共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はシベリウスの誕生日〜10歳で書いた処女作《水滴》

2024年12月08日 17時30分00秒 | スピリチュアル
今日も神奈川県は、安定した晴天に恵まれました。そんな中で、私は今日もデスクワークに勤しんでおりました。

ところで、今日12月8日はシベリウスの誕生日です。



ジャン・シベリウス(1865〜1957)は、後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランド出身の作曲家でありヴァイオリニストです。フィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められていて、フィンランドが帝政ロシアからの独立を勝ち得ようと抗う最中、音楽を通じて国民意識の形成に寄与したと看做されることも多い作曲家です。

ジャン・シベリウスは1865年12月8日にヘルシンキの北方約100kmのハメーンリンナに、医師であった父クリスチャンの元に生まれました。父クリスチャンはシベリウスが2歳の時に他界してしまいましたが、姉リンダ、弟クリスチャンはそれぞれピアノ、チェロの演奏をしていました。

1885年、ヘルシンキ音楽院で作曲などを学び始めたシベリウスは、1889年にベルリンに留学し、その留学中にリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》の初演、ハンス・フォン・ビューローの演奏などに直接触れることとなりました。さらにウィーン音楽院において、ハンガリー出身のユダヤ人作曲家カール・ゴルトマルク(1830〜1915)に師事しました。

1891年にはシベリウス初の交響曲となる《クレルヴォ交響曲》作品7を手がけ、翌年春に初演されました。これは管弦楽に独唱・男声合唱の加わる大規模な曲で、初演は好評をもって受け入れられましたがその後は抜粋で3度演奏されるにとどまり、作曲者の生前に全曲が演奏されることはありませんでした。

1892年にアイノ・ヤルネフェルトと結婚して6女をもうけましたが、1人は2歳で他界してしまいました。1899年に『愛国記念劇』の音楽を発表しましたが、この曲の7曲目が改作されて交響詩《フィンランディア》作品26として独立し、現在でも人気を博しています。

そんなシベリウスの誕生日である今日は、ヴァイオリンとチェロのための《水滴》という作品をご紹介しようと思います。

この作品は1875年、シベリウスが10歳の時に書いた最初の作品で、ヴァイオリンとチェロのデュオによるたった24小節の小品です。シベリウス自身と弟がそれぞれの弦楽器を一緒に練習するためのものだったようで、ヴァイオリンのピッチカートが描く水滴がひとつ、ふたつと落ちていく描写は実に微笑ましく、それを受け止めるようなチェロのピッチカートも秀逸です。

この可憐な小品からシベリウスのキャリアが始まり、やがてフィンランドに国家の独立をめざす気運が高まり行く中で、フィンランドの民族叙事詩にもとづく劇音楽や帝政ロシアをおののかせた《フィンランディア》などの交響詩、さらには音の世界を突きつめた抽象画のような7つの交響曲が誕生することとなっていってわけです。演奏時間45秒ほどの作品ですが、この曲には後の大作たちにつながる豊饒な可能性が秘められている…と言うことができるでしょう。

そんなわけで、今日はシベリウスの《水滴》をお聴きいただきたいと思います。本当にあっという間に終わってしまうので、集中してお聴きください(汗)。


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