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今日もいいお天気となりました。ただ、気温としては寒い状態が続いていて、いかにも寒の内といった風情です。
そんな中、今日は
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東京・上野公園の東京国立博物館に来ました。
こちらでは今、個人的に非常に興味深い展示会が二つ開かれています。それらを一気に書いてしまってもいいのですが、それだとちょっと勿体ないので、今日と明日とに分けて一つずつ書いていくことにします。
今回ご紹介するのは、昨日サントリー美術館で観賞した長谷川等伯筆の《松林図屏風(国宝)》の特別公開です。これは
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帝室博物館から続く東京国立博物館の創立150周年を記念する企画展で、普段は許可されない写真撮影が許可されているという貴重なものとなっています。
本館二階の7室に向かうと、
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長谷川等伯の代表作のひとつである《松林図屏風》が展示されています。他には何もない、この屏風だけが展示された空間です。
《松林図屏風》は六曲二双の屏風です。右隻には
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長年の風雪に耐えて斜めに立つ松の木が印象的な松林が、左隻には
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右隻よりも少し遠目に濃霧に煙る松林と遠山が描かれています。
智積院の豪華な金地の障壁画とは対照的に、《松林図屏風》は紙の白地を霧に見立てた中に墨一色で松林を描いたものです。近くで見ると、
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かなり荒々しい筆致で松の枝が表現されているのが分かります。
《松林図屏風》は、いろいろと謎が多い作品です。
先ず、製作された時期や経緯が分かっていません。恐らく昨日の智積院展で観た《桜図》を描いた子息の長谷川久蔵の死後に描いたものと考えられていますが、誰かから依頼があったわけではなく私筆であるといわれています。
また描かれた紙も粗雑なもので、松の木の描き方も筆で描いたとも藁や竹を束にして雑な感じに描いたと思われ、何かの絵の下描きなのではないかともいわれています。しかし、使われている墨は水墨画の本画に使われるような高級なものが使われていますし、松の木の配置も屏風の曲線と絶妙に合うようになっているのも不思議なのです。
そもそもこの作品は、始めから屏風だったかどうかも分かっていません。というのも、よく見ると
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左隻の端の部分に襖の引手の環が嵌められていたような痕があったり、
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屏風の枠に合わない部分を拡張した痕跡が見られたりするのです。
それに、通常このくらいの大きさの屏風を仕立てるためには紙を五枚ほど貼り継いで画面を作るので紙の継ぎ目が残るのですが、右隻を見てみると右端の二曲だけ紙が不自然に六枚継ぎになっていて
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本来なら左右で揃っているはずの紙の継ぎ目が明らかにズレているのです。このことから、この作品は始めは屏風ではなく障壁画だったのではないかともいわれています。
《松林図屏風》に限ったことではありませんが、屏風には
①元から屏風として製作されたもの
と、
②障壁画や襖絵だった絵を剥がして貼り替えて屏風に仕立て直したもの
とがあります。紙に描かれた絵画ならではのリメイク法ですが、どのような経緯で仕立て直されたのかについては詳しい記録が残されていないことが殆どのため、元の形が分からないままのものも多いのです。
そのことから推測するに《松林図屏風》は②であろうことは確実視されています。それでも、元はどんな絵だったのかや、いつ誰がどのような目的で屏風に仕立て直したのかは今持って謎のままです。
それでもこの屏風を眺めていると、まるで自分が屏風の中の霧に煙る松林の中に入っていけるのではないかと思うような気持ちになります。今まで何度となく観てきた屏風ですが、何度観ても全く飽きることがありません。
はたして等伯は、何に衝き動かされてこの水墨画を描いたのでしょうか。そしてこれを完成させた時、等伯は何を思ったのでしょうか。
さて、すっかり長くなりました(汗)。なので、もう一つの展示については明日書こうと思います。