今日も神奈川県は、朝のうちに車のフロントガラスにうっすらと霜がつくほど冷えこみました。今朝は寒くて目が覚めたのてすが、何だか喉が痛いのが嫌な予感がします…。
ところで、今日12月9日はワルトトイフェルの誕生日です。
『…誰?』
と思われるかも知れませんが、
エミール・ワルトトイフェル(1837〜1915年)はフランスの作曲家です。大衆音楽、とりわけワルツやポルカなどのダンス音楽の作曲家として知られ、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)にならって「フランスのヨハン・シュトラウス」「フランスのワルツ王」と呼ばれていました。
エミール・ワルトトイフェルはストラスブールで、アルザスのユダヤ人の家庭に生まれました。出身地アルザスは1793年以前および1871年から1918年まではドイツ領でしたが、ワルトトイフェルもその名が示すとおり、指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891〜1968)や医師でオルガニストのアルベルト・シュヴァイツァー(1875〜1965)らの多くのアルザス人と同じくドイツ系の家系であったと思われています。
兄のレオンがパリ音楽院に入学したのを期に一家でアルザスからパリに転出し、以降エミールは一生をこの地で過ごすこととなりました。エミール自身も1853年から1857年までパリ音楽院でピアノを学びましたが、同級生には歌劇《ウェルテル》《マノン》《タイス》の作曲家ジュール・マスネ(1842〜1912)や、歌劇《カルメン》《真珠採り》の作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)がいました。
28歳の時、ワルトトイフェルは
ナポレオン3世の皇后ウージェニー(1826〜1920)の宮廷ピアニストになり、また帝国主宰の舞踏会で楽団を指揮することとなりました。普仏戦争によって第二帝政が崩壊した後は、楽団はエリゼ宮の大統領主宰の舞踏会で演奏を行っていました。
1874年10月にワルトトイフェルは、当時英国皇太子だったエドワード7世の臨席する行事で演奏を行いました。ワルトトイフェルのワルツ《マノロ》に魅了されたエドワード7世はワルトトイフェルの曲をイギリスに盛んに紹介し、またロンドンを拠点とする出版社が彼と長期契約を結びました。
ワルトトイフェルの作品はバッキンガム宮殿においてヴィクトリア女王臨席の下で御前演奏され、ワルトトイフェルの名はロンドンの楽壇を制すると世界中で有名になりました。ワルツ《女学生》といった、今なおよく演奏されるワルトトイフェルの作品が作曲されたのもこの時期です。
そんなワルトトイフェルの誕生日である今日は、ワルツ《スケートをする人々》をご紹介しようと思います。
ワルツ《スケートをする人々》作品183は、エミール・ワルトトイフェルが作曲したワルツで、日本では《スケーターズ・ワルツ》という通称でも知られる作品です。ワルツ《女学生》作品191に並ぶ、作曲者の代表作です。
この作品は
(ルノワール作『ブローニュの森のスケート場』1868年)
パリの森林公園『ブローニュの森』にあったスケート場に着想を得て1882年に作曲されました。実は日本での人気がとりわけ高く、海外ではワルトトイフェル名曲集的な企画から漏れたりすることもあるようですが、かつてはトスカニーニやカラヤンが好んで取り上げた曲でもあります。
かつてスケート場に行くと必ずといっていいほどBGMで流れていましたが、久々に聴いてみるとまたスケート滑りたくなってきました。ただ、比較的近くにあったスケートリンクは次々と閉鎖になってしまったので、明治神宮あたりまで行かないといけません…。
そんなわけで、今日はワルトトイフェルの代表作《スケーターズ・ワルツ》をお聴きいただきたいと思います。デヴィッド・ブロフイー指揮によるWDRファンクハウス管弦楽団の演奏で、冬の定番ワルツをお楽しみください。