今日は昨日と比べて気温こそ高くないものの、湿度の高いムシムシとした天候となりました。こう湿度が高い日が続くと、クセ毛の人間としてはこれから辛い日々が続くことになります…。
ところで、今日6月23日は
モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)の交響詩《禿山の一夜》のオリジナル初版が完成した日です。
イエス・キリストの洗礼者聖ヨハネの誕生日はロシア暦の6月24日で、この時期はロシアの農民たちにとって大事な時期です。そして
「聖ヨハネの日の前までは雨を乞い、聖ヨハネの日の翌日からは晴天を乞う。」
という言い回しがあるように、ロシアの農民たちにとっては農作業のポイントになる日でもあります。
『禿山の一夜』は
「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」
というロシアに伝わる言い伝えの一種で、
「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグが現れて手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」
というロシアの民話のひとつです。
さて、ムソルグスキーの交響詩《禿山の一夜》で、現在一般的によく聴かれているのは
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)が1886年に編曲した版ですが、実はこの《禿山の一夜》にはいくつかの版が存在しています。
ムソルグスキーが最初にこの曲を構想したのは、まだ19歳の頃でした。そして、この伝説を扱った『イヴァン・クパーラ前夜』という小説をオペラ化してその中で新たな音楽を使おうとしたのですが、これは実現しませんでした。
それでもムソルグスキーは『魔物たちの大騒ぎを音楽で描く』というアイディアを捨てず、1867年の6月23日に完成したのが交響詩《はげ山における聖ヨハネ祭前夜》という《禿山の一夜》の記念すべきオリジナル初版でした。ただ、この版はあまりにも独創的過ぎたのか、
ムソルグスキーが尊敬する先輩作曲家ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)からダメ出しされてしまい、結局お蔵入りになったのでした。
それでもムソルグスキーは諦めず、その後5人の作曲家が分担して作曲する予定だったオペラ=バレエ《ムラダ》(1872)に《禿山の一夜》に合唱を加えたものを当てようとしたり、歌劇《ソローチンツィの定期市》(1880)の中で主人公が見る夢の情景の音楽として使おうとしたりしました。しかしこれらはいずれも未完に終わり、結局《禿山の一夜》が作曲者の生前に日の目を見ることはありませんでした。
この曲が広く知られるようになったのはムソルグスキーの死後1886年に、友人だったリムスキー=コルサコフが
「ムソルグスキーの音楽の真価を伝えたい」
と《ソローチンツィの定期市》の中の合唱付きバージョンを編曲して交響詩《禿山の一夜》として発表してからでした。このバージョンはリムスキー=コルサコフの調和の取れたオーケストレーションも巧みだったこともあって、世界中で広く親しまれるようになりました。
ところが、実は話はここで終わりません。
リムスキー=コルサコフらが
「ムソルグスキーの音楽は素晴らしいが、彼のオーケストレーションは下手だ」
と言っていたこともあって、聴衆も演奏者も洗練された響きのリムスキー=コルサコフ版で満足していました。ところが、1968年になってムソルグスキー自身の書いたオリジナル初版の楽譜が作曲から101年経って初めて出版されると、その荒々しく独創的な『本来の禿山の一夜』の音楽に多くの人が驚嘆したのです。
最大の違いは、リムスキー=コルサコフ版では宴たけなわの中で教会の鐘が聞こえてきて魔女たちが姿を消し美しい夜明けを迎えて静かに終わるのですが、オリジナル初版は魔王や魔女たちの宴が最高潮のままで終了することです。リムスキー=コルサコフ版を聴き慣れた方にはかなりのインパクトだと思いますが、その後の好き嫌いは個人によって違ってくるようです(バラキレフはお気に召さなかったようですが)。
そんなわけで今日は交響詩《禿山の一夜》を、ムソルグスキーが155年前に完成させたオリジナルオーケストレーション版でお聴きいただきたいと思います。クラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ムソルグスキー自身による真の姿の《禿山の一夜》をどうぞ。