今日は昨日と別のコンサートリハーサルが…あるはずでした。しかし、先日発表になった新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言延長に伴ってコンサートそのものが無くなってしまったので、急に暇になってしまいました。
さて急にやることが無くなってしまったのですが、今日は外もかなり暑いし(群馬県高崎市で今年初の真夏日となったのだとか)、それはそれで練習したり小学校の授業の準備をしたりとやることはいくらでもあるので、自宅であれこれとしていました。ただ、ふと気づくとブログに揚げるようなことが何もないまま夕方を迎えてしまったのです。
どうしようかなぁ…などと思いつつ、とりあえず今日記念日の作曲家がいないかどうか調べてみたら、一人だけヒットした作曲家がいました。それが中期バロックの北ドイツ・オルガン楽派の巨匠ディートリヒ・ブクステフーデ(1637〜1707)です。
ブクステフーデは1637年に、デンマークで生まれました。その後、当時神聖ローマ帝国のハンザ同盟自由都市だったリューベックに渡り、
聖マリア教会のオルガニストに就任し、生涯その職に就いていました。卓越したテクニックと華麗な作曲技法でそれまでのオルガン演奏に革命をもたらし、北ドイツ・オルガン楽派の巨匠としての地位を確立しました。リューベックの聖マリア教会には
地上20mの高さにブクステフーデの名を冠したパイプオルガンがあります。
ブクステフーデの名声は存命時から高く、1705年には当時20歳のバッハがオルガニストを務めていたアルンシュタットから400kmの道のりを歩いてリューベックまで向かい、ブクステフーデから直々に手解きを受けたという有名な逸話も残されています。バッハはリューベックでブクステフーデの後釜に就くことを希望し、ブクステフーデもそれを望んだと言いますが、その条件がバッハより10歳年上の娘との結婚だったので諦めてアルンシュタットへと帰ってしまいました(因みにその2年前にはバッハと同い年のヘンデルもブクステフーデの元を訪れて職を得ようとしていますが、同じく娘との結婚を条件に出されて逃げてしまったようです)。
40年に渡って聖マリア教会のオルガニストとして活躍したブクステフーデは、1707年の今日天に召されました(享年70)。
そんなブクステフーデの命日に、私が彼の作品の中で個人的に一番好きな『プレリュード、フーガとシャコンヌ ハ長調』をお聴き頂きたいと思います。バッハも魅了された、ブクステフーデならではの華やかな世界観をお楽しみください。