまずない。何かしら肌が合わない人間がどちらかにいる(笑)。
しかし、振り返ってみるとたいして偉くもなれなかったが、気の緩みから大きなポカをしなくて済んだのもそういう連中のおかげだったのかもしれないと思う今日この頃。
したがって、もし組織の中に現在進行形で「天敵」がいるとするなら、ここはひとつ前向きに考えることも一つの方法ですね。もちろん“度が過ぎる天敵”ともなると別問題でしょうが。
たしか司馬遼太郎さんの著作「翔ぶが如く」だったと思うが鹿児島の方言で「泣こかい、飛ぼかい、泣くよかひっ飛べ」という言葉が出てくる。要するに「捨て身で生きろ」ということだが、人生にはそういう覚悟が必要なときもあるでしょう。
アッ、そういえば我が家にも“天敵”がいた!
おかげさまで緊張と闘争の毎日が続いて、いつもフレッシュ状態ですぞ(笑)。
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