共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

とうっ!

2011年07月30日 14時28分24秒 | 日記
だいぶ過ごしやすい感じとは言え、それなりに暑いですよね。この暑さの中で礼装しなきゃいけない仕事環境って、結構つらいものがあります…。

そんな折りも折り、仕事場近くで発見した猫です。一見飛んでるように見えなくもないですが、実際には完全脱力で寝転がっているのを上から撮った図です。

公園の遊歩道とは言え道のど真ん中に寝そべっていたので動かしてやろうと思ったのですが、当人(当猫?)に全くその気がなかったので「踏まれるなよ」とだけ注意しておきました(わかっただろうか…?)。
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大人って…

2011年07月30日 03時13分21秒 | 日記
帰りの電車内でのこと。降り口の都合でいつものように最後尾の車両に乗り込んだら、ベンチシートのほぼ半分くらい使って60代半ばくらいと思しきオヂサンが、アルコールの残留臭をプンプンさせながら横になって高イビキかいて寝ておられたのです。そこの席近くには妊婦さんなんかもおられたのですが、そのオヂサンさえ縦になってくれれば、もう3人は座れるであろうくらいのスペースを独占していたわけです(尤も妊婦さんに関しては、他の席に座っていた健康そうな人達も気を使うべきだったとは思いますが…)。

私は元来、こういう社会規範を逸している人を見ると物凄く気になるタイプなので、「ちょっと!寝てもいいけど縦におなんなさいまし!」と起こしてみたのです。そしたら、オヂサンはやおら起き上がると「…んだテメ~!人が気持ち良く寝てたのに!(#`皿´)」と逆ギレしてきたのです。

そのオヂサンがガタイがよくてガラが悪い人だっただけに、車内に一瞬緊張が走ったのですが、「気に入らないなら殴るなり蹴るなりしたらいい。ただ、一言文句を言う前に、周りを見回してごらんなさい。あなたが世間からどんな目で見られているか、よ~く認識してからにして下さいな。(-_-)」と言って周囲に目を向けさせたら、殊の外冷た~い目が我々に集中していることに気づいて不承不承縦に座り直し、妊婦さんも無事に着席できたのでありました。

その後、オヂサンがかなりぶっきらぼうに「おい若僧、今、何駅だ?(`へ´メ)」と聞いてきたので、内心「アンタが思う程若僧じゃないワ…!」と若干カチンときながらも平静に「○○駅を過ぎたところですよ(-_-)」と教えてあげました。そしたら、何とオヂサンはその○○駅で降りるはずだったらしいのです。それで、こともあろうに私に向かって大きな声で「何で起こさなかった!(*`Д´)」と当たり散らしだしたのです。

私もいい加減面倒臭かったのですが、やぶをつついた責任上「お言葉ですけど、あなたがどこの駅で降りるかなんてここの誰も知りませんよ。もしどうしても起こしてほしければ、前後不覚になってしまう前に『○○駅で起こして下さい』って紙にかいて、御自分の頭にでも貼っておおきなさいまし。(-_-)」と言って、後は放って置きました。


思うのですが、どうしてこういう『いい年した人』に品が悪い人が多いんでしょうか。彼等はいわゆる『団塊の世代』と呼ばれる人達で、戦後の日本を経済大国とよばれるまでに発展させてきた方々であることは重々承知していますし、我々下の世代はその恩恵に与ってきたのだから彼等に感謝すべきなのでしょうが、同時に彼等がこうした目に余る下品な行為に及ぶ姿を見かけることも少なくなく、そんな場面に遭遇すると、前記のような感謝の念は完全にどこかに吹っ飛んでいってしまいます。

かつて美輪明宏さんが「日本人はかつて国民全体の文化水準が物凄く高かったが、千年かけて培った文化的な素養や礼節を、たった5年の戦争で全部ダメにしてしまった」と言っているのを聞いたことがあります。確かにそうかも知れません。

例えば、明治生まれの私の祖父はいわゆる《ハイカラ》な人で、会社経営者でありながらも三味線やマンドリンを愛奏し、日本舞踊は玄人裸足、イタリア製の洒落た服を着こなし、SP盤・LP盤取り混ぜて所蔵のレコードが数え切れないほどあり、書庫には源氏物語から太宰、漱石、鴎外に文語体の旧約・新約聖書まであった…と、決して経済的に裕福な家庭ではなかったのですが、慎ましい生活の中でも文化レベルの高い人でした。

それに対して開戦の年に生まれた私の父は祖父のことを「歌舞音曲に現をぬかすろくでもない親父」と人前で揶揄して憚らず、私が音楽を聴いたり絵を観たりしていると「そんな軟弱なモン好きでも、めしの種になんぞならん」と一蹴し、事あるごとに「男は1円でも多く稼いだモン勝ちだ」と私に言って聞かせていました。

良いように解釈すれば、彼等は生きることに、業績をあげることに、会社で出世することに、一家を養うことに一所懸命だったのでしょう。その結果、日本は目覚ましい発展を遂げてきました。ただ、それと引き換えに品位・品格という、本来なら一番日本人を日本人たらしめるものをおいてきてしまったのです。そうでなければ、あんな下品なオヂサンが存在するわけがありません。

よく3月の大震災のニュースが海外で報じられる時「日本人の秩序だった行動の素晴らしさ、復興にむけるひたむきさ」という観点から日本が賞賛されているということを聞きますが、私は「それは年寄りの多い東北地方だったからこそ成り立つ話だ」とよく口外しています。

東北の人達が秩序だっているのは概しておおらかな方が多いからだとも言えますが、それに加えて彼の地には年寄りが多いからということも幸いしていると思うのです。何故なら彼等は『恥』というものを知り、いたずらに立ち騒ぐことを良しとせず、真の意味で『絆』というものを大事にして生きてきた人達だからです。そうであるからこそ、あの艱難辛苦を手を携えて乗り越えられているのです。あれがもし首都圏で起きたらどうでしょう…私は恐らく、上海万博の時の中国人みたいなことをやらかしかねないと思っています。

「そんなことはない!」と憤慨される方もおいでかと思います。確かに皆が皆とは言いませんが、それでも震災直後に首都圏民が曝した醜態を見ると、あながちないこととも言えないのです。例えば《お一人様○つまで》と書いてあるペットボトルの水や食糧品を限度を超えて買い占めようとして、レジまで持って行って店員に見咎められてトラブルを起こしたり、残り少ないガソリンを求めて並んでいる車列に割り込もうとしてもめたり…そして残念ながら、そういう下品なトラブルを起こしている中心的存在が、誰あろう『団塊の世代辺りのいい年をした人達』なのです。

一時期《国家の品格》とか《女性の品格》なんて本がベストセラーになっていたことがありましたが、私に言わせりゃあ「そんなこと、改めて活字にされなきゃあわからんのかい(-_-)」といった感じでした。でもこれらの本の発売当時、世の中の多くの方々がそれらの本を購入して、総出で売上ランキングを上げていったのでしょう。ではその方々に問いましょう「あなたがたは、あの本に書いてあったことに触発され、思いを新たにして今日もなお品位・品格というものを大事にして生きていますか?」と。

品位・品格というのは、ただツンとお高く取り澄ますことではありません。ただひたすらに「真に他者を思いやる心をもつこと」なのです。それだけでいいんです。一人ひとりが本当にそういう心持ちで日々を送れば、座席独占逆ギレオヂサンや、買い占め言い掛かりオバサンみたいな下品な輩は、自然と消滅していくでしょう。日本人には、まだそうなる素養が残されていると信じてみることにましょう。
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