朝のうちのはひんやりした空気に包まれていましたが、昼過ぎになって日差しが降り注ぐようになると一気に気温が上昇しました。まるで真夏のような天候に、ちょっとバテそうになってしまいます…。
ところで、今日6月1日はグリンカの誕生日です。
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ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(1804〜1857)はロシア国民楽派の祖とされるロシアの作曲家です。ロシア国外で広い名声を勝ち得た作曲家の一人で、「近代ロシア音楽の父」と呼ばれた人物です。
グリンカは貴族で富裕な地主の家庭に第2子として生まれ、子ども時代から音楽に興味を持っていました。少年のころに体験した農奴オーケストラが演奏する民謡の編曲が、成長してからのグリンカの音楽に影響を与えたといわれています。
1830年イタリアに渡ったグリンカはガエターノ・.ドニゼッティやヴィンチェンツォ・ベッリーニに会い、のちベルリンに渡って ジークフリート・デーンに音楽理論を学びました。そうして外国を回るうちに徐々にグリンカのロシア人としてのアイデンティティが芽生え、それまで海外作曲家の作品を輸入していたロシアにおいて
『ロシア的な作品を書きたい』
という願いが起きてくるようになっていきました。
帰国後、ロシア国民音楽の創造に全力を注いだグリンカは、ロシアに題材をとった最初のロシア語オペラである歌劇《皇帝に捧げし命(イワン・スサーニン)》 (1836) を発表して大成功を収めました。これで幅広く受容されたグリンカは続いて歌劇《ルスランとリュドミラ》 (1842) を作曲し、ロシア近代音楽の基礎を打ち立てました。
初めて真のロシア的音楽をつくったといわれるグリンカの作品は、ロシアのその後の作曲界に重要な影響を与えています。とりわけ有名なのが、いわゆる『ロシア五人組』への影響です。
『ロシア五人組』は、ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)を中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団で、
ミリイ・バラキレフ
ツェーザリ・キュイ(1835〜1918)
モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)
アレクサンドル・ボロディン(1833〜1887)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)
の五人のことを指します。五人組はグリンカの指導力を受け入れたことで、はっきりとロシア的な特質のある音楽を創造していきました。
そんなグリンカの誕生日の今日は、歌劇《ルスランとリュドミラ》の序曲をご紹介しようと思います。
この歌劇は1837年から1842年12月にかけて作曲されました。原作はロシアの詩人アレクサンドル・プーシキン(1799〜1837)が1820年に最初の物語詩として著した『ルスラーンとリュドミーラ』で、これを基にしてヴァレリアン・シルコフ、ネストル・クコリニク、作曲者グリンカら5名が共同でこのオペラのリブレット(台本)をロシア語で作成することになりました。
当初の構想ではプーシキン自身に台本を執筆してもらうことになっていたのですが、途中でプーシキンが亡くなってしまったことから叶いませんでした。なのでやむなく楽曲を先に書き上げ、作曲者グリンカを含む5名が共同して楽曲の旋律に当てはめるなどして後付けで台本を作成するという結果となりました。
オペラのあらすじとしては
キエフ大公国のスヴェトザール大公の館では大公の娘リュドミラ姫と騎士ルスランとの婚礼の宴たけなわであった。そのとき突然、悪魔チェルノモールが現われ、リュドミラはさらわれてしまう。
大公は大切な娘を取り戻すため、ルスラン、そして参列していた騎士ファルラーフ、王子ラトミールらの若者に、無事に救出した者に娘を与えると宣言する。そしてリュドミラを救出するためのルスランの旅が始まり、さまざまな魔術や誘惑、他の若者の妨害などを切りぬけ、最終的には勇敢なルスランがリュドミラを助け出し、二人は結ばれる。
というものです。
このオペラ、現在では全くと言っていいほど上演されません。そんな中、序曲だけは大変人気が高く、今日でも演奏会で単独で演奏されています。
ニ長調の底抜けに明るい強奏に導かれた弦楽器群が総出で16部音符のパッセージを演奏する様は何とも勇壮かつゴージャスで、これから始まる音楽の幕開けとしてこれほど相応しい音楽もそうありません。特に旧ソ連の指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903〜1988)の演奏するテンポは『ムラヴィンスキー・テンポ』と呼ばれ、今でもこの曲のテンポを決定づけるものとなっています。
そんなわけで、今日はグリンカの歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲をお聴きいただきたいと思います。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団による1965年のライブ演奏で、実に小気味よいテンポの音楽をご堪能ください。