妙な動きで日本から離れていった台風14号の影響なのか台風一過の晴天とはならず、今日は鉛色の雲が垂れ込める生憎の空模様でした。そんな中、今日は学生時代からの知人と会っていろいろと話をしていました。
この知人、学生時代からあちこち外国旅行していて、その時の思い出を割と自慢気に話す癖があります。一方私は、今まで外国はおろか本州から一度も出たことがありません。唯一本州から離れたのは、高校の修学旅行で船に乗って渡った安芸の宮島くらい。
以下の展開は、これを念頭に置いて頂きたいと思います。今回の投稿は長いです。
喫茶店に入ってしばらくしてから、相変わらず知人はあちこちの外国旅行の思い出を語り始めました。ヨーロッパはもとより南北アメリカや中東、インド、東南アジア、中国、ロシア、オセアニア…いろいろな国に行った体験談を得意気に話し続けていました。
しかもその時の写真をスマホに読み込ませたようで、古い写真を見せながらの相変わらずの自慢話は白熱していきました。
一方の私はと言うと、そんな話しぶりに気圧されながら「へぇ〜」とか「ほぉ〜」とか言うだけ。これも学生時代からずっと変わりません。
ただ、それだけなら別に何ともないのですが、何かというとその知人は話の終わりに
「海外でいろいろな体験をしてない人は、やっぱり人生損してる。」
とか
「旅をしていない人間は、やっぱり視野が狭い。」
とくるのです。
確かに、そうやって世界中を旅していろいろな文物を見聞きしてきた体験は素晴らしいし、その体験は知人の人生の血肉になっているであろうことは疑いようがありません。ただ、それを逆手に取って海外に行ったことが無い人間を貶めるような物言いをする節があり、終いには
「海外旅行したことの無いヤツはダメ人間」
ということまで言い出すので辟易とさせられるのです。
知人に言わせればハワイはおろか台湾や韓国にすら行ったことの無い私は『信じがたい存在』であり、『人生を損している残念な人間』なのだそうです。これは伝聞ではなく、かつて酒の席で面と向かってハッキリと言われたことがあります。
はっきり言って、知人が何を持って私をそう見ているのかが分かりません。もしかしたら私が知人の話を聞かされて身悶えするほど羨ましがることを期待しているのかも知れませんが、もしそうだとしたら大変申し訳ないことに私はその自慢話を聞かされても羨ましいと思ったことが、強がりでも何でもなく爪の垢ほども無いのです。
それにツッコミを入れては申し訳ないのですが、実は知人の海外自慢話の内容はここ10年ほど進化しておらず、恐らく最近はコロナウィルス騒ぎもあって海外渡航はおろか国内旅行すらできていないのではないかと思うのです。そう考えると、盛んに私に説教じみた自慢話を繰り出してくる知人の姿が滑稽にすら見えてしまいます。
勿論、私に海外旅行願望が全く無いわけではありません。
私だって、叶うならば死ぬまでにルーブル美術館やウフィツィ美術館に行ってみたいし、ウィーン楽友協会の黄金のホールでウィーンフィルのコンサートも聴いてみたいし、ミラノ・スカラ座でオペラも観てみたいし、サグラダ・ファミリアやチェスキー・クルムロフをこの目で見てみたいと今でも思っています。ただ、現在はわざわざ現地に出向かなくても様々な画像や動画で見たり聴いたりすることが出来ますし、経済力の無い自身の身の丈に見合わない旅行は不毛だと思っているだけです。
今日、いい機会なので知人にもその旨を話してみました。しかし、返ってきたのは
「そうか、いろいろと言い訳してるけど、結局オマエは海外行く金も度胸も無いってことだな。つくづく残念な人間だよ。オマエの親も子どもに海外旅行を体験させてやれなかった残念な人間どもだったんだろうな。」
という嘲笑混じりの言葉でした。
いつもの自慢話の延長線だと思って黙って聞いていたのですが、事ここに及んで遂に
『…ダメだ!』
と思ってしまい、知人がトイレに立った隙に、恐らく話を漏れ聞いていたであろうレジ打ちの店員の憐れむような目線を横目に、二人分の会計を済ませて帰ってきました。
本当に、何でここまで他人に言われなきゃならないのでしょうか。現代社会において海外に行ったことがないことは、最早犯罪か何かなのでしょうか。今、帰宅してもモヤモヤした気分が晴れません…。
喫茶店に残してきた知人からはメールや電話がジャンジャン来ていましたが、しばらく放置していたらそれもパッタリと止みました。もう、呼び出されることもないでしょう。それでもいいと、今は思ってしまっています。
私は、自分の心の中で
『はい、バツ✕!』
と思った人はバッサリと切ってしまう傾向があります。ここしばらくはそうしたこともなかったのですが、今日久しぶりに発動してしまったようです。
もう、知人が一人減っても何とも思いません。ただ、知人に無いこと無いこと吹聴されるといけないので、共通の知人たちには一応今日の事の次第をメールで説明しておきました。プラスアルファで、こうして今日のブログにも書いています。
私は寛大さの無い、心の狭い人間なのかも知れません。それでも、私が海外旅行をしていないことを私の親の経済力まで引き合いに出して蔑んできた知人を、どうしても許すことが出来ませんでした。
現在、私は小学校の支援級クラスの教員として、自分の気持ちに沿わないことのストレスをストレートな罵詈雑言をぶつけて来る子どもたち相手に自分なりの語彙力を駆使しながら日々奮闘しています。今日の出来事は、いい大人が他者に対してこうした物言いや態度をしてはいけないといういいサンプルケースとなりました。