昨日のブログ「どうした!経済学部」に何人かの方々からFacebookやメールなどで貴重なコメントをいただきました。そのすべてがネガティブなものでした。もちろん経済学部の存在を否定しているわけではなく、問題点を指摘しているのです。
さて、経済学にはとても思い入れがあるので、私自身の体験を書いてみることにします。以下、つまらない話ですのでご興味のない方は読まずに「いいね」だけクリックしてくださいね。
・・・私が経済学部の学生だったのは1970年代の後半です(’75~’79)。1年生の時はほとんど学校に行かず、美大を目指して今で言う「仮面浪人」のようなことをしていました。そのため、通学時間がかからず勉強が楽な学校・学部に入ろうと選んだのが、自宅から歩いて7分のところにある武蔵大学経済学部でした。
結局美大をあきらめ、2年生から学校に行きはじめました(部活は美術部に入りました)。就職のためには成績も恥ずかしくない程度にはしておこうと、経済学のゼミに入り勉強も始めました。
遅まきながら経済学の本を読んでみたところ、驚きました。なんと、滅茶苦茶面白いのです。
社会現象を馬鹿馬鹿しいほど単純化してモデル化する、その楽天主義というか能天気さにはまってしまいました。授業やゼミでは飽き足らず、自主的な勉強会にも参加するなど受験勉強の10倍くらいは熱心に勉強しました。初歩のミクロを数か月で終わらせ、上級の本を頭を抱えながら読みました。
3年になると厚生経済学から社会的選択理論に興味が移り、図書館でEconometricaを辞書を片手に訳し、Arrowの「不可能性」を回避する二階堂や稲田の論文を(分からないながらも)読んでは痺れたりしました。
4年の夏も過ぎる頃になると就職活動が始まります。’78年、簡単な論文を1本書いて学校のコンテストに投稿し、勉強は終わりました。
さて、経済学は実学かという問いがあります。
「実学」の定義は難しいのですが、「実」の部分を抽象化して考えることはとても学問的な意義があると思います。
リアルな現象を理論化するという点では、経済学は物理学のフレームを借用しています。ただし、経済学は物理学のように理論と現実を上手に接続することができません。
とはいえ、理論としての経済学の基礎をしっかり学べば、その先にある様々な実学としての社会科学に上手く接続することは可能です(というか、接続しなければならないのです)。たとえばミクロの基礎や初歩的なゲーム理論を学んだあとでマーケティングやファイナンスに取り組めば、理論というものがいかに役に立つのかが十分理解できます。
現状ではそうした経済学部の中での接続が上手く行っていないようです。それは、先生方があまりにもタコツボ化した考え方に凝り固まっているからなのではないでしょうか。
学生を鍛える前に先生方をタコツボから引きずり出して鍛えるべきかもしれませんね(・・・ちょっと過激でした)。
(人材育成社)