ある方から「楽器に関する話が無さ過ぎる」という御指摘を受けましたので、今回は真面目にその辺りの話なんぞを。
特に、他所の教室でヴァイオリンを習っておられた生徒さんが、御縁があって私の教室に移動してみえた時に必ずおっしゃるのが「長時間弾くのが辛い、疲れてしまって厭になる」ということです。
確かに、ヴァイオリンを習ったことがある方は御存知かと思いますが、演奏するかたちと言えば、楽器を持つ左腕は、指板上に指を乗せて操作するために手の平を上向きにするべく半回転捻った状態になり、弓を持つ右腕は、弓を手でつかむでなくつまむでないかたちで優しく持ち、左手とは逆に手の平を下に向けて腕をねじった状態で上下に動かして演奏する…という具合です。つまり、それぞれの腕を逆方向にねじり続けている状態なわけです。
字だけで読むと、何だか物凄いことをさせられている感じになってしまいますよね。しかもその時に先生が、ほぼ皆さん同じように注意するのが「はい、力抜きましょうね~」ということなのです。そんな腕をねじり上げられているような格好で力抜けなんて…と、大概の生徒さんは混乱してしまいます。でも、その時先生が目の前で「ほら、こんな感じですよ~♪」と軽やかに弾いてみせてくれちゃったりすると、「はぁ~ホントだ~…」と妙に納得させられてしまうのです。
いや、それだけならまだいいのですが、ヘタをすると「折角そういう風に教えてもらっているのに、そういう風に弾けない自分がいけないんだ…(T_T)」またひどい場合には「そういう風に弾けない自分って向いていないんだ…(ToT)」となってしまうことがあるのです。
確かにヴァイオリンという楽器には、身体的特徴等の理由により多少の向き不向きがある場合もありますが、そんな中で私が実践しているのは『初期段階において無理のない身体の使い方・動かし方を体得することで、楽器の構え方や演奏の仕方が、誰でも飛躍的に楽にできるようになる』という指導法です。そしてその時役立つのが、プロフィールにも書きました古武術の手の内や仏像の印相だったりする…ということなのです。
考えてみて下さい。昔の人の身長は、今より格段に低かったわけです。比較的近い江戸時代ですら、男性の平均身長は150㎝前後だったのです。にもかかわらず、刀、特に長刀の刀身の長さは70㎝以上あったわけです(博物館等に行くと、刀剣が展示してあるところがありますので、割と簡単に目にすることができます)。そんな小さな人が、どうしてそんなに長い刀を鞘から抜いて使うことができたのか…。
浅草の仲見世辺りで売っている模造刀なんかを持っている方や、或いは木刀をお持ちの方は実際にやってみるとわかりますが、鞘を左腰の辺りに当てた状態で右手で柄を掴んで刀を抜こうとしても、絶対に途中で腕が止まってしまって抜けません。昔の斬り合いなら、そんなんであたふたしている間に相手にバッサリ胴を斬られてチャンチャン♪です(軽っ…)。何でそんな結果になるかと言えば、『単純に腕だけで抜こうとするから』なんです。ではどうすればいいかと言えば『部分ではなく身体全体を協調させて』やれば、ちゃんと抜くことができるのです。
これに限ったことだけではなく、様々な『所作』をこなすために昔の人々は『身体全体を協調させて』生活していたのです。というのも昔の人々は着物で暮らしていましたから、ある程度着方・動き方がさまになっていないとすぐに着崩れてしまって、とってもみっともないことになってしまうからなのです。だから彼等は普段の生活の中でそれを上手に使い熟していたわけです。
その後時代が文明開化から戦中・戦後と移り、着物から洋服中心の生活になっていく中で『所作』などということを気にしなくてもアクティブに動けるようになっていきました。と同時に、便利になった分、古来より培ってきた『所作』というものを段々に忘れていき、ともすると「堅苦しい」というわかりやすいレッテルを貼り付けてないがしろにしてきてしまったのではないかと思うのです。
しかし、この『所作』のための動きが、実は現代の生活において、特に楽器を演奏することにおいて非常に役に立つということが、最近になって判明し始まっているのです。だから我々が行っているレッスンというのは正に《温故知新》という言葉そのもの、『古きをたずねて新しきを知る』というものなのです。
文章で説明するのには限界がありますので、詳しく知りたい方は私のところへレッスンを受けにいらして下さい。実際に動きながら御説明します。
特に、他所の教室でヴァイオリンを習っておられた生徒さんが、御縁があって私の教室に移動してみえた時に必ずおっしゃるのが「長時間弾くのが辛い、疲れてしまって厭になる」ということです。
確かに、ヴァイオリンを習ったことがある方は御存知かと思いますが、演奏するかたちと言えば、楽器を持つ左腕は、指板上に指を乗せて操作するために手の平を上向きにするべく半回転捻った状態になり、弓を持つ右腕は、弓を手でつかむでなくつまむでないかたちで優しく持ち、左手とは逆に手の平を下に向けて腕をねじった状態で上下に動かして演奏する…という具合です。つまり、それぞれの腕を逆方向にねじり続けている状態なわけです。
字だけで読むと、何だか物凄いことをさせられている感じになってしまいますよね。しかもその時に先生が、ほぼ皆さん同じように注意するのが「はい、力抜きましょうね~」ということなのです。そんな腕をねじり上げられているような格好で力抜けなんて…と、大概の生徒さんは混乱してしまいます。でも、その時先生が目の前で「ほら、こんな感じですよ~♪」と軽やかに弾いてみせてくれちゃったりすると、「はぁ~ホントだ~…」と妙に納得させられてしまうのです。
いや、それだけならまだいいのですが、ヘタをすると「折角そういう風に教えてもらっているのに、そういう風に弾けない自分がいけないんだ…(T_T)」またひどい場合には「そういう風に弾けない自分って向いていないんだ…(ToT)」となってしまうことがあるのです。
確かにヴァイオリンという楽器には、身体的特徴等の理由により多少の向き不向きがある場合もありますが、そんな中で私が実践しているのは『初期段階において無理のない身体の使い方・動かし方を体得することで、楽器の構え方や演奏の仕方が、誰でも飛躍的に楽にできるようになる』という指導法です。そしてその時役立つのが、プロフィールにも書きました古武術の手の内や仏像の印相だったりする…ということなのです。
考えてみて下さい。昔の人の身長は、今より格段に低かったわけです。比較的近い江戸時代ですら、男性の平均身長は150㎝前後だったのです。にもかかわらず、刀、特に長刀の刀身の長さは70㎝以上あったわけです(博物館等に行くと、刀剣が展示してあるところがありますので、割と簡単に目にすることができます)。そんな小さな人が、どうしてそんなに長い刀を鞘から抜いて使うことができたのか…。
浅草の仲見世辺りで売っている模造刀なんかを持っている方や、或いは木刀をお持ちの方は実際にやってみるとわかりますが、鞘を左腰の辺りに当てた状態で右手で柄を掴んで刀を抜こうとしても、絶対に途中で腕が止まってしまって抜けません。昔の斬り合いなら、そんなんであたふたしている間に相手にバッサリ胴を斬られてチャンチャン♪です(軽っ…)。何でそんな結果になるかと言えば、『単純に腕だけで抜こうとするから』なんです。ではどうすればいいかと言えば『部分ではなく身体全体を協調させて』やれば、ちゃんと抜くことができるのです。
これに限ったことだけではなく、様々な『所作』をこなすために昔の人々は『身体全体を協調させて』生活していたのです。というのも昔の人々は着物で暮らしていましたから、ある程度着方・動き方がさまになっていないとすぐに着崩れてしまって、とってもみっともないことになってしまうからなのです。だから彼等は普段の生活の中でそれを上手に使い熟していたわけです。
その後時代が文明開化から戦中・戦後と移り、着物から洋服中心の生活になっていく中で『所作』などということを気にしなくてもアクティブに動けるようになっていきました。と同時に、便利になった分、古来より培ってきた『所作』というものを段々に忘れていき、ともすると「堅苦しい」というわかりやすいレッテルを貼り付けてないがしろにしてきてしまったのではないかと思うのです。
しかし、この『所作』のための動きが、実は現代の生活において、特に楽器を演奏することにおいて非常に役に立つということが、最近になって判明し始まっているのです。だから我々が行っているレッスンというのは正に《温故知新》という言葉そのもの、『古きをたずねて新しきを知る』というものなのです。
文章で説明するのには限界がありますので、詳しく知りたい方は私のところへレッスンを受けにいらして下さい。実際に動きながら御説明します。