今日は何だか、朝から曇りがちな空が広がる天気となりました。日差しがあまりない分気温も10℃に届かず、なんとも薄ら寒い一日となりました。
ところで、1月27日は今日はモーツァルトの誕生日です。改めて説明するまでもありませんが、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)は主に現在のオーストリアを活動拠点とした音楽家であり、ハイドンやベートーヴェンと同じく古典派音楽・ウィーン古典派を代表する存在です。
上の絵は、ピエートロ・アントーニョ・ロレンツォーニ(1721〜1782)が1763年初めに描いた『大礼服を着た6歳のモーツァルト』の肖像画です。1762年、女帝マリア・テレジア(1717〜1780)から下賜された皇子の大礼服を身にまとった姿で、幼いマリー・アントワネット(1755〜1789)にプロポーズしたとされる頃のものです。
モーツァルトの来歴については今更拙ブログであれこれと説明する必要もないかと思いますので、今回はモーツァルトが初めて手がけたピアノ協奏曲をご紹介しようと思います。それが《ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175》です。
なんで5番?と思われるかも知れませんが、実はモーツァルトのピアノ協奏曲の第1番から第4番まではカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714〜1788)をはじめとした先輩作曲家たちの作品を編曲したものなのです。そのため、実質的にモーツァルトがオリジナルで作曲したピアノ協奏曲というと、この第5番からということになります。
このピアノ協奏曲はバッハの末子であり『ロンドンのバッハ』とも呼ばれていたヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜1782)の様式を模倣して作曲されたことが明らかであり、クリスティアン・バッハの影響を留めていると一般には評価されています。しかし、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908〜1992)は
「試作というには、あまりに見事な腕前」
と評価し、ドイツの音楽学者アルフレート・アインシュタイン(1880〜1952)も
「独奏楽器とオーケストラの釣合、ならびに規模の点で、既にヨハン・クリスティアンをはるかに越えている」
と絶賛するなど、音楽研究家からは高く評価されている作品です。
この作品は1773年の12月にザルツブルクで作曲されましたが、既に習作の範囲を越えて完成された様式を持っています。トランペットとティンパニを加えた祝祭的な作品で、おそらくモーツァルト自身、あるいは姉のナンネルの演奏を目的としたものと思われています。
後にモーツァルトはこの曲をミュンヘンやウィーンでも演奏し、1777年頃にオーケストラに手を加えています。モーツァルトはこの協奏曲に愛着を持っていたようで、最晩年まで自身で演奏し続けたといいます。
第1楽章はニ長調、4/4拍子のアレグロ。『颯爽』『溌剌』という言葉を音楽にしたような曲で、若きモーツァルトがオーケストラを従えて堂々とピアノを弾く姿が思い浮かびます。この楽章だけでも、間違いなく初期の傑作です。
第2楽章はト長調、3/4拍子のアンダンテ・マ・ウン・ポコ・アダージョ。まだ翳りの無い幸福なモーツァルトそのもののようですが、時折短調の影が差す場面はさすがモーツァルトで、要所要所で合いの手に入れられたホルンの音形も印象的です。
第3楽章はニ長調、2/2拍子のアレグロ。冒頭の弦楽合奏に2小節ずれの堂々としたカノンが現れ、それにのってピアノが爽快に駆け回ります。
そんなわけで、今日はモーツァルトの《ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175》をお聴きいただきたいと思います。アルフレード・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによる演奏で、17歳のモーツァルトが手がけた事実上の最初のピアノ協奏曲をお楽しみください。
後にモーツァルトは1782年にウィーンでこの協奏曲を演奏するにあたり、第3楽章の別稿を作曲しました。この曲は現在協奏曲の第3楽章として使われることはあまりありませんが、《ピアノと管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382》として単独で演奏されることがあります。
そんなわけで、第3楽章の別稿として作られた《ピアノの管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382》の動画も転載してみました。上の録音と同じ奏者たちによる演奏で、どこか聴き馴染みのある、愛らしいロンドをお楽しみください。